アンノウン神話体系

第5章 決戦前小景

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 久遠はアノンと共に行く事にした。どちらにせよ、眞由那の体を放ってはおけない久遠は、アノンを追いながら非難めいた声で言った。
「で、どこに向かっているんだよ。アテはあるんだろうな?」
「ワタシを誰だと思っているんだ、もちろん居所はつかんだ。あとは奴を倒すだけだ。今度こそ――決着をつける」
 自信たっぷりに言うアノンの横顔をみて、久遠はずっと考えていた事を口にする。
「なぜ……今まで姿を消していたんだ?」
「……今までいなかったのは単純に悪魔を倒す為に追っていたからだ。まぁこの件にあまりに深く関わりすぎた君を遠ざけようとしていた部分もあるがな」
 表情を変えることなくアノンは事務的に応えた。
「じゃあなぜ今になって出てきたんだ? まだ終わっていないのに」
 今こうして最終決戦に向かっている状況じゃ、今まで遠ざけてきた意味がないのではないか。
「それは……やっぱりどうしても言っておきたくなったからだよ。この事件が片付く前に、こうやって君に……ワタシの意識がある内に。そう、君にもたらしてしまったワタシの罪を」
 それは以前にも……悪魔と戦った月夜の夜にも言っていた事だった。
 この事件の全ては、アノンが引き金となっていて、久遠はその被害者ということが。
「……教えてくれ、僕とお前にはいったいどんな関係があるんだ」
「それは――君の中に流れる悪魔の血……あれはワタシが原因なんだ」
「そ、それって……」
「しかもその血はただの悪魔の血じゃないのだ。その悪魔は――魔王なんだ。そしてその血は……ワタシの血でもある」
「え? なん……だって? 魔王? ってか――アノン?」
 つまり――魔王と、神であるはずのアノンは同一だというのか?
「ワタシは異端の神なのだ。本来のワタシは神とは遠い存在だった。ワタシは悪魔だった」
「あ、悪魔ぁ――?」
 話が急展開すぎて、久遠には間抜けな声で聞き返すくらいしかできない。
「そうだ、ワタシはいわば創られた神なのだ。その在り方は、悪魔を殺すための神。そして悪魔を殺すためには同じ悪魔が一番適していると……。そうやってワタシという概念は創られた」
「な……そんな」
 そんなのはアノンが――あまりに不憫に思えた。殺すだけの存在理由。
「ワタシは存在理由に則り悪魔を殺し続けた。そしてある時……ワタシは魔王と戦う事になった。ワタシはなんとか勝つことができたが、その際に魔王はワタシの体を乗っ取ろうとした。元々悪魔から生まれたワタシは魔王の血と実によく馴染んでしまった。そしてワタシの中の血液は半分魔王の血によって浸食されてしまったのだ」
 だから魔王の血は、同時にアノンの血でもあるのだ。そして魔王の血を体内に宿しているということは……。
「ちょっと待て、でもそれがどうして僕の体に……」
「ワタシの中で魔王の意思が生きていたのだ。奴は機会を狙ってワタシの中から出ていった。そして宿主を次々と変えて……今は君にその血が受け継がれた。君の先祖の誰かが悪魔と契約したのか、または隔世遺伝なのか詳しい理由はワタシには分からないが、とにかく……君の不幸はワタシの責任なのだ。ワタシはその血を完全に滅ぼさなければならない」
 歩く速さを変えず、淡々と語るアノンはしかし、どことなく心苦しそうな、後ろめたそうな、そんな顔をしていた。
 久遠は運動部員らしき団体がかけ声をあげてやってくるのをなんとなしに見て、すれ違って行くのを見送った。
 そのタイミングを計ったようにアノンは小声で言った。
「悪魔の血を宿すということは不幸をその身に宿すということ。この体を借りさせて貰っているワタシには分かるんだ。お前の両親の事や、宿主の父と姉のこと……」
 その声には贖罪の気持ちが込められていた。久遠はアノンの横顔を見てそう思った。
「……お前の血が僕に流れているなんてな。それじゃああの時……ビルの中でお前は苦しみだして、僕までお前と同じようにおかしくなったのも、つまりはそういう事なんだな……僕とお前は血で繋がっているから」
 久遠はあえて明るい声を意識して言った。でもその声は、とても痛々しいものだなと、言った後にそう思った。
 アノンはただ黙って頷いた。
「……でも、それならあの時どうしてお前は苦しみだしたんだ」
「もしかして……ワタシは上遠野坂の体に長くいすぎてしまったのかもしれない」
 力なく答えるアノンに、久遠は何も言えなかった。眞由那の体は心配だったけれど、何より眞由那の事を考えてきたけれど……久遠は何も言わなかった。
「あの悪魔――グラットンはどうやら魔王の秘密について知っているようなのだ。だからワタシは奴を捕らえて聞き出す。そして今度こそ殺す。ワタシは魔王を消滅させる為に存在しているのだ」
 久遠はアノンの行動原理を知った。アノンは魔王を滅ぼす為にずっと戦ってきたのだ。
「君はどうする……久遠九縁。どのみちこのままだと奴はこの街を飲み込んで大きくなっていくだろう。そのうち手に負えなくなる」
 久遠はその問いかけに――不思議と迷うことはなかった。
「僕はいく。僕は眞由那を守らなければいけない。悪魔を倒すことで何か進展があるのなら、そして奴の目的が僕だっていうなら」
 それははっきりとした自分の主張だった。それだけは揺るぎない自分の意思。
「……そう。君は本当に宿主のことを大事に思っているのだな」
 眞由那が何を思い、アノンと契約したのか。それは久遠には分からない。もしかしてアノンにも分からないかもしれないし……もしや眞由那本人だって分からないのかもしれない。
 でも久遠にはこれだけは声を大きくして言えた。眞由那を傷つけさせはしない。久遠はそう美優と約束したのだから。
 その時、久遠の隣を歩くアノンの顔が、夕暮れにさしかかった日の光を浴びた顔が、久遠に笑いかけるようにして――。
「……ありがとう、九縁」
 その顔は、久遠にとって大切な上遠野坂眞由那の顔で――久遠の好きだった上遠野坂美優のものだった。


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