アンノウン神話体系

第5章 決戦前小景

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

1

 
 久遠九縁が目を覚まして時計を確認すると正午過ぎだった。
「いつの間にかこんな時間に……だ、だったら今夜が確か……」
 四宮烏子が見た未来幻視が本当の事なら、破滅の時は目前に迫っている。
 久遠はすぐに飛び起きて、家の中をくまなく見て回った。しかし――眞由那の姿はなくて、アノンは恐らくまだ帰って来てないのだろう。
 魔術結社のグレイ・ネオンライトは昨日、余計な真似はやめろと忠告していた。自分が全てを終わらせると。久遠がこの件に関わることは余計に混乱を招くだけの行為なのだと。
「でもそれじゃアノンは……眞由那はどうなるんだよ」
 動くべきか動かないでいるべきか。自分はこのところずっと眠っていた事に気付いて、その間に何か進展があったかもしれないと気になった。
 すかさず彼は携帯電話を手にとって、電話をかける。相手は四宮烏子。
 久遠は昨日、烏子と別れる前に彼女の携帯番号を聞いていたのだ。彼女はあれからどうしたのか。
 コール音が3回鳴ったところで、烏子と電話が繋がった。
『四宮です』
 相変わらずの感情の感じ取れない無機質な声は、電話を通しても同じだった。
『もしもし、久遠だけど……その後何か分かったかい』
 前置きもなしに、さっさく久遠は本題に入る。
『いいえ。残念だけど大した事は…』
『そっか。仕方ないね』
 期待していたような情報がない事に、久遠は落胆を隠すことができなかった。
『でも崩壊したビル跡に行って分かった事があるの…といってもまた例の力で視えたことなんだけど…』
 言いにくそうに話す彼女はきっと、普通の人ではできない方法で、普通の人には分からない事が視えたのだろう。
『そ、それは……なに』
『女の人が見えた…それはアノンさんでも桐見東亞でもない。あれは…町が破滅するビジョンを視た時にいた女の人…その人が男の人と話していた』
 女と男……久遠は何かとても嫌な予感がした。
『その女と男ってどんな人だ? 教えてくれっ』
『…女の方は金髪の綺麗な人で、男の方が特徴のなさそうなぱっとしない人…かな』
『そ、そうか……』
 久遠にはその2人の人物が誰か心当たりがあった。
 それは天使・クライエルと、悪魔・グラットン。
『それで四宮さんは今、どこにいるんだ?』
『まだビルの周辺を探索しているとこ』
『分かった……だったら僕もこれから行く。待ってて』
『え、でも…久遠くん、まだ…』
 久遠は行かねばならない気がしていた。烏子が頑張っているのに自分は家出大人しくしているなんてできなかったのだ。
 それに、自分が倒壊させてしまったビル跡に行く位なら、事件をかき乱すことにはならないだろうという気持ちもあった。そこで烏子に会って、もうこれ以上首を突っ込む事はやめようと言うつもりだった。
 久遠は烏子との通話を半ば強引に終了して、さっそく着替える。
 そしてすぐに支度をして外へ出て、自分の手で壊してしまった廃墟ビル跡へと向かう久遠。
 ずっと眠っていたせいで体が重かったが、それでもなんとか気力を振り絞って歩み続ける。
 だけど、久遠がちょうど堤防沿いを歩いていると――。
「はぁッ……はぁッ……」
 久遠の前から人がよろよろと足を引きずりながら向かってきていた。
 久遠の足は自然と止まってしまっていた。
 見るからにその人間は満身創痍といった風で、
「く……はぁっ、はぁ!」
 そしてその人物が近づくにつれ、久遠の表情は固まっていく。
 久遠はその人物を知っていた。
「あんたは……な、なにがあったんだ。なんで君がここに」
 剣を杖代わりにして歩く、おぼつかない足取りのその少女は――、
「お、お願いだ……たす、助けてくれ……」
 魔術結社の桐見東亞であった。
「そんな……悪魔を倒しに行ったんじゃ……その格好は……まさか」
「……だ、駄目だった……私達は返り討ちにあってしまった……突然のことだった。私には何があったか分からない内に傷を負って、それで先輩は……先輩は……」
 表情は蒼白で、いつもキリリとした瞳には、もう光など宿っていなかった。そして消え入りそうだった声を振り絞り次第に大きくなって、やがて凍亞は。
「わ、私を逃がすために怪我を負って、1人で残った……きっともう先輩は……っ」
 駄目だ、失敗してしまったんだ。世界は彼ら2人を排除したのだ。久遠は視界がぐるぐると歪んでいくような奇妙な錯覚を覚えた。
「き、貴様のせいなんだっ……貴様と異端の神さえいなければこんな仕事、簡単に終わらせる事ができた。それを興味本位で滅茶苦茶にしていって……許せない。何もできないくせにただ自体を悪化だけさせるなんて……責任を、責任をとれっ!」
 桐見東亞は今にも掴みかからんばかりの勢いで久遠を責め立てる。
「でも僕は……僕は」
 久遠は迷った。こんな事態になってしまったのは全部自分のせいなのか。
 ……そうなのかもしれない。確かに彼は状況に流されるように、ただ引っ掻きまわしていた。今だってこうして桐見東亞に会いに行ってる事は、それ自体がまた余計な真似なのだ。
 煮え切らない久遠の態度に、凍亞は舌打ちしてとうとうキレた。
「やはり貴様は倒す……もはや貴様は異端の神以上に危険な存在だ。生かしてはおけない!」
 足を引きずり久遠の元までじりじり歩き、そして重そうな剣を鞘から抜いて、振り上げた。
 だが――その剣が振り下ろされることはなかった。なぜなら――。

「ふふふ、まるであの時の再開のようではないか、魔術師よ」

 久遠達の横から、尊大な声が聞こえてきた。
 驚いて同時に顔を向けた久遠と烏子はそこにアノンがいるのを見た。
「お、お前……いままでずっとどこにいたんだよ」
 久遠は嬉しいような、だけど立腹するような、複雑な気持ちでアノンに尋ねる。
「詳しい説明なら後にする……とにかく行こう、九縁。もうこいつにこれ以上構っていても仕方ないからな」
 アノンはスタスタ歩いて行く。
「ちょ、ちょっと……どこに行くつもりだ。聞きたい事は山ほどあるんだっ」
 凍亞がアノンの背中に呼び掛けた。
「そんなものは決まっているではないか。ワタシがお前の望みを叶えてやるのだよ」
 アノンは立ち止まることなく、不敵に笑って言った。
「く、くそ……」
 凍亞は反論でもしようとするかのようにアノンの後を追おうとしたが――満足に体を動かせないのか、彼女はただ厳しい目をアノンに向け吐き捨てるように呟くだけだった。
「私は……無力だ」
 そして久遠九縁は……このままアノンの後についていくかどうか悩んだ。彼女は物語をかき乱そうとしているのだ。このままにしておけばまた話は大きく変わる。
 でももう――もしかしたら、解決できるのはアノンしかいないのかもしれない。
 久遠は桐見東亞に、謝罪するような声で言った。
「桐見さん。確かに君の言う通りこの事態を招いたのは僕かもしれない。僕に責任があるのかもしれない。でも僕は……いや、だからこそ僕は行くよ。何ができるか分からないけど、最後まで僕はやることに決めた。それがこの事件の……僕の立ち位置なのだから」
 それだけ言って、久遠は凍亞に背中を向けて、前を行くアノンの姿を追った。
「……どうか、後は頼みました」
 と、久遠の後ろから凍亞の蚊の鳴くような声が聞こえた気がしたが、久遠は振り返ることなく走っていった。


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