アンノウン神話体系

第4章 来訪者

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 四宮烏子が帰った後、しばらく久遠は様々なことを考えていた。
 上遠野坂眞由那のことを。アノンのことを。
 そして……何度目かのまどろみの中で久遠は、眞由那の姉――上遠野坂美優の姿を見た。
 きっとそれは夢の中の光景なのだろう。美優はどこか分からないけど、とても美しい場所にいた。周りは曖昧に輝いていて、まるでそれは朝日を浴びた海の上に立っているようで、あるいは楽園の花畑にいるようで……とにかく美優はそこにただ優雅に存在していた。
 亡くなったあの時の姿のまま――17歳の少女の姿で。
 彼女は久遠に何かを伝えようと口を動かしている。
 しかしその声は久遠には届いてこない。聞こえない。
 久遠は美優に話しかけようとした。
 だけど、その口からは言葉が発せられることはなかった。話せない。
 やがて、美優と彼女を取り巻く景色が次第に掠れていった。まるで偶然重なり合った異なる世界が、再び隔絶されるように。美優の世界は久遠の世界から消えていく。
 久遠は元の世界に引き戻される間際に見た上遠野坂美優は、とても悲しそうな……この世の全てを儚むような瞳をしていた。
 そして久遠の意識が現実に引き戻された時、
「――うやら魔族化は収まってるよぉだな」
 と、窓の外から声が聞こえた。
「……って、あんたはっ」
 何気なしに窓の方に顔を向けた久遠は、ベッドから飛び起きた。
 窓の外から全身を白色のファッションに身を包んだ男がこちらを覗き込んでいた。
 魔術結社シンジゲートのグレイ・ネオンライトだった。
 グレイは窓を開けろ、と久遠に示してみせて、久遠は迷ったが……結局大人しく言う通りに窓を開けた。どうせ断ったところで窓ガラスを突き破られるだけなのが目に見えていたから。
「それで……桐見東亞はどうしたんだ? ビルから脱出できたのか?」
 グレイが部屋の中に入り、窓を閉めている背中に久遠は敵意を持った声で尋ねた。
「――んだ? 心配してんのか? アイツがそんな簡単に死ぬたまじゃねぇよ。凍亞ならいま……狩りの準備をしてるよ。――れよりも……見た感じ俺の仕事は減ったみたいだな。よかったな、命を大切にしやがれよ」
「どういう事だ……?」
「――のままの意味だ。凍亞に聞いたところテメェは魔族化しかけたらしいじゃねぇか。それは多分グラットンとか言う悪魔か、それか異端の神の影響だろう……つーことは両方始末すればお前は元通り人間だ。それにシンジゲートが浄化作業を施してやるよ」
 グレイは久遠に提案を持ちかけるように言うが。
「元に戻れるって、どういう事だ……? 僕に悪魔の血が流れている事に変わりはないだろ?」
 悪魔の血が流れているということ、それは久遠の存在が悪魔であると等しい。それをなくしてしまうなんて、在り方を覆すような行為。そんな簡単に人間になれるなんて思えない。
「――ハッ、どうやら貴様は何か勘違いしてるようだがな……人間に悪魔の血が流れているなんて別に珍しくもなんともねぇんだよ」
「珍しくない……だって?」
 そんなこと、日常茶飯事的に発生するようなものなのか?
「ああ、テメェらの知らないところで、世界は常に外部からの脅威に晒されている。オレ達はそういう人間に対しての後始末は慣れている。とりあえず神と悪魔を始末したらテメェを現実に帰してやる。その記憶は消して、もうテメェは何の関係もないただの学生に戻れるわけさ」
 記憶の消去。またいつものような暮らしへ戻れる。眞由那も戻ってくる。それは久遠にとってこれ以上ない望みであり……でもなんだか寂しいような気持ちがわき上がった。
「……あんたはここに何しに来たんだ?」
 久遠はなんとなしに訊いてみた。
 久遠はグレイの行動が分からなかったのだ。なぜそんな事をわざわざ伝えに来たのか?
「――レは危惧したんだ。今回の騒動……どうやら中心にいるのはテメェらしい。一般人が世界の枠から外れた物語の中心にくるなんてこと、本来あってはならねぇんだ。なのにオレらがどう立ち回っても、スポットライトはテメェを照らしているみたいだ。どうしてだ? 世界が異端を容認するなんてあり得ないのに、それがアカシャの意向なのだとしたら……非常に厄介な事だ。だからもうテメェはずっとそうして寝ていてくれと言いに来たんだ」
「その……アカシャの意向ってなんだ?」
 魔術結社の2人は時折世界がどうのこうのと言っている。それは一体何を意味してるのか。
「詳しくは教えられねぇよ――けど……そうだな。それは世界の……いや、世界なんて枠に収まりきらない観念のようなもの。例えば世の中に数多くの本や映画があってその一つ一つに独自の世界があるように、その意思は理によってその在り方を守ろうとしている。いわばそれは物語のストーリーみたいなものだ。そして――この世界のストーリーには魔法はあってはいけないし、神や悪魔が現実にいてはいけない。それはこの世界の理から反している。世界には意思があるんだ。だからそれらが存在しているただそれだけで世界はそれらを殺しにかかる」
「殺しにかかる……? 世界が殺すってどうやって?」
「殺す方法なんていくらでもある。偶然という方法であったり必然という方法であったり、いろいろさ。だけどその死は運命だ。世界を敵にまわせば生きてはいられない。オレ達の仕事はその手伝いみたいなもんだ。世界の意思を汲み取って害虫駆除をする」
 その言葉には情けや同情が一欠片も感じられなかった。
 世界に意思があるなんて馬鹿げた話ではあるけれども、グレイの真剣な眼差しを見てたらそんなことを言う気持ちにもなれなかった。
「――が、それもじきに終わる。悪魔のヤローの住処を掴んだ。オレと凍亞はこれから、そいつの退治に行く」
 銀色の髪を掻き上げて、グレイは歯をむき出してにたついた。
「これから……」
 グレイの宣言に、久遠は理由の分からない焦燥感に駆られてしまった。
「――んだ、その顔は? 安心しろ、オレ達は今晩全てにカタを付ける。ここに訪れたのはテメェとのケジメをつけるためだ。テメェの事を放り出したままじゃ多分解決はできないと思ったんだ。だから――今度こそ余計な真似をしようと思うなよ。……ま、そんな状態じゃ無理だろうけどな。大人しく寝とけ」
「あっ……」
 ほとんど自分は何もできなかったというのに、久遠はなんだか置いて行かれたような気持ちになっていた。それはわけの分からない気持ちだった。
「――っちみちテメェにできる事はねぇ。……いいか、大事なのは俯瞰する立場に立つことだ。世界を俯瞰して見渡す者こそ物語を託すのにふさわしいんだよ。だからテメェが物語を綺麗に終わらせたいと思ってるならな、傍観者でいるのが一番なんだよ」
 それだけ言ってグレイは、窓から飛び降りて去っていった。
 この時久遠は無性に眞由那に会いたくなって……だけどそれは眞由那自身なのか、はたまた眞由那の体を借りたアノンなのか分からなくなって、また暗い気持ちになった。
 わけの分からない気持ちなら、この数日ずっとそうだった、と気が付いて。
 烏子やグレイの言う通り、自分はもう何もやるべきではないのだ。分不相応。この世界の理の中で生きる久遠はそれに応じた生き方を送るべきなのだ。
 そうして久遠は再び眠りについた。けれどもそれは浅い眠りで、何度も昔の夢を見ては目覚めるといった事を繰り返した。


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