アンノウン神話体系

第1章 小さな町の怪事件

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

1

 
 久遠九縁はため息を吐きながら自宅への帰路を辿っていた。
 それは彼が両親を亡くして以来幼なじみの家に厄介になっているから――という事ではない。
 それは彼が同居する幼なじみの少女に原因があった。
 同じ学校に通う同じクラスの上遠野坂眞由那。だけど彼女は学校には来ていない。ここのところず〜〜〜〜〜っと来ていない。
 そう。上遠野坂眞由那は――現在絶賛引きこもり中なのだ。
「……はぁ」
 久遠九縁は自宅の前に到着すると、もう一度深いため息を吐いてから、自宅の扉をくぐった。
「あら、九縁ちゃん。おかえりなさぁい」
 玄関には久遠がお世話になっている家主、上遠野坂啓名が花に水をやるための花瓶を手に持って立っていた。朗らかな笑顔で久遠を出迎える。
「ただいまです、啓名さん」
 久遠は靴を脱ぎながら小さく頭をさげると、
「も〜う。いつも言ってるでしょ、九縁ちゃん。私の事はお母さんって呼んでいいのよぉ」
 啓名はおっとりした調子で久遠をやんわりたしなめた。
「そうしたいのは山々ですけど、今更お母さんなんて呼ぶのもなんか照れくさいって言うか」
 久遠はこの家族の世話になるようになってから未だに啓名には敬語を使っている。
「なら、せめてその話し方を変えられないかしらぁ。これも今更変えられないの〜?」
 啓名は頬に手を当て、寂しそうに少し困ったような表情を作ってみせた。
「あー……まあ、考えておきます。そ、それより啓名さん。眞由那の奴は部屋ですか?」
 少し居心地悪くなった久遠は、話題を変えて誤魔化そうと試みる。
「そうねぇ。あの子、俗に言う引きこもりだからきっと部屋で色々忙しいんじゃない〜」
 啓名はのんびりした口調で言った。
 自分の娘の事なんだから、もうちょっと切迫感を持った方がいいのでは……と久遠はちょっと思ったが、あえて口にはしない。 
「そすか……そんじゃ僕ちょっと見てきますっ」
 その代わり、久遠はくるりと踵を返した。
「あっ、もう……九縁ちゃんはそうやってすぐ話をはぐらかすんだからぁ〜」
 という啓名の愚痴を背中で受け止めながら、久遠は階段を昇って――2階の部屋の前に立った。
「おーい、入るぞ」
 久遠は部屋の扉をこんこんこんと軽くノックする。
 ………が。部屋の主からの返事はない。
 だがそんな事は久遠はとっくに想定済みだ。眞由那がまともに返事をする事なんか滅多にないのだ。
 だから――次に久遠がとった行動は、遠慮なく部屋の扉を開いて中に入ること。
 ガチャリと扉を開けると、久遠の視界にまず入ったのは椅子に座って机に向かう少女の背中。
「おい、眞由那。またしょうもないことしてるのか?」
 久遠がその背中に呼び掛けた。
 名前を呼ばれた少女は、体をピクリと動かすと、ギィイイーーと、椅子ごと体をゆっくり回転させて振り返る。
「なんだ、九縁か。今日も学校おつかれー」
 パジャマ姿で、手入れされていない髪。そして眠そうなとろんとした瞳。顔はとても綺麗でスタイルもいいのに、だらしない格好で色々とても残念な感じだった。
 これが久遠九縁のいとこの少女――上遠野坂眞由那。
「いや、なんでちょっと上から目線的な感じなんだよ。本来お前も労われなきゃいけない立場だろ。てか、僕のクラスメイトだろ」
 久遠と眞由那は年齢が同じで、学校もクラスも同じであった。
「学校楽しかった?」
 眞由那は久遠の言葉なんて全然聞いてない感じにさらっと尋ねる。
 久遠と眞由那の違いは、久遠が学校に行ってて、眞由那は行ってないことだった。
 眞由那は引きこもりの少女。しかもなんか最近ちょっとおかしくなったみたいで、オカルトとかそんないかがわしい趣味に傾倒しているのだ。
「いやいや、どうするんだよ。中間テストももう終わったぞ。このままじゃ出席日数足りなくなって留年することになるぞ」
「ふふふ……でもね、九縁。実はそれどころじゃないんだよ。ねえねえ……私、とうとう悟っちゃったのよ」
 さもノーベル賞受賞級の大発見をしたといった顔をして目を輝かせる眞由那。
 しかし眞由那が突拍子もない事を言うのはいつものことだったから、久遠は今更驚かない。
「……はぁ、悟った、ね。今度はいったいどうしたって言うんだ? また当たりもしない予知夢でも見たか?」
 引きこもるようになって眞由那はおかしな妄想ばかり言うようになった。どうせ今回もそういう話だろうと久遠は呆れ気分でいた。
「違うよ! 今度は正真正銘本物だよ! 私ね……取り憑かれたんだよ!」
「は……はあ? 取り憑かれたって〜?」
 予想してたとはいえ、今回はまた随分とんでもない話だなと久遠は軽く戦慄。
「そうだよ。私の体に神様が宿ったの。私の意識がないところで、この体を自由に使われているんだよ」
「神様? お前の言ってる事がよく分かんないんだけど」
 やっぱり突拍子もない話だったので、久遠は話半分に眞由那の話を受け流すことにした。これも思春期にはよくある現象の一つだろうか。
「つまり私、神様になったんだよ!」
 病名、中二病。
「……ごめん、ちょっと僕はもう行くよ」
 これ以上聞いているのもしんどくなったので、久遠は部屋を出て行こうとした。
「って、待ってよ! 本当だってば!」
 眞由那はその背中に呼び掛けるが久遠は止まらない。
「たまには外に出たりしろよな」
 と、久遠は哀れみにも似た声で忠告して、同い年の妹の部屋から出て行った。


 しかし――その夜からであった。夜な夜な不穏な現象が始まったのは。
 それは久遠がベッドに入って目を閉じていた時だった。
 ごそごそ……と、音がする。
「……ん?」
 眞由那の言葉がなんとく気になって、なかなか眠れずにいた久遠がベッドで横になっていると、隣の部屋から物音が聞こえた。
 気のせいかと思って、眠ろうと目を閉じていたら、またしてもごとごとごと、と音。
「なんだよ……こんな時間にあいつは。完全に昼夜逆転してるじゃないか」
 時計を見れば深夜の1時前。これぞニートの特権、時間感覚の崩壊だ。
 ほんと、いいご身分なこった……明日注意してやらないとな、と思いながら久遠はなんとなしに聞き耳を立てる。すると。
 がさごそ……がさごそ……がらっ。とんとんっ。がらっ。
「ん――窓? 外に出たのか?」
 隣の部屋から窓を開ける音と、外に向かう足音が聞こえたような気がした。
 …………。
 そして物音はそれきりなくなって、辺りはぱったり静まりかえった。
 隣の部屋から物音が消えて久遠は不思議に思ったが……しばらくすると眠くなったので、彼はそのまま眠りの世界へ入っていった。


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