アンノウン神話体系

第3章 錯綜する思い

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

1

 
 結局その後アノンが家に戻ってくる事もなく朝が訪れたが、久遠はその間ろくに眠ることができなかった。
「もう学校に行く時間だ……」
 本当は学校に行く気なんて全く起こらなかったけれど……学校にはある手がかりとなる人物がいる事を思い出した。
「少しでも何か分かることがあるのなら」
 久遠は制服に着替えて登校する。
 外に出ると眩しい太陽の日差しが久遠を襲った。寝不足の体にはとてもきつい……けれど、久遠はこの程度の事で弱音を吐いてる場合じゃないのだ。
 道行く人通りも少なく、まだ登校するには早い時間帯の朝日の中を進みながら久遠は決意する。ただ状況に流されていくのはもうごめんだ。これからは自分ができる範囲で、この怪事件に立ち向かっていく。
 そして早すぎる時間に学校に着いて教室に入った久遠は教室にたった1人だけ取り残されるように座っていた少女に話しかけた。
「四宮さん……少し話があるんだけどいいかな」
 四宮烏子。周りからは霊能者だと言われていて、小学校時代には色々な問題を起こしていた少女。実際久遠自身も小学3年生の時にその様子を見ていた記憶があった。
 久遠にとって烏子がこんなに早い時間帯に学校に来ていたのはラッキーだった。でも久遠は烏子が既に学校に来ているだろうなって不思議となんとなく感じていたし、そして烏子は久遠九縁について何かを知っている。それも確信していた。
 それだけじゃない。四宮烏子は今この町に起こっている怪異について知っているはずだ、久遠は今ならそう思う事ができた。烏子も久遠と同様、この世界の理から外れた存在なのだ。
「…ここではなんだから別のところで話しましょう」
 久遠のただならぬ態度を感じ取ったのか、烏子はぽつぽつと囁くような声で言って、静かに席を立って教室を出た。
 久遠も黙ってそれについていった。
 辿り着いた場所は校舎裏の木々がひっそりと生い茂る寂しい場所。他に誰の気配もしない寂しい校舎の影に隠れるように2人は立っていた。
「それで…何の用。久遠君」
 木々が擦れる音に混じって、烏子が小さな声で言った。
 それに合わせるように、久遠が囁くような声で烏子に尋ねる。
「四宮さん……最近僕の周りでおかしな事が立て続けに起こっているんだ……それでもしかしたら君なら何か知ってるんじゃないかと思って」
「…」
 烏子は久遠の問いかけに沈黙で答えた。
 だが、そのリアクションが来るであろう事を久遠は予測していた。
「何か知ってるんだろ? 僕に言ったじゃないか。これ以上関わるなとか、転校生に気を付けろとか」
 桐見東亞の事も知っていたし、烏子は何から何まで怪しすぎるのだ。
「…」
 しばらく凍亞は久遠の子を覗き込んでいたが、もう誤魔化せないと感じたのだろうか、まるで水面に広がる波紋のような声で尋ねた。
「あたしは――未来をこの目で見てきた」
 突拍子のない言葉だった。未来を見た? 久遠は当然驚く顔をしてみせるが、内心では納得していた。今の久遠には何でも信じられる。
 でも、烏子が言おうとした話には続きがあった。とんでもない話が。
 烏子は息を吸って、小さな胸を膨らませて、言葉を吐いた。
「3日後、この町は滅びる事になるわ」
 その瞬間一際強い風が吹いて、校舎を隠すように生える大木の葉を揺らした。
「……えっ? 滅びる?」
「そう、徹底的に破壊されてしまうの。そして……その破滅の鍵となるのが――あなた」
 烏子が久遠を真っ直ぐ見つめた。
「なんだよ……未来って。滅びるって……僕が原因って。何がどうなっているんだよ」
 その全てがぶっ飛びまくった話である。唐突にもたらされた現実感のなさ過ぎる話に、久遠は目眩にも似た立ちくらみを感じた。
「あたしは見たの。夢のような形で。町中が混乱に陥っていて、建物は崩れ、沢山の人が逃げ惑っていて泣いている姿を…そしてその中心にあなたの姿があったのを…。でも、それは夢じゃない…あたしには分かる。それがあたしの力だから。だから…説明はできないけどそれは確かな事実。あたしはただそれを止めたい。でもどうすればいいか分からなかった」
 烏子は久遠にじっくり考える暇も与えずに説明を続ける。まるで今まで溜まっていた言葉を吐き出すように語る少女。
 烏子がこんなにたくさん喋るところを見るのは初めてだったので、久遠は無意識的に烏子の顔をぼーっと眺めて、
「ど、どうして今まで言ってくれなかったんだ」
 何気なしにそう言った。
 久遠には烏子がずっと1人で悩んでいたように思えた。
 烏子は、
「言っても信じてもらえないし……あたしの事、気持ち悪いって思うかもしれないから」
 視線を逸らして、たどたどしい言葉で言った。
「気持ち悪いだなんて……そんな事は思わないよ」
 久遠には烏子の話に大いに驚いたが、少なくとも否定する気持ちはなかった。久遠はもう、そういう世界を見ているのだ。
 けれど烏子は、まるで悪いことをしてしまった子供のように、体を小さくして呟く。
「あたしには変な力がある…いろいろと余計なものが見えてしまう力…その力があるせいで、あたしは1人だった…ずっと」
 影で霊能者などと言われている彼女は、きっと自分に備わった力を憎んでいるのだ。久遠は今なら烏子の気持ちが分かりそうな気がした。だから久遠は決心した。
「だったら僕が友達になるよ。四宮さんが自分の力を余計だと思っているかもしれないけどさ……多分僕にとっては大変ありがたい力なんだと思うんだ。だから……協力して欲しいんだ、四宮さん。まずは僕の話を聞いてくれ」
 そうして久遠は自分が巻き込まれている事件について烏子に話した。
 すると、自信なさげに視線を動かしていた烏子が驚きの表情を浮かべて、
「そう…だったの。なんとなく見えていたけど、まさかそんな凄いものに巻き込まれてたなんて…凄いのね、久遠くんは」
 次第に穏やかな表情になってった。
 彼女は独り言のように、ぽつぽつと話し始めた。
「あたしは自分に備わったこんな力、なかったらいいのにって思うけど……でもこの力に意味があるとしたら、きっとそれは今だから……だからあたしも手伝う。手伝いたい」
 そして彼女は久遠の仲間になった。
 きっと心強い味方になってくれるに違いない。久遠は自然と笑みがこぼれた。
「ありがとう、四宮さん。だけど……この町の破滅って途方もない話だよな。いったいどうすればいいのか」
 スケールの大きい話にどこから手をつければいいか分からない。久遠は烏子に事件の解決に繋がる情報は得られないか訊いてみたが、
「あたしにはどうすることもできない。あたしはただ見えるだけ。感知すること。ラジオのように受信するのがあたしの力だから……自分から見にいったりはできないの」
「受信って?」
「いわゆる常人よりも知覚が特殊だってこと……普通には見えないものが見えたり、聞こえたり、嗅いだりするってこと」
「それってつまり……五感が敏感だってこと?」
「簡単に言えばそういうこと。例えば、警察犬なんかがいるでしょ。痕跡や、持ち物から犯人を追跡するやつ。あたしも同じ。物証があればあたしには見えるの……感覚で分かるの。そして今回の町の破滅は、夢というカタチで知ってしまったの」
 つまり烏子には様々な知覚方法があって、予知夢のようなもので破滅を知ってしまったということなのか。
「それで、その夢に僕がでてきたんだね……だったらやっぱり神か悪魔が関係してるはずだけど……あ、そういえば桐見東亞っ。四宮さん言ってたよねっ、桐見東亞に気をつけろって!」
 秘密の組織から派遣されてきたという彼女。今回のキーパーソンの1人であることは言うまでもないだろう。
「夢には出てこなかったけど、昨日転校してきたときに…とても悪いものを感じたの。嫌な予感。それこそあの夢を見たときと同じ気分のものを。あたしはこの力は嫌いだけど信用はしてるから…彼女はこの事件の鍵を握ってるって一目見た瞬間に分かった」
 そう話す烏子の瞳には怯えの色があって、久遠はそのただならぬ様子に不安を覚えた。
 気付くと、いつの間にか朝の予鈴が鳴っていた。
 久遠は烏子と2人で急いで教室に戻り、中に入るとすぐに教室内を見渡した。
 クラスメイト達はほぼ登校してきていて、だけど……そこに久遠の目的の人物の姿はなかった。
 桐見東亞。昨日学校の帰り道、久遠とアノンに対して襲いかかってきた謎の転校生。
 組織の人間である彼女は、異端の神であるアノンを排除しようとしていた。
 ということは、彼女が秩序を守ろうとする目的があるならこの町をかき乱さんとする悪そのもの、グラットンは共通の敵ということだ。だが凍亞のあの怯えた表情は……。
 しかし烏子が敵対してるからと言って、それでも彼女がまだ敵だと確定したわけではないのだ。凍亞はアノンを敵視していたが、悪魔を倒すという事に関してはお互い協力できるはずだ。
 なのに――チャイムが鳴って授業が始まっても桐見東亞は姿を現さなかった。
 そして本日の授業が終わるまで、結局彼女が学校に来ることはなかった。


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