コミケ探偵事件録

第3章 夏コミ2日目

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6

 
「それってホント、鷹弥?」
 外は真っ暗の電車に揺られる伊乃は、目を丸くして僕に尋ねた。
「分からない。だからこれから直接ビッグサイトまで行くんだ。でも……伊乃は僕のたわごとを信じて、わざわざついてこなくていいんだぞ。まぁ今更のことだけど……」
 この時間帯になると、さすがにもう電車の中にコミケの名残はみじんも感じられない。
 電車は暗闇を裂き、鈍い音を立てて国際展示場へ向かう。
「ううん。私は信じるよ、鷹弥のこと。だって探偵は助手の意見をちゃんと聞くもんだからね」
「……はは。それ、僕が知ってる探偵小説とは違うやつだな」
「私の知ってるお話は、そういうのだよ」
「そうかい」
 僕達を乗せた電車は寂しく進み、やがて国際展示場に到着する。
 駅の中も静かで寂しかった。数時間前のことがまるで嘘のよう。数時間後に起こるであろう光景がまるで信じられない。
 駅を出ると、服部さんが待ちわびたように僕達に話しかけた。
「よう。まるで信じられない話だが今はお前を信じよう。既に警官達には伝えてある。あとは犯人を見つけるだけだが……本当にいると思うのか?」
 服部さんは不安そうだった。今日一日服部さんは僕達に振り回されて、警官達100人を振り回している。それが全部空振りで、しかも高校生の言葉を真に受けた行動だと知られたら……反省書どころじゃすまないだろう。
「……すいません。正直言って自信はないです。でも、僕は僕の推理を信じてます。だからここに来ました」
 僕はせめてもの誠意で服部さんに精一杯答える。
「……それは、伊乃も同じ気持ちで御堂についてきたのか?」
 服部さんは伊乃の顔を見ないようにして、訊いた。
「うん。私も鷹弥の推理を信じて来た」
「ふ……だったらそれだけで十分だ。確かにここは夜も賑わっているから、犯人だっているかもしれないな」
 そうして服部さんは僕達を案内するように、先に立って歩き出した。
「そう、賑わってますよね――徹夜の人達で」
 僕は後を追いながら、そして大階段の下で闇にとける集団を指さした。
「す、すごい……あれが徹夜の人達なんだね」
 伊乃はまるで、サバンナのハイエナ集団を見るような顔で彼らに注目していた。
「そう。徹夜は禁止されてるから伊乃には言ってなかったけど……実は徹夜自体は秘密裏に行われてんるだよ。ああいう塊がビッグサイト周辺に何ヶ所かあるんだ」
 そこまでする程の欲望と、コミケに対する愛。その愛はもはや歪んでさえいると僕は思う。彼らはまさにハイエナだ。
「小説によれば人の集まる場所で犯行が行われる。だったらこの時間帯で人が集まるとこなんて、徹夜してる人間のいる場所だけだ。なら――犯行現場はかなり絞れる」
 僕は視線を戻して、前方にそびえるビッグサイトの建物を見た。暗闇に溶けるその姿はある種、幻想的ですらあった。
 やぐら橋の大階段の手前まで来て、服部さんは足を止めて言った。
「でもお前、よく気付いたな。盲点だった……小説の文章が続いていたから、てっきり昼の12時に犯行が行われるものだと思っていたが……」
 服部さんの言葉を受けて、僕は見上げていた顔を彼らに向けた。
「そうです。今夜12時に、被害者は刃物によって切断される」
 それが僕の考えついた答え。殺人事件の真相。
「僕も服部さんと同じですよ……まさに盲点でした。文章の流れからてっきりコミケ開催中の昼12時と思っていましたが、文章自体にはそんな事書いてないんです。伊乃もその事には気付いてたみたいですけど、まさか夜の12時に大勢人がいるとは思ってなかったみたいで……」  だから伊乃は、こんな夜遅くにビッグサイトに戻ろうとはしなかった。考えに絶対の根拠がない限り、戻ろうなんて思えないだろう。
「ううん。それでもこれは鷹弥のお手柄だよ。それは私の先入観と情報収集不足の結果だもん」
 伊乃は自分が答えに辿り着けなかった事よりも、僕が答えに行き着いた事を喜んでいるようだった。
 すると、服部さんに電話がかかってきた。「ちょっと失礼」と僕達から距離をとって、数分話して……暗い顔をして戻って来た。
「駄目だ。警官にコスプレしてる人間もいないし、武器でもなんでもを持ってる人間を探させているが……そんな奴、見つからない」
 服部さんの顔は青ざめていて、黒いスーツを着用している事も相まり、まるで彼が夜の闇同化しているようだった。
 ……まさか。僕の推理は間違っていたのか。いや……そんなはずは。
「……で、でもこのビッグサイトの敷地は広大ですしっ……どこかに……」
 僕の声は震えている。自信が揺らぎ始めている。
 服部さんは、駄目押しとばかりに、暗い声で言った。
「大体、こんな時間にそんな変な格好してる奴がいたらすぐに分かるもんだ……」
 僕は何も言えなくなった。
 その時、風が吹く。この場所が海に接しているからだろうか、夏の夜の風は冷たく、寒気すら感じるほどだった。昼の時を思えば信じられない……ここは昼とは全く違う顔を持つ場所だ。
 どうする……僕は……どうすればいい。
 僕は伊乃をみた。伊乃は――。
「うふふっ」
 微笑んでいた。いつもの、僕の知っている伊乃の顔をしていた。僕を信じる伊乃の顔。
 時間は11時32分――。
「……僕もっ、僕も探しますっ! いっ、伊乃は危ないから安全なとこにいてっ!」
 いても立っていられなくなった僕は、飛び出していた。
「あっ、おい! 待て! 一般人が無茶するなっ!」
 背後から服部さんの怒鳴り声が突き刺さるが、僕の足は止まらなかった。
 これは僕の責任だ。僕の使命だ。
 僕はビッグサイト周辺を駆け回った。
 徹夜している人の集まる場所を服部さんに聞きながら、あるいはその辺を周回する警官に聞きながら、または買い出し途中の徹夜らしき人に聞きながら。
 途中で警官に止められ職務質問されることが何度もあった。その度に僕は自分が探偵助手であることをおくびもなく、むしろ誇りを持って説明して――そしてまた走り出す。
 それでも――見つからなかった。
 いや。僕に見つけられるくらいだったら、警官がとっくに見つけるだろうって事くらい分かってる。それくらい甘くない事くらい知っている。
 それでも僕は止まらない。止められないんだ。だから僕は走った。
 しかし時は無情に過ぎていき、11時55分――。
 ビッグサイトを走り尽くした僕は、肩で息をしながら足を引きずるように歩いていた。
 もう体力の限界だった。僕は駄目だった。犯人を見つけることはできなかった。
 やっぱり僕には探偵の真似事はふさわしくない――一気に疲れが出た。もう諦めよう。
 僕は肩を落としてその場に座り込もうとして――しかし。
 奇妙なものを見た。
 それは死角だった。やぐら橋のちょうど下。そこには多いとまではいかなくても結構な人が集まっていて――あれ? 人だ。人が倒れている姿がある。
 しかし。でも、僕は――それよりも、もっと大きな違和感をその光景に見ていた。
 それは、僕が初めてビッグサイトに訪れた時にも目にしたオブジェ。それは。
「……ノコギリだ」
 何の為に作られたのだろうか、大きな大きなノコギリのような置物。鋭利じゃない刃が地面に突き刺さる感じでノコギリは設置されており――倒れている人間のすぐ横にそれはあった。
 そして――倒れている人間は、ベテランコミケスタッフで、かつて超人気同人作家だった、太田太さんだった。
「……ッッッッ!!!!」
 僕は何も考えず、とっさに走りだした。
 肺が痛い。足が痛い。息が苦しい。でも全速力で走り、そして太田さんのところまでいった。
「お、太田さんっ! 太田さんっ! みっ、みんなノコギリから離れてっ」
 僕は太田さんの体を揺さぶるが、太田さんは目を開けない。周囲の人達はここから離れようとせず、不可解な顔をして僕を見ていた。
 だ、駄目だ……12時まで残りわずかだ。もしかしてこれが殺人予告状にあった……。
 僕の脳裏に最悪の結末がよぎる。――その時。
「ふあああああ〜〜〜〜〜……よく寝たぁ〜」
 太田さんが、のんびりした声をあげて目を覚ました。


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