超中二病(スーパージュブナイル)

第2章 激闘交錯

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 それは学校の帰り道だった――。
 僕は浦々さんといつものように校門で待ち合わせて、一緒に劇下さんの店まで行こうとした時に歩餡に呼び止められた。
「ちょっと、あなた達。こんなところで何をやっているのかしら。まさかとは思うけれど、一緒に帰ろうとかそんな破廉恥なことを考えているんじゃないでしょうね!」
 や、全くもってそう考えていたんだけどさ……どこが破廉恥なんだよっ。あんたどんだけウブなんだよっ! 小学生かっ! いや……小学生でも思わないだろ!
 などとツッコミたい気持ちを抑えて僕は弁明する。
「うん……たまたま帰り道が同じ方向だから、途中まで一緒に帰ろうかって」
 同じ場所に用事があるのだから嘘ではないだろう。
 すると僕の言葉に合わせるように、浦々さんが横から口を出す。
「そうです。ですがこれも何気ない日常の、だけどかけがえのない時間の一コマなのです。いわばこれも愛の時間と言っても過言ではありません。」
 余計なこと言うよね〜……この人は。てか意味分からんわ。
 歩餡も呆れてものも言えないだろうな、これじゃ。
「……う、うぅ〜……わ、分かりました。久我山君がそこまで言うのなら私も一緒に帰るっ!」
「え! なんで!? どっから出てきた発想、それ!?」
「あなた達を二人きりにしたら何が起こるか分かりませんもの。学級委員長である私がしっかり見張らさせて頂きますっ」
 歩餡は頬を膨らませながら答えた。
「……やっぱり私の思った通りなのです。望月さんはなかなかうっとおしい女の子ですね。愛を阻む者ですね。友達少なさそうで可哀相なのです」
 ほんと余計な事ばっかり言うね……浦々さん。最後は僕にとばっちりが来るって事を少しは考慮して貰いたいもんだね。
「く、くきぃ〜……あ、あなたに言われたくないわよっ! わ、私もう我慢できませんっ。あなたはこれから私の敵よ! 見てなさい、浦々笹波。きっと近いうちにあなたをぎゃふんと言わしめて差し上げます!」
「ぎゃふんって……今時の女子高生がぎゃふんって……どう思います、玖難。笑っちゃうわね。ぷすすす……」
 いや、僕に振るなよ。確かに笑っちゃうけど、僕に振るなよ。
「あー……っと、こんなところで立ち話もなんだしさ。ほら、ここはひとまず水に流して、歩餡も一緒に帰ろうよ」
 校門の前で騒いでいたら嫌でも目立つしとりあえず落ち着かせよう。女子2人に挟まれているこの状況。それだけで僕は他の男子から暗殺される危険があるもんな。
「……久我山君は相変わらずそういうとこ変わってないよね」
 突然、歩餡は微笑を浮かべて僕の顔を覗き込んできた。
「変わってないって……何が?」
 歩餡の言葉の意味がよく分からなかった。
「いざこざとか面倒臭いような問題に直面すると、話を適当に誤魔化したり曖昧にしてはぐらかせたりするの……そういうのって駄目駄目だな〜って思うんだけど、なんか久我山君はそれを当たり前のようにやってるから……まるでそれが久我山君のアイデンティティのように。だから私、たまに関心しちゃうな」
「……褒められてるのかけなされているか分からないけど、とりあえずありがとう」
 ああ、こういうどっちつかずな態度が駄目駄目なところなんだろうな。ちょっと理解できた……でもしょうがない。だって僕の好きな言葉はモラトリアムなんだ。本当は全部分かっているんだよ。けれど僕は決定したくないんだ。覚悟を決めたくないんだ。決断を下してその他の可能性を消すのは嫌なんだ。
 でもそうやって何も選択できずにずるずる過ごしてしまうから結局は何も手に入らない。どの道も進めない。それも分かっている。だけど、それが僕なんだ。わがままかもしれないけど、けれど今はそれでいい。全てが手に入らないなら、全てがいらない。
 それが――空っぽの僕なんだ。

 結局僕達は3人仲良くとはいかないが、なんとか均衡状態を保ちつつ帰路を辿っていた。といっても目的地は劇下さんの店なんだけど。
「今日は天気がぽかぽかでいい気持ちですね、玖難」
 浦々さんはそう言って、これ見よがしに僕の腕にくっついてきた。お約束として『やめろよ〜』とか僕は言うけど、内心嬉しい。
 でも、それを見た歩餡が不満そうな顔で目を細めた。
「なっ、ずる……もとい破廉恥なっ! あなた達離れなさいよっ」
 反対側の腕を歩餡が引っ張ってくる。あははは、もしかしてモテ期到来? でも腕がちょっと痛いよ。優しくね。
「あら? 私達の愛が羨ましいのですか? 望月さん」
「いっ、いいえ! 私はただ学級委員長として、目の前の不純異性交遊を止めようとしているだけですっ!」
 2人は僕の腕それぞれにくっついて引っ張り合いを始めた。なんだとちょっと不穏な空気が流れてる気がするんだけど。綱引きかよ。痛いって。
「いててててっ……ってちょ、痛い痛いっ。冗談抜きで痛いっ。引っ張らないでっ。これ以上引っ張ったら僕の腕もげちゃうからっ!」
 僕で遊ぶな! この行為のどこに愛があるのか僕は問いたい!
「浦々さん、離しなさいよっ! 久我山君が痛がってるじゃないの!」
「あら。そう思うならあなたこそ離せばいいじゃない」
「わっ、私は久我山君をあなたから解放しようとしているのっ!」
「ふふん……やけに玖難の事を気に掛けていますね〜。ひょっとして〜……」
 浦々さんがニヤニヤしながら何か仄めかしている。
「ちっ、違うわよっ! 私はただ久我山君とは幼なじみなだけで、そのよしみといったところで、別にそれ以外はなにもないんだからっ!」
 なんだかまた嫌なムードになってきちゃったな。かといって無力な僕はこの場を上手く納める術が思いつく事もなく、ただただ腕の痛みに耐えるのみ。……いや、耐えられないし! どんどん痛いの倍増してるしっ! この娘達、本気で僕の腕をちぎりにかかってるしっ! たとえ火に油を注ぐことになってもこのピンチからは抜け出さなくては。
「あ、あのさ〜君たちね〜……」
 と、僕が不平不満を口にしようとした――その時だった。
 あれ……なんだ、あいつ?
 腕の痛みを忘れて僕は、前の方からこっちに近づいてくる一人の女に目を奪われた。
 ゆっくりと、まるで何かのコンクールのモデルみたいな歩き方で可憐に近づいてくる女は、身長が180pはあろうかという長身、その身を覆うのは毒々しい赤紫色したスーツ。ピアスだらけの顔、ジャラジャラと首からいくつもさげているネックレス、そして左手に持っているのは――ノコギリ。
 僕は頭が真っ白になった。浦々さんと歩餡はまだ女に気付いていない。彼女たちに呼び掛けようとしても声が上手く出せない。2人の言い争っている声も遠く感じる……。
 そうしている間にもノコギリを持った女が近づいてくる。しかもあろう事か、女はずっと僕の顔を見ながらニコニコしている。やばすぎる。
 僕は女の顔から目を逸らしてノコギリに視線を落とす。
 それは学校の工作などで使うような、いたってシンプルな糸ノコギリだった。ただそのサイズが普通のものよりも遙かに大きいような気がするが。
 なぜそんなものを……と考えている内に女は僕達の目の前にまで来て立ち止まった。
 なんてことだろう。それでも浦々さんと歩餡はまだ女の存在に気付いていない……違う。そもそもこの女には気配なんてないのだ。僕はたまたま視界に入って気付いただけなんだ……ふとそんな考えが頭に浮かんだ時、ようやく僕は声を上げることができた。
「歩餡っ、浦々さんっ! ここから逃げろおおっ!」
 僕は叫んで、左右にいる少女達の腕を強く握って女から離れるように跳んだ。
「どっ、どうしたのです、玖難っ!?」
「いっ痛い、久我山君、なにっ?」
 だけど僕達はもつれ合ってその場に転んでしまった。なんて事をしてしまったんだ、僕は。余計にピンチな状況に陥っただけじゃないか。
「はっは〜、んっ。君君君君ぃ〜。なかなか鋭い危機察知能力じゃな〜い? 見たところぉ、ただの高校生なのにぃ、結構結構みどころあるんじゃあな〜い。これがぁ持って生まれたぁ才能本能ってやつなぁのかなぁ〜っ」
 全身の鳥肌が立った。女は不気味に笑っている。つかテンションやべえ。
「な、なんなの……この人……」
 歩餡が地面に尻餅をついたまま僕の腕に抱きついて怯えている。というより、僕達3人とも地面に倒れたまま起き上がることができなかった。これが、恐怖。
「あ、は〜ん。でもぶっちゃっけ〜アタシが用があるのはそこの笹波ちゃんだけなんだよねい〜……あ、あ、あ、ちなみにちなみにアタシの名前は懺忌(ザンキ)ちゃんですよろしく」
 女は浦々さんに糸ノコギリの刀身を向けて笑う。
「だからっ、笹波ちゃんは大人しくアタシについてきて。アンタら2人はおとなしく帰って。これでみんなハッピーじゃん」
 全然ハッピーじゃねぇよ。なんてツッコミも当然言えないまま、両隣にいる2人の少女の腕を抱いて僕は震えていた。……だけどその時。
「あなた……組織の人間ってわけね。見たところ雇われの殺し屋ってとこかしら?」
 突然、僕の片側にいた浦々さんが立ち上がって、挑発するような口調で語り出した。性格もすっかり裏・浦々さんモードに入っている。
「そして、あなたの名前には聞き覚えはないけれど――その糸ノコギリと、全身赤紫色のスーツで長身女――あの有名な残虐姉弟の姉なんじゃないの?」
 僕と歩餡はただ、浦々さんと懴忌とかいう女をじっと見ているだけしかできない。
「あッら。さっすが詳しいわね〜。そうそう、そうよ。あんな馬鹿な弟とセットにされるのは不本意だっけど、アタシが有名なソレなんですよっと」
 有名って、僕そんなの一切知らないし。てか殺し屋って何だよ。いくらこの世界がなんでもありだからって、いきなり殺し屋なんて僕にはハードル高すぎだろ。はっきり言って予想外な展開だよ。ラブコメ的なノリの方がよかったよ。
「っていうわけですから……玖難。あなたは望月さんを連れてここからできるだけ離れて下さい。用があるのは私だけですから」
 浦々さんは儚げに微笑んで言った。僕にはその姿が寂しそうに映った。
「そ、そんなっ……浦々さんを見捨てていくなんてっ」
 僕は思わず立ち上がって反発する。
「いいから行って下さい。あなた達がいるとかえって足手まといになってしまうわ……私なら、大丈夫だから」
「く、久我山君っ……ど、どうしよう」
 隣には目に涙を浮かべた歩餡。
 さぁ……どうしよう。僕は今まで浦々さんを追っている人物というのは、浦々さんの知り合いみたいな感じだった。浦々さんもそんなに切羽詰まった様子じゃなかった。でも、それでも――目の前の女は市長とは比べものにならない位にやばい。
「……やっぱり僕、浦々さんだけ放って行くなんて」
 ささやかな抵抗の意思を僕は示す。虫の鳴くような声だった。
「何言ってるのですか。それじゃあ誰が望月さんを守るって言うの? 私の事はいいのです。私には絶対安心だっていう確信があるのです。だから、ここは私に任せて望月さんを安全な場所まで連れていって下さい。大丈夫です、最後に勝つのは愛の力ですから」
 浦々さんは優しく力強く言った。でも、僕には浦々さんの本当の気持ちが分からない。
「浦々さん……分かったよ。行こう、歩餡」
 僕は自然とそんな言葉が口から出た。自分でも何故だかは分からない。
「えっ、で、でも……あっ」
 僕は戸惑う歩餡の手を取って走った。胸にチクリと、刺すような痛みが走った。
「はっ、は〜ん。聞き分けのいい〜お利口さんだぁこと」
 まるで逃げる僕を非難するかのように、懴忌の言葉が僕の背に突き刺さる。
「さぁ……懴忌とか言ったわね。これで邪魔者はいなくなったわ……さっさと終わらせましょう。私も暇じゃないのよ」
 浦々さんの声が聞こえる。その声からは感情が読み取れない。僕は……今はただ歩餡の手を握って走り続けた。

 浦々さんと懴忌の姿が見えなくなってある程度人通りの多い場所まで来ると、一気に緊張が解けて立ち止まった。僕達は肩で息をした。今まで呼吸すら忘れていたように。
「どうしよう。ねぇ久我山君っ。浦々さんが危険よ! 警察……そう、警察を呼ぼう!」
 歩餡は半ばパニック状態だ。小動物のように小柄な体を震わせている。
「いや。警察は駄目だ。きっとあの女に対しては警察は役に立たないだろうと思う」
 そう、あれはつまりそういう事なんだ。警察ではどうすることもできない。僕は知っている。この状況で言えば、だってそれはある種のお約束ごとなんだから。
 それに浦々さん自身にもきっと警察を呼んで欲しくない事情がある筈だ。多分歩餡を僕に任せたのも、そういう部分があったからなんだと今になって理解した。
「でも……それじゃあ私達どうすればいいのっ? このままじゃ浦々さんは……」
 そう、だから他に誰か頼る事のできる人はいないのかって……そうだ。いたじゃん。戯作劇下! この事を劇下さんに伝えないと。この状況をなんとかしないと。幸い劇下さんの店の電話番号は知っている。
「僕に心当たりがある。待ってて……って、電話通じないしっ! 肝心な時にいったい何してんだよ、あの男はっ!」
 いくらかけても劇下さんは電話に出ない。まさに絶望的な状況だ。浦々さんは大丈夫だって言ってた。でも僕にはあんなの、ただの強がりにしか見えなかった。
「歩餡……君はもう帰った方がいい」だから僕は、覚悟を決めることにした。
「えっ、で……でも、浦々さんはっ」いつもの強気な態度はどこに行ったのか、歩餡は泣きそうな顔で僕を見つめている。
「僕に考えがあるんだ。だから後は僕に任せて君は帰るんだ」
「そんな……危険すぎるよ、久我山君っ!」
「大丈夫。無茶はしないよ。こんな時に頼りになる人のところに助けを呼びに行くだけだからさ」僕はゆっくりと諭すような口調で説明する。心配しないで、歩餡。
「わ、分かった……でも、一つだけ約束して久我山君」
 今まで泣きそうな顔をしていた歩餡の顔がキリリと引き締まった。
「なに? 歩餡」
 僕は少したじろいで尋ねる。
「……絶対に危ないことはしないって」と歩餡。
「ああ。約束するよ」
 僕は一言だけ返した。歩餡がまだ何か言いたそうに僕を見ている。
「そ、それと――」
 歩餡は顔を逸らして、ためらうように口を一旦つぐんで、
「全部終わったら……また3人でこの続きをやろうって事……。ほら、決着ついてないし……浦々さんに分からせないといけないから……」
「え、決着って何を……?」
「そ、れ、は……久我山君は私のものなんだっていうことっ」
「へ、へえっ!?」
 突然の意外な言葉に素っ頓狂な声をあげてしまう僕。
「……えっへへ〜。冗談よ、冗談。久我山君をリラックスさせようとしてあげたのっ」
 まるで太陽のような明るい笑顔で歩餡は笑った。僕を励ますように。
「な……なんだよ、それっ。ビックリしちゃったじゃないか。まぁでも、おかげで緊張が幾分和らいだのは確かだけどさ」
「えっへへ〜。私に感謝しなさいよね。久我山君……浦々さんのこと頼んだから」
 その時、歩餡の表情が少し寂しそうに見えたのは僕の気のせいだろうか。
 歩餡。大丈夫。きっと全部上手くいくさ。確証はないけどなんとなくそう思うんだ。
「それじゃあ、行ってくる。終わったらまた歩餡のお弁当食べさせてくれよな」
 僕はできるだけ明るい笑顔でそう言って走り出した。
「うん、私信じてる……だって久我山君は昔からそうだったから。いつだって私のヒーローだったんだから……」
「……ああ」
 僕は走りながら振り返らずに答えた。だって……まともに歩餡の顔を見ることができないから。だって僕には――そんな価値なんてないんだから。


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