超中二病(スーパージュブナイル)

第2章 激闘交錯

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 さっきの場所まで戻ってくると、そこには目を覆いたくなるような光景があった。
「浦々さんっ!?」
そこは僕と歩餡が逃げ出す前と同じような状況だった。浦々さんと殺し屋・懴忌が互いに睨み合っている状態。
 けれど、逃げ出す前と同じに見えて全然違う。今の浦々さんの姿は前と比べ、とても痛ましいものだったから。
 制服がところどころに引き裂かれていて、綺麗な白い肌……そのいたるところから血が流れていた。多分懴忌のノコギリによる傷だろう。苦しげな顔をしている。
 一方、懴忌は余裕の表情を浮かべて笑っていた。息一つ乱れていない。
 それを僕は影から見ていた。ああ、そうだ。僕は結局一人で戻ってきたんだ。誰かに助けを呼びに行くなんてのは当然、僕の嘘だった。
 頼れる人間というのは僕の場合、もちろん戯作劇下の事だけど、ここからだと走っていっても時間がかかりすぎる。そんなに浦々さんを一人にしておけるわけがない。それに劇下さんの店に電話が繋がらなかったんだ、不在の可能性もある。
 だったら答えは簡単だ。僕が浦々さんを救うしかないじゃないか。
 でも、ここで僕が出て行っても一体何ができるっていうんだろうか。僕はどうしても一歩が踏み出せないでいた。
 僕が踏みとどまっていると、膠着状態にあった2人が話し始めた。
「いい〜加減、ついてきてくれないかなっ。笹波ちゃあん♪ アタシはっアンタをっ無傷で連れてこいッて言われてんだヨ〜。もうこの時点で依頼守れてねーじゃんアタシ、みたいな。でもこの位はいいかと自分の中で勝手に解釈、みたいな」
 と、懴忌は特徴的な甘ったるい声で、浦々さんに語りかけている。
「あなたそれでも殺し屋なの? プロ意識が欠けてるんじゃない? もうそんな仕事辞めてさっさと帰ったらどう?」
 浦々さんも物怖じしている様子はない。なかなか度胸があるじゃないか。
「あっはーっ、何を言うかネ。この子はっ。い〜い? この任務はね……アンタのお父様の組織から直接に依頼されてっのよ? そもそもたっかが小娘一人拉致するのにぃ、自分で言うのもなんだけど〜その世界じゃ名の知れた殺し屋を雇っているのよぉ? 自分でも分かっているでしょ〜? この仕事は、絶対に失敗が許されないものってコトを」
「ええ、その事は誰よりも分かっているつもりよ……でも、だからね、私も絶対に捕まるわけにはいかないのよ」
「あい、分かった。だったらさぁ〜、もういいや。手加減なしでいかせてもらおうかね〜……どうせもう無傷じゃないんだし、ちょっと位ぶった切っても大差ないッしょ」
 懴忌の目の色が変わった。駄目だ。浦々さんが危ない――。
「それじゃあちょっと痛いかもだけど〜……我慢して、ね」
 懴忌が学校の工作で使うのよりもはるかに大きい糸ノコギリを高く振り上げた。
 僕は――。
「ちょ、ちょっと待てえっ!」叫んでいた。
「く、玖難っ? ……な、なんで戻ってきたの」
 僕の突然の登場に驚いた後、浦々さんは辛そうな目をしてみせた。
「はぁ? あっ、はっはっー。なんだ誰かと思えばさっきのガキンチョじゃあないかぁ。うふぅ。やっぱり君はなかなかいいよ〜。だってただのガキが〜、こ〜んなシーンにィ現にこうして関われているんだもの〜」
 懴忌はピアスだらけの顔を歪めて大げさに笑っている。
「うるさい。いいから今すぐここから消えろっ……もうすぐ助けが来るんだからな」
 勿論そんなものは来ないんだけど……。
「あっは。助け助け助けねぇ。アタシとしてはぁ、そっちの方が嬉しいかもめ〜。だってこんな任務退屈でフラストレーション溜まりまくりんなんだもん〜……だぁかぁらぁさぁ〜……それまでアンタでストレス解消するのもOKなんじゃん!?」
 しまった、逆効果だった。糸ノコギリを構え、懴忌がゆらりと近づいてくる。
「玖難、早く逃げてっ! これ以上関わらないでっ!」
「な、何言ってるんだよ……そんな事できるわけないじゃないか」
「違うの、玖難。あなたの身を案じているとかそういう意味じゃないのっ。これは私の運命なの……あなたが下手に関わってしまえば、もっと物語は悲劇に向かってしまうの。ねぇ、分かって。玖難……これはね、私の呪いなのよ」
 浦々さんは諦観したような声で言った。
「な、なんだよ……なんの話なんだよ、それ」
 浦々さんの言っている事が全然分からない。それにどうせ逃げたくても逃げられない。体が震えて動けない。懴忌はゆっくりと僕の方に近寄ってきていた。
「あっは〜ん。君のような此岸にいる人間にはこの子の言ってる事なんて到底理解できないよなぁ〜。ははぁ〜ん、こりゃ確かに悲劇だね〜。助けたいと思うそれ自体が事態を最悪に招いてしまう。皮肉と言った方がしっくりくるね〜」
 懴忌は楽しそうに酷薄な笑みを浮かべている。手に持ったノコギリを揺らしながら。
「う、うわ……く、来るな……」
 駄目だ……殺される。
 くそ……いったい僕は何をやってるんだろう。
 ……でも、これはこれでアリかもしれない。だってさ、ほら。これで浦々さんから注意を逸らすことができたじゃないか。
 浦々さんが言う事は分からないけど、けれど確かなことが一つある。浦々さんはあんなにボロボロになってまで……そうなる事が分かって僕達を逃がしてくれたんだ。
 だから僕だってこれくらいやったって罰は当たらないさ……。そうだよ。それにさ、そもそも僕はこうなることを望んでいたんじゃないか。
「あっははー。覚悟決めちゃったァ? アタシとしてはみっともなく足掻いてくれた方が楽しめるンだけどおおおお〜」
 懴忌を前に僕はゆっくり目を閉じる。その際、視界に浦々さんの姿が目に入った。
 その顔は怒っているようにも、逃れられない運命を悲しんでいるようにも見えた。まるで僕のせいで、都合よく進めていた演劇の進行が狂ってしまったと言わんばかりに。
 懴忌もそんな浦々さんの方に一瞥をくれて、そして震えている僕を見下すと、大きくため息を吐いて脱力した。
「なんだか興ざめしちゃった……それじゃ君の勇気に免じて一息に殺してあげるとするわ。だってアンタずっと死にたかったみたいだからね」
 そうかもしれない。これで僕はずっと夢見た幻想の向こうへ。ようやくあの場所へ。
「…………」
 けれど僕が目を閉じて覚悟を決めた後も、一向に何も起こる気配がなかった。
「……えっ?」
 なので恐る恐る目を開けると、そこには僕にとってある種の奇跡が広がっていた。
 先程まで目の前にいたはずの懴忌が、僕から離れたところに移動していた。何故だ?
 懴忌は今はもう僕からは完全に注意を逸らして、どこか一方を睨みつけている。
 離れた場所には浦々さんが困ったような顔で、懴忌と同じ方向に目を向けている。
 そして、その方向――懴忌と浦々さんが睨みつけている視線の先を追うとそこには――一人の見知らぬ男がいた。何故?
「アンタ……一体何者っす? この殺気からして相当の手練れとお見受けすっけど」
 意外な事に、懴忌が心なしか焦っているようだ。目の前の男は本当になんなんだ?
「オレは――竜胆灯火。正義の味方だ」
 長身で整った顔立ちの二枚目。けどなぜか春だというのに暑苦しそうな長いコートを羽織っているその男は、その端正な容姿に似合ったよく通る声で話した。
「竜胆灯火ぃ……どっかで聞いたことがあるような……くぅ〜、思い出せなっい! もういい。どっちみち邪魔立てすんならアンタも殺すだけだからアタシには関係ね〜!」
 懴忌はピアスだらけの顔を歪めて、巨大な糸ノコギリを男に向ける。
「そうだな……関係ないな確かに。そう、お前みたいな奴が出るような幕じゃない。さっさと消えろ、三下」
 なんて事言うんだ。竜胆とかいう男……何者か知らないけど殺されるぞ。
「あ、はっは……はははははー……お〜い、てめぇ〜、そのすました顔を〜ぉっ、ザックザックに切り刻んでやるよぉ〜〜ッッ!! 必殺・切殺(キリコ)オオオオッッ!!!!」
 眉間に皺を寄せ、糸ノコギリを構えて――懴忌が跳ねた。
 この男、殺される。そう思って僕は竜胆に目を向けると、彼の手が光っていた。
 次の瞬間、鉄と鉄が激しく打ち合う音が響いた。
「くっ、くあっ〜……な、なんだそりゃあ!?」
 懴忌が驚いた顔をして、一瞬で竜胆から距離をとる。
「光る……剣?」
 竜胆が手にしていた物――それは白く発光する棒状のなにか。恐らく懴忌の糸ノコギリはあれで受けたんだろう。いつの間にそんなものを持っていたのか。
「こいつはオレの能力でな、創造武器(クリエイトアーム)と言う。つまりオレの意思で武器を自由に創ることができるんだ……といっても銃などといった複雑な物は創り出せないがな」
 竜胆は言って、静かに目を閉じて、光る剣を上段に構えた。
「それと……勘違いをしてもらっては困るが、オレは能力なんていうものは嫌いだ。だがオレは崇高な目的の為に、敢えてそんな力に頼っている。この力を使う度にそんな自分が愚かしく思える……だから女――」
 竜胆は目を見開いた。今まで静かなイメージのあった竜胆の様子が一変した。
「オレにこの力を使わせたことを後悔させてやるぞ」
 そして――竜胆が懴忌に向かって飛び出した。
「なっ――速いっ!?」
 竜胆の姿が消えたように見えた。尋常じゃない速さだ。懴忌を凌駕する化け物。
 直後、キィンと耳をつんざくような甲高い音。音。音。音。激しい打ち合いが繰り広げられているようだけど、正直僕には2人の動きが速すぎて見えない。
「――玖難」
 と、壮絶な攻防が繰り広げられる中、僕の名前を呼ぶ声が聞こえた。ああ、すっかり忘れてしまっていた。僕は何をしていたんだ……彼女を救いに来たはずなのに。
「浦々さん……怪我は大丈夫?」
 いつの間にか僕の傍に寄ってきていた浦々さんを見る。彼女の制服はボロボロに破れて、そこから覗く白い肌はいたるとこから出血している。切り刻まれたスカートの下からは、恐らく白いパンツの生地のようなものまで見えていて――不謹慎かもしれないけどエッチだな〜って思った。胸の谷間とかも見えてるし。やっぱ結構胸あるんだね、浦々さん。
「こんなのは軽い傷よ――それより玖難。なんか私を見る目がいやらしいものに感じるのだけど気のせいかしら?」ガラス玉のような冷たい視線で僕を見る浦々さん。
「な、何言ってるんだよ。勿論気のせいですよ――って、痛ーっ! 何で蹴りを入れてくるんだよっ!」
「念のためです。お約束ですよ」
「酷いっ!」ですが、いやらしい心があったのも確かなんですけどね!
 まぁ、見たところ浦々さんの言うように、ほんとに彼女の傷は思ったより重傷でもなさそうで――恐らく懴忌がわざとそうしたんだろう――切り傷の全てが皮膚の表面だけを裂いている感じ。……凄い技術だよ、全く。
「そんなことより浦々さん。あいつらが戦っている内にここから逃げようっ!」
 まさにここが絶好の機会。こんなとこでグダグダやってないで逃げるべきなのは明らか。浦々さんの手を取って走り出そうとするが、
「待って。その前に教えて下さい……今戦っているあの人、竜胆灯火さん……あの人は誰なのです? さっき玖難が言ってた、助けが来るって竜胆さんのことなのですか?」
 浦々さんが踏みとどまって、戦っている竜胆に注意を促す。
「いや……さっき助けが来るなんていうのは僕のハッタリなんだ。あの人のことは僕は全く知らない。なんで僕達を助けてくれるのかも」
 もしかしたら本人が言うように、本当に正義の味方なのかもしれない。
「そうですか、分かりました……ふふっ。あなたは本当に面白い人ですね、玖難。あなたの行動によって、こんなにも大きく運命を変えてしまうだなんて」
「えっ? 何を言ってるの? 僕は何もしてないじゃないか……」
「いいえ、玖難。本当ならあなたがこの場を逃げ出して、そのまま戻ってくることはなかったはずなのよ。でもどういうわけか、あなたが私を助けに戻ってきてくれたから、こんなにも変わった。これが一番の奇跡よ。もしかしたらあなたには……いえ、とにかくあなたが時間を稼いでくれたから竜胆灯火に助けられた。きっかけはあなたなのよ」
 浦々さんはまたよく分からないことを言った。
「そんな。僕は……いや、それより話は後だ。今はとにかく、ここから少しでも遠くに離れるべきだっ」
 僕は浦々さんの手をとってこの場を離れようとしたが――。
「いいえ……その必要はないのよ、私はやっぱりここに残るわ。私はそうしなければいけないから……それが私の運命。いえ……私が運命を書き替えなければいけないの」
 本当にこの子の考えている事が僕には分からない。
「な、何言ってるんだ、浦々さん! だって逃げないとっ。今がチャンスなんだ!」
 浦々さん……君は何を言っているんだ? 君は一体何を見ているんだ? 懴忌が言うように……君は僕とは違う世界の人間なのか?
「私はね、あなた達に物語を進行させないように敢えて消極的でいたの。悲劇的なストーリーの展開を遅らせる為に……物語のジャンルを強引に変えるために。あなた達に近づいたのは利用するため。要はテコ入れ。お話の流れをねじ曲げるため。だから事件については私、あなた達から遠ざけていたの。さもないと――待っているのは破滅だから」
 そんな――理屈。そんな理由。悲劇だって? 破滅だって? なんなんだよ、それは。君は不幸な物語の運命に縛られているって言うのか?
「答えになってない……滅茶苦茶すぎる。信じられない」
 僕はすっかり脱力してしまった。そんな僕を尻目に、浦々さんは冷静に冷徹に、機械人形のような美しい顔で続ける。
「けれど、運命には抗えなかった。物語は確実に悲劇に進んでいってる。でも、私は諦めない。筋書きを強引に変更させる、破綻させる、停止させる。……なのに、それでもあなたは物語に関わるの? あなたが関与する展開じゃ、結末は破滅しかないのよ……」
 浦々さんは目を潤ませて僕に呟く。これは何の話なんだ? 今まで浦々さんが自分の事を話したがらなかった理由がこれ? 浦々さんは僕達を利用してたって話なのか?
「な、何をわけ分かんない事を……だってこのままじゃ浦々さんも戦いに巻き込まれてしまうし、もし竜胆灯火が負けたら――」
「ふふ……いいえ、玖難。その事についてはもう大丈夫。勝負はとっくについてるわ。懴忌は決してあの男には勝てない」
「ど、どういうこと?」
 僕はすかさず戦闘中の2人の動向を探る。対峙中らしい竜胆と懴忌は、お互いに武器を下ろし、互いに向き合ったまま動かない。だが、一目瞭然だ。勝負はついていた。
 肩で息をする懴忌は、今の浦々さん同様、赤紫色のスーツが乱れ、全身がボロボロの状態で、明らかに劣勢だ。
 対して竜胆は、全くの無傷。しかもあれだけの運動量で息の一つも乱れていない。……なんだよ、懴忌なんかよりこいつの方がよっぽど化け物じゃないか。
 懴忌が苦しそうに、憎々しげに竜胆に語りかける。
「はぁっ、はぁっ……聞いたことがある。数多の武器を生み出す能力と、それらを使いこなす圧倒的実力。そうか。アンタがそうだったのか。かつての『英雄』。竜胆灯火」
 英雄? 懴忌は竜胆に対して英雄だと言ったのか……?
「そう呼ばれていた事も確かにあったかな……だが昔のことだ。今のオレはただ世界最強の強さを手に入れて、その先にある使命を果たす、ただその為に生きている」
 世界最強……? 何を言っているんだ、この男。そんなの幼稚な子供の思考じゃないか。いい大人がなにふざけたことシリアスに語ってるんだよ。
「ふん〜、世界最強ね……その強さじゃ十分最強だっとは思うけど……なんとも子供みたいな夢だね〜。……あっははー、そんな奴が相手じゃアタシには勝ち目がなさそっだ! アタシの負けだ。殺し屋は引き際も大事、ここは一時撤退させて頂くとすっるよ」
 完全に戦闘態勢を解いた懴忌は、飄々とした態度に戻って僕達から離れていく。
「待てっ、その前にお前には組織について話して貰う!」
 竜胆は発光する剣を手に持ったまま、逃走する懴忌を追おうとする。
「あっは! 誰が言うかよっ。そんな事ゲロっちまったら消されるに決まってんだろっ!あっばよ、竜胆灯火! アンタは確かに最強だがな〜、最強だけじゃ勝負には勝てないんだぜ! お前は未来永劫、決して欲しいモノは何も手に入れられないよぉっ」
 完全に姿を消した懴忌の声だけが周囲に残響していた。
 竜胆は追撃を諦めたようで、顔を上げて空を仰いでいた。
「未来永劫手に入れられない、か……そうかもしれないな。欲しいモノを手に入れるには、オレ達は本当に大切なモノを多く失いすぎた……」
 竜胆のかすかな声が、やけに僕の頭の中にこだました。
 そして浦々さんの顔を見ると――さっきよりも重苦しい表情を浮かべていた。


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