コミケ探偵事件録

第2章 夏コミ1日目

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 そしてとうとうこの日がやってきた。コミックマーケット・夏。通称、夏コミ。
「ふぁ〜……眠いよ、鷹弥」
「ほら、しっかり歩けって。早く行かないと午後になっても会場に入れないぞ」
 日が昇って間もない早朝。見慣れた地元の町並みは、やけに白くぼやけていた。白の世界の中、僕と伊乃は駅までの道を歩く。僕達の他に歩いている人間といえば犬の散歩をしてるお爺さんだけ。
「でも私、朝は弱いんだよ〜。鷹弥、おんぶしてよ〜」
 やたらと大きなカバンを持った伊乃が僕の方に寄りかかってくる。
「くっつくなっての! てか、そのカバン何が入ってるんだよ……荷物必要か? ほら、始発に間に合わなくなっても知らないぞ」
 僕はとろとろ歩く伊乃を引っ張って歩く。
 それにしても町が静かすぎるなと思っていたら、いつもあれだけうるさいセミの鳴き声が聞こえてこない事に気付いた。セミすらもまだ眠っている時間帯……僕達はいったい何を頑張っているんだろう……。
 虚しさを感じながらも、僕達は国際展示場行きの電車が通る駅まで辿り着いた。
「……て、鷹弥。もしかしてこれみんなコミケに行く人なの……?」
 ホームの光景を見て、伊乃はすっかり目を覚ましたようだ。
「そうみたいだな……向こうに着いたらもっと人は多いぞ」
 駅のホームには既に大勢の人間でひしめき合っていた。恐らくみんな目的地は同じだろう。さっきまでの閑散とした町並みを思い出した僕は、果たしてここが同じ町なのか疑いたくなった。
 駅構内の放送では、車内の混雑についての忠告がなされている。もうすぐ始発がやってくる。
「どうする、伊乃? この電車逃して次のに乗るか?」
「……ううん。どうせ次も一杯だよ。これに乗ろ。なんかその方がワクワクするじゃない」
 ……伊乃の考えてることはよく分からない。
 やがて電車がやってきて、その車内を見て、僕と伊乃は口をあんぐりと開けた。既に満員状態。
 やっぱりもうちょっと後に行こうかと伊乃に言おうとしたけれど、時既に遅し。電車の扉が開いて僕と伊乃は波に飲み込まれるように、文字通り人の波によって車内へと押し込まれた。
 そっから先は地獄だった。よく覚えていない。
 乗車率400%は優に超える電車がようやく国際展示場駅に到着して、僕が伊乃の無事を確かめようとした瞬間、今度は我先にと人の波が車外に出て行く。
 押し倒されそうになりながらも、人でごった返すホームでキョロキョロ周りを見渡していると――、
「ひ、ひぃ〜〜……鷹弥〜〜っ」
 満身創痍状態の伊乃が、よろよろとおぼつかない足取りで僕を呼んでいた。
「大丈夫か、伊乃。ちょっと休むか?」
「ううん……大丈夫。それよりいこ、鷹弥」
 健気な伊乃。だから僕は伊乃を見捨てられない。
 人の波にもまれながら、僕と伊乃はお互い離ればなれにならないように手を繋いで、やっとの思いで改札を出た。
 昨日は駅構内に貼られたポスターを眺める余裕があったのに……昨日とは大違いだ。
 駅から出た瞬間、コミケスタッフがところどころにいて叫んでいた。
「西へ行く方はこのまままっすぐ! 東に行く方はあっちへ進んで下さいーっ!」
 もの凄い熱気だった。早朝だから涼しいはずなのに、蒸し蒸し暑苦しい。そしてこの騒動で目覚めたのか、コミケスタッフに負けじとセミまで叫び声をあげていた。
 コミケスタッフとセミの共演。だ、駄目だ……今、心が折れそうになった。
「そ、それで……どこに行く伊乃?」
 僕はこのまま背を向けて帰りそうになるのを堪えて、伊乃に話しかけた。
「うーん、とりあえずみんなについていこ」
 というわけで僕達は人波についていき、そして列に並ばされた。
 しばらくはこの場所で待機だそうだから、僕と伊乃は荷物を置いて近くのコンビニに行った。多分1年の売り上げのほとんどが夏と冬のコミケでまかなわれてるんだろうなぁって位の盛況ぶりだった。オニギリの陳列とかやばい事になってたもん。
 そして大渋滞の会計を済ませやっとこさコンビニを出て、たまたまベンチが空いていたのでそこで軽く朝食を食べていると――カートを持った人達が大勢ビッグサイトの方へ向かって行く姿が目に入った。
「鷹弥、あれは……?」
「ああ、おそらくあれがサークル参加の人達だ。いいなぁ、並ぶことのない入場。心底うらやましいよ」
 サークルチケットがネットオークションで高値のつく理由が分かったよ。
 それから僕達は捜査のためその辺を散策したりして時間を潰すと、そろそろ列が動く時間になって、警察が荷物検査なんかをしたりして、そして僕達はスタッフの誘導のもと大移動を開始した。
 その横で警察官が優雅に会場へ向かっている姿が目に入った。服部さん……こんな事なら僕達も捜査関係者として呼んで欲しかったです。ああ……でもそんなの無理だよね。
 次に大行列は東・西・企業に行く列へと分けられる事になって、とりあえずまずは上から調べようというわけで僕達は、企業ブースの列へと行くことにした。
 階段を昇って企業ブース入り口前の、ビッグサイト建物の屋上へ出た。
 ……選択ミスった。ここ、直射日光がやばすぎるんだけど……。
 ガンガンに照りつける太陽の下、脱水症状になるんじゃないかと思いながらサウナ状態で待機する僕達。眠気と暑さと喉の渇きで何度か意識を失いそうになりながらも――ようやく10時を迎えることができた。
 放送が流れる音が聞こえたのと同時に、周りにいる参加者達がみんな拍手をする。
 コミックマーケットが始まった。


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