超中二病(スーパージュブナイル)

第3章 舞台上にて踊る者

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

1

 
「――どう君。くどう君――」
 誰かが僕を呼んでいるような気がした。まだ眠っていたいんだけど、その声は本当に僕の事を心配しているような感じで、それがずっと続いていたから……僕はゆっくりと目を開けることにした。
「よかった……久我山君。このまま目が覚めないんじゃないかと思ったら私……」
 そこにいたのは歩餡だった。僕の頭を膝に乗せて、僕の手を握ってじっと見つめていた。
「なんで、歩餡がここに……? 帰ったんじゃ」
「だってあのまま私だけ帰るなんてできるわけないでしょ! っていうか、どうして久我山君はここに戻ってきたのよっ! こんなに怪我して……」
 目を潤ませている歩餡。どうやら本気で僕の事を心配してるようだった。
「それは君と同じだよ。僕も浦々さんを放っておけなくて……。それに僕の怪我なら全然大丈夫。ただのかすり傷だよ」
 本当にかすり傷だった。あれだけやられたのだからてっきり重症だと思ったが、単なる打撲傷くらいなもので……どうやら竜胆灯火の配慮なんだろう。
「ね、ねぇ……久我山君。その浦々さんはどこに行ったのっ?」
 と、僕の顔に急接近して、大きな目をしばたかせ問いかける歩餡。
「……連れ去られてしまったよ」
「そ……そんな」
 沈んだ顔でうなだれる歩餡。僕はその膝から頭を上げてゆっくり立ち上がる。
「どこに行くの、久我山君」
 歩餡も立ち上がって、ぱたぱたと砂埃を払った。
「頼れる人のところに行くんだよ。浦々さんと助け出さないと」
「そ……そんな怪我で久我山君を行かせられないわ!」
「だって僕が行かないと浦々さんがっ……、それにこんな怪我、大したこと……痛てて」
 思ったよりも大した事なくなかった。
「痛ってるじゃない。……分かったわ、じゃあ私も頼れる人のところまでついて行く」
「え? 何言ってるんだよっ! 歩餡はもう帰った方がいいって」
「私だって心配してるんです! 浦々さんは勿論……久我山君の事も」
 歩餡は泣きそうな顔で僕の顔をじっと見つめた。
「歩餡……。分かった。じゃあその人のところまでなら君に付き添ってもらうよ」
「うん、ありがとう。久我山君」
 歩餡は力なく微笑んで僕の肩を持ち歩き始めた。
 そして僕達は一緒に戯作劇下の店まで向かうことにした。

「な、どうなってんだ。この有様は……」
「ひ、酷い……本当にここが店なの……」
 戯作劇下の店に辿り着いた僕達は呆気にとられた。もしかして自分が間違っているだけかもしれないと思い、周囲を確認してみるが……やはりここは戯作劇下の店であって――つまり『ノンアンコールショップ』は廃墟と化していた。
「中に人がいるとは思えないのだけれど……本当にここなの? 久我山君」
 栗色の髪を揺らしながら歩餡は僕に聞く。
「うん、そうだけど……なんでこんな事になってるんだ。何が起きたんだ……」
 僕は元々扉があった辺りの……壁に開いた大きな穴から中を覗いた。中も酷い荒れようだ。まるで大爆発でも起こったかのようだ。
 一通り見渡していると、人影を見た。
「あ、劇下さんっ!」
 店の奥で何やら物色している劇下さんの姿を発見した。僕は無性に嬉しくなって廃墟の中に入った。歩餡もその後ろから渋々入る。
「おお、玖難か! 心配していたんだ。無事だったか? それに……この子は」
 僕の姿を見るなり劇下さんは、ほっとしたような顔で言った。
「ああ、紹介します。僕のクラスメイトの望月歩餡です。歩餡、この人が僕の言ってた戯作劇下さんだよ」
「ほほう。これまたなかなかの可愛いお嬢ちゃんじゃないか。歩餡ちゃん、つかぬことを聞くが……今日のパンツは何色だね? 良かったら見せにゃぼわっ!」あ、殴られた。
「なんなんですか、あなたは。破廉恥なっ」
 軽蔑するような目をしてる歩餡。浦々さんに遅れをとらない、いいパンチだったぞ。
「どうやらその様子を見る限り、劇下さんは無事みたいですね……でも、すいません。浦々さんは男に捕まってしまいました……」
 と、僕は劇下さんのおふざけに付き合ってる暇はないので話を進める。
「そうか。予想はしていたがやっぱりな……」予想していた?
「やっぱりって、もしかして劇下さんのところにも殺し屋が来たんですかっ?」
 よく見てみれば劇下さんの探偵助手服がボロボロになっている。襲われたのか?
「ああ……殺し屋と、あとそれ以上に厄介な奴がな」
 殺し屋以上に厄介な奴……? ふと竜胆灯火の顔が浮かんだ。まさかな。
「それで、玖難。笹波はその殺し屋に連れ去られたっていうのか?」
「違います。僕と歩餡と浦々さんの3人でいるところを殺し屋に襲われたんですが、途中で変な男に助けられたんですけど……結局その男が浦々さんをさらっていきました」
「……そうか。もしかしてその男っていうのは……」
 なんだか劇下さんが意味ありげな顔をしている。ひょっとしてまさか……。
「え、知っているんですか? 竜胆灯火という人のこと!」僕は拳を握りしめながら、つい大声で尋ねた。
「くっ、やっぱりな。ああ……竜胆灯火と俺はかつて共に戦った仲間だ」
 なんだって……? 竜胆が言っていた。あの戦争で戦っていたと。多くの仲間を失ったと。もしかすると戯作劇下は……。
「劇下さんは……あの戦争の『英雄』なんですか?」
 僕は劇下さんにそんな事を聞いてしまった。聞いたってどうしようもない事なのに。
「そうだ。俺は――その生き残りだ」
 あ、ああ……なんていうことなんだ。劇下さんが戦争の経験者だなんて……。
 僕の父と同じ戦場で戦っていたなんて……。
 僕はしばらく俯いて何も言えなかった。
 気付けば、いつの間にか外はすっかり暗くなってしまっていた。
「ね、ねぇ? さっきから何の話をしているの? 久我山君」
 沈黙を切り裂いたのは歩餡だった。話に置いてけぼりの彼女はきょとんと首を傾げている。そうだった。彼女は今回の件には無関係なんだ。これ以上関わっちゃいけない。
「歩餡、この話はデリケートな問題だから歩餡は関わらない方がいい。聞いていても退屈なだけだし、もう暗くなって来たから、そろそろ帰った方がいいよ」と僕は言う。
「そうだな。なぁ、歩餡ちゃん。君はそろそろ帰った方がいいぜ」
 僕の気持ちを汲み取ったのか、劇下さんも後押しする。
「え、で、でも……」
 歩餡は僕と劇下さんをちらりと交互に窺う。
「僕はもう少し残って、これからどうするか劇下さんと話し合おうと思う……僕なら大丈夫だよ。……あ、でも外も暗くなってきたし、送って行った方がいいのかな……」
 僕は自分の事ばかりで歩餡の安全を考えてなかった。本当に僕は駄目だ……。
「い、いいえ。私のことは大丈夫。わ、分かったわ……久我山君がそれでいいなら」
「うん……ありがとう歩餡」
 僕はいつも自分の我が侭で周りに迷惑をかけてしまう。
「でも久我山君、絶対に危ない真似はしちゃ駄目なんだからっ。これは……学級委員長命令なんですからねっ!」
 歩餡は指を突き立てて、僕の顔を覗き込むようにして言った。
 ほんと、僕に比べ歩餡はしっかりしてるよ……うん、歩餡なら一人でも大丈夫だろう。きっと危ない目には遭わない。彼女には恐らくそういう素質があるんだろう。少なくとも今回に限って言えば。
「大丈夫だよ……それじゃあ、また学校で会おう」
 僕は力なく笑う。でも――嘘だ。僕はいつだって大丈夫じゃない。どんな事件でも中心近くに位置づく僕だから……歩餡のようなポジションにはいられないのだから。
「……うん。またね」
 僕の気持ちを知ってか知らずか、歩餡も寂しそうな瞳をしてかすかに笑った。
 ――そんな僕らのやりとりを、劇下さんが横でにやにや見ていた。
「……うひひひ」
 多分この人は僕達の気持ちを何も理解できてないんだろうなあ。
「なんですか。変な顔しちゃって」
 僕は呆れるように劇下さんに目を向ける。
「いや〜。なんつーか、青春だね〜ってな。なんかむかつくけど」
「よっ、余計なお世話ですっ!」
 と、歩餡が劇下さんにパンチを浴びせた。
「うぎゃっ痛えっ!」
 あんたが悪いんだよ。ほんと性格悪いなぁ劇下さん。ま、こんな人は放っておこう。
「……本当に送って行かなくても大丈夫なの?」
 誰かのせいで話がこじれてしまったから、念のためにもう一度僕は聞いておいた。
「うん。大丈夫……それじゃあ劇下さん、久我山君。さようなら」
 歩餡は僕達に別れを告げると、振り返ることなくあっさり帰って行った。そうだよ、さすがだ歩餡。それが正しい選択だ。君は僕と違って本当に立派だ。
 そして歩餡が去って、僕と劇下さんだけが残されるとなんだか寂しい感じがした。まぁ、夜の廃墟なんだから当たり前なんだろうけど……でも天井がないぶん、月明かりでそんなに暗くはないんだけどね。
「にしてもこんな場所で野郎2人だけってのはなんとも虚しいものを感じるよなぁ」
 同じこと思っちゃってるよ、この人。なんかやだなこのシンパシー。
「それは仕方ないですよ……それよりも何が起こったのか詳しく教えて下さいよ」
「いいぜ。だがお前の方でもとんでもない事があったんだろ? そっちのも話せよな」
 そういうことでしばらく僕達はお互いに何が起こったのかを報告しあった。2人きりになったので心置きなく話ができた。

「……それにしても凄いですよね、その殺し屋。ここまで店を破壊し尽くすなんて」
 劇下さんの身に起こった事情を知って、僕は驚きと感嘆のため息が出た。
「……いや、これ全部殺し屋の仕業ってわけでもないんだが……ま、いいや。で、玖難。お前はどうしようと思っているんだ?」
 劇下さんは遠くを見るようにして言った。
「……そんなの決まってます。浦々さんを救出しに行くんですよ」
 考えるまでもない答えだ。浦々さんは放っておいてくれと言っていたけれど……それはどうにもならないと諦めているからだ。なら僕は彼女を見捨てることはできない。
「それはやめておけ」だけど、劇下さんは思いもよらない言葉を返した。
「……え? な、何を言ってるんですかっ! だってそれがあなたの仕事でしょ! 浦々さんに依頼されたじゃないですかっ! 彼女を守るんじゃないんですかっ!?」
 思ったよりも相手がやばすぎるから手を引くというのか?
「違うよ、落ち着けよ。俺が言ってるのはそういう事じゃない……。お前の話だよ、玖難……お前は元々関係ない人間なんだ。これ以上は危険だ。もう好奇心だけで関われるような事態じゃねえ。首を突っ込むのはやめてお前も帰れ」
 劇下さんは珍しく厳しい顔をして僕の顔を覗き込む。
 そうだった。そりゃあそうだ。歩餡に言える事は、そのまま僕にも当てはまる事じゃないか。なんで僕は……それでも中心にいようとするんだ?
「でも……僕はもうここまで首を突っ込んだんです。今更僕だけ引き返せだなんて」
 それは、いいわけだ。なんでだ? 興味本位? 好奇心? 刺激?
「お前、どうしてここまで関わろうとするんだ? 俺はここから先、お前の命を保証してやる事はできないんだぞ。お前はそこまで憧れているというのか。幻想に」
 それは退屈な生活を送っている人間なら誰もが憧れたことのある非日常の世界、別世界の扉――幻想主義。それは、この新しい世界の基本概念。……違う。違う違う違う。
「それは違います……僕は元々、こんな面倒臭い事件になんか巻き込まれたくないんですよ。何よりも日常を愛している男なんです。僕は普通が一番だと思っています」
 目を泳がせながら、頭を真っ白にしながら、なんとか言葉を口にする。
「だったらなんで……」
 劇下さんは珍しく困ったような表情をしていた。僕に呆れているんだろう。
「約束したんです、浦々さんを助けるって。それに竜胆灯火も言ってました。僕とは近いうちにまた会える気がするって。だから僕はこのまま竜胆灯火にやられたまま逃げ出すなんてできませんよ……あいつに一泡吹かせてやらなくちゃ気が収まりません」
 僕の脳裏に浦々さんの顔がよぎった。それほど思い入れもないはずなのに。なのに浮かんだ。彼女の言葉が。愛が全てだなんて……僕が大嫌いな台詞を言っている彼女の姿が。
「……」
 劇下さんは無言のまま僕の言葉を噛みしめるようにして聞いていた。
 僕は自分でも自分の言葉が信用できない。僕が一番信用できないのは――僕なんだ。
 僕の中には愛なんてどこにもない。だから僕には全てがない。
 そうして……しばらく静寂が続いた。それを切り出したのは劇下さんの方だった。
「分かったよ、玖難。だったらお前も自分の信念を貫いてやればいいさ。俺も灯火の野郎は前から気に入らなかったんだ。思う存分ぶっ飛ばしてやれ」
 劇下さんは破顔してみせた。僕は罪悪感を感じて――そして僕は……だからこの男についてきているんだと思った。
「げ、劇下さん……」
 僕にも思わず笑みがこぼれる。それが本心なのか作り笑いなのか僕にも分からない。
「でもよ〜玖難〜……」
 劇下さんははにかんだまま言う。
「何です? 劇下さん」
「灯火は笹波を連れてどこ行っちまったんだろな〜……全然見当付かねーや」
「あっ」肝心な事をすっかり忘れていた。
「意気込むのはいいんだけど、どうすりゃいいんだろうな、まったく」
 劇下さんは腕を組んで頭をひねる。
 色々それらしい展開してるけど、やっぱり何事も都合良くいかないもんだな。
「う〜ん……劇下さんは竜胆さんの旧友なんですよね。だったら竜胆さんの居場所だとかそういうの分からないんですかね……そこに居ないとしても手がかりがあるかも」
 ま、そんな都合よくいくわけ無いけど一応聞いてみた。
「……そうか、その手があったか」
「解決早いな、おい!」
 もしかしてこの人は自分で考える努力というものをしないのか? 探偵とは一番遠い存在だよ。ちょっと不安になってきたよ。
「まぁ、いいか……善は急げです。今から行きますか?」
「俺はいいけど、お前は大丈夫なのか? こんな時間だし、それに結構遠いぞ。家族が心配するんじゃないのか?」
「……いえ、僕は大丈夫ですよ……それより浦々さんが心配ですから」
「分かった。じゃあこれから少し支度するからちょっと待っててくれ。まだ探し物の途中だからな。……そうだ、これからバイクで灯火の住処に向かうからちょっと裏に行ってバイクの様子を見てきてくれないか。もらい物のポンコツ車だから、ちゃんと動くか心配なんだ。2人乗りで行くんだしな」
 そう言って、劇下さんは店の奥の方へと向かって何やらガサガサと物色していた。
「バイクって、僕まだ高校生なのに……ってか、劇下さ〜ん、探し物ってなんです?」
「ああ、それはな〜……ははっ、なんてこった。あれだけ探して見つからなかったのに、今こんな簡単に見つかるなんて……やっぱり玖難、お前は凄い奴だよ」
「何言ってるんですか? 僕は何もしてませんよ」
「いいや、玖難。これもお前の存在力というやつだよ。もしかして数あるぶっとんだキャラの中でも、お前が一番ずば抜けた奴なのかもな……さぁ、準備はいいか玖難。灯火のアジトに乗り込むぞ! ようやく俺の仕事開始だッ!」
 よく分からない事を言いながら喜び勇む劇下さんの手には、物騒な刀があった。


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