アンノウン神話体系

第3章 錯綜する思い

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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 桐見東亞も現れず、他に何も手が浮かばないという事なので、とりあえず久遠と烏子は今日は解散しように決めて、それぞれ帰宅することにした。
「…何かあったら連絡するから」
 校門の前で烏子は呟くように小さな声で言って、久遠と反対の方角へ歩いて行った。
「あと3日か……大丈夫かな」
 久遠もすぐに家に帰ることにする。もしかしたらアノンが戻って来ているかもしれないから。
 そして歩き出そうと一歩足を踏み出した時――道路を挟んだ向かい側の道に、見知った顔があった。
「き、桐見凍亞っ?」
 それは久遠がコンタクトをとろうとしていたが、結局叶うことのできなかった人物、桐見東亞だった。久遠はすぐに彼女の元へと走って行く。
「……」
 桐見凍亞は相変わらず氷のような冷たい目つきをしていて、じっと久遠を見つめていた。
 そして久遠は凍亞にある程度近づいたところで、ある存在に気付いた。
 というより、いやでも気付いてしまう、とても目立った存在。
 凍亞の隣には――銀髪で全身白ずくめの格好の青年が立っていた。
 若い成人男性のようだが一体誰だ……と久遠が思っていたら、
「――ぁあ、もしかしてコイツが久遠九縁かぁ? 凍亞」
 白い学生服かあるいは神父みたいなスーツ姿で、銀縁眼鏡をかけている銀髪オールバックの青年は、とても乱暴な口調でそう言った。
「はい、そうです」
 桐見東亞のその声は、久遠が知っているものとは違い、まるで敵対心を感じさせるものではなかった。それは服従者の声。
「――んだよ、なんか拍子抜けするなぁあ」
 全身真っ白の神父みたいな男は、格好も言葉遣いもやたらとインパクトがあった。だけど、やはり彼のインパクトはオールバックにされた、鈍く光る銀色の髪だろう。
「って、な……なに」
 久遠は突然の出来事に驚きを隠せなかった。
「――あぁ? オレかぁ? オレは魔術結社、通称シンジゲートの魔術師――グレイ・ネオンライトだ」
 ちなみにオレの名前は偽名だけどなぁ、と男は言った。
「せ、先輩っ……一般人にそんな事言うのはっ――」
「――っつに構わなねぇだろぉ? コイツはもう完全にこっち側の人間じゃねーか? だってコイツが保有者なんだろぉ?」
 そんな全身白の男と桐見凍亞のやり取りを、どこか遠くに感じながら久遠は考える。
 魔術結社シンジゲート……これが凍亞が所属している秘密の組織の正体なのか。それにしても魔術結社に魔術師だなんて――わけが分からない。久遠は開いた口が塞がらなかった。
「――で、だ。単刀直入に聞くが……神はどこだ?」
 茫然自失する久遠に向かってグレイを名乗る男は、容赦なく質問をぶつけてきた。
「……知らない。僕のほうこそ彼女を探しているんだ。あなたは彼女をどうするつもりだ?」
「――なもん決まってっだろぉ? 殺すよ?」
 なんの躊躇もなく、グレイはきっぱりと宣言した。
 久遠は全身の毛が逆立つのを感じた。自分は甘い考えをしていたのだ。この2人は悪魔と同じくらい――いや、それ以上に敵なのだ。
 確信した久遠は自分でも不思議なくらい冷静に、謎の男の正体について逡巡する。
 昨日、桐見東亞と戦った時に彼女は言っていた。自分を倒せばもっと強い者が現れると。それがこの男なのだろうか。凍亞の態度から察するに、この男は凍亞の上司らしいが……ならばこの男は、こう見えて桐見東亞よりも実力は上だということだ。
「こ、殺すってなんだよ……悪魔を退治しに来たわけじゃないのかよ」
 久遠は慎重に言葉を選んで、しかしグレイに対して怯まない態度で挑んだ。
「――あぁ、もちろん悪魔は俺が処刑する。で、そのついでに異端の神も殺すんだよ。……だが安心しろ、宿主の体には傷つけねぇよ。あくまで殺すのは神という概念のみ。オレ達の敵はこの世界にとっての異物のみなんだ。だから異物の排除の為にオレはテメェの中の悪魔の血も浄化してやるし……つまりオレ達はテメェにとっての味方なわけだ」
「なぜアノン……彼女まで殺す必要があるんだ」
「――んだから、アイツはこの世界にとっての異物なんだよ。害を与える存在なんだよ。オレ達魔術結社の仕事はな、そういう世界にとって都合の悪い存在を駆逐する為の……いわば世界意思を代行する存在なんだよ」
 似たような事をアノンも言っていた。しかし、そんな事言われても……久遠は迷っていた。アノンが眞由那の体から出ていってくれるなら、むしろ喜ばしいはずだ。なのに……素直に喜べない自分がいて。昨夜アノンが屋根の上で楽しそうに夜空を見ていた姿を思い出したらどうしてもそんな事が許せなくて――久遠は言葉をなくしていた。
「――にかく、神の行方を知らねぇんだったら、テメェはもう黙って大人しくしとけ。あとはオレ達が――この物語の主人公であるこのオレに任せておけ。んじゃな」
 快活に笑って、グレイはくるりと背を向けその場を後にした。
 凍亞は黙ってその後を追おうとするが、久遠の方に振り返って一言言った。
「この世界の在り方に従えば、常に私達が物語の中心人物でいられるのだ。だから無意味にかき回さないで欲しい。アカシャの意向が変わってしまえば……世界が別の物語に書き替えられてしまうかもしれない。それこそ非日常が日常に取って替わられるような世界に」
 そう言い残して、凍亞も去っていった。


「……あの2人おかしいんじゃねーのか」
 魔術結社の2人と別れた後、久遠は肩を落として帰っていた。
 邪魔になるから大人しくしていろ……それがあの2人の言い分だった。一般人である久遠が介入する問題でないし、世界を正しいカタチに保つのは彼らの仕事。何もしなくても悪魔は退治されるし、久遠の中の悪魔の血は消えるし、眞由那の体は元に戻る。そして……アノンも抹殺される。
 久遠はなんともいえない気持ちで、日の暮れかけた帰り道を歩いていた。
 すると、人通りの少ない細い道を通りかかった時だった。
「ねぇ、お兄さん」
 と、背後から声が聞こえた。それは子供の声。なんだ突然と、久遠が振り返ると。
「ちょっとお兄さんに話があるんだ」
 そこにいたのは1人の少年。小学生か中学生くらいの、ごく普通の少年だった。
「ん? 僕に何か用でもあるの?」
 こんな少年に話しかけられる覚えのない久遠は、不思議そうに首を傾げる。
「うん。その……なんだか変なお姉さんに言われてね、お兄さんを連れてこいって言われてるんだ」
「えっ? なんだって?」
 久遠は目を丸くした。お姉さんとはもしかして――アノンの事ではないだろうか。
「綺麗なお姉さんがね、怪我をしていて……動けないからお兄さんを連れてきてって言ってたんだ。ほら、こんなに血が流れてるんだ」
 そう言って少年は血に濡れたハンカチを取りだして、久遠に渡した。
 アノンは傷を負ったのか? 久遠は頭が真っ白になっていくのを感じた。
「わ……分かったっ。連れて行ってくれっ。そこにっ」
 無意識にハンカチをポケットに入れ、疑う余地もなく久遠は少年の言葉を信じた。
「うんっ。それじゃついてきて、お兄さんっ」
 と、少年は久遠の手をとって、駆け出そうとした。その時――。
「――待て」
 という男の声が辺りにこだました。それはつい先程聞いた声。
 声の方を見ると――なんとそこにいたのはグレイ・ネオンライトで、
「――んなの、コイツの嘘に決まってんだろ、馬鹿ヤロー」
 にやりと笑う彼を確認した瞬間、一陣の風が吹き――グレイが懐から何やら銀色の物体を取り出したかと思ったら、
 爆ぜるような爆音。乾いた高音。
「――っ」
 ギクリと心臓が飛び跳ねそうになりながら久遠は凍り付く。
 久遠が見たものは――グレイが構える、銃口から硝煙をあげる銀色の拳銃。
 そして久遠の後ろには、銃弾によって倒れた少年の姿。
 この男は少年を撃った。無関係なただの一般人の少年を。
 なぜこんな真似を。もしかして久遠もこの男に殺されてしまうのか?
 グレイは――。
「――らわれているぞ、久遠九縁」
 そう言った。
「え、狙われているって、なにに……」
 よく見ると、銃口は久遠に向けられているのではなく、その先を追って振り返って見ると、そこにいるのは――撃たれたはずの少年がいた。
「ふひゅ〜……ふひゅ〜……がああアアアアアア!!!」
 少年は生きていた。荒い呼吸をあげて苦しそうだ。というかその声は先程の少年のものとはうって変わって、とても野太いものだった。
「――っぱり一般人の精神を乗っ取って己の分身にしているのか。なら本体の悪魔にはもう使い魔を創る魔力も残っていないということ……これは有益な情報だ。やはりこっそりとテメェをつけてきて正解だったわけだな」 
 グレイは無慈悲に冷静な声を上げて少年の元へと歩む。
「ぐ、がが……」
 その場からヨロヨロと逃げだそうと試みている。
 だけれども、しかし。
「――がさねぇぞ、このやろぉッ!」
 グレイが地面を這いつくばる少年を片手で掴み上げた。
「ひ、ひいいいいい……」
「てめぇには色々と聞きたい事がたくさんある。吐いてもらうぞ……本体の居場所を、能力を、目的を」
「や、言わないぞ……ボクは」
「――いや、言うさ、オレ達はプロだ。悪魔の扱いは十分心得ている。てめぇが言葉の通じる悪魔で超ラッキーだったよ。くく、そんな怖そうな顔すんな。すぐ自分から喜んで言うようになるぜ?」
 そのままグレイは暴れる少年をひょいと肩に担いで久遠に背を向けた。
 すると、いつの間にいたのだろうか、影のように桐見東亞の姿が現れて、ピタリとグレイの横に並んでいた。
「先輩、これの隔離なら結界を張ったロッジを既に用意しています。そこを臨時の拠点としましょう。まずは情報収集ですね」
「――ぁあ、あんま目立った行動してたらこの国の政府も動きだすからな……また前の時みたいにややこしい事態になられても迷惑だ。んじゃあ行くか」
 グレイは久遠の存在なんてまるで意に介する事なく、振り返ることなく、歩き出して、その後ろを桐見東亞が影のようにくっついていった。
「って、ちょっと待ってっ」
「――めろ、頼むから関わるな。これじゃまるで――テメェが主人公みたいになってしまうじゃねーか。そんな恐ろしくて無責任な事は絶対お断りだ……じゃあな」
 グレイの興味は既に久遠にはない。グレイにとっての好奇は、世界にとっての異分子だけなのだ。
 たとえ久遠九縁に悪魔の血が流れていたとしても、彼らにとっては取るに足らない些末な問題に過ぎないのだ。
 そして夜になっても――やはりアノンはまだ家に帰って来ていなかった。


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