コミケ探偵事件録

第4章 夏コミ3日目

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「――ヤス子ォ。なかなか戻って来ねーから心配しに戻って来たら……面白れぇコトになってんじゃねぇかァ?」
 安藤先輩が頭を掻きながら、気怠そうな巻き舌声で言った。片方の手にはバッグを持っている。その格好は僕がトイレで見た時の、血に染まった純白の女装姿ではなく――僕達とコミケに来た時の、生前の彼の姿だった。
「……ごめん、安藤くん」
 ヤス子さんは犯行を認めて以来の、しばらくぶりに口を開いた。
「あぁ〜、気にすんなぁ。オレ様達にとっちゃあ、それもそれで望んでいた結果じゃねぇか。で、探偵――。オレ様がここで全てをぶちまけるってのもアリだが、貴様は探偵だ。探偵は最後に全てを説明する義務がある。納得のいく解説をする義務がある。話せ、なぜオレ様の屍体がフェイクだと分かったのか。そして、オレ様がやったこと全てを」
 安藤先輩はこの状況でも臆することなく、唯我独尊たる態度で僕達の前に進み出た。
「うん。言われなくても初めっからそのつもりだったから、遠慮なくそうさせてもらうよ」
 伊乃も安藤先輩に負けじと、ぐいっと前に出て解説を始めた。
「そう、これでみんなも分かったと思うけど……実は血なまぐさい殺人とか、テロ事件とか……そういった大きな事件らしい事件なんて、何一つ発生してなかったの」
 安藤先輩が出てきた時から薄々と気が付いていたけど……衝撃だ。じゃあ要するに、はじめっから、何もかも全部がただのイタズラだったんだ。
「といっても事件に大きい小さいはないんだよ。だから――これも立派な犯罪なんだよ」
 伊乃はビシッと安藤先輩を指さした。
「フン、ごたくはいい……さっさとコトの顛末を説明しろ、探偵。いつまでもノロノロやってたら客が飽きるだろう?」
 安藤先輩はおよそ犯人とは思えない位ふてぶてしかった。
「分かった。じゃあ言うよ……まず、安藤虎兎。そのバッグの中には血まみれのドレスと凶器の小道具が入ってるんだよね」
 伊乃は安藤先輩に差していた指を、そのまま安藤先輩が手に持っているバッグへと動かした。
「ああ、そうだ。正解だ」
 安藤先輩はあっさり認めて、バッグを開けて中身を出した。真っ赤に染まった白のドレスと……いや、ドレスだけだった。凶器は入ってない……と思ったら、あった。
 ドレスの胸の辺りにナイフがくっついていた。そこを中心に赤い色がドレス中に広がっている。一見するとナイフが胸を突き刺しているように見えるが。
 ああ……一見すると、だ。これは……なんて陳腐なんだ。こんなのちょっと調べればすぐに分かる。なのに僕はあの時、気が動転して気が付かなかった。
「うん。やっぱり思ったとおりインパクトあるコスプレ衣装だね。ヤス子さんが1回目にサークル入場したとき、この衣装を持っていって預けたんだよ。それにしても……すごいリアルだね。これだったら一瞬見ただけだと死んでるって思わせられるよね」
 伊乃は嬉しそうに、地面に置かれたドレスを見ている。
「でもそれはあくまで一瞬。調べればすぐに生きている事が分かる。だからヤス子さん――あなたは演技をしたんだ」
 伊乃はドレスからヤス子さんに視線を向けた。
「…………ええ」
 ヤス子さんは静かに肯定した。
「ここで彼らの行動を説明するよ。まずコミケが始まった後、ヤス子さんは安藤虎兎と一緒にサークルスペースを離れた。八重子さん、2人が離れていったのはいつくらい?」
「えっ? ああ、え〜と……たしかコミケが始まってすぐ探偵部が出ていって、その後しばらくして服部刑事と太田さんが出てって、で……その10分後くらいに創作部の彼らが出てったわ。あ、その時ヤスちゃんがカバンを持ってったのを見た」
 突然ふられて仁江川先輩はおろおろ動揺しながら答えた。
 そのカバンはサークルスペースの中に置いてあった。すぐに服部さんがカバンの中を調べに行った。
 伊乃はその間も解説を続ける。
「ありがと。そのカバンの中に毒ガススプレーが入ってたんだね。で、それで2人は荷物預かり所にいって、コスプレ衣装の入ったバッグを受け取り、そして安藤虎兎は更衣室で、血濡れのナイフ付きドレスに着替える。そのあと企業ブースに行って男子トイレの個室に入り準備をする。準備ができた後は安藤虎兎はその時が来るまで個室でひとまず待つ」
 そして一方、ヤス子さんの方だけど――と伊乃は矢継ぎ早に説明する。
「ヤス子さんはその間に東館に行ったの。目的は2つ。東館のどこかのゴミ箱に、火の付いたタバコを投げ込むこと」
 タバコは恐らく安藤先輩が持ってたものだろう。そして服部さんは、安藤先輩を身体検査していた時に、恐らくそれを見つけていた。あのタバコは……最初からその為に用意されたものだったのか。僕は、あの時の事を思い出しながら服部さんを見た。服部さんは、悔しさと歯がゆさが混じったような顔で唇を噛んでいた。
「そしてヤス子さんのもう1つの目的は――私達の中の誰かを同伴させて、安藤虎兎の屍体を目撃しに行くこと。それでタバコをゴミ箱に入れたヤス子さんはサークルスペースに戻ろうとして……その途中で鷹弥に出会ったの」
「ヤス子さんは偶然出会った僕を目撃者にするためにあそこまで連れて行ったのか……」
 僕はていよく犯行に利用されてしまったのだ。情けない。
 そしてそこから先は僕の知るところの展開になって――やがて惨劇に至る。
 しかしその惨劇は、ただの喜劇だったのだ。
「そして問題のトイレに入ったヤス子さん……ここから2人の演技力が試される。男子トイレに入ったヤス子さんが合図をすると、すぐさま個室に入っていた安藤虎兎が扉を開けて仰向けに倒れる。顔を分かりやすく見せるために仰向けに倒れたんだね。そしてヤス子さんが悲鳴を上げ、人がトイレに集まって来る。ヤス子さんは安藤虎兎が死んでいる事を大勢の人に確認させて、屍体が偽物であると疑われる前に、あらかじめ仕掛けてあった毒ガスが噴出している事を知らしめてパニックを引き起こした」
 伊乃は一気に説明した。
「――と、以上が毒ガス事件に至るまでの全貌。そのあとは、人がいなくなったトイレから、道具を片付けて着替えて終了ってわけだね。警察やスタッフの多くは東館の方に行ってるし、気付いたところで混乱している会場内で現場まで行くには時間がかかると。……うん。単純な事件だけどなかなか効率的だね」
 ……単純かなぁ。いや、こうやって説明されたら単純だけど。
 すると、黙って聞いていた安藤先輩がクククと笑って拍手した。
「お見事だ、探偵……。でもよ〜、その推理はオレ様が生きている前提があって成り立つ推理だよな? こうしてオレ様が生きているからその推理は正しいって裏付けられるけど、探偵。オレ様が生きているって事実は……どうやって分かったのだ?」
 僕達は安藤虎兎が死んだとすっかり思い込まされていたんだ。
 その為に他の偽物の事件があったのに。その為にカモフラージュしてきたのに。
 まさか、その中心の事件さえも偽物だったなんて誰が気付くのだろう。
 伊乃は果たして、安藤虎兎が死んだという大前提を、どうやって覆したのだろう。
「それはヤス子さんが犯人だと考えた場合……そこからヤス子さんの行動を最初から考えていくと、安藤虎兎が生きている事が一番自然だと思い至ったんだよ」
「一番自然……だと?」
 安藤先輩が怪訝な声を上げた。
「ヤス子さんが安藤虎兎を殺すには乗り越えなければならない点があるの。それは時間の問題」
「時間……」
 ヤス子さんが呟いた。
「そう。安藤虎兎が倒れていた男子トイレ。あそこは常に人がいると言ってもいいくらい混雑するところなの……というか、コミケで混雑しないトイレはないね。でもね……ヤス子さんが犯人だとした場合、殺す時間がないんだよ」
 ……あ、ほんとだ。
「そうだ伊乃。あの時、僕とヤス子さんはずっと一緒にいて、そしてヤス子さんがトイレに入ってすぐに叫び声をあげた。……ってことは、あの時に犯行は不可能だよね」
 それに、もしヤス子さんがその時に安藤先輩にコスプレ衣装を着せたというのなら、もっと時間を要するはず。
 たとえヤス子さんが瞬間にナイフを刺してすぐに叫んだとしても、僕が見た時の安藤先輩のドレスはあまりにも血が付着しすぎていた。
「そうだよ、鷹弥。でもだからといって、鷹弥と出会う前にあらかじめ殺すなんてもっとあり得ないよ。だって安藤虎兎は男子トイレの個室から体を半分出して倒れていたんだよ。そんな状態でずっと倒れていたら、絶対鷹弥達が来る前に誰かに発見されてるよ」
 伊乃は久しぶりに僕の存在に気付いたみたいな顔でこっちを見て、微笑んだ。
 けれどもすぐに安藤先輩の方に向き直って解答編を再開する。
「それに毒ガスの説明も難しくなる。だって殺すだけならわざわざその後に毒ガスをまく理由が分からないもん。ま、これは証拠隠滅とかが狙いの可能性もあるけど……でも、安藤虎兎になぜドレスを着せたかという謎もある」
 一気に駆け抜ける伊乃の推理。僕達はついていくのが精一杯。誰も伊乃を止められない。
「それで思ったの。毒ガスと言えばパニックに乗じて逃げるのが常套手段。でもあの状況を見る限り、犯人だけ逃げるならそんなの使わなくてもできそう……。でも、もし逃げるが犯人だけじゃないとしたら――って」
 と。そこまで言って伊乃の台詞は唐突に終わった。
 伊乃は黙って安藤先輩の目を見据えている。
「…………」
 しかし、安藤先輩は何も答えない。
「これが私の推理だけど……どうかな、安藤虎兎?」
 伊乃は、何もリアクションを返さない安藤先輩に、その是非を問うた。
 すると安藤虎兎は――。
「ふ、ふふ……ふふふ……ふははははっ、ひゃゃゃーーーーはっはっはっはっは!!!!!」
 狂ったように、けたたましく騒がしく笑い出した。
「ど、どうしたんだ……」
 僕達は突然壊れた安藤先輩の姿に動揺を隠せない。
 ……やがてひとしきり笑い、満足した安藤先輩は、凶悪に顔を歪めた。
「……ひゃはぁ……はぁはぁ……ああ、すっげーよ。確かにテメェはすげぇ……当たりだ。お前の推理は正解している」
 と、安藤先輩は認めた。伊乃の推理が正解だと認めた。しかし――彼は。
「でも探偵よ――それだけか?」
「え――?」
 安藤先輩の様子を不安そうな表情で見守っていた伊乃は、そのままの顔で固まってしまった。
「それだけかと言ったんだよ、探偵。オレ様はまだ貴様の解決編に全然満足していないぞ? 貴様は……重要な事をまだ何も説明していないじゃないか」
 じゅ、重要な事を説明していない……だって?
「な、なんなんですかっ……安藤先輩! 伊乃は安藤先輩とヤス子さんの犯行を明らかにしたじゃないですか! それ以上なにが必要なんですかっ!」
 僕は安藤先輩に対して理不尽さしか感じてなかった。突然死んで突然生き返って、犯人なのにこんなに堂々と偉そうにしている彼が――理解不能だった。
「…………」
 伊乃はしかし、圧倒的優位の立場にいるにも関わらず、まるで安藤先輩に敗北したかのように沈黙を守っていた。
「……フン、いいだろう。分からないなら教えてやるよ。それは――動機だよ。オレ様は……オレ様とヤス子は、なぜこんな事件を起こしたのか、真の目的がなんなのか――貴様には分かるのか?」
 こ、こいつは何を言い出すかと思えば……動機だと?
「さぁ、答えてみろ! 貴様は名探偵なのだろう? だったら事件の全てを理解しなければならないはずだ! 謎は全て消化しなければならないはずだ!」
 安藤先輩が両手を広げて叫ぶ。悪の帝王の如き振る舞いで伊乃を挑発する。
「伊乃! あとは警察に任せればいい! お前はもう充分やった!」
 そんな挑発に乗る必要なんてないんだ。そんな事を考える必要はないんだ。
 なのに伊乃は――。
「う……う……ど、動機……そ、それは……」
 伊乃が言葉を放とうと口をパクパクしている。彼女は真っ向からラスボスと対峙している。でも――その口からは何も出てこない。……分からないんだ。
「さぁ、どうしたっ! オレ様達がこんな事をするメリットはなんだッ? たとえうまくいったとしても、オレ様は死んだって事になるだろ? その先オレ様はどうするつもりなんだ? オレ様にとって何一ついいことがあるのか? 貴様にオレ様が分かるのか?」
 敗者で悪人の犯人が、勝者で善人の探偵を追い詰める。
「わ、私は……その……ぅ……」
 駄目だ……こんなの見てられない。
 伊乃の瞳には涙が滲んでいた。
 僕はこの瞬間悟ってしまった。伊乃は、安藤先輩に勝てないと――。
 ……無理もない。子供っぽい伊乃は他人の気持ちとか感情の動きとか、そういったものに疎いし、恋愛感覚とかそういうのも皆無なんだ。
 そもそも伊乃がこんな安藤先輩の挑発に乗る必要なんてないのに。それなのに伊乃は必死で答えようと考えている。ちゃんと真剣に犯人と真っ向から立ち向かっているんだ。探偵と犯人の関係を真剣にやっているのだ。
 服部さんや仁江川先輩が、伊乃をなだめようとしている。もうこの幕を降ろそうとしている。僕はどこか遠くでその様子を見ている。違う……逃げちゃ駄目なんだ。
 ここで終わったら――いけないような気がする。
 伊乃は確かに勝った。犯人を挙げたし、殺人予告状から始まった一連の事件を解決した。
 だけど――事件の全容はまだ解いていない。事件を完全には解き明かしていない。
 それならどうする。……僕の事を言ってるんだ、御堂鷹弥。
 そんなの、考えるまでもない。僕は――名探偵・千囃子伊乃の助手だ。
「動機だって? そんなの……楽勝すぎる問題だね」
 僕はゆっくりと口を開いた。


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