超中二病(スーパージュブナイル)

第4章 越えて世界

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

5

 
 僕はどうしてこんな事に巻き込まれているのだろう?
 そもそもこんな事になるなんて思ってもみなかった。
 いつもそうだった。
 望んでもいないのにいつも悲劇に巻き込まれてしまう。いや、僕がその悲劇の中心に吸い込まれてしまう。僕はそういう特異体質を持っていると言ってもいい。
 こんなはずじゃなかったんだ。これもきっとこの世界のせいなんだ。
 僕の父親はしきりに言っていた。世界を恨むな、その中で精一杯生きろって。でもそんな事を言ってた父は世界を変えようとした。精一杯戦って変えようとした。それでも何一つ変わらないし、無駄だった。精一杯生きたって意味はないんだ。世界を俯瞰して見れば精一杯生きることが馬鹿らしく思えるんだ。特に僕みたいな人間ならなおさら。
 だから僕は、今の世界が大嫌いなんだ――。


 顎奇を倒した後、直後に起こったジャンボ機の大爆発からなんとか脱出した戯作劇下はすぐさま浦々笹波の元へと向かった。
 だが、近寄るにつれて異常事態が発生している事に気付いた。
「なんなんだ、あれはいったい……あれは笹波なのか? それにこの現象……」
 前方に広がる光景は、まさにこの世の終わりと言っても過言ではない、地獄だった。
「うあわああうああああううううああ……」
 浦々笹波がだらしなく口を開けて言葉にならない言葉を発している。視点の定まらない瞳にはもはや何も映していない。
 けれど、そんな事よりもっと大きな異常が起こっていた。
 浦々笹波を中心とし、嵐のように強風が吹きすさぶ。耳障りな高音、低音が響く。そして周囲の空間がねじれているように見えた。これは蜃気楼だろうか……はたまた地場が狂っているのか……いや、違う。これは自然現象の類ではない。明らかに人的要因であり、超常的要因であり、そしてそれは恐らく、多くの者が浦々笹波を狙う理由そのもの。
「おいっ、笹波っ!」
 嵐の中、劇下は大声で笹波に呼び掛ける。よく見れば、笹波の傍には久我山もいる。慌てている様子が分かった。
「劇下さん! 良かった、無事だったんですね!」
 久我山が劇下に気付いて涙目で訴えかける。
「ああ、それより玖難。これは一体何が起こってるというんだ?」
「ぼ、僕にも分からないんです……ど、どうしよう、浦々さんが……」
 久我山は半ば恐慌状態にあるようだ。笹波のすぐ近くには右城條区の姿もある。
「お、お前は……!? くっ、くそう……こんな時に……」
 右城は劇下に気付いて、憎々しげに睨みつけた。劇下は右城の姿をしばらく眺めてようやく思い出した。
「誰だと思ったら……あの時俺が池に放り投げたヤローか……今がどういう状況か分からないけど、とにかく笹波は返して貰うぞ」
 劇下が笹波に近づく。だが右城はそれを簡単には許さない。
「ちっ、しつこい奴だ……おい、懴忌。こいつを始末しろッ」
 少し離れたところにいる懴忌に右城は呼び掛けた。
 懴忌は乗り気でなさそうな顔をしていたが、決心したのか糸ノコギリを劇下に向けた。
「ちっ、こっんなことしてる場合じゃないってのにっ、しゃーねえっ、速ッ攻ッ終わらせてやるっ。ギザギザにブッた切ってやんよッ!」
 懴忌が糸ノコギリを構えて劇下に飛びかかった。
「げ、劇下さん、気を付けて下さいっ! こいつとんでもない強さですよっ!」
 久我山が心配そうな声で劇下に叫ぶ。先程からこの周囲は妙な重低音がどこからともなく響いてきて、声も届きにくくなっている。
 しかし劇下はなんなく懴忌の攻撃を古びた剣で受け止める。
「大丈夫だっ! 今の俺は誰にも負ける気がしねえ! その代わりに、玖難っ! 笹波の事は任せたからな! 今回の物語はお前が主役だ!」
 劇下の頼もしい返事。それを黙って聞いていられなかったのが懴忌だった。
「……てめえ、アタシの弟はどうしたんだ?」
 つばぜり合いをしながら、懴忌は交わる刀越しに語りかける。
「ぶっ飛んでいったぜ? もうありゃあ再起不能だな……肉体的にはともかく精神的には立ち直れそうにないだろ……殺し屋は廃業だな」
 息のかかる近さで劇下は言葉を返した。挑発するように鼻で笑う。
「てっ、てめっええええ! ブッタキルッ! 切殺ッ!」
 懴忌が素早く身を引いてすぐさま糸ノコギリを振り乱しそのまま劇下に襲いかかる。
 戯作劇下と懴忌の戦いが開始した。



 劇下と懴忌が死闘を繰り広げる傍ら、久我山と右城は笹波に寄り添って様子を見守っていた。2人共どうすればいいか分からないし、笹波に何が起こっているのか分からない。
「う……あああ……」少し前から笹波の様子がさらにおかしくなり、苦しみ始めていた。笹波の体はいま、久我山の腕の中にあった。笹波のドレスは乱れている。
「どうしよう……このままじゃ浦々さんは……。右城條区っ、これは一体何が起こっているんだよっ!」久我山は敵であるはずの右城に意見を求めるくらいに動揺していた。
「お、オレが分かるわけないだろうがッ! クソ、貴様らのせいだッ。こんな事……こんな……」
 右城にも心当たりはないようだ……けれど、右城は何かを思い出したように、少し考え込む素振りを見せた。思い当たる節があるのだろうか。
 そうこうしている内に、やがて笹波の様子に変化が起こった。
「くっ……うああ……く、玖難……」
 正気を取り戻したのか、笹波が久我山の名前を呼んだ。
「う、浦々さん……意識が戻ったんだねっ……」
 久我山は笹波の体を寄せて、目を見据える。少しでも安心させようという表れだ。
「そっ、それより……玖難……わた、私を……あうううう」
 笹波はとても苦しそうだ。
「浦々さん、今は喋っちゃ駄目だっ! 大人しく休んでいるんだ!」
「い、いの……そんな場合じゃ、ない。わた、しを……私を……」
「どうしたんだよっ浦々さんっ!」久我山は泣きそうな声で叫んだ。
「私を――殺して」
「えっ?」
 笹波の言葉に、久我山と右城は一瞬固まってしまった。
「このままだと……世界の全てが、き、消えてしまう……私のせいでみんな……死ぬ」
「どっ、どういう事なんだよ、浦々さん!」
「わ、私の能力……よ。暴走、したの。物語は強制終了される……全ての、存在が」
「わ、訳が分からない」
「く……え……」
 久我山には笹波の言う事の一切が分からない。久我山の頭はパンクしそうだった。それは右城も同じなのか、彼は黙ったまま何かを深刻に考えているような顔をしている。
「くえん……う、あああああ!」
 笹波は喘ぐ。これも全て久我山が物語を進めてしまったから起こった事なのか?
「うっ、浦々さん!」
 久我山に為す術はなかった。何をしても事態を更に最悪に導いてしまいそうで。
「ああああぁぁ……」
 笹波はまたもや意識を失って苦しみ始める。一層強い風が巻き起こった。
「……おい、小僧」
 するとその時、右城の声が聞こえた。
 久我山はおろおろしながらそちらを見た。
「どうやら世界の終わりらしい。これは笹波の力のせいだ。破片が刺さった衝撃で自動的に発動してしまったんだろう。笹波の能力はおそらく世界の全てを終了させること……世界にある全ての命を消してしまう能力」右城條区はとんでもないことを口にした。
「ど、どういうことなんだよ、それ!」
 久我山には到底信じられないような話だ。
「……たとえば、この世界がゲームの中だと仮定しよう。いわば笹波はゲームのプレイヤーなんだ」
「ぷ、プレイヤー?」
 いきなりゲームの話を出されて久我山は混乱する。
「ああ。漫画で言えば読者だしアニメで言えば視聴者だ。とにかく世界の外側なんだ」
「そ、外側って何言ってるんだ、浦々さんは僕達と同じ世界にいるじゃないか!」
「特別な存在なんだっ。神が下界に降臨するような類のもの。そう、笹波はこの世界にとっての神、読者、視聴者、プレイヤー。だから彼女次第でいついかなる時でもこの世界を中断することができるんだ。まるでリセットボタンを押すように。電源を切るように。ページを閉じるように。……彼女は超越的な存在なんだ」
「んなっ――」
 とんでもない話だ。いくらこんな世界だからってそれでも限度ってものがある。いや、そういう限度をなくす為に、今の世界になったとも言えるのか。
「存在は知覚されることによって初めて存在が認められる。……だから観測者たる彼女が死んでしまえば、その対象である世界は存在しない事になる。彼女が死に瀕しているから、この世界の存在も消滅しつつあるのだろう」
「そんな……あんたは浦々さんが神だとでも言うのか」
「……たとえばの話だよ。とにかく、このままだとじきに世界にある全ての存在は消え去ってしまう」
「な、なら僕達でどうにかするしかないって事っ?」
「いや、オ、オレは……」
 今まで饒舌に語っていた右城が言葉を詰まらせる。
「な、なに迷ってるんだよっ! だってこのままじゃ世界は……」
「し、しかし……オレは、オレには……」
「このままだと浦々さんは死んでしまうんだぞっ!」
「……くっ」
 黙ったまま右城條区は建物の中へと引き返していった。
 久我山は去っていく右城條区の姿をただ見ていることしかできなかった。
「ちくしょう……あんな男に頼んだ僕が馬鹿だった」
 久我山は視線を右城から離す。遠くでは懴忌と剣を交える劇下の姿が目に入った。
 そしてすぐ傍ではいまだに笹波が苦しんでいる。
「くあああっ」
 笹波はもがく。久我山にはもう――迷っている時間はなさそうだ。
「玖難……私を、殺すのよ……」
 笹波は懇願する。久我山はその様子を見て――無性に腹立たしくなった。
 笹波はずっと久我山を信用してくれなかった。頼ろうとしなかった。助けを求めるどころか、殺して欲しいと言ってきた。久我山の中で何かが吹っ切れた。
 ここで浦々笹波を救えるのは自分しかいない。久我山は覚悟を決めた。
「残念だけど……君の頼みは聞けないよ。だって僕はとっくに君を助ける事に決めているんだからね」
 そうだ。久我山はたとえ悲劇の物語に進んだとしても、向こう側のその先へ、ハッピーエンドに笹波を導くと約束したのだ。
「だから僕は君に関わる。君の物語に僕はついていく。僕は、これからもずっと……君の傍にいる」
「く、玖難……」
 久我山の言葉を聞いた笹波は、涙を浮かべた瞳を閉ざして――意識を失った。
 笹波を中心にして歪む空間。響く不協和音。吹きすさぶ風。
「……どうすればこの現象は収まるんだ。そもそもなんでこんな事が起こったんだ」
 呼吸を乱しながら目を閉じている笹波を見つめ、取り乱したい気持ちを抑え必死で考える久我山。右城條区が言っていた言葉を思い出す。
「確か言っていた。これは浦々さんが世界を強制終了させようとしている力だって」
 笹波が死にかけているから世界も死にかけている。だが、しかし久我山は腑に落ちない点があった。
「じゃあなぜ浦々さんは自分を殺してくれって頼んだんだ? 死んでしまえば世界は終わるのじゃないのか……?」
 そしてなぜ笹波がこの世界にとっての神なのだ。いや……違う。これは右城條区が久我山に向けて分かりやすく説明するためのたとえだ。真剣に考察するような内容ではない。
 だが久我山はその話に引っかかるものがあった。それは、常に自分が考えているようなこと。自分の中にある初期衝動のような、自己を形成する核のような、根源的ななにか。
「……そうだ。これは――物語なんだ」
 右城條区は言っていた。この世界は漫画、アニメ、ゲーム。これはたとえだけれど、たとえではない。虚構革命後の、今の世界の真理なのだ。
「物語なら、ヒロインである浦々さんが死んじゃえば台無しになってしまう」
 革命前と変わっていないようで大きく変わってしまった世界。一見無茶苦茶に見えることも世界の真理が分かれば、その理屈は自ずと見えてくる。
「僕がなぜ物語に巻き込まれ、まるで大きな波に流されるようにして逆らうことができなかったのか……なんとなく分かった」
 虚構の世界だから、エンターテインメント性の求められる世界だから、事件性のある展開が繰り広げられる。しかし、物語を進めるには登場人物が必要だ。物語を加速させたのは? 笹波に機体の破片が突き刺さったそもそもの原因は?
「……そうなんだ。これは全部僕のせいなんだ」
 久我山玖難。望む望まないとに関わらず、まるで呪いのように強力に作用する性質。引力。因果。久我山が関わることで否応なしに話は進む。物語の主人公なのだから。読者、あるいはプレイヤーの意思によって強制的にストーリーは進む。そこに作中の誰の意思もない。
 けれど同時にこうも言える、これは所詮物語なのだと。世界の終わりなんて物語にとってはくだらない些細な事なのだ。こういう場合、大抵世界は終わらない。主人公が破滅を阻止するのだ。そして久我山はこの物語の語り部だから、主人公だから沈静できるのだ。ヒロインと主人公の能力は対極で打ち消し合う。それはとても都合のいい解釈だけど。
 これは演出で、浦々笹波が自ら生み出したイベント。
「だから僕はここまで来たんだ……確かに自分の意思で来たわけじゃないかもしれないけど……それでも僕はやっぱり世界を、浦々さんを救いたい。だから!」
 浦々笹波が全てを作ったのなら、つまり浦々笹波が言っていた事が答えなのだ。浦々笹波が引き起こした現象なら、彼女の思うような最適な方法をとれば事態は収束できる。それは――とても簡単な事だった。
 要は気持ちが大切なのだ。物語をハッピーエンドに導くためのきっかけが必要なのだ。世界が滅びそうになっているのは浦々笹波のせいではないのだ。ここで彼女を救ってやれるヒーローが不在だっただけに過ぎないのだ。
「じゃあ僕が浦々さんのヒーローになってやる。認めてやるよ。僕がこの物語の主人公になってやるッ!」
 久我山は確信を得ていた。
 解決方法は――愛だ。
 彼女の提示するフラグさえ回収できれば物語は進む。なぜなら世界は虚構なのだ。虚構ならばご都合主義的に物語は進む。それが笹波の能力であり、久我山の能力なのだ。だから、笹波の能力を解除するのに必要な事なんて初めから何もないのだ。いや、初めからあったのだ。物語を俯瞰して見れば、結局そういう事なのだ。つまりは愛が。
「だって言ってただろ、愛こそ全てだって。全ての物語は愛によって語られるって。浦々さん……いや、笹波さん……いくよ」
 久我山は不思議な気持ちだった。愛なんていう言葉大嫌いで信じていなかったけど、今はそんな事全く考えていなかったし、疑ってなかった。もしかしたらこれも愛の力なのかもしれない。だからこういうのも満更じゃないなと思って。
 ――そして久我山は、笹波の体と一体化している機体の破片をそっと掴んだ。笹波の能力が発生した原因。能力発生の象徴。
「う……ううん……っ」
 久我山の腕の中で、笹波が顔を歪めて唸った。微かに反応がある。どうやらいつの間にか意識を取り戻していたらしい。
 その時、いっそう強い風と金属音が、久我山を拒むように辺りを蹂躙した。
 益々強くなる揺らぎ、重力、空気、風、音。それら全てが拡大していき、浸食していく。
 劇下と懴忌もその影響を受けながら戦っている。
 こうなることは始めから決まっていた。重要なのは演出。物語の締めくくりには相応の奇跡が必要なのだ。所詮久我山もその演出を成し遂げるための装置に過ぎない。不安はなかった。心は平静だった。暖かな何かに包まれたような気持ちだった。
 だから。大丈夫だ。終わりにはいつも笑顔がつきものなのだ。
 ――久我山は最後に笹波の目を見た。
 笹波も久我山の顔を見ていた。
「玖難……私の……名前を呼んでくれて、嬉しい……」
 彼女は笑っていた。
「玖難……私を、助けて……お願い」
「……うん」
 そして久我山も微かに微笑んで――、
 久我山は破片を引き抜いた。


 時同じくして、戯作劇下と懴忌の勝負もまもなく決着が着こうとしていた。
「はは、どうやら玖難の奴、上手くやってくれたみたいだな〜」
 劇下は久我山と笹波がいる辺りを一瞥すると、ため息を吐いて微笑した。
 ――劇下と懴忌の勝負はほぼ互角だった。お互い体力を消耗しているが、お互いに決定打は受けていないようである。
「あっはっ! そりゃあアタシとしても願ったり叶ったりだねぇっ! これでアタシの首も繋がったってっもんだよっ!」
 懴忌が糸ノコギリを握ったまま、高速で回転を始めた。
「だッからそろそろアタシ達も終わらせようぜっ! 奥義・殺円舞ッ!」
 回転しながらヘビのように蛇行する懴忌。それはまるで竜巻の如く地面をえぐりながら迫る刃の暴力。
 しかし劇下は逃げない。懴忌に向かい合っている。
「分かったよ。お前との勝負もここらでお開きだ。タイミング的にそういう頃だしな」
「諦めたのかぁ!? だったらもォう死んどけエッ!」
 懴忌が劇下に激突した。が――。
 劇下は古びた剣で、懴忌の攻撃を真っ正面から受けた。
「んなぁーっ!? アタシの殺円舞をまともに受け止めるなんてっ……!」
 懴忌は動揺したが、剣が交わった瞬間にすぐさま後方に下がった。劇下よりも腕力は低いので力勝負は不利だと見越しての事。一瞬でそう判断した。
 懴忌の戦法はスピードを生かしたヒットアンドアウェイ方式。そう、いくら力が勝っていようと当たらなければ意味はない。速さで懴忌に勝てるはずがない。スピードで翻弄し攻撃を加えていけば倒せるはずだ。
「くうっ、まァぐれは二度ないぞっ……あれ?」
 懴忌が体勢を立て直し、いざ劇下にもう一度攻撃を仕掛けようと思った矢先。先程まで劇下が立っていた場所には誰もいない。近くに見当たらない。一瞬の間に……。
「馬鹿なっ……アタシのスピードに……」
「スピードが、なんだって?」
 懴忌の後ろから劇下の声。
「え――? うっそだろ……?」
 懴忌が振り返れば、そこに劇下の姿。
「な、なんでアンタがっ、こんな早くっ……」
 懴忌は怯えた顔で劇下を見る。ノコギリを持つ手は震えていた。
 劇下は余裕満面の様子で口を開いた。
「それはな。今、俺がお前をぶっ倒すためだからだよ。だから俺はお前を上回ってなくちゃいけないんだ」
「ひ……ひいっ……なんだっその理屈。なんなんだ、なぜアンタは、そんなそんな」
「俺はアンコールさせずに物語を綺麗に終わらせるのが役目だ。あんた達みたいに行き過ぎた奴の歯止め役、抑止力なんだよ」
「なんだそれ、なんだよそれ、どんな存在なんだよそれ。滅茶苦茶だ、理解できない」
「簡単だよ。ハハッ。だって俺は主人公なんだぜ? 最後には主人公が絶対勝つって決まってんだよ。だからここで俺が負けるなんてことはあり得ないんだ。誰だって分かる。物語的に、作者的に、読者的に、そんな事は明らかなんだぜ?」
「アンタは……アンタはっ……誰なんだ」
「俺か? 俺は物語の幕を引く男、戯作劇下。釣りをするのが趣味の――ただの人間だよ」
 劇下はそう言って、ボロボロの刀を懴忌に向けた。
「う、うあああああああっ!」
 懴忌は糸ノコギリを滅茶苦茶に振り回し劇下に迫った。理性を失っていた。
 そんな様子を見て、劇下は不敵に笑い――。
「――俺式・殺円舞(コロンブス)ッ!!」
 劇下の回転による剣の攻撃が懴忌に直撃――ッッッッッ。
「ウッぎゃあああああーーーー!」
 その衝撃で懴忌は顎奇の時と同様、遙か彼方まで飛ばされていった。
「家業はやめて、姉弟仲良く羽を伸ばしてこい」
 劇下は剣を懐にしまって、笹波の元へと急いだ。


 久我山が機体の破片を抜いてから周りの異常は消えた。沈静したまま変化はなかった。
「う……玖難」
 笹波の意識もはっきりしつつあるようだ。久我山はいくらか緊張がほぐれた。
「終わったのか……?」
 久我山はほっとして辺りを見回す。静かな夜だった。頭上には満月が輝いている。
「よかっ――」
 だけど、久我山がため息を吐こうとしたその時だった。
「う……う――うあ……ああああああっっっっっっ!」
 笹波の体が激しく揺れて、叫び声を上げた。
 破滅は――終わっていなかった。
 再び起こる、轟音。暴風。振動。破壊。破壊。破壊。
 世界の終わりは加速する。物語は強制終了(シャットアウト)する。
「な、なんで、そんな。これじゃ駄目なのか……愛が、やっぱり僕なんかじゃ」
 久我山の表情に絶望の色が浮かぶ。久我山はただ笹波の体を支ている事しかできなかった。笹波の純白のドレスは既にボロボロの状態だ。
「おいっ、玖難ッ。どうなってんだっ!」
 その時、久我山の目が劇下の駆けつけてくる姿を捉えた。久我山の瞳にかすかな希望の色が浮かぶ。
「げ、劇下さん。懴忌を倒したんですねっ!」
「当然だ、俺を誰だと思ってる。それよりも笹波だ……一体どうなってるんだよ」
「分からないんです……右城條区によれば、これは世界の終わりだとっ……」
「せ、世界の終わりだぁ? なんだよ、それ。滅茶苦茶じゃねーか」
 さすがの劇下もお手上げの様子だった。為す術はないらしい。
 こうしている間にも終末が近づいていく。
「え? さ、笹波さんの体が……」
 久我山は開いた口が塞がらず、劇下はただ絶句する。
 笹波の体が発光していく。かすかな光からゆっくりと強く。これが、世界の終わりなのか。これが全ての存在を死に至らしめる絶対的な力なのか――。
 その時、苦しみ悶えていた笹波が必死に口を開いた。
「く、玖難……たぁ、助け、て……このままじゃ、世界がぁ……う、ああああ」
 おぼろげな意識の中で、笹波が最後の力を振り絞って懇願する。
 劇下も久我山も何もできない。このまま放っておくしかないのか。それとも彼女を殺すしか――。
 絶望に包まれていた、その時だった。
「いいや、そんな事はさせない」
 建物の方から声が聞こえた。
「う、右城條区!」
 久我山が叫ぶ。逃げたはずの右城條区が戻ってきていた。
「浦々笹波は死なせないっ」
 右城條区が笹波の方へ近づく。今更来ても遅い気はするが、久我山は右城の表情を見て最後の希望を感じた。
「どけ、小僧」
 笹波の元まで来ると、右城は久我山を笹波の体から引き離した。その顔は何かを決心したような真剣な表情。
「な、何をするつもりなんだ、右城條区」
 久我山は右城に問いかける。久我山は右城條区の意図が理解できずにいる。
「聞くまでもないだろ? 主人公はオレなんだ。浦々笹波を救うに決まっている」
 右城條区は答えて、直後その体が笹波と同様かすかに光を放ち始めた。それは笹波と同じような、優しい光。
「そうだ……このオレの命に代えてもな」
 右城から放たれる光がいっそう強くなる。右城條区が笹波の手を握った。2人の体はさらにまばゆく輝く。
「まさか、てめえ能力者なのか?」
 劇下が眩しそうに目を細めて右城を睨む。
「ああ、そうだ……オレはこの能力というものが憎かった。なぜ能力なんて存在するのか、なぜ自分にこんなものが備わっているのか……だが、今ようやく分かったよ。オレはこの瞬間のために力を授かったのだ」
 今が夜だと思えないほどに周囲は明るみを増す。白く、白く、輝いて。強く、強く、世界を照らして。
「オレが本当に手に入れたかったもの、そして本当に果たしたかった事……それはここにあった……。オレが、お前を解放してやるよ……笹波」
 右城條区が力を発動した。それは一つの賭けだった。
 引き継ぎ(テイク・オーバー)。
 怪我、病気、痛み、呪い。他者が備わったいかなる効果も自分に引き受ける事のできる力。自分に備わったいかなる効果も他者へと引き渡せる力。
「笹波が放出する全ての死を、オレが引き継ぐ」
 生物の死、そのものも――。
「まっ、まさか右城。あんた死ぬ気なんじゃ……」
 久我山と劇化は離れたところから見ている事しかできなかった。
 光が、音が、色が、右城條区に収束していく。
「……勘違いするなよ。オレは世界を救うとか、物語とか、主人公の役目とか、そんなくだらない為にやっているんじゃないぞ」
 右城條区は微かに笑みをこぼす。その姿は眩しくておぼろげにしか見えない。
「な……なら、何の為に……」
 久我山の問いに、右城は笹波の顔を見て微笑む。笹波も右城に気付いているのだろうか、その顔は安らかだった。
「そうだな……遠い約束を、果たすためだ」
 直後、キィィィィィィーーーーン、と響く金属音。目の眩むほど白く輝く景色。世界中の色が消える。透明になる。
 世界は一瞬の間、空白に包まれた。

 そして――すぐに静寂は訪れた。衝撃も音も風も全て停止していた。
「……」
 久我山玖難がゆっくりと目を開くと、右城條区と浦々笹波が倒れている姿が目に入った。
「玖難……大丈夫か?」
 振り向けば、背後には劇下の姿。
「ええ、僕は大丈夫です。でも笹波さんは」
 久我山は笹波の元へ向かい、体を抱き起こした。
「笹波さん、笹波さん!」
 笹波の体を揺すりながら久我山は叫ぶ。
「……」
 だが笹波は何の反応もみせない。劇下は黙ったまま笹波と右城の様子を眺めている。
「笹波さん、起きてよ……僕は」
 久我山の呼び掛けも虚しく通り過ぎる時間。どうやら世界は救われたようだが、笹波はもしかして――久我山がそう考えた時だった。
「……ん」
 笹波のまぶたが微かに揺れる。静かに胸が上下する。――生きている。
「……く、玖難」
「笹波さん! 気が付いたんだ! 生きていたんだ!」
「う……うぅん、私……助かったの?」
「あ、ああ! そうだよ。右城條区が……」
 久我山ははっとして右城の方を見た。倒れたままの右城。劇下がしゃがみ込んでその安否を確認している。
「……右城條区は死んでいる」
 劇下は首を振って沈んだ声で報告した。
「そ、そうですか……」と、久我山は右城の死に顔を見た。
 それはまるで寝ているような、安らかな顔。外傷も何もない。どんな死因もない。ただ命がないだけ。ただ生きていないだけ。ただ死んでいるだけ。
 右城條区が何をしたのかは久我山達には分からない。けれどこれだけは分かっていた。右城條区が笹波を、世界を救ったのだと。
「私の、せいで……」
 笹波は魂の抜けたような顔で放心している。罪悪感を感じているようだ。
「ち、違うよ……君のせいじゃない」
 久我山は笹波の気持ちを汲み取って、慰めようとした。
「うっ……ううっ」
 けれどそんな久我山の努力も虚しく、笹波の目からしだいに涙があふれ出す。
「さ、笹波さん……」
 久我山は少し不自然に感じた。笹波が自分のせいだとはいえ、敵である右城條区の死に対してこんなにも悲しんでいるわけを。
 それはしかし、笹波自身にも言える事だった。
「な、なんで私涙が出るの……なんで私こんなに悲しいの……とても大事なものを失ったみたいに、私……う、うわあああああああっっっっっ!」
 その後――しばらく笹波は泣き続けた。
 空が白ずんできた。長かった夜は明けようとしている。久我山は上空を見上げながら茫然と考えていた。
 笹波の事について……まだまだ分からない事だらけだ。右城條区と彼女はどういう関係だったのか。そして。
「私はっ私はあっ……ご、ごめんなさいっ、ごめんなさい、右城條区さんっ。私、わたし、なんで……っ。うううぅぐすうっ」
 笹波は自分でもこの気持ちが分からないようだ。きっとそれは誰にも分からない事だ。そしてそれは多分……これからも分からなくていい事なのだろう、と久我山は思った。
 ――ひとしきり泣いた後、笹波が遠くに思いを馳せるような表情で独白した。
「私、さっき懐かしい心地よさを感じたの……それがなんなのかは分からない。だけど、ずっと苦しかったのが少しの間おさまったの。心で感じたの、何か分からない包み込むような優しさみたいなのを。……でもそれはずっと昔から知っていたような、そんな」
 その顔は涙で濡れていたけれど、何かを乗り越えたような、吹っ切ったような、そんな強さを感じた。そう、彼女は強い人間なんだ。と久我山は密かに安心した。
 やがて東の空から朝日が昇った。
 3人の元に眩しい日差しが差し込む。スーパービッグサイトの飛行場は、非日常から日常の世界に戻った。
 右城の遺体を中心にしゃがみこんでいる2人に、劇下が声をかけた。
「さぁお前ら、そろそろ帰ろうぜ。ここにいても厄介ごとに巻き込まれるだけだからな」
 その声は相変わらず飄々としていたけれど、久我山にはそれに希望を感じた。
「そうですね。もうこれで……終わったんですよね……はは……あっ」
 そう言って笑ったら、安心しすぎて緊張の糸が一気に解けたのだろうか、突然――久我山の意識は一気に遠くなって、そのまま気を失った。
 ――こうして、彼らの長くて短い物語は幕を閉じた。


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