アンノウン神話体系

第2章 神やら悪魔やら天使やら魔術師

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

1

 
 翌朝久遠が目を覚まして、まずやったことは勿論眞由那に話を聞くことであった。
 だから昨夜からずっと寝たままの眞由那をベッドから無理矢理引き起こして、眠気まなこをこする彼女にいろいろ尋ねてみた。
「えっ? 何言ってるの、九縁」
 やはりというか、昨夜の記憶は眞由那の頭にはなかった。
「ほ……本当になにも覚えてないのかよ」
「さぁ――知らないよ?」
 強引に起こされて少し不機嫌そうに答える眞由那の様子は、しらを切ってる風には見えない。
「そ、そうか……だったらいいんだ。悪いな」
 久遠は安心したというよりも、むしろ胸の中にモヤモヤするものを感じて話を打ち切った。
「?? なんなの、ほんとに。今日は朝から変だね、九縁。なんかあったの?」
張本人であると同時に、事情を全く知らない眞由那は、子供っぽい仕草で首を傾げている。
 そんな眞由那を煙に巻くように、久遠は声の調子を変えて訊いてみた。
「今日も学校行かないのか?」
 半ば恒例となっている、いわば儀式化した毎朝の質問。
「……うん」
 眞由那は大人しくなって、申し訳なさそうな顔になった。自分の事を自虐したり、逆に讃えたりしてるけど――やはり自覚はあるみたいなのだ。自分の立場というものを理解してはいるようなのだ。
「分かったよ。それじゃあ僕は行ってくるから――くれぐれも大人しくしておくんだぞ」
「大人しくって……」
 久遠の放った言葉に、眞由那は若干不思議そうな表情を浮かべていたが、笑顔で見送って、久遠は学校に行った。

 そういうことで、久遠は教室に入って自分の席に着くと、前の席に座る一ノ瀬大智に話しかけた。
「なぁ、一ノ瀬。例の事件の事なんだけどさ、昨夜もなんかあったって噂あるのか?」
 久遠はどうしても確かめておきたかったのだ。果たして眞由那が……いや、眞由那の体に宿るアノンがその事件と関わっているのかを。
「ん……事件か? ああ〜……いや、昨日は何かあったって話は聞かないな……」
 と、一ノ瀬はなぜか残念そうな口調で言った。
「どうしたんだ、うかない顔して」
 久遠は何気なく聞いてみた。
「うん。なんつーか、こういう言い方不謹慎かもしれないけど、なんか期待はずれっていうか……」
「はぁ? 期待はずれ? 一ノ瀬、何言ってるんだ? そんな厄介な事件を期待してたのか?」
「いや、期待してるっていうか……退屈な毎日に刺激が欲しいだけっていうか……はぁ〜あ。なんか、心の底からわくわくできるような何かってないのかなぁ〜。つまんないなぁ」
 そう言うと一ノ瀬は遠い目をして窓の外に視線を向けた。感性が鈍そうな一ノ瀬も彼なりに感傷に浸っているみたいだったから久遠はこれ以上詮索するのは止めた。
 やがてチャイムが鳴ってホームルームが始まると、教室の中に入ってきた担任の教師が改まった口調で言った。
「実は今日からこのクラスに転校生が来る事になった」
 なんとも突然の事だった。クラスの中からはざわざわと小さな喧噪が生まれる。
 そんなクラスの騒ぎを気にもとめないで、担任教師は「入ってこい」と廊下の方を向いて声を掛けると。
 教室の扉を開けて――1人の少女がやってきた。
 肩口まで伸ばした蒼いセミロングの髪。スラリとした手足とスタイリッシュな体型。背筋が真っ直ぐ伸びていて、いかにも真面目一徹そうな雰囲気をまとった少女。
「……」
 そんな少女を見た久遠の第一印象は――まるで氷のようだ――だった。
 その鋭い眼光は、自分がこれから関わるクラスメイト達に対して何の興味も抱いてなさそうに遠くを見ていたし、表情を一切変えずに教卓の前に直立していた。
「え、え〜……桐見。もしかして緊張してるか? よかったら自己紹介を頼む」
 まるでゴミを見るような目で教室内を見渡していた少女をフォローするように、担任教師は苦笑いを浮かべながら言った。
 それでも少女は表情を全く崩さずに、口を開くのを最小限に抑えて、声を出した。
「私の名は桐見凍亞だ」
 よく通ったその声は、それ以上有無を言わせない、堂に入った声で、あるいは威圧感すら感じてしまうものだった。
 だから自然と、クラスの誰もがその言葉の続きを無意識の内に待っていた。
 けれど――。
「……」
 どうやら自己紹介はそれで終わりらしく、続きが告げられることはなかった。
「ん、あ……ああ。そ、それじゃあ桐見。あそこの空いている席に座ってくれ」
 担任教師は転校生、桐見東亞の態度に少々面食らっていた様子ではあったが、そこは教師、つつがなく凍亞を空いている席に通した。
「はい」
 と、凍亞は良く通る冷たい声で返事して、用意された空席に向かって行く。
 久遠は何気なしに凍亞を見つめていると、凍亞も久遠の方を見た。
 そして彼女は歩くのをピタリと止めた。
「……」
 尚も彼女は久遠から目を逸らさない。
 久遠の方も妙な気持ちで視線を外せずにいると、凍亞がうっすらと口元に不気味な笑みを浮かべたような気がした。
 しかし凍亞は何事もなかったようにすぐに自分の席に着いて、滞りなく授業は始まった。

 そして昼休みにって久遠は行動を起こす。
 といっても久遠が行動を起こすのは凍亞とは関係ない部分である。転校生のことも気になったが、まず久遠は話をしなければならない人物がいた。
「四宮さん……いいかな」
 四宮烏子。霊感があると一部で噂される寡黙な少女。
 昨日、彼女は久遠に意味深な忠告をしていた。余計な事に首を突っ込むな――と。
 久遠は昨夜の出来事からうっすらと考えていたのだ。もしかして、四宮烏子はあの事を言っていたのかもしれないと。それくらいに久遠は烏子の言葉が気になっていた。
「…なに」
 烏子は平常通り、今日も浮き沈みのない平坦な声で返事した。
「昨日言ってた事あっただろ。ほら、あまり首を突っ込むなって……。あれってどういう意味なのかな……って」
 それはやっぱり霊能力うんぬんによるもので分かったのだろうか。神と悪魔について。烏子はその超越した存在について何か知っていることがあるのだろうか。
 しかし……烏子の答えは――。
「…」
 沈黙、であった。
 久遠は烏子のその煮え切らない態度に心が落ち着かなくなる。
 もし彼女が何か秘密を知っているのなら、久遠としてもそれは知っておかなければならない事だ。なぜならそれは久遠にとって切実に関わってくる問題であるのだ。
 いや……正確に言うのなら上遠野坂眞由那が関わっているから。だから。
「四宮さん。僕は昨夜とても奇妙な出来事に遭遇したんだ。もしかして四宮さんが言ってたことってあの事なのかなって」
 黙る烏子に臆することなく、久遠は半ば強引に勝手に話を続ける。
 すると烏子は久遠の熱意が伝わったのか。
「…もうあなたは深く関わってしまった。運命は変えられないかもしれないけれど…それでも足掻かないよりはマシ」
 ぽつぽつと、なにやら独り言のように呟いた。
「え、な、なに……」 
 とりとめもないような事を言う烏子に、久遠は難色を示す。
 だけど烏子はそんな事知ったことないという風に続ける。
「だから忠告する…桐見東亞は危険な人物…あなたは関わっちゃいけない」
 そう強く、彼女は断言した。
「って、え? それって今日転校してきた人……? な、なんで?」
 いきなり何の脈絡もなく転校生の名前を出してきた烏子に、久遠はさらにわけが分からなくなる。
 完全に置いてけぼりの久遠に対し、更に烏子は途方もない事を話した。
「このままだととても不幸な未来が訪れる…近いうちに、きっと」
 まるで何もかも知っているような口調で烏子は語った。
 久遠はもう、放つ言葉が何もなくなってしまった。
 ただ昼休みの教室内の喧噪に消されていくように、クラスの目立たない2人は再び影を薄めていった。


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