コミケ探偵事件録

第4章 夏コミ3日目

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

9

 
「物語を創りたかったんでしょう……? 先輩」
 僕達以外だれもいなくなった東館エリアの中。僕は静かな口調で言った。
 閑散とした空間に僕の言葉はやけに大きく響いた。
 開け放たれたシャッターの隙間からは、真夏の日差しが差し込んでいて、その中で太陽光を浴びた埃の粒がキラキラ輝いているのを僕はなんとなしに見た。
「…………ほぅ。お前……助手の方か」
 意外な人物から言葉が聞こえてきたからか、安藤先輩は驚いたように目を大きく開けて僕を見た。
 僕は、最終決戦へ挑む覚悟を決める。伊乃――後は相棒に任せろ。
「……僕も小さい頃、お話を創るのが好きだったんです。そして面白い話を創ってそれを幼なじみの友達に聞かせるんですよ。それで友達が笑ってくれるとね、もっと面白いお話を創ろうって気になるんです」
 僕は知らず知らずのうちに、幼い頃の話をしていた。ほとんど無意識的に言葉が出る。
 一度話し始めたらもう止まらない――。僕は……僕がなんとか解決するしかない。
「……それが、どうかしたのか?」
 まるで見当外れと言わんばかりの安藤先輩の顔。
 それでも僕は気にせず続ける。僕には確信があった。
「昨日と今日の朝に置いてあった同人誌……あれを見た時から僕は不思議な気がしてました。現実をなぞらえた物語。それはまるで、僕達の現実が虚構であるような錯覚さえしました」
「た……鷹弥?」
 伊乃は突然何の話をしてるんだっていう顔をして僕を見ていた。ああ……そうさ、たぶん伊乃には分からない事だし、分からなくていいことだ。
「同人誌を読んだ時の感覚。神様か何か分からないけど、とにかく僕達の認識を超えた何者かに見られているようなそんな感覚……僕はピンときましたよ。犯人の目的はつまり、そういうことだって」
「ほう……なるほど。くっくっく」
 安藤先輩は意味深げに微笑を浮かべた。
「暗黒創作会は創作を創作する、全ての創作を超えた創作活動なんですよね? 僕には全く分かりませんが、ヤス子さんがそんな事を言ってました。ねぇ、ヤス子さん?」
「……うん。確かに私、そんな感じの事は言った」
「そう。創作なんです。この事件こそが創作だったんです。コミケ会場を舞台に、事件を通して――この状況を、物語を、見事にあなた達が創りあげた! あなたは神になろうとしたんだッ!」
「な、なんだって……御堂」
 服部さんが、僕の頭がどうにかなったんじゃないか、みたいな――そんな顔をしている。
 というか、伊乃や仁江川先輩達も、みんなそんな顔をしていた。
「…………」
 けれど安藤先輩とヤス子さんは、いたって真面目な顔だった。
 もうここは、僕と犯人達だけがわかり合える世界なのだ。
「……今回は、ことごとくクリエイティブな視点からモノを考えないといけない事件だった。創作者の立場に立たないと駄目だった。そもそもコミケという舞台自体が創作の象徴です。そう、この事件の隠しキーワードは創作なんです」
「フフ……では、そこに至った根拠は?」
 安藤先輩は僕の超理論にも、至って冷静だった。
「同人誌の内容を見てみると、どれも無茶苦茶なんです。非現実的というか……どれも破綻してるんですよ。まるで初めから実行する気のないような事件ばかりで……むしろそれは、読者を想定してるような内容なんです。漫画的というかエンターテインメント的というか……それで思いました。ああ、これは同人誌なんだ。二次創作なんだ。つまり犯人は――現実を面白おかしいものに創り直してるんだって」
「…………ふふふ」
「あなたはこの世界をクリエイトしたかった。もっと刺激的で面白いものにしたかった! だからコミケを自分の手で楽しく演出しようと――今回の事件を引き起こしたんだ! この現実世界で物語を創ったんだ! これがあなたの……いや、あなた達暗黒創作会の――今回の夏コミの、本当の出品作品ッッッッッ!!!!」
 僕は叫んだ。これが僕の行き着いた答え。これが僕なりのやり方で、僕なりの推理。
 創作の場、コミックマーケットで販売するものは様々なコンテンツがある。同人誌、小説、ゲーム、音楽CD、グッズ。それらはどれも、誰かによって創造されたもので、みながクリエイターなのだ。そして彼らの創造物は、コミケ会場での出来事そのもの。コミケを使って作品を創りあげたのだ。その作品がこの事件。
 安藤虎兎とヤス子さんは、クリエイター。
 それが――彼らの動機。
「ふ、ふはは……」
 安藤さんはただ笑っていて、
「…………」
 ヤス子さんはただ黙っていた。
「……同人誌で僕達の現実を事細かく正確に描写したのも、現実こそ虚構の物語だと教えたかったんじゃないですか? 今の僕達がこうやって話しているこのシーンも、物語の一部に過ぎないと。だから事件を引き起こして現実を創作していこうって。虚構ならいくらでも創り変えることができるから」
 普通の人が聞けば無茶苦茶な推理と笑うだろう。何を言ってるか分からないだろう。これが推理小説だと言ったら、その方面の人達から叩かれるだろう。
 でもこれは創作が舞台の事件なのだ。普通とは違うコミケ事件なのだ。気は確かかと思いたければ思うがいい。推理の形は自由で、どこまでも無限大なんだ。
「さぁ、安藤先輩。これが僕の考える、あなた達の動機です」
 あとは安藤先輩がどう答えるかだが……。
「ふ……ふふ……ふははは、ふははははははっっっ! そう、そうだッ! この事件全てが物語! そしてオレ様が物語の主人公であり――神なのだああああッッッッッッ!!!!!」
 安藤虎兎が、正体を現した。
 やはり……そういう事だろうと思ったよ。
「事件を起こした……いや、物語を創った理由はなんとなく分かった。けれど今の台詞は聞き捨てならないですね。この事件全体を通してみると……これは明らかに伊乃や僕が主役の物語であって、あなた達はむしろ悪役じゃないんですか?」
 神という表現はなんとなく分かる。でも、主人公ではないだろう。
「ふははッッ。さすがに貴様でもそこまでは分かるまい。主人公は常に正義ではない。主人公とは物語の核だ。核とはすなわち全ての始まり。きっかけ。原因。では原因……物語の原因とはなにか、そして動かしていくのは何かというと……それは常に決まって悪役なのだッ!」
 悪役であり、主人公であり、神となった男が叫ぶ。
「悪があるからこそ、それをなんとかしようと正義が頑張って物語は動く……確かにそう考えると、物語を創るのは悪役とも言えるかもしれませんね」
 だから今回、安藤先輩達は悪役となって物語を創ったのだ。
「そうだッ。そしてオレ様達はこれから物語をもっともっと創っていくつもりだった。この退屈な世界を、誰もが羨む刺激的な世界に変えようとした。だけど……フフ。ここで滅びるのも、それもまた物語の意思ということか……」
 ――と。安藤先輩は、これまでの演技的な挙動とはうって変わって、急に大人しくなり脱力した。
 僕は思わず安藤先輩の方に足を踏み出していた。
 そして安藤先輩は、唐突に告げた。
「くっくっく……探偵助手、貴様のその答え――合格だ」
 それは事件の完全決着を意味する、全ての謎が解かれた瞬間。
「……安藤先輩」
「見事だ。やられたよ。完敗だ。オレ様達の負けで、貴様らの勝ちだ――探偵倶楽部」
 伊乃と僕は――悪を滅ぼし、物語を完結させ、事件を解決した。



 結局。毒ガス事件はイタズラだったという事で事態は収まり、僕達がビッグサイトを後にしようという頃には再び会場内は活気を取り戻していた。
 しかしその活気は、人の欲望が全面に押し出されたものでなく、むしろ人が他人をいたわり合うような――僕が知っているコミケとは違う空間がそこにあった。
 大混乱の跡が生々しく残るビッグサイト内に、戻って来た参加者達がその始末をする。騒動の際に怪我を負った人達を見知らぬ人が救助する。地面に散乱する無数の同人誌を、サークル参加者と一般参加者が協力して回収する。
 荒らされ尽くされた聖地で、コミケを愛する人達が協力し合う光景は、僕が見てきた3日間の中で一番綺麗なものだった。
 そして安藤先輩とヤス子さんはというと、服部さんや警官達の手によってパトカーで警察へと連れて行かれることになった。服部さんを筆頭に僕達はビッグサイトを後にして、りんかい線・国際展示場駅前のロータリーまで来た。
 停車しているパトカーの手前まで来ると、服部さんが立ち止まって言った。
「あぁ……今回の事件なんだが、分かっててやったのかそうでないのかはともかく……お前達のやった犯罪、そのどれもがイタズラともとれる軽犯罪で、殺人も何もこれといった大きな犯罪は犯していない。だから……重い罰が下されることはないだろう」
 並んで立つ安藤先輩とヤス子さんに背を向けて語る服部さん。
「…………」
 2人は何も答えない。その表情から何を考えているのかも読み取れなかった。
 服部さんは続ける。
「だが、あれだけの大きな騒ぎを起こした罪は大きい。お前達に罪の意識があるかどうかは俺の知ったことではないが……償いはしなければいけない」
「初めから――その覚悟はできてます」
 ヤス子さんが、ギリギリ聞き取れるくらいの声で言った。
「……フン」
 安藤先輩は拗ねるように鼻をならし――呟いた。
「よぉ探偵……オレ様は嬉しいぜぇ。テメェのおかげでもの凄く楽しい事件になった。感謝してるぜぇ」
 安藤先輩が不敵に笑うと、パトカーの後部座席が警官の手によって開かれる。
「…………」
 伊乃は何も言わず黙って安藤先輩を見ていた。安藤先輩はどこか満足そうな顔をしていた。
 その顔を見て僕は……まるで彼らは、初めからこうなる事を望んで全ての事件を引き起こしたのかもしれないと――そう思えた。
 ヤス子さんは、一度だけ仁江川先輩の方を振り返って、
「八重ちゃ……」
 と、何かを言いかけたけど……ヤス子さんは口を閉ざして小さく笑って、そして背中を向けて車内へと入っていった。
 その様子をどこか寂しそうな目で見ていた安藤先輩が、唐突に僕の方を向いた。
「ああ……忘れていたよ、助手。その、さっきの答えなんだが……」
 と、手招きして僕を呼んだ。
「……」
 僕は恐る恐ると安藤先輩へと近づくと、彼は僕に耳打ちしてこう言った。
「テメェの解答なんだけどな……残念だったな……実はあれ――全ッ然ッ違ぇんだよなァ! いいかげん真実に気付け! 結局、知らないのはお前だけなんだよ!」
 どこまでも凶悪な声。全てをひっくり返す、まるで夢オチの漫画を読んだ時のような喪失感。
「え……」
 僕の頭は真っ白になった。それは、つまりどういうことだ……僕は辺りを見回した。すると――。
「…………くっ」
 なぜか服部さんが辛そうに俯いている姿があった。
「く……くは、くはははは……」
 そうして謎を残したまま安藤先輩は、心底楽しそうに高らかに笑い声をあげながら、ヤス子さんの隣に乗り込んだ。
「あっ……待っ」
 僕が手を伸ばそうとしたのと同時に、パトカーは音も立てずに、静かにロータリーから走り去って行った。
 茫然とその姿を見送っている僕の隣には、いつの間にか伊乃が立っていた。

 ――コミックマーケット最終日は中止ということになり、それ以後この日は、一部で伝説として語り継がれるようになった。

 その後、安藤虎兎とヤス子さん(本名は敢えて伏せておこう)は補導という形になり実刑をくらうことはなかったが、学校から無期限停学処分を受けた。


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