アンノウン神話体系

第4章 来訪者

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

1

 
「……あれ――ここは。僕は」
 久遠九縁が意識を取り戻した時、そこは見知った自分のベッドの上で、傍らには四宮烏子の姿があった。
「…気付いたみたいね」
 さして表情を変えずに烏子が呟いた。
「……どうして僕はここに。それに何故君が……」
 気を失うまでの事は覚えているものの、意識が混濁している久遠はまともに思考ができない。
「あたし達はあのビル付近の路地裏で気絶していたの。そしてあたしが目覚めた時、アノンと名乗る女の人がいた…」
「……そ、そう」
 久遠は複雑な気持ちになって、視線を地面に落とした。
 久遠も烏子も同じクラスメイトだから本当は分かってもいいはずなのだ。アノン――いや、上遠野坂眞由那のことを。だって眞由那も烏子も、同じクラスメイトなのだから。
 でも眞由那は高校生活を入学式の一日しか過ごしていない。もうあれから1ヶ月以上は経った。四宮烏子だって他のクラスメイト同様、上遠野坂眞由那の名前も顔も知らないのだろうし、眞由那を除いたメンバーによってそのクラスが構成されていると思っているのだろう。
 そしてそれは間違いないのかもしれない。もしかしてあのクラスの中にはもう、眞由那の居場所なんてどこにもないのかもしれない。
「彼女はなぜかあなたの家を知っていて…それで2人でここに運んできた」
 虚ろになって烏子の聞いていた久遠は、それでも情報は聞き逃さないように注意を払っていた。彼は烏子に尋ねる。
「そ、それで――アノンはどこに?」
 久遠はさっきからキョロキョロ周りの様子を窺ってるが、その姿はどこにも見えなかった。
「…彼女はあなたをここに運んだ後、すぐにどこかに行った…なんだか苦しそうな顔をしていたから止めたけど…聞いてくれなかった」
 それを聞いた久遠は思わず舌打ちして、
「くそ……だったらすぐに追いかけなくちゃ……」
 まったくもって自信過剰で身勝手で積極的なんだろうと、久遠は呆れそうになる。
「でも…もう遅いと思う」
「え、どうして」
 烏子の言葉に、久遠は落ち着きを取り戻して彼女の瞳を見た。
「だって――あなたはもう、一晩も眠っていたのよ」
「な、なんだって……」久遠はすぐに時計をチェックした。午後の4時。昨日ビルに入ってから、ほぼ24時間経っていた。「な、なら……」
「そう……あたしの見た未来が確かなら、明日の晩にこの町は滅びてしまう」
 いつの間にか、カタストロフィーは目前にまで迫っていた。
 久遠は、自分がそんなに眠っていたことに驚いて、そしてとある事に気が付いた。
「あ、あれ。いや……それもだけど……もしかして君はそれまでずっとここに?」
 こうして彼女が今、ベッドの傍にいるということは、彼女は。
「あ、あたしは別に家に帰らなくても大丈夫だから…それよりもこの町のことの方が大事」
 そう言いつつも、烏子は少し寂しげな表情をしたような感じがしたが――久遠は彼女が言うように差し迫った問題の方を考える事にした。
「そうだよな……なんとかしないといけないよな……」
「無理だわ。あなたの体はとても疲労している。手に怪我もしている」
 烏子の言葉に久遠は己の右手を見る。そこには包帯が巻かれていた。掌がずきりと痛む。恐らく凍亞の剣を素手で掴んだときにできたものだろう。
「くぅっ……」
 ここでようやく初めて掌の痛みを感じた途端に、全身の筋肉も急激に悲鳴をあげ始めた。
「安静にしていた方がいい……。あたしは桐見東亞によって気絶させられていたから何があったか詳しくは分からないけど、とにかくあなたはとても動ける状態じゃない。あたしにはそれが視えるから」
 烏子は黒い、吸い込まれそうな宇宙のような瞳で久遠を見つめていて、久遠はその瞳に見つめられるのが不安になってきて――無理矢理話題を提供する。
「四宮さんは何か覚えてるの? あの時ビルで何があったのか……そしてその後何があったのか」
「残念だけど分からない…。あなたと別れた後、魔方陣が描かれた部屋で桐見東亞さんに気絶させられたところまでしか…。ここにあなたを運んだ後、ビルが崩れたのを知ったの。いったいあの中で何が…」
「……僕にも、よく分からない。あまり覚えていないんだ」
 久遠は表情を暗くして言った。あのビルで起こった出来事を久遠ははっきりとは覚えていない。だけど、まるで映像を見ていたような感覚で久遠はそれを識っていた。
 ビルは久遠九縁自身が破壊した。それをはっきりと自覚できている。
 だけど久遠は、あの時の自分は久遠九縁であって久遠九縁でなかった。
 意識はあるけれど、まるで体を操られていたかのような……そう、まるで上遠野坂眞由那のように。
「とにかくあなたももうしばらく休んでいた方がいい。大丈夫、あなたが動けない状態だというなら何も起こらない可能性も大きいもの。後はあたしに任せて」
「四宮さん……」
「平気、あたしにはこの能力があるから……あたしは嬉しいの。この忌々しいだけだった力に初めて役に立つ時がきたから……」
「……」
「あたしはこの能力のせいでいじめられていた。誰もあたしの言うことを信じてくれなかった」
 四宮烏子の闇。誰もが心に抱えている闇。四宮烏子にとっての闇はその特異な力。一見すると常人なら憧れを抱くような異能の力も、持たないものの勝手な羨望でしかない。
 だから久遠には烏子の気持ちが完全に分かるわけはないが、けれど孤独の意味は人並み以上に知っていると思っている。
 久遠の両親は彼が幼い頃に亡くなっていて、さらに引き取られた先の家でもその家族の父親と長女が亡くなった。
 それでも彼は孤独から抜け出せなかったままじゃない。
 彼にはとても大切な人がいた。そして守るべき者がいた。
「四宮さん。携帯の番号交換しない……ほら、何かあった時便利だろ」
 だから自然と、久遠はそんな言葉を口に出していた。
 烏子は久遠のその言葉に一瞬目を丸くさせていたが、やがて彼女は笑っているのか怒っているのか分からない表情を向けて、
「うん…ありがとう」
 慣れない手つきで携帯電話を取りだして胸元に持つ彼女の姿は、どこにでもいる普通の少女の一風景だった。


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