アンノウン神話体系

第5章 決戦前小景

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

※※※

 
 桐見東亞は久遠達と別れた後、川縁に腰を下ろして休んでいた。
「くそっ。あんな……あんな異端の神などに頼ばねばならないなんて……」
 彼女はいま、言葉で言い表せないほどの悔しさを感じていた。
 異端の神を葬ることもできず、悪魔を討伐することもできず、更に大切な上司を失う結果になって、あげくには敵対していた異端の神に助けを請うた事――自分に嫌気がさしていた。
 夕焼け空色に染まる川に石を投げ入れて、波打つ様子を茫然と無気力に眺めていた。
 そうしているうちに、揺れる川面に人の姿が映るのが目に入った。
 桐見はすかさず側に置いてあった剣に手を掛けて振り返った。
「驚かないで、桐見東亞。あたしよ…四宮烏子」
 やって来たのは確か久遠九縁のクラスメイトである桐見東亞。彼女は先日例のビルに久遠と共に来ていたから印象に残っていた。というか侵入した烏子を気絶させたのは自分だったという事に気が付いた。
「き、貴様はなぜここに……」
 およそ自分とはほとんど接点のない少女の登場に桐見は驚いて、剣を構えることさえできなかった。
 四宮烏子と桐見東亞――。クラスメイトであり、少なからず今回の事件の渦中に身を置く2人。そして、これ以上の関わりを諦めた2人。
 その四宮烏子が質問に答えることのないまま、凍亞の横に並ぶように黙って腰掛けた。
「何をしに来た。私を笑いに来たのか」
 悪魔との戦闘によりボロボロになった状態の凍亞は自嘲気味に言う。
「…別に。あたしは風に当たりに来ただけだから」
 と、ようやく烏子は口を開いた。彼女は長く真っ直ぐな黒髪が風にたなびくのを気にもしないように、無表情に無感動に話していた。
 しばらく沈黙が続いて、その間烏子はただずっと視線を遠くに向けているだけだった。
 凍亞はこの沈黙の気まずさに耐えられなくなって、渋々と口を開いた。
「――一昨日あのビルの中で私はお前を気絶させた。力ない者が干渉しても命を落とすだけだ、足を引っ張るだけだと言って……だが、皮肉だな。それはまさに今の私自身だったよ」
 桐見は自分を蔑むような目をして自暴自棄に一気に話した。
「………」
 けど烏子はただ黙って、日本人形のような顔を川岸の向こう川に向け続けている。
 聞いているのかいないのか分からないその態度に、凍亞は自然と口が軽くなっていた。
「――私の力では太刀打ちできない。私は組織の中では未熟者の半端物でしかないのだ……今回それを痛感させられた。私は――何もできないのだっ」
 強い口調で凍亞が言うと、ここでようやく烏子が凍亞に顔を向けて、
「だったらあなたは行くべき…あなたにはまだやれる事があるから」
 そう言った。
「や……やるって何をだ。私は無力なんだ! 私のせいで先輩は――」
「それでもあたしとは違って、あなたには戦う力がある…。あたしの見た未来では、悲劇の時にあなたの姿はなかった。あなたが行くことで未来が変えられるかもしれない」
 未来という言葉に、凍亞は思い出した事があった。この町に来る前、事前に調べたデータにあった。桐見東亞は普通の人間に見えないモノが見える特別な人間だった。
「だ、だが私に何ができるというのだ……私が行ったところでっ」
「あたしには様々なものを知覚する能力がある…あたしはこの力があるせいで昔から友達もできなくて周りと上手く馴染むことができなかった。でも…この力を持った事には意味があると思ってる。責任があると思ってる。だからあたしは…自分にできる事は精一杯したい。あなたはどうなの…?」
 烏子の瞳は、ほとんど感情が読めないものだったけど、有無を言わせない迫力があった。桐見は思った。それが強さなのだと。
「……私は、私にできることは……」
 桐見東亞にできること。彼女は孤児だった。ずっと1人だった。そこを彼に拾われたのだ。彼は言ってくれた。お前には戦いの才能がある。オレの一番の部下にしてやると。
「あたしは戦いに参加することはできない。これ以上あたしが立ち入る事は許されてない。でもあなたはまだ諦める時じゃない…まだ全ては終わってない」
 行きたくて行けない人間がいる。行ける資格を持つ者と持たざる者。
「わ、私は……どうすればいい?」
「あなたの心はもう決まってるはず…どうするかなんてわざわざ言わないで」
 桐見東亞の割り振られた役割。桐見凍亞はただ純粋に強くあろうとした。この世の異端を排除しようと立ち向かっていった。全ては彼の役に立てるように。
「私は……私は――」
 そして桐見凍亞は立ち上がった。
 烏子は立ち上がらないで、座ったまま再び川岸の向こうを眺めていた。
 その姿を見て凍亞は不思議に思った。凍亞がこの町に派遣される前に渡されていたデータによると、四宮烏子はこんな人物ではなかったはずだ。
 消極的で他人と関わろうとしない、知覚能力者。
 資料が確かなものだとしたら彼女を変えたのは何なのか、そして彼女はその変化によって桐見東亞をも変えようとしているのだろうか。まるでそれは水面に広がる波紋のように。
「未来は自分で切り開くもの…できる事は小さな事かもしれないけど、きっとその蓄積が奇跡を起こすものだと思うから…」
 凍亞は前を向いたままそう言った。
「……」
 そして桐見東亞はゆっくりと歩き出して、けれど、ふと立ち止まって烏子を見た。
 烏子に一石を投じたものが何なのか分からなかったが、もうそんな事どうでもよかった――。
「……もしあなたさえよかったら……私達、友人にならないか?」
 凍亞は川縁に座る烏子の背中に向けて言った。
「えっ…?」
 その言葉に驚いたのか、烏子は振り返って、きょとんと目をパチクリさせている。
 凍亞は無性に恥ずかしくなって、でも勇気を振り絞り、うわずった声で、
「だって私達はクラスメイトだろ」
 そう言って凍亞は、夕日が沈み始めた堤防を駆けていった。
 だって――これからそれを知っていけばいいだけなのだから。


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