コミケ探偵事件録

第4章 夏コミ3日目

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 ちょうど9時になった。コミケ最終日が始まるまであと1時間。
 周りには結構なサークル参加者達が集まってきて、準備を始めている。
 僕達の隣のサークルは参加することができなくなったのか、机にチラシが置かれた最初の状態のまま放置されていた。
 僕達のサークルスペースは昨日の時と同様に、ここだけ祭りから切り取られた異質な空間になっていた。
 伊乃が椅子に座って謎の同人誌を読んでいる中、僕達は互いを牽制するように沈黙していた。
 その重い空気を切り裂いたのは、僕達の元に駆けつけてきた服部さんだった。
「そ、それで……問題の本はどれだっ」
 服部さんは開口一番同人誌を求めた。慌てているのがいやでも伝わる。
「ずいぶん遅かったね、兄さん。どうしたの?」
 いとこの兄とは対照的に、伊乃はのんびりした動作で読んでいた同人誌を服部さんに手渡した。
「い、いや……また例の同人誌がきたって言ったら上層部に叱られてな……子供の遊びに付き合ってる暇はないって」
 ページをペラペラめくりながら服部さんは答える。意識はもう同人誌にいってしまってるようだ。
「……それで、伊乃は何か考えてる事はあるのか?」
 服部さんが同人誌を読んでいる間、僕は伊乃の見解を聞いておこうと思った。
「う〜ん。そうだね……私としてはまだコメントは控えときたいとこだなぁ。まだ確信も持ててないし」
 なんかえらく勿体ぶった言い方だった。
「なんだよ。その言い方だと大体分かってるみたいじゃないか。まさか伊乃、推理小説に出てくる名探偵みたいに、解決編になるまで肝心な事は伏せとくつもりじゃないだろうな?」
 いかにも名探偵にありがちな、答えを知っているのに勿体ぶって読者をやきもきさせるような、そんな小説僕は嫌いだ。
 知ってる事は教えろよ、と。名探偵が黙っている間にも被害者は増えていくんだぞ、と。
 しかし、伊乃の意見は僕と違った。
「違うよ、鷹弥は勘違いしてるよ。名探偵が解決編になるまで情報を伏せているのはね……実は何も分かってないからなんだよっ」
「え?」
 こいつはいきなり何を言ってるんだ?
「名探偵というのはね、事件を解決するために必要なモノが全て手に入った瞬間に謎を解決する存在なんだよ。それまではどんなに手がかりがあっても、残り1つがない限り何も分からない。0か1のどっちかなの」
「そ、そんな話……それは……」
 お話の中の探偵だ。そんなの現実じゃない。
「だから事件は起こってしまうの。だから被害者は増えていくの。だって物語を進めないと全てのナニかは手に入らないから。フラグは立てられないから」
 現実感なんてまったくない。まるでゲームだ。そんなの犯人と探偵の2人で創りあげる自作自演の物語だ。犯人が手がかりをちりばめ、それを探偵が拾っていく。そして全ての手がかりを取った時点でゲーム終了……。
 ふざけた理論だと、僕が伊乃に反論しようと口を開きかけた時。
「――くそっ! 毒ガスだと……ふざけてる! こ、こんな事できるはずが……っ!」
 ようやく同人誌を読み切ったらしい服部さんが、本を乱暴に閉じて怒りの声をあげた。
「服部さん……」
「分かってる! この本の内容をないがしろにする事はしない! だが……だが、きっと上に報告しても子供の戯れ言と一笑して終わるだけだ。もう俺はこの2日間で信用を失ってるんだ……っ!」
「……そうですよね。昨日の同人誌の中身が実現しなかった時点で、信憑性は失われていますからね……」
 仕方ないといえば仕方ない事だけど、その責任の一端は僕にあるので言葉を見失ってしまう。
 僕達の会話を聞いていた伊乃が口を開いた。
「でも兄さん。昨晩鷹弥が寝ている太さんを見つけた時。ノコギリの置物があった場所は、地面が掘ってあったんだよね? まるでノコギリをギロチンに見立てて、落花させようとするような形で」
「ああ、調べたところ大体50センチほど掘られていたそうだ。おそらくスコップ等を使って掘ったんだろう」
 まぁでも、そんなんで倒れるわけないけどな、と服部さんは付け足した。
「……ふ〜ん。じゃあ同人誌に書いてあった事はまるっきりデタラメってわけじゃないってことだね。つまり同人誌の内容を見立てるという事は実行したんだ」
 伊乃は意味深な事を言って、口をとざした。1人で納得してないで言ってほしいとこだけど……これは僕にも分かる。
「伊乃、つまりこういうことだな? 犯人は殺人事件を実行には移さなかったが、殺人事件の見立ては行った――と」
 推理小説の定番中の定番、見立て。
「そう。さすが鷹弥だね。うん……もし昨晩の騒動が犯人の見立てだったら、今ここにある同人誌の中身ももしかしたら……いや、でも」
 と、また伊乃は黙ってしまった。
 伊乃の意見を聞いた服部さんはほっと安堵の溜息を漏らして言った。
「そうだよな、こんな人だらけの会場で殺人……ましてや毒ガスなんてあり得ないよな。ははっ、なんだよ気が抜けたぜ」
 だらんと肩の力を抜いた服部さんに、これまで凶悪な顔をして黙っていた安藤先輩が憎まれ口を叩いた。
「ったく、テメェそれでも刑事かよ。まだまだ分からない事はあんだろ。この同人誌の作者に、机の上に置いた人間だよ」
「そうだね。それに万が一の事もあるかもしれない……一応調べといた方がいいと思う。少なくとも私達メンバーは。だって……」
 ヤス子さんが続くように発言して、途中で言葉を濁した。
 そうだ……だって僕達5人は、犯人の最有力候補なのだ。
「そうだな……分かった。お前達の荷物を見るくらいならすぐに済むが……」
 服部さんが僕達の顔を見回す。
「僕なら大丈夫ですよ……といっても、荷物らしい荷物なんてないですけど」
「私も持って来てないよ、兄さん。今日はコスプレもしないしね」
「オレ様とヤス子はそのカバンに同人誌を入れてきたが……見たければ見るがいい」
「私はそのカバンに入りきらない分の同人誌と、あとは暑いんで熱中症対策の飲み物とかタオルとか色々な小物をそっちのカートに……」
 と、ヤス子さん。たしか暗黒創作会は同人誌を刷りすぎたんだっけ。絶対売れ残るね。
「あ、アタシはそっちのカートです。同人誌が入ってます」
 仁江川先輩がカートを指さして、そしてみんな荷物検査に協力する意見で一致した。
「分かった。それじゃあ悪いが……荷物の中身を確認するぞ」
 と、服部さんは並べて置かれているカートやカバンの中身を入念にチェックし始めた。
 だけど――中身は今日販売する予定の同人誌ばかりで、何も怪しい物はなかった。
「じゃあ一応身体検査もしておくぞ」
 念には念をということで1人1人隅々まで調べ上げたけど、やはり凶器も何も見つからない。
 けれど僕がちょっと気になったのは、安藤先輩の身体検査をしている時に服部さんが何かに気付いて、「……ち、程々にしとけよ」と小声で言ってたけど……それって、ねぇ。
「やっぱりこの中には犯人はいないってことっすかねぇ……」
 全員を調べ終わったあと、太田さんが暑苦しい鼻息を鳴らしながら言った。
「そうっすねぇ……ってえええ、太田さんっ!? いっ、いつの間にっ!?」
 僕は驚いて思わず飛び上がった。
「ふひひ、荷物検査してる時からいたっすよ。それよりまた同人誌が見つかったらしいっすね」
「そうなんですよ。つまり僕達の中に犯人はいない……」
「じゃ、じゃあ誰なんすかね。君達じゃないとしたら……」
 太田さんが腕を組んでう〜んと唸る。
「案外アンタだったりするかもしれねーよな?」
 ……はぁ。安藤先輩はよっぽどトラブルが大好きらしい。
「むっ、むひぃ!? ぼ、ボクっすか? どうしてボクが……」
「今日机の上に置かれていた同人誌。オレ様達にはそんな機会なかった。オレ様達に置けないとしたら……だったら後は他のサークル参加者か、あるいはコミケスタッフだが……オレ様達の事に詳しく、且つ同人誌を置く機会のあった人間は……アンタしかいないんじゃねーの?」
「ふ、ふひぃいいいいい!!!!!」
 太田さんが蒸気機関車のように鼻息を吹き出した。
 そういえば……昨日読んだ『挑戦状』の同人誌にも、太田さんの出番はメインキャストのように多かった。でも1ヶ月前の僕達の描写は説明できない……。
 しかし安藤先輩は太田さんを的に絞って攻撃を続ける。
「それに探偵助手から聞いたが……アンタ、昨晩ノコギリの下で寝てたそうだな? それってかなり不自然だよなぁ」
「ち、違うっす……あれは転んで起き上がれなくなったからそのまま……」
 太田さんは顔中に汗を滲ませ、肉をプルプル震わせている。
「ま、まぁまぁ……今はそんなことで時間を浪費するのは得策じゃないと思いますよ」
 このままだとまた不毛な言い争いになるだろうと思い、僕は間に入った。そう、太田さんに昨日の同人誌が書けないと分かってる以上、彼を責めても意味はない。
「それより太田さん。この同人誌によると、どうやら犯人はコスプレイヤーを殺した後、毒ガスを発生させるみたいなんです。しかも何ヶ所かで毒ガスが発生するみたいな事が書いてあるんですよ」
「……ぬわっ、ぬわぁんだって……っ!」
 太田さんが目を丸くして顔をくちゃくちゃにさせた。
「それで訊きたいんですけど、コミケスタッフは荷物の中身は確認してるんですよね?」
 確か一日目の朝に並んでいる時や、二日目サークルスペースに来た時に荷物検査があった気がする。
「う、うん。スタッフはサークル参加者の方を一応、形だけは確認してるっすけど……一般参加の待機列は警察が……」
 その様子だとしっかり1人1人の荷物を調べたとはいえないようだ。太田さんは親にすがる子豚のような目を服部さんに向けた。
「警察の方も……調べたとは……思う。だけどこれだけの人数がいて果たして……」
 服部さんも自信がなさそうだった。
 ハッキリしないなぁ――と、思っていると。
「ハッキリ断言できるわ。それは……無理ね」
 突然、仁江川先輩が強い口調で言った。
「なに?」
 服部さんが仁江川先輩を見る。
「荷物チェックなんてザルよ。流れ作業的にチラチラ見るだけよ。そんな1人1人カバンの中探ってたら、それだけでコミケが終わっちゃうわよ。少なくともアタシが今まで見てきたどのスタッフも警察も、みんな中身なんてちゃんと見てないわよ」
「そ、それは……否定できないっす」
 太田さんは悲しそうに目を細めた。
 すると、安藤先輩が険悪に凶悪な顔をして、自嘲気味に笑った。
「ははっ……つまり――凶器はいくらでも隠しようがあるってことさ」
「この会場の中に……毒ガスを持った犯人がいる……」
 僕は息を呑んで凍り付いた。
 その瞬間、ピンポンパンポンと間抜けなベルの音が鳴り、直後拍手の嵐が会場中から巻き起こった。
 夏コミ3日目・最終日が始まり――僕達の事件が開幕する。


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