コミケ探偵事件録

プロローグ ――祭りの支度――

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

3

 
 僕達は仁江川先輩に教えて貰った場所――今は使われていない旧校舎の一室の前――に訪れた。
「てか、ここまで来といて言うのもなんだけど、旧校舎って勝手に入っちゃ駄目なんじゃなかったっけ?」
 意気揚々と部屋に入ろうとする伊乃を制止して、僕は訊いてみた。
「ふっふっふ、鷹弥は小心者だねぇ。お化けが出るわけじゃあるまいし」
 漫研部部室から出てすっかり元気を取り戻した伊乃が、ウキウキとスレンダーな体を左右に揺らしながら言う。その度に長い髪が幽霊のようにゆらゆら漂ってた。
「よく言うよ、さっきはほとんど喋ってなかったくせに。完全に空気だったぞ、お前」
「なっ……それは、ほら、探偵の私が目立ってばかりいちゃ鷹弥の出番がなくなっちゃうでしょ! だからちょっとは鷹弥にもスポットライトを当てようと……っ」
「分かった分かったよ。そうだよな、僕の事を気遣ってくれたんだよな」
 伊乃は探偵としての才能がある分、その他はからっきし駄目なのだ。性格に問題があるというか……その辺は推理小説とかにある探偵達と同じか。
「うう……信じてないでしょ? 鷹弥」
 ちょっと涙目になった伊乃が、僕にすがるように見つめて言った。
 宝石のようにキラキラと光る瞳を見て僕は、
「うん」
 あ、ついつい失言しちゃった。でもこの気持ち分かるよね?
「……う、うわぁぁぁんっ! ひどいっ。ひどいよ、鷹弥ぁぁぁ!」
 伊乃が泣きだした。
「う、うわっ。泣くなって、伊乃っ。悪かった、冗談だってっ」
 まさかいきなり声をあげて泣き出すなんて思ってなかった。まさかそこまでするとは思わなかった。扱いづらい女の子だなぁ。
「ほら、帰ったらお菓子あげるから泣き止めって。好きだろ? お菓子」
 僕は伊乃の頭を撫でながら、なんとかなだめようとする。
「ぐすっ……ほんと? お菓子、くれるの?」
「ああ、あげるよ。だから元気だせって、な? 伊乃」
「えへへ……うん。お菓子くれるんだったら……って、そんなんにつられるかぁぁあああああああーーーっっっ!!! 私をいったいなんだと思ってるの〜〜〜〜っっっ!!!!」
「いてっ! いてて!! ちょっ、痛いって! 本気で殴るの禁止だってっ。ごめっ。伊乃っ」
 どうやら火に油を注いでしまったよう。伊乃が泣きながらポカポカ殴りかかった。
「――つーかよぉおおお? オレ様の部室の前でいつまでくっだらねぇ茶番を繰り広げてるんだぁ〜? このやろー」
 突如教室の扉が開いて、そこから現れた目つきの悪い男子生徒が、ひどい巻き舌の声で言った。
「……誰、この人? お化け――むぐぅっ……」
 僕を叩く手を止めた伊乃が男子生徒に向かって失礼な口を叩いて、僕はすぐにその口を塞いだ。
「あはは、えーと……すいません。僕達、探偵倶楽部の者ですけど〜」
「……た、探偵倶楽部? なんだ、それは?」
 なぜか制服を着ていない私服姿の男子生徒が、いっそう表情を険しくして、不審者を見るような瞳で僕を見た。ちょっと怖いよ。
「今年からできた部活なんです。僕と、隣にいる部長と一緒に創った……」
「ふ、ふはは、そうか……探偵倶楽部か。気に入った、面白いっ。どうやらオレ様に用があるらしいな。よかろう、入るがいい。用件を聞いてやろうじゃないか」
 男子生徒は大げさに踵を返して、今は使われていないはずの教室へと入っていった。
 教室の中は殺風景で意外とまともだ。
「どうも……こんにちは」
 と、部屋の隅の方に美人だけど無愛想な感じの、眼鏡をかけた女の子が1人いた。部員だろうか。ていうか2人とも何故か私服なのだけど……夏休み直前だからってフリーダムすぎやしないだろうか。
「あ、ども……こんにちは。ずいぶん綺麗な方ですね」
「……ぷいっ」
 眼鏡少女はすぐに僕から顔を背けた。……え?
「くはははははッッ」
 そして男子生徒がなぜか、大声をあげて笑った。
 オタクっていうのは、やっぱり変わり者が多いんだろうか。……それとも今の挨拶、失礼だったのかな?

 てなわけで、教室に入った僕達は男子生徒――名前は安藤虎兎で、なんと『秘密組織』のリーダーとか言ってやがる――は僕達に話を促して、案の定伊乃は説明するのを拒否したので、僕はこれまでの経緯を話した。

「ああ、出るな夏コミには。よくそんなこと知ってたな」
 長身でイケメンだけど人を寄せ付けない怖さを感じる安藤先輩が、腕を組んで不敵に微笑んだ。
「漫研部の部長から聞いたんです」
「ああ、あの女か……ふ、まだ生きていたとは……」
 なんか意味深な事を言ってるけど、多分深い意味はないだろう。仁江川先輩と同様、ちょっと変なだけなんだよ。だからそっとしておくよ。
 てか、ここの人達は何をしてる部活なのか未だに分からない。仁江川先輩が言うには正式な部活じゃないし、そもそも活動も認められてないらしい。単なるゲリラ集団なのだ。
「まぁ、そういう事ですけど……ってことは安藤先輩、当日販売する本はもうできてるんですか?」
「ふはは。勿論そんなものはとうに完成しているよ――これが、当日出す本だ」
 そう言って安藤先輩は、教室の隅にあった本棚まで行って、そこから一冊の薄い本を取り出した。同人誌だった。
「うわぁ〜、すごぉ〜っい。これが同人誌……」
 僕の後ろでオドオドしていた伊乃が歓喜の声をあげた。
「ふふん。どうだ、すごいだろう。尊敬するだろう。見たければ存分に見るがいい」
 安藤先輩が大げさに言うので僕達はお言葉に甘えて、B5サイズの本の中身を開いた。
 それはある人気漫画のパロディだった。正直あまり上手いとは思えなかったけど、こうやって1冊の本を作ったという事に僕は感動していた。
 隣で伊乃が、「わぁ〜、すっごい上手〜。プロみたい〜」とか感動してたから、それ位には凄いのだろう。
「とりあえず300冊用意した。これだけじゃすぐに完売すると思うが……ヤス子が刷りすぎだと言うのでな、不服ながらこの数で妥協してやった」
 安藤先輩が不服そうに、眉間に皺を寄せいっそう怖い顔をした。つーか、ヤス子って誰だよ。
 と、今までこの部屋の置物のようにずっと黙っていた眼鏡少女が声をあげた。
「ヤス子じゃないです。康か――」
「うるさい、ヤス子。お前はヤス子で充分だ」
 安藤先輩によって一瞬で美少女の台詞が遮られた。ひどい。
 この美少女がヤス子ねぇ。全然ヤス子って感じじゃないんだけど……。大人しい文学眼鏡少女の雰囲気とはかけ離れたニックネームつけられて気の毒に。
「むぅ……でも安藤くん、300冊でも多すぎるよ。余っても知らないんだからねっ」
 ヤス子さんが安藤先輩に文句を言ってる。この人も結構キャラ立ってるなぁ。
「オレ様の本が余るなんてそんな事態起こるわけないだろう?」
 すごい自身の安藤先輩。しかしそれとは逆に、ヤス子さんは「どっからくるの、その自信は……」と、不満そうに溜息を吐いていた。
「なにはともあれ。そういうわけだ……安心しろ。コミケにはオレ様が一緒に連れて行ってやるよ」
 なんと器のでかい男だ、安藤先輩。
「ほ、ほんとっ? やったぁ! よかったねっ、鷹弥っ!」
 伊乃がバンザイして喜んでる。感情表現を動きでやらないと気が済まないのかね、この子は。
 一方ヤス子さんは眼鏡の奥の目を丸くして僕達の方を見ている。明らかに何か文句言いたそうな顔してる。
「で、でも安藤先輩。さ、サークルチケットは余ってるんですか?」
 ヤス子さんに何か言われる前に、僕はサークル参加する為に必須のチケットについて尋ねた。
「ああ、もちろんあるぞ。オレ様にかかればサークルチケットなんて簡単に手に入れられるのだよ」
 そう言って安藤先輩は、机の中身を物色し始めた。
「ねぇねぇ鷹弥……さっきから度々話にでてきたけどさ……サークルチケットって、なに?」
 僕の服を引っ張って伊乃が尋ねてきた。
「ん? ああ、サークルチケットはサークル参加するために必要な券だよ。入り口でチケットを見せることで、コミケが始まる前に入場することができるんだ」
 まぁそれは見れば分かるよ、と僕は安藤先輩の方に顔を向けた。
「あ……ああ、これが――そのチケットだ」
 安藤先輩はそう言って、机の引き出しからサークルチケットを取りだして、ピシッと僕達の前に掲げた。
 伊乃が安藤先輩の手から、A4くらいの台紙のような紙を受け取ってしげしげと眺めた。
「ほうほう、これがサークルチケットね。ふぅん……サークル名、暗黒創作会……。すっごく恥ずかしい名前だねっ」
「こら、伊乃。僕もそのネーミングセンスはどうかと思うけど、あまりそういうこと言っちゃ駄目だよ」
「いや、君が言ってるじゃないか」
 眼鏡をくいっと上げて、ヤス子さんが横から的確なツッコミをした。う〜ん、失敗失敗。
 当の安藤先輩はどこ吹く風の様子で、手に持った紙をピラピラ振りながら説明を始めた。
「ふ……凡人にはオレ様の思考など理解することなど不可能なのだ……で、これの台紙1枚に3つのチケットがついているだろ。1つずつ切りとって入場の際にそれをスタッフに見せればいいのだ」
 それを聞いた伊乃が何かに気付いたのか、声をあげた。
「てことは1つのサークルにつき3人まで入場できるってことでしょ? なら3人までしか入れないじゃん」
 ……あ、そうか。
「なら安藤虎兎さんとヤス子さん……と、あと1人しか入れないってことですよね?」
 なら僕か伊乃か、どっちか1人しか入れないってことになるけど。
「……そ、そうだな。だが…・…ふん。その点は安心しろ……予備の為に、さらに余分に2枚持っているのだ。ほら」
 そう言うと、安藤先輩が既に切り取られたチケットを2枚取りだした。つまり合計で5枚。
 僕は驚いて、思わず声をあげる。
「あ、ほんとだ。でもそれをどうやって手に入れたんですか?」
 ネットオークションなどでは高値で取引されているというのに。
「だから言ったろう? オレ様にかかればチケットを手に入れるのなんて簡単なことだと」
「でも、それでも4枚使うことになるから1枚しか残りませんよ。他の部員とかは大丈夫なんですか? ていうかここって何してるとこなんですか?」
「…………。あ、ああ……言ってなかったか? 我ら暗黒創作会は、オレ様とヤス子の2名からなるエリート部隊で、活動内容は……機密事項だ。我が暗黒創作会には闇なる秘密が沢山あるのだ」
 安藤先輩は意味深に笑った。
「……よく言うわ」
 ヤス子さんはすっかりあきれ果てていた。
「お前達からは我らと同類の匂いがする。よって我らと行動するに値する人間だと判断した。だから特別に同行することを許可しよう!」
 ……また僕達を変人扱いか。なんだか妙な人達だけど、これでサークル参加することができる。あとは当日を迎えるだけ。そして伊乃が活躍する番だ。
「あ。ちなみにこのチケットは3日目専用だからな。1日目と2日目は一般入場するしかないぞ」
 やっぱり、問題はまだまだ山積みのようだ。


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