コミケ探偵事件録

第3章 夏コミ2日目

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「それで、探偵よ。会場入りしてこれからどうするのだ?」
 安藤先輩が実にいい質問を伊乃に投げかけた。コミケ2日目が始まるまで約2時間。それまでどうするか。どこを調査するかだが……。
 伊乃が言葉を発するより前に、仁江川先輩が口を開いた。
「ああ……それならまずはホームに案内しとくわ」
「ホーム?」
 僕は首を捻る。
「ふふ。実はね、あるサークルがコミケに出れなくなっちゃってね、そこで私が代役で出ることにしたの。ちなみに販売物はウチら漫研部が製作した同人誌」
「フン、ちゃっかりしてるぜ」
 安藤先輩が嫌みたらしく言った。
「なに言ってるのよ。これは探偵部にとって大いにありがたいんじゃないの? だって拠点があった方が動きやすし、なにより殺人予告によると襲われるのはサークル参加者でしょ? だったらサークルとして出るのも1つの手じゃない。おとり捜査よ」
 廊下を渡って東館の方へ進みながら熱く語る仁江川先輩。
「……確かに一理ありますね」
 僕はすっかり仁江川先輩の熱弁に打たれ、ほいほいと後をついていった。
 サークル入場者しかいないという事もあり、周りを歩いている人達の数は昨日よりはだいぶ少なかったけど……それでも大勢いる。
 こんな数の人間がサークル参加として来ているんだと思いながら辿り着いたのは、東館のテーブルが沢山並んでいるうちの、真ん中あたりにあるごく目立たない場所。
「ここがアタシ達のホームよ」
 と言って、仁江川先輩は机の上に置かれた多数のチラシやらをどけて、持っていたカートの中を開けて、本やらポップやらを取りだし机の上に並べ始めた。
「あ、あの先輩……?」
「本はどれも1冊500円だから。ちなみにおつりに注意してね。あ、お金はここに入れるから」
 仁江川先輩が勝手に話を進めていく。
「っていうか先輩。僕達は推理しに来たんであって同人誌売りに来たんじゃないですから……」
 僕は仁江川先輩の話を強引に止めて説明した。
「分かってるわよ。でもずっと行ってるわけじゃないでしょ? アタシがお手洗いに行ってる時とか、ちょっとの間店番任せるかもしれないから念のため説明してるのっ」
 仁江川先輩はイライラしながらせっせと準備を続けている。
 安藤先輩はその様子をみて、「フン、くだらん」とか言ってたけど、また喧嘩になったら嫌なので僕は無理矢理話をふる。
「えーと、それで安藤先輩とヤス子さんはどうするんですか?」
「オレ様達か? ふふ……そうだな。探偵の活躍を楽しませて貰おう……とでも言っておこうかな」
 安藤先輩が不敵に笑い、
「私も安藤くんと一緒にいる」
 ヤス子さんは淡々と言った。
 ……とでも言っておこうかな、って。いや全然分からないし、それに僕達の活躍って、昨日はほとんど何もできなかったんだけど……と、説明しようかと思った時。
 遠くからドスンドスンと、聞き覚えのある奇妙な音が近づいてきた。
「や、やぁ伊乃たん……って、あらら……今日は友達いっぱいいるっすね。みんな……か、可愛いっすねぇ」
 ベテランコミケスタッフ、太田太さんだ。汗ばんだ顔をにやつかせている。
「……ぅゎぁ」
「……ぅぅ」
「……ばけもんだ」
 仁江川先輩とヤス子さんと安藤先輩は、突如現れたUMAに思いっきり引いていた。ていうか太田さん、男の子もOKな人なのっ? レベル高けえ!
「あ、太さん。おはよう。今日はサークルで参加するの。安藤先輩に、ヤス子さんに、仁江か――」
 伊乃が元気に太田さんに挨拶。そして紹介――しようとして、仁江川先輩が伊乃の言葉を遮った。
「おはようございます。私がサークル代表の者です。今日はよろしくお願いしますっ」
 え、営業スマイルだっ。仁江川先輩は突如キャラを変えて、太田さんと話し始めた。
 販売する同人誌のことを話して、そして何冊かの本を太田さんに手渡したり、荷物の中を見せたりしている。
「――えっ!? それは本当ですかっ!?」
「ふひひ……実はそうなんっすよぉ〜っ。す、凄いでしょ。尊敬するでしょ」
 ていうか2人して盛り上がってるけど、何を話しているんだ。
「……そ、それじゃ見本誌は確かに受け取ったから、楽しんでくれっす。あ、あと殺人予告が来た件はもう知ってるっすね? くれぐれも注意するっすよ〜」
 一通り終わると、「ボクは忙しいからもう行くっす」と、太田さんは本当に忙しいらしく、さっさとどっかに行ってしまった。太田さんが仕事してるのを初めて見た。
 太田さんが去って行った後、仁江川先輩はやたら興奮していた。
「どうしたんです、先輩?」
「太田さんよ! あの人はね、かつて超人気同人作家として有名だった『ファットマン』大先生なのよ! 知らないのっ!? いやぁ〜アタシも初めて見たけど、ホントにファットだなぁ〜」
 ……いや、知らないよ。
 その後、コミケが始まるまでまだ余裕があったので、僕と伊乃は会場内を散策しようと思ったけれど……どこもシャッターが閉じられていて東館から出ることができなかった。
 仕方ないので東館の中だけを散策し、サークル参加する人達が販売物を机の上に並べているのを見たり、既に大手サークルに行列ができてるのを眺めたりしていて――やることがなくなった僕達は自分達のサークルに戻った。
「開始までもうすぐですね……忙しそうですね、仁江川先輩」
 僕はあたふたと小銭の枚数を確認している仁江川先輩に語りかけた。
「ええ。だってこの2人、全然なにもしてくれないんだもん」
 仁江川先輩は目を細めて安藤先輩とヤス子さんの方を睨んだ。
 その安藤先輩とヤス子さんは、お隣のサークルの人達と楽しそうに会話している。
「ええ〜っ? 安藤さんとヤス子さんって、付き合ってないんですかぁ〜っ?」
「それじゃ私……安藤さんの彼女に立候補しちゃおっかなぁ〜。きゃ〜」
「……フン、オレ様はそんな退屈なものに興味はない!」
「その前に、万一そんな事になったら私が安藤くんを殺す」
 ……楽しそうかどうかは分からないが、会話は弾んでいた。なんか無性に腹立たしい。
 すると。向こうからスーツを着た、見覚えのある人物がこちらにやってくるのが見えた。
「あっ、兄さんっ」
 伊乃が手を振る。
「い、伊乃〜〜〜〜〜〜っ」
 伊乃のいとこの兄、服部宗二さんが表情を緩ませてぶんぶん手を振っている。つか子供じゃないんだから……。
「…………」
 案の定、僕ら以外の3人は再び唖然としている。
 ひとまず他のメンバーはおいといて、サークルスペースにきた服部さんに僕はさっそく尋ねた。
「服部さん、どうしてここに? いま仕事は大丈夫なんですか?」
 シスコンモードになってる服部さんをこのままにしておくと先輩達が戸惑ってしまうだろうと気を利かせた僕の、服部さんを現実世界に帰還させる作戦。
「ん……。ああ……お前か……ていうか昨日も伝えたと思うが、もうこの仕事から手を引いてもいいんだぞ。ていうかお前だけ帰れ。伊乃を俺に渡して帰れ」
 僕に気付くと、服部さんは一気に不機嫌な顔になった。僕の存在って魔法のようだね。
「そりゃ悪かったですね。僕は好きで勝手に調べてるだけなんで放っておいて下さいよ。てか、服部さんこそこんなとこで油売ってていいんですか? 仕事忙しいんじゃないんですか?」
 昨日は結局一度も会う事はなかったし。
「昨日は少し張り切りすぎたかもしれん。小さな事件1つ1つに全力で対処してたら体がいくつあっても足りんからな。力を抜ける時は抜くことにしたんだ。だから今は休憩中で、その時ちょうど太田さんから聞いたんだ。伊乃がサークル参加してるってな」
 嫌なタイミングで休憩に入ったものだ。にしても貴重な休み時間を伊乃と会うことに費やす……うん。服部さんならそれで完全回復するだろう。
「ところで君達は伊乃の友達かい? 俺は伊乃のいとこの兄、服部宗二。刑事だ。伊乃と仲良くしてやってくれよ」
 なんか頼れるお兄さんみたいな爽やかな大人の笑顔を見せる服部さん。マジで僕の時とは態度違いすぎる。
「は、はい……」
 そして仁江川先輩ちょっと落とされそうになってるし!
「……」
 そしてヤス子さんまでもが尊敬の眼差しみたいな、とろんとした目を服部さんに向けているうっ!?
 や、やばい! 宇宙の法則が乱れるッ!
「……フンっ。なんだァこの女たらしは?」
 お……おお? 我らがアウトロー、安藤虎兎先輩の毒舌攻撃。年上にも媚びないその精神!
「なんだ? このかわいげのないガキは?」
「ガキみたいな大人に言われたくないねェ」
「…………」
 あ、なんかバトルが勃発しそうな雰囲気! まずい、2人を止めないと! こ、こういう時こそ伊乃の出番……っ。
「わぁ、2人共仲いいねぇ〜」
 探偵なのに洞察力が全然欠けてますよッ!? ぜんっぜん仲よくね―よ!? 100人中105人くらい分かる問題だよっ!?
「あっあぁ〜? オレ様が? この男とォ? テメェの目は節穴ですか? 探偵ええ〜」
 僕もまったく同じ事思いましたよォ、安藤先輩。でも言っちゃ駄目でしょ、その言葉は……少なくとも彼の前では。
「はああああああ〜〜〜!? おッ、お前っ、よくも俺の可愛い伊乃にそんな事言ったなぁ〜。うっ、撃ち殺してやろうかぁぁぁあああぁ?」
 ほら、見ろ。やっぱりこうなった。このまま放っておいたら僕達が警察の厄介になるぞ。
「撃ち殺すだと? なんだ貴様……オレ様を――」
「お前が俺の伊乃をッ――」
「はいっ、ストップストップーーーーーっっっ!!! ほら、もうすぐコミケ始まっちゃいますよ! 2人共落ち着きましょう」
 ここで問題を起こすのは避けたいところ。僕は強引に2人の間に割って入った。
「ほらほら、服部さんっ。行かなくていいんですか? コミケ始まったら忙しくなるんじゃないですか?」
 僕が服部さんを帰らすように促すと、服部さんは腕時計を見て、
「……ああ、そうだな。そろそろ戻らないとな。ちっ……お前が事件に巻き込まれても助けてやらねえからな」
 渋々とこの場から離れていった。
「ふぅ、やれやれ……やっと落ち着いたよ」
 僕は思わず安堵の溜息を漏らして机の上を見た。
「って――あれ?」
 その時。僕は奇妙なものを発見した。
「どうしたの、鷹弥?」
 伊乃が声をかける。
 服部さんにみとれていた仁江川先輩とヤス子さん、そしてまだ怒りが収まらない安藤先輩も僕に注目する。
 僕は――、
「仁江川先輩……これ、なんか一冊違う本が混じってるんですけど?」
 机の上に積まれた5種類の同人誌の中、5つの山の中に一冊だけ異質なものが混じっているのを見つけた。
「え、どれ……あ、ホントだ。おかしいわね。さっき並べてた時は確かになかったのに……」
 仁江川先輩が、積まれた同人誌の中ほどに混ざっていた本を取りだし手に持った。
 ――やっぱり全然関係ない本だった。ここのサークルが販売する5種の本とは、絵柄も装飾も全く違う。
 同人誌のタイトルは『挑戦状』。表紙はシンプルなもので、デカデカと少女の全身のアップの絵。悪いけどそれほど上手いとは思えない絵だった。
「挑戦状……? こんな本も、絵も見たことないわ……ウチの部員の絵じゃないことは確かだけど……アンタ達は何か知ってる?」
 仁江川先輩が僕達に視線を送った。
「いえ、僕達がそんなの知るわけないですけど……なぁ、伊乃」
「うん。私達は事件解決のために来ただけだし……創作部の人達は?」
 確かに。僕達じゃないとしたら他に2人しかいないし、同人誌とかの話だったらなおさらだ。しかし。
「……オレ様はこんなへたくそな同人誌知らねーぞ? ヤス子はどうだ?」
「私の絵の方がもっと上手いよ……とにかく中身を確認しない?」
「それもそうね……」
 というわけで、仁江川先輩が表紙をめくった。中身は漫画だった。
 だけど……僕達はすぐに驚愕することになった。その本の内容に――。

 導入部分。
 それは女子高生探偵の少女とその助手の少年が、次の夏コミでサークル参加者を殺人するとの予告があったので調査することになった。それで2人はサークルチケットを手に入れるため漫研部に行ったり、創作部なる部活へ行く――というもの。

 そう。そうなのだ。漫画の内容は――僕と伊乃の物語だった。

「こっ――これはっ……」
 僕は背筋に寒気を感じた。
 その瞬間――。開催を告げる放送と、参加者達の拍手が鳴り響き、コミックマーケット2日目が始まった。
 とっさに同人誌から顔をあげた僕達は、みな蒼白した顔でお互いを見つめ合って、しばらく誰も何も言えなかった。
 けれど……何も言わなくても、みんな考えていることは同じだった。
 もう僕らの耳には周囲の喧噪は届いてこない。僕達は彼らとはさらに違う、別の世界にいた。
 仁江川先輩は、ゆっくりとページをめくった。


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