アンノウン神話体系

終章 覚醒

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

1

 
 辺りが暗くなり始めた黄昏時、久遠とアノンは目的地の工場跡に辿り着いた。
 2人は工場から離れた茂みから様子を窺っていた。
「にしてもすごい荒れようだ……ほんとにこんなとこにいるのか?」
 未だに建物からはところどころ煙があがっていて、爆発の凄まじさを物語っていた。
「間違いない、確かに気配は感じる。それに……この周囲一帯には強力な結界が張られている。こんな大惨事になっても人っ子1人気配がない……相当精度が高いな」
 夕日に映える建物を見つめながらアノンは素直に感心している。
「って、感心してる場合じゃないだろ。ここには悪魔がいるんだぞ……」
「そうだったな。それでは行こう、九縁」
 アノンは茂みからさっさと出ると、堂々と真っ直ぐ工場跡へと進んで行った。
 計画も何もないまま行くのは正直不安なところがあったが、アノンの言う事も一理あったので久遠は工場へと行った。
 単純に強さだけでいうなら、アノンは悪魔を圧倒している。しかし不安要素はある。上遠野坂眞由那との肉体の問題。またいつ拒否反応が出るか分からないのだ。
「……」
 久遠は不吉な事は考えないようにして、最終決戦の地へ足を踏み入れた。
「暗くて見えづらいな……」
 今にも崩れかけそうな建物内に侵入した久遠は顔をしかめる。およそ中は荒れ放題に荒れ果てていて、部屋も廊下も倉庫も全ての場所が判別不能なまでに滅茶苦茶になっていた。
「これからどんどん暗くなるぞ、九縁。早く見つけてしまおう」
 アノンの金髪が暗がりに輝くのを見ながら、久遠は文句を口にする。
「でもこう滅茶苦茶になっていたらどこをどう探したらいいのか……悪魔はまだこの建物内にいるのかな……」
「気配はあるんだ。近くまでは来ているんだが……」
 うろちょろと歩き回るアノンだが、なかなか悪魔を発見することはできないようで、似たような風景が続く建物内を右往左往する2人。
 外から差し込む光はオレンジ色から次第に紫色へと変化していき、久遠の不安も比例して増していくような気持ちになった。
 久遠が不安をまぎらわせるように周囲を見渡し歩いていると――崩れた建物の隙間から差す日に丁度照らされるようにして、周囲の瓦礫に隠されていたそれがはっきりと姿を見せた。
「あれは……階段だ。下に行く階段がある……アノン、あそこは……っ」
 階段を見つけた久遠は、アノンを呼んで、2人で下に続く穴の中を覗き込んだ。
「……感じる。この階段を降りた先に奴がいる」
 暗闇の先を見つめるアノンが、やけにシリアスな声で言った。
 その余裕のない顔を見てとった久遠はアノンに問いかける。
「……なぁ、今更聞くのもなんだけど……お前、体は大丈夫なのか? 奴に勝てる自身はあるのか?」
「フンっ、何を言うか九縁。ワタシは神だぞ。たかが雑魚ごときにやられるわけはない。事実この前だってヤツを圧倒していたじゃないか」
「い、いや。だからこの間の時とはわけが違うんだって……っ」
「とにかく心配するな、九縁。ワタシは負けない。君が心配する暇も与えないくらいの早さであっけなく圧倒的に終わらせてやるよ」
 胸を張って応えるアノンに、久遠は根拠のない安心感のようなものを感じた。
 アノンがそう言うのなら、確かになんとかなりそうな気はしていた。
 そして階段を降りた久遠九縁とアノンは、一階よりも一層暗い廊下を渡って、その先にある一際大きな扉を開ける。
 ――そこはだだっ広い倉庫のような場所になっていて、他の場所に比べたら比較的瓦礫も少なくて。そしてその空間の中央に何か動くモノがいて。
 目を凝らして見ると、それは悪魔――グラットンだった。
「ふしゅううううううるるるる……」
 一見何の変哲もない普通の成人男性。およそ特徴という特徴がなく、30代前後の見た目は、髪型も身長も体型も平均的なそれである。
「足も元通り再生しているみたいだし、どうやら準備は万端のようだな。さぁ――ワタシがお前を終わらせてやるよ」
 アノンは前に出て、悪魔と対峙する。
「異端の神……それに、ふふ、悪なる王の血か……ならやってやるぜえ!」
 グラットンが眼光を光らせ、牙を剥き、その手からは爪が長々と伸びる。
 そして――壮絶な殺し合いが始まった。

 だがそれは殺し合いと言うにはあまりにも一方的な虐殺だった。こんな試合、特に語るべきものでもない。勝負はもうとっくに……そう、既に深夜の学校の時点で着いていたのだ。
「ごぶっ……うがあ、あ、あ」
 グラットンが苦しそうに大口を開けて、血を勢い良く吐き出した。
 アノンの攻撃は素早く、一撃一撃が重く、もはやグラットンが敵う相手ではなかった。
「どうした? もう終わりなのか?」
 後ずさるグラットンを冷めた視線で見つめるアノンは、追撃を加える素振りも見せずに余裕を持った態度で佇む。
 グラットンはアノンの挑発に乗ることなく、一定の距離を保ったまま呼吸を整えた。
「まっ、まだ終わりじゃねぇよ……。俺様の本気ってやつを見せてやるぜ……」
 息も絶え絶えなグラットン。彼はジリジリとアノンの周囲を移動する。隙を伺って攻撃するタイミングを計っているようだった。
 アノンの方は何を考えているのか、敢えてグラットンが向かって来やすいように隙だらけに立っているようだった。
 そしてグラットンは攻撃するチャンスを見いだしたのか、彼は足を止めて――。
「くううううあああああああ―――――ッッッッッ!!!!」
 グラットンは、腹の底から絞り出すような声を上げて――くるりとアノンに背中を向けて、全速力でこの場から離脱した。
「な――にぃっ!?」
 悪魔の意外な行動に目を丸くする久遠。
「しまったっ」
 アノンも悔しそうに目尻を引きつらせた。
「くははぁッ……誰が勝ち目のねぇ戦いなんてするかよぉオ!」
 どこからともなくグラットンの声が響いて、すぐに静寂に包まれた。
「あいつ、また逃げるなんて……」
「自分と相手の実力をわきまえているのだ、正しい選択だよ。それにしても……くっ、長期戦となると少々きついな……ここで逃がしてしまうなんて」
 出口の傍に陣取っていた時点で気付くべきだったと舌打ちするアノンは、しんどそうに肩で息をしていた。
「おい、大丈夫かっアノン! お、お前やっぱりまだ……」
 眞由那の体と拒否反応を起こしている。
「へ、平気だ……と言いたいところだが、くっ……思ったより厳しいな」
 体がぐらりと大きく傾く。久遠はすかさず倒れそうになったアノンを支えた。
 アノンはもうずっと眞由那の体を占有しているのだ。しかしその体は本来なら眞由那のもの。体がアノンの意識を追い出そうとしているのだ。
「大丈夫なのかよ、これ以上はもう……」
「いいや、いけるさ。それより奴を探さないと……」
 アノンは久遠から離れようとしたが、すぐにぐらついて再び久遠の胸の中に体を埋めた。
「あっ、おい……アノン……」
「すまない……でも、行かないと……早く追わないと」
 動けるような体ではないのに、それでもアノンは前に進もうとしている。
「……分かったよ、肩を貸すから一緒に行こう、アノン」
 もう久遠にはアノンを止めようとか、眞由那の体を返せなんて言う事はできなかった。久遠はアノンを支えて、悪魔が逃げていった方向を見つめた。
 そして久遠とアノンが進もうとした矢先――。
 地響きがこだました。
「なにっ? まさか……建物が崩れるのかっ?」
 今にも崩れそうだった工場だったが、とうとう倒壊が始まったのだろうか。
「悪魔の奴だ……奴が建物を崩してワタシ達もろとも葬ろうとしてるのだ……大ピンチだな」
 
 地下にいる2人にとってこれは非常にまずい状況だった。しかもアノンは自由に体を動かせない状態。久遠は彼女を支えながらここから脱出しなければならない。
 ――考えている暇はない。
 2人はとにかく急いで出口に向かって進む。しかし、倒壊により元来た道は塞がれていた。
 すぐに引き返して1階に上がるルートを探す。
 しかし隅々まで探すが、階段はなかなか見つからない。そもそもこの廃工場、元々かなり面積の大きい建物だったらしく、クネクネと入り組む道はまるで迷路のようだった。
 このままだと倒壊に巻き込まれて死んでしまう。また行き止まりの部屋の中に入った瞬間、久遠の中に絶望の文字が浮かんだ。その時だった。
「お、おい、テメェら……脱出ルートならオレが知ってる……だから、オレを助けろ」
 久遠の足元から男の声が聞こえてきた。弱々しいけど、どこか威圧的な口調。
 聞き覚えがあるような気がして久遠は視線を下に向けると、
「お、お前は魔術結社のっ! 生きてたのか!」
 全身真っ白の服装をボロボロにして倒れているグレイ・ネオンライトがいた。
「――う簡単に、くたばってたまるかよ……俺には、やらなければならねぇ事があるんだ」
 それより手を貸してくれ、とグレイは右手を上げる。まだ助けるなんて言ってないのに厚かましい奴だと思いながらその手を引いて、彼を立ち上がらせた。
「でもお前は悪魔に倒されたって桐見東亞が……」
 立ち上げながら久遠はグレイに言った。するとグレイの口から意外な言葉が出てきた。
「――ぁっ? 悪魔だって? 見くびられたもんだ。俺が悪魔如きにやられるかよ……本当の敵はあんな雑魚じゃねーんだよ……」
「な、なに……?」
 その言葉に反応したのは、久遠ではなくアノンだった。驚きに口を開けてその意味を求めたが。
「――わしく聞きたかったらオレを無事に脱出させろ……って、ん? テメェは……そうか、テメェが異端の神か。散々邪魔してくれやがってよぉ……おかげでこの有様じゃねぇか」
 ここで初めてアノンの存在に気付いたグレイは歯を剥いて毒づいた。
「何を言うか。邪魔してるのはそっちだろ。元々はワタシの得物だったのだぞ……後から来ておいてよく言うよ」
 どっちもろくに体を動かせないくせに口だけは達者で、お互い目から火花を散らせていた。
「――ぁいい。話は後だ……今は一刻も早くここを出ねーと全員ぺしゃんこだ……さぁ、肩を貸してくれ。行くぞ」
 と、グレイの言われるままに久遠は彼に肩を貸して、これで左右ともに人を支えながら歩くことになってしまった。
「というか、貴様が命令するなよ魔術師風情が」
「――まれ、邪神」
 こんな状態で果たして死地から抜け出せるか疑問だけれど、久遠は力を振り絞って歩き出す。


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