超中二病(スーパージュブナイル)

序章

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

序章 または世界の反転

 
 高校生になって間もない4月のある日。それは僕が学校に行く途中の事だった。
「ねえ、もしもし……あなた。そこのあなた」
 突然、僕の背後から声が聞こえてきた。当然僕はびっくりして振り返る。
「え、あ……僕ですか? 何か用ですか? わぁ……」
 振り向いてさらに僕は驚いた。思わず感嘆の声を上げた。なぜなら目の前にいたのは――超絶な美少女だったから。
 その容姿はというと……さらりと長く伸びた髪。瞳が大きく整った顔。透きとおるような白い肌。しなやかなプロポーション。そしてひらひらしたドレスのような衣装を着る姿は、まるで人形のようだった。
 何の特徴も取り柄も持っていない無個性、悪い意味で『普通』の僕にこんな娘が声をかけてくれるなんて! やったぁ!
「ん? どうかしましたか?」
 少女はくりくりした目をぱちくりさせて首を傾げながら尋ねる。それらの動作一つ一つが清楚に丁寧な柔らかい物腰。背は低いが品格を備えているようだ。ふむ、素晴らしい。
 とか阿呆な妄想が空回っていた僕も、少女の現実離れした美しさにさすがに思考が現実に回帰。で、少女に見とれて、もしやどこかのお嬢様じゃないのかしらん、と思った。
 だけどここで物怖じしてちゃ男じゃない。僕だって少女に負けず劣らず、格好良くスマートに決める。フッ……揺りかごから墓場まで(精一杯のカッコイイ台詞)。よし、脳内練習はパーフェクト。さぁ発声だ!
「……や、あ……な、何でもなんです」
 か……噛んじゃった! 何でもなんですって何だっ。ないです、だろ。決めちゃったみたいな顔して僕は何をやらかしてんだ、ちくしょー。っていうか、これはもう噛む以前の問題だしッ!
「はぁ、そうですか。でしたらいいのですけど……」
 おお、スルーしてくれたよ。さすがお嬢様。良くできた子だよ。おかげで幾分僕も緊張が解けてきたよ。よし、少し落ち着こう。脳内深呼吸、脳内深呼吸。
「え、とっ。ところで僕に何の用です?」
 うん。今度は普通に言えた。上手く返せた。さぁ、この少女は僕に何の用があるのかな? なんか色々と期待しちゃうぞ、このやろー。
「あぁ、はい……ええと、あなたの着ている服って学生服って言うんですよね? あなたは高校生? それとも中学生?」
 時が――数瞬、止まった。
「……へ、え? せ、制服だけど……最近高校生になったばかりだけど」
 いきなり何を言ってるんだこの子。僕の頭がパニックを引き起こしそう。っていうか中学生て失礼だな。ま、この間まで中学生だったんだけど。それよりなんか雲行きが怪しくなってきた気がするのは、きっと僕の胸の内から囁く闇のせい(精一杯の(略))。
 と僕が頭の中で高度な思考遊技をたしなんでると、少女がにっこり微笑んで言った。
「そうですか……分かりました。えと、あの……私の名前は浦々笹波(うらうらささなみ)と申します。これからよろしくお願いします」
「え……いや…………え?」
 何がよろしく? わけが分からないんですが。
「私も高校生になることにしました。あなたと同じところにします。きっとこれも運命という必然の物語だと思います。ですからよろしくお願いします」
 浦々笹波と名乗った少女はペコリと頭を下げた。なることにしたの? よかったね。
「や……だからちょっと言ってることが……」
 僕の思考が追いつきません。高校生というものはこんな簡単になることができるのか……いやいやそういう問題じゃない。もうなんか言ってる事の全部がおかしい。
 そうか、これが俗にいう電波さんというやつなのか。可愛いすぎる子にはありがちだと聞くもんな〜。こんな格好してるし。残念だな〜。まぁ春だもんな〜……とか考えていると、浦々さんがまたわけの分からない事をのたまった。
「私はあなたに特別な何かを感じたのです。もしかしてこれが愛なのかもしれません。愛こそ全て。全ての物語は愛によって語られます。だから要するに――私は俗にいう転校生というやつです。それではとりあえずあなたの学校まで案内を……」
 最後まで聞くことなく、僕は逃げ出していた。全速力で。や、滅茶苦茶嫌な予感がしたもんでつい。愛とかなんとかこんな可愛い娘に言われてドキリとするにはするけど、これは電波的すぎるでしょ。これ以上は耐えられません。
「あっ、ちょ……ちょっと待ちなさいっ! あんたっ!」
 後ろから浦々さんの声が聞こえたが振り返らない。てか振り返れない。怖い。なんか声の調子が変わってるし。キャラ変わっちゃってるし。あんたとか言ってるし!
 それで僕はそのまま学校まで走り続けてなんとか少女をまくことができた。どうやら今回は変な事件に巻き込まれずに済みそうだ。ひと安心ひと安心。ま、僕は変わった人間には慣れてるから、対処の仕方も上達してきたってことでお一つ(何がお一つだよ!)(←秘技・セルフツッコミ)。
 ……しかしその時の僕は、学校の帰りにその自称転校生の美少女と運命的な出会いを果たすなんてちっとも思ってなかった。そうだ、こんな強烈なイベントがあったんだからそれくらい予想しておくべきだったんだ。だって世の中はそういう風にできているんだ。
 今から思えば――これが僕の人生の、最大の失敗だったのかもしれない。
 
 
 その日無事に学校が終わって、僕が登下校のショートカットとして使用する遊歩道を歩いている時だった。辺りには人はまばらにいるのみである。遠くの方でボール遊びに興じる子供。ベンチに腰掛けるサラリーマン風の男。追われているらしい女の子と、その子を追っているらしい黒服の男達。犬の散歩をしているおばさん。
 つーか、ちょっと待てー! (使い古されたネタだけど敢えて堂々と使ってみた)
 て、そんなことより……女の子が追われているだって? どういうことだ……何か事件の匂いがするぞ。ちょっとじっくり見てみよう。
「……マジっすか」
 追われてる女の子……なんてことなんだ、今朝会った自称転校生じゃないか。なんなんだよ、これ。そんな……なんて……なんてご都合主義な展開なんだ! まさにこの世界の仕組みそのものだ! それは一言で言うと……うんざりだ。
 そう――今となってはさほど珍しくない光景。運命という必然。引力。世界の法則。ただの予定調和。『虚構革命』後、世界はどこか胡散臭いものになった。誰もがまるで演技しているような世界。世界全体が舞台になってしまったような――不気味な世界。
 そして――そうなんだ。僕はまた――また物語に巻き込まれてしまうのか。
 僕としてはこのまま見て見ぬふりをしても構わないんだけれど、何しろ一応知り合いなんだしみすみす放っておく訳にはいかないだろう……っていうかめっさこっち見てるしね、転校生。これで逃げたら僕のこれからの人生に支障を来すかもしれない。
 だからといって僕は何をしたらいいんだ。あいにく僕はごく普通のしがない高校生。それが僕のこの世界でのポテンシャル。僕が持っている特別性を強いて挙げるならば、そう。今の状況からも想像できるように、僕は物語にとても巻き込まれやすい人間だっていうこと。そんな能力ってところさ。いや、呪いか。能力なんてこっちから願い下げだ。
 って、そんなことを考えている内に転校生がこっちに向かって走ってくる。さぁ、どうする僕。ここは僕の勇気が試されているシーンじゃないのか?
 ここで逃げちゃ男が……よし! ――逃げますッ!
 人には出来ることと出来ないことがある。僕は胡散臭いこの世界でそれでも僕なりの現実を抱いて、それに基づいて行動しようと心がけているんだ。僕のポリシーさ。アイデンティティーといってもいい。それに追っ手の男達も凄くやばそうな感じだよ。結構数いるよ? 5人くらい? すげー怖そうだし、確実に人殺してるね、奴ら。
 だから僕は何も見なかった風を装って、踵を返して走った。
「ちょ……ちょっと、あなた! 何逃げてんのよっ! 待てっ、こらーっ!」
 ほら、見ろ。無関係な僕までも、見られたからにはってやつだ。もう駄目だ、口封じに殺される……ん? ちょい待ち。しかし今の声、イカつそうな男達から発せられてるものとは思えないハイトーンな声質。っていうか明らかに女性の声。いや聞き覚えがある、自称転校生の声じゃん。マジかよ……やっぱ怖いよ転校生っ。
「あっ、あんた覚えてるっ! 今朝合った人でしょっ! おーいっ、クラスメイトを見捨てるつもりーっ!? つーか、あんた朝から逃げすぎでしょ!」
 転校生が明らかに僕に助けを求めている。やっぱり正体見破られていたんだね。っていうか僕達クラスメイト設定なの? 君まだ生徒ですらないじゃん!
 それより朝に見たときと性格が全然変わっていますよ、転校生の……浦々さんか。いや〜、僕も君を助けたいのは山々なんだけどさ……いくらこんな世の中だからって、人には限界があるんだよ浦々さん。僕に期待されても困るよ、だから何も言わずに僕は背を向けて全力で逃げることにします。僕は無関係でございます。
 てなわけで何も聞かなかったことにして逃走を続ける僕。いや、僕も結構最低だね。でも現実なんてそんなものだよ。……違う、か。今の世界なら僕のやってることの方が非現実的なのか。と、浦々さんを無視して走りながら哲学的な考えにふけこむ僕。
「って、無視なのっ!? 見捨てる気まんまんなのっ!?」
 背後から浦々さんの叫び声。それにしても意外とノリのいい娘なんだね、清楚な感じがしたんだけどな〜。逃げながらちょっと振り返ってみる……。
「うううぅりいゃあああああぁぁぁぁ!」
 うっそ! 足速ぇ! 浦々さんすぐ後ろにまで迫ってきてるし! 随分ご立腹の様子だしっ! 怖ぇ、鬼の形相だよ! 可愛い顔が般若になってるよ! これ明らかに僕も道連れにしようとしてるよね!? めっちゃ全力ダッシュだし、うりゃあとか言ってるし! 君そんなキャラだったの!? こんなかわいい顔なのにそんなキャラ付けでいいのっ!?
「はいーっ、つ〜かまえたっ!」
 僕の右肩をがっしり掴む細い腕。ひぃぃぃぃ! この物語はホラーだったんだね! にっこり優しそうな微笑みだけどそれが逆に恐怖。ちびりそう。
「……って、うわっ、足がっ?」
 だけど急停止したためバランスが崩れ――浦々さんと衝突してしまった。
「えっ? きゃあっ!」
 そして、僕の背中に柔らかい感触。
 ああ、これが女の子の温もり。やっぱり胸、おっきいんだね浦々さん。いや、朝会った時から僕はその胸が気になっていたんだよ……うん、そんな場合じゃねぇ。
 さらに僕達は足がもつれ、そのまま体を絡ませ合いながら坂道を転がる(エロい)。
「ちょ、ちょっと変なとこ触らないでっ」不可抗力です。
 そしてさらにさらに運の悪いことに、その先にあったのは池。
「わわわわわっ!?」
 そうなんだよね、こんな事だろうとは思ったよ。浦々さん。だから僕に助けを求めるべきじゃなかったんだよ。
 僕と浦々さんは2人、仲良く池に落ちた。そんなに深くなかったのが幸いだ。
「ぷはぁっ……もう、最悪っ! あんたのせいで、なんかもう全部滅茶苦茶っ」
 容赦ないパンチが僕を襲う。浦々さんは怒りの矛先を僕に向けた。う〜ん、これはとばっちりじゃないのか。なんか理不尽だけど……浦々さんの服が水に濡れ、わがままボディがこれでもかと自己主張している、そんな様を間近で拝めたということでチャラにしよう。甘んじて殴られ続けよう。でもその歳で黒の下着ってどうなのさ。いや、僕的には全然アリなんですけどね。むしろありがとうございます。
 浦々さんはそんな自分の状態に気付かず未だ怒りを僕に向け続け、僕はそんな浦々さんの体を堪能していると、周りに人が5人位集まってきた。すっかり忘れてた。
 絶体絶命の状態というやつだ。
 いや、僕は既に満身創痍ですけどね。浦々さんにボコボコにされちゃいました。パンチの嵐です。で、そんな状態でにやにやしてる僕を見て彼らはいったい何を思ったのだろうか。つか……どうでもいいわっ。だからそんな場合じゃないっての。
 か――完全に囲まれた。池から上がろうにも上がれない。待ち受ける黒服達。狙いは恐らく浦々さんだ。彼女にはどんな物語の背景があるのか知らないけれど、これは言える。これでもう僕も晴れて当事者の仲間入りだ。さぁ、ここからどんな展開になるやら。
「ハッハッハー、とうとう追い詰めたぞ。笹波ちゃん。さぁ、お父上がお待ちかねだ。オレと一緒に来て貰うぞ!」
 この中のリーダー格風の男が一歩前に出て浦々さんに呼びかける。黒いスーツに黒いハット、黒いサングラスと……なんだかより一層黒々とした男だ。さすがリーダー……っていうか、リーダーの顔どこかで見たような気がするんだけど……はて。
「あんまり手荒な真似はするなって指示されてて、オレもそんな趣味はねぇ。おとなしく付いてきてくれると嬉しいんだけどな。あと、そこのとばっちり君もここで見た事は忘れて、このまま家に帰ってくれるとオレ、すっごい助かるんだけど」
 リーダーは流れるような口調で言う。ちょっとやばそうな印象がある。ゆっくり近づきながら手を伸ばして浦々さんの腕を掴んだ。
「ちょ……ちょっと、何するのよっ! 離せこらーッ!」
 浦々さんは必死で抵抗する。全然おとなしくしていない。もうちょっと僕を見習ってみたらいいのに。いや、それは駄目だろう。どうする僕。やっぱりここは助けるべきだろう。それが常識じゃないか。
 けれど常識って一体なんだろう。この世界でそんな言葉はナンセンスなんじゃないか。死語そのものだ。う〜ん、熟考してみよう。と……その時、突然声がした。
「――って、ばっかろぉう! そんな考えてる暇があったら行動するんどぉわぁぁ!」
 びっくりした。なんだこの大げさな怒鳴り声は? これは、男の声――?
「ぐだぐだ考えることなんてことは後からいつだってできるんだよ。だが、今この時しかできない事があるだろう? だったら今は何も考える必要なんてねぇだろ、なあ!?」
 やけに芝居かかった声で、どこかで聞いたような偽物っぽい言葉。だけどそれは心にすっと入ってきそうな心地いい言葉。不思議な男。
 そう。この瞬間こそが、僕と彼と少女の出会いで――物語の始まりだった。


 突然、僕の目の前に一人の男が現れた。
「ふわぁ〜……ったく。せっかく魚を釣りに来たっていうのに……ここは俺の穴場なんだぜ? 俺の今日の命の糧がかかってるんだぜ? お前ら好き勝手暴れるのはいいけど、ちったぁ人様の迷惑も考えやがれってんだ。この罪、万死に値するぜぇ?」
 やたらと演技っぽく格好つけて語る青年は、若そうにも見えるが意外といい歳なのかもしれない風貌。恐らく20代ではあるだろう。前半か後半かは分からない。整えていない髪は長くも短くもなくだらしなく伸ばされていて、身長は高いが体型はスラリとしている。服装はボタンを全開にした青いジャケットに黒の蝶ネクタイ、上着と揃いのハーフパンツを着崩している。それはまるで探偵助手のような格好だった。
 だけどその格好とは不釣り合いになぜか手には釣り道具を携えていて、雰囲気的には探偵助手というよりもむしろ仙人みたいだ。顔は悪くないのに残念。探偵助手は偉そうな事を色々言ってるけど、きっとその場の勢いで適当に言ってるんだろう。僕には分かる。
 僕と浦々さん、さらには黒服達まで。この場にいた全ての人間が、探偵助手か仙人か分からない、不釣り合いであべこべな謎の男に釘付けになっていた。
 けれど黒服のリーダー。とっさに状況を判断して突如現れた闖入者に対し凄んでみせる。
「あぁ? なんだてめぇは? 兄さん、オレ達はちょっとこのお嬢さんに用事があるんだよ。だからとっとと……」
 リーダーは仙人探偵に凄みながら、じりじりと近づいていった。すると――。
「秘技・鳳仙花あああああっ!!」
 え――な、投げたあっ!?
「うおおおおっっっ!?」
 瞬間、叫び声を上げながら黒い人影が飛んでいった。そしてぼっちゃん、と勢い良く池に水柱が立った。
 ……オーケー、ちょっと整理しよう。僕は今起こった状況をじっくり思い返す。
 黒服リーダーが男に近づいてきたかと思うと、仙人探偵はいきなりリーダーを池の中へと投げ飛ばしたのだ。
 ……うん。なんて人なんだ。問答無用じゃないか。あと、鳳仙花って何だ。技名か? いい年した大人が恥ずかしすぎるだろ。解説終わり。
「なっ……なんだこいつふざけやがってっ」
 残った黒服達はその光景に怯んでいたが、仙人探偵を取り押さえる為にじり寄る。
「ふん。かかってくるかぁ、荒くれ者達よっ! けれどこの状況……お前らに勝ち目がないってのは客観的に見て明らかだぜぇ〜え」
 しかし仙人探偵は動揺する気配もなく、釣り竿を肩に置いて威風堂々と佇んでいた。大人なのに、まるで子供のような人だと思った。どの辺りがと言われれば答えられないけど。
「何を言ってる! それはどう見てもお前の方じゃないかっ。かかれぇッ!」
 黒服達は仙人探偵に向かって、一斉に飛びかかった。

 そして――一瞬で終わった。
 強い、この男。これが……この世界の力なのか?
 仙人探偵は瞬く間に黒服達を素手で倒し、池に沈めた。華麗ともいえる動作だった。ちぎっては投げ、ちぎっては投げだった。
「ふっふんっ、まったく歯ごたえのない連中だぜ。ま、いい運動にはなったけどよぉ」
 あっという間に全員を倒すと、仙人探偵は池から上がってきた。息一つ乱してない。
 そして確かに仙人探偵の言うとおりだ。僕から見れば、この状況では黒服達が負けるんだろうなっていうのは簡単に予想できた。だってこの場合当然じゃないか……。でも、それでも、物語的にはこれで正しいんだろうけど、捻りも何もなくてあまりに真っ直ぐな強さだったから……僕は。
 しばらく茫然としていた僕はようやく口を開いて彼に尋ねた。
「あ……あなたは一体誰なんです?」
 仙人探偵は僕の顔を見て、にやりと笑みを浮かべ言った。
「俺か? 俺の名は戯作劇下(げさくげっか)。物語の幕を引く男。だが世界の中のちっぽけな一人、ただの人間だよ」
 何故かくるりと一回転して、蝶ネクタイを直しながらキメ顔で言った。
 ……何を言ってるのか分からなかった。
 でもなんだかその言葉に思い至る事があったような気がした。それは、それは。分からない、けど。
 ああ、僕はこの世界が嫌いだった。だがどしかし、僕がこうしてこの男……戯作劇下と出会えたのなら世界もそんなに悪いものでもないかもしれない、と思えた。
「とにかくお前等のせいで俺までびしょ濡れになっちまった。訳ありなんだろ? あんたら。これも何かの縁だ。どうだ、俺の店まで来ないか? 俺が相談に乗ってやんよ」
 ボサボサの濡れた髪をかき乱し、男はにやりと笑う。
「相談ってあなた……何してるんですか?」
 なんだか怪しい。いきなり会った僕達をこの男はどうするつもりだ。
「ふっ、来たら分かるよ……って、ちょい待ち。そこの娘よ!」
「わ、私……ですか?」
 男がいきなり真剣な顔で浦々さんを指さす。ど……どうしたっていうんだ?
 僕は息を呑む。その場の空気が緊張間に包まれる。そして戯作劇下は口を開いた。
「服が水に濡れてなんとも破廉恥きわまりない姿になっちまってるじゃねーか。なんだ、これはもしかすると助けてくれた礼にそのおっきなおっぱいを俺にもまうぎゃああ!」
 浦々さんは戯作劇下の台詞を最後まで言わせることなく、瞬時にその首を締め上げた。おお、すごい。人ってこんなにも顔色が黒くなる生き物なんだね。
 死の一歩手前までいってようやく浦々さんは手を離し、戯作劇下は呼吸を乱しながらみっともなく取り繕う。
「ちっ、冗談の通じねー娘だ。お……俺はガキには興味ねーよっ!」
 戯作劇下は僕達の返事も聞かずに一人でずんずん歩いて行った。年齢はそんなに変わらないと思うけど……ていうか冗談って割には、目が煩悩剥き出しのオスのものだったような。絶対興味あるよね? ロリコンだよね? ……こんな大人にはなりたくない。
 けれども不思議だった。会って間もないまるで子供のようなこの男は、登場からして胡散臭い奴だけど……なぜだろう。その男の背中は安心というのか……信用できるというのか、とにかく僕はその背中についていきたくなった。
「あ〜、それと嬢ちゃん。そのスケスケコスチューム。さっきから少年がいやらしい目でジロジロ見てるぞ」
 背を向けながらふてくされた声で告げる男……って、いや、なに言っちゃってるんですか、あんた。僕まで道連れにするの?
 ま、でもジロジロ見てたのは確かだけどねっ! ……と、その時。ゾクッと不意に殺気を感じた。僕は恐る恐る浦々さんの方を振り返る。
「……うぐぅ」
 そこには恥ずかしそうに頬を染めた浦々さんが、豊かな胸を隠すように両手を添える姿があった。グッドです。星3つ。
「殺す」
 単刀直入に殺害宣言されてしまいました。
 僕は逃げるように戯作劇下の後を追いかけていった。何故か戯作劇下は俺から離れるように走り出す。僕の後ろからは浦々笹波さんが追いかけてきた。
 戯作劇下、浦々笹波、そして僕――久我山玖難(くどうくえん)。
 とにかくこれが、僕達3人の出会いだった。


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