コミケ探偵事件録

プロローグ ――祭りの支度――

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

1

 
「――で、なんでそこに伊乃が出てくるんだ?」
 それが一通り伊乃の話を聞いた僕の、まず最初に出た感想だった。
「も〜う、分かんないかなぁ。つまりこれは探偵の依頼。その依頼内容は、事件を未然に防ぐこと、そしてあわよくば犯人をつかまえること! ふっふっふ。私にそんな重大事件の依頼が来ようとは……世間が私の才能にとうとう気付き始めたんだねっ! それだけ私が頼られてるって事なんだねっ!」
 伊乃が感情豊かに、オーバーアクションに、僕に言い聞かせた。
「そんな身振り手振り振りかざさなくていいっての……で、本当のとこはどうなんだ? いくらコミケについての知識が乏しいからって、まさか本当に警察がお前に頼むとかありえないし」
 いちいち動作がでかいから、暑苦しく感じる。ただでさえこの部室はクーラーがないってのに。……てか、今どき扇風機だけってどうよ。どんだけ待遇悪いんだよ、探偵倶楽部。
 窓の外からはセミの声がミンミンミンミン聞こえてきて、もう苦行のような居心地。
 僕は気怠く溜息を吐いて、幼なじみの少女を眺めた。
「ほ、本当だよ……だって……その事件の担当が兄さんなの」
 伊乃はむすっと頬を膨らませてそっぽを向いて言った。長い黒髪がフワリと揺れる。
「兄さん……ああ、親戚の刑事さんの服部さんね。あの人もすごいなぁ。担当って……もうそこまで偉くなってるんだ。てことは……なんだ、身内のコネじゃん」
 服部さんは伊乃の親戚のお兄さんで、難事件があれば伊乃に相談してもらってるらしい。慣れない現場指揮に戸惑ってるのか、伊乃を呼ぶなんてトチ狂ったとしか思えないよ。
「にしても警官100人の指揮か……まだ刑事になってそんなに経ってないのに、出世したもんだ服部さん」
 シスコンの変態だというのに。
「当たり前だよ。だって、兄さんも月子を見つけるために頑張ってるんだもん!」
 伊乃は拳を握って意気揚々と言った。……月子ちゃん、か。
「……そうだな。伊乃が探偵やってるのもその為だもんな。ああ、僕も気持ちは同じだよ。だけど……見ての通り僕には探偵の才能なんてないからさ」
 うっかりとはいえ、伊乃の妹の月子ちゃんの話になってしまった。デリケートな部分だからあまり触れないようにしてたのに。
 だけど、僕の不安は取り越し苦労だったようで、
「なに言ってんのっ。鷹弥はすっごい優秀だよっ! 私がピンチの時はいつも鷹弥に助けられてるんだもん! 鷹弥がいないと事件は解決できないんだよ!」
 伊乃はムキになって僕を持ち上げる。なんか知らないけど伊乃は、何の取り柄もない僕を高く評価してくれるのだ。
「……ふふっ。はいはい、そうだな。これからも伊乃の役に立てるよう、探偵助手としてサポートしていくよ」
 僕は気が楽になって、窓ごしから見えるグラウンドの方になんとなく目を向けた。
 どこかは知らないけど運動部がランニングをしている姿が視界に入った。外は真夏の太陽がギラギラ輝いていて、暑さに拍車をかけるセミの大合唱付きだというのに熱心なことだ。
「いや〜……私も偉くなったもんだね〜。とうとうここまできたかぁ〜。コツコツ依頼を解決してきた努力のたまものだねぇ〜」
 伊乃はしみじみと椅子に深く腰を降ろしながら、机の上に放置されていた紅茶を一気に飲み干した。
 ――ここは、夏休みを直前に控えたとある高校のとある教室……というか、僕達の部室。
 今は放課後で、こう見えても僕達はいま部活動の真っ最中だった。
 僕と伊乃しかいない部活動――その名はズバリ『探偵倶楽部』。生徒達の悩みを解決する目的で春先にできたばかりの部活動だけど……今まで依頼は数える程しかきていない。
 僕達が探偵倶楽部を創ったのにはある大きな目的があった。そう、全ては――ある日突然姿を消した、伊乃の妹・月子ちゃんを見つけるためだ。
 伊乃は月子を探す為ならなんでもする。
 だから伊乃は、少しでも月子の手がかりになるような何かをいつも求めているし、だからいつも謎に飢えている。どんな謎でも解き続けていけば、いつか月子ちゃんに行き着くと考えている。
 でも、僕は時々思う……いや、思ってしまう。
 伊乃……君はどうしてそこまでまっすぐ前を向いていられるんだ。
 月子ちゃんが行方不明になってから……もう5年も経ってるんだぞ。
「……それで伊乃。感傷に浸るのもいいけどお前は大丈夫なのか? 夏コミ当日は戦場なんだぞ。つーか、そもそもコミケに行ったことあるのか?」
 僕は薄暗くなった気分を振り払うために伊乃に話を振った。
「あ、そうそう。それで鷹弥に聞きたかったんだよ。コミケってなに?」
 …………。
「って……うおおおおおおおおいっっっっっっ!!!!! そこからかよッッ!!!!???? 僕、今まで完全に知ってる体で話してたよ! ビックリだよ!!」
「鷹弥は相変わらず鋭いツッコミするねぇ。見ていて飽きないよ」
「いやいや! なに他人事みたいに感想述べてるのっ!? あんたの事で親身になった結果のツッコミですよっ!?」
「その点なら大丈夫、私の事は気にしなくていいよ。私は謎さえあればどこでも駆けつけるオールジャンル探偵だからね。コミケについてはサラッと教えてくれるだけでいいよ」
 伊乃は西洋人形のような大きく澄んだ目を細め、アハハハと微笑んでいる。
「伊乃……お前はコミケがどんなところか知らないから、そうやって軽く笑っていられるんだ。あそこは想像を絶する地獄なんだ……ち、ちなみに聞くけど、伊乃は夏コミに出て具体的にどんな事をするんだ? まさか警察と同様の捜査権は与えられるわけないもんな」
「鷹弥は大げさだなぁ……え〜と、兄さんが言ってのは確か……できる限りの協力はするけど、現地での調査自体は警察とか関係なしで完全に個人でやってくれだって」
「……つまり普通に参加して、勝手にやっといて下さいってことか。……最悪だ」
 たぶん調査らしいことなんて何もできねえ。
「なに言ってるんだよぉ。ただのイベントでしょ? オタクがいっぱい集まるんでしょ?」
 本当に伊乃は何も知らないらしい。服部さん、僕はあなたを怨みます。
「行ったら分かるよ……。あそこは伊乃が思っている以上に過酷で、まさに戦場と呼ぶにふさわしい場所さ」
「な、なによう。さっきから脅してばっかり……そういう鷹弥こそどうなの? 行ったことあるのっ? コミケに」
 否定的な僕に伊乃が怒りだした。
「いや……そっち関係に理解があることはあるんだけれど……実は僕もコミケには参加したことはないんだよね。恥ずかしながら」
 あと世間一般では、参加した事ある方が恥ずかしいのかもしれないね。
「ふっ、なぁんだ。鷹弥だって行ったことないじゃん。じゃあさ……初めてどうし一緒に行こうよ……ね? 鷹弥が来てくれるんだったら私はそれで心強いから」
 まるでオモチャをせがむ娘のような目で僕を見る伊乃。
 やれやれ。僕は最初から断るつもりなんてないし、話を聞いた時からこの事件は始まっているんだ。どんな謎でも、チャンスがあれば絶対に逃さない少女が伊乃だ。僕はそれを知っているから、彼女を止めようなんて無駄なことはしない。
「……まったく、しょうがない奴だな」
 たとえどんな地獄でも、伊乃が行くなら僕はついていくしかない。だって僕は、探偵助手なんだ。
 ほんと……怨みますよ、服部さん。
「え……? それじゃあ鷹弥、一緒に行ってくれるの?」
 伊乃は整った綺麗な顔を不安そうに曇らせて、僕を覗き込んだ。
「はいはい、行くよ。なんだかんだ言ってコミケには一度行っときたいと思ってたんだ」
 僕は気のない返事で答える。
 すると伊乃の表情がどんどん明るくなっていって。
「ほ、ほんと……わ、わぁ〜いっ。ありがとう、鷹弥っ。さすが鷹弥だねっ!」
 僕に抱きついてきた。伊乃の豊かな胸が僕の腕にむにゅっと押し当たる。
「って、くっつくなってのっ!」
 僕は焦りながら、抱きついてきた伊乃を引きはがす。
「もうっ、鷹弥は恥ずかしがり屋なんだから〜っ。昔はよくやってたじゃん〜」
「お前が積極的すぎるんだよ。そして今は昔じゃないんだ。伊乃ももう少しは自分の事を自覚した方がいいぞ。その――」
 自分が可愛い女の子だって事を……とはさすがに言えなかった。
「ん? 自覚ってなにを自覚するの?」
 伊乃が甘えるような声で、また僕の方に体を近づけてくる。僕はじりじり距離をとる。
 伊乃はなぜかやたらと僕に懐いてくる。幼なじみだからか、僕の事をやたらと気に入っているのだ。僕は伊乃と違って突出したところもなくて、むしろ何をとっても平均以下の凡人なのに、変わり者好きの伊乃が僕を慕う理由がいまいちよく分からない。
「ごほんっ……とにかく、そうと決まればまずはコミケについての基礎知識を教えるよ」
「おお〜、是非お願いします。御堂鷹弥教授」
「茶化すなよ……まずコミケとはコミックマーケットの略で、年2回のオタクの祭典ってことは知ってるか?」
「うん。それ位の事なら兄さんから聞いたよ。夏コミと冬コミだよね。けっこう歴史古いんだって?」
 どうやら概要はちゃんと押さえてくれているようだ。
「そう。最初は小さかったけど、どんどん大きくなっていって、会場も何度か移ったんだ。で、今は有明にあるビッグサイトで開かれてる」
「ふ〜ん。で、具体的にそのお祭りでは何をするの?」
「そこを知らないか……うん。なら言おう。コミケとはつまり――世界最大の同人誌即売会なのだっ!」
 僕は胸を張って堂々と声高らかに言った。
「同人誌即売会……ってなに?」
 僕のテンションとは対照的に、伊乃はきょとんと首を傾げていた。ま、やっぱりそう言うよね。カタギの人間には分かるわけないよね。
「同人誌即売会とは同人誌を売るお祭り。同人誌ってのは二次創作……つまり漫画とかアニメとかなんでもいいんだけど、自分が好きな作品があるとして……その作品に対する愛が強くなりすぎてその結果、自分で勝手に作品の外伝みたいなのを作ってしまうんだ。で、それを売るのがコミケ。ちなみに作品を販売する人達のことをサークル参加者っていうんだ」
 大雑把に言うとこんな感じ。
「え〜と……よく分かんないんだけど、例えば私がある漫画が好きだとして、その漫画を元にして私が新しいストーリーを創作するってこと?」
 さすが探偵。理解が早い。
「そういうこと。パロディだね。同人誌ってのは同じ趣味の人が集まって創作するっていう意味があるんだ。ある作品が好きな人達の集まりがいわゆる同人イベントで、コミケはそれら作品全ての統括みたいなものなんだ。コミケではどんなジャンルの作品でもOK。同人活動の総本山だね」
「な〜るほど。要するに同人誌は素人の書く漫画ってことだね」
「乱暴に言えばそうだね。ま、プロでも同人誌は書いてるけど……ややこしいからそれでいいや。それに……サークルが販売する物は、漫画以外にも音楽とかゲームとか小説にグッズなど多岐に渡って色々あるよ」
 あらゆる創作心が一箇所に集まるところがコミケなのだ。
「創作魂だね。クリエイティブだね。なんか燃えてくるよっ」
 なんか興奮した伊乃が瞳を燃やし体を震わせていた。
「そうだね。ま、コミケの概要はそんなとこだけど……まいったなぁ。ってことは一般参加で僕達は入場しなきゃいけないのか」
 コミケ当日は信じられないくらいの人だかりと聞く。一般入場で入ろうとしたら、開場する何時間も前から並ばないと会場内の捜査もままならないじゃないか。
「一般参加……?」
「ああ。コミケで作品を販売する側がサークル参加者ってのはさっきも言ったけど……それともう一つ。作品は出さずに、買い物だけしに来る人の事を一般参加者って呼ぶんだ。調査活動をするんなら、断然サークル参加で行った方が効率がいいんだけど……僕らにはその手段がないからなぁ」
 頭を悩ませる問題だ。服部さん達警察関連はその辺の事なんか全然気にもかけないんだろうけど……。
 僕の話を聞いた伊乃は、長く艶やかな髪をかきあげ、考える素振りをしたあと口を開いた。
「そう……あんまりシステムが分からないけど……サークル参加する人についていけばいいんじゃないの? それは駄目なの?」
「そっか……それはいいアイデアだ。というか最善策だね」
 さすが仮にも名探偵。コミケの事もよく知らないのに的確な答えを出してみせるとは。
「えへへ。そう? でも今度はサークル参加する人を見つけるのが難しいね」
「あ、それは大丈夫だよ伊乃。目星はついてるんだ。コミケに出るような人達ってのは大体どこの学校にもいて、そういうのに参加する部活ってのがあるんだよ」
「え? そうなの?」
「ああ、それは漫画研究部とかそういったトコだ。……といっても本当に出るかどうか分からないし、サークルチケットだって余ってるかどうか……」
「ま、細かいことは後にして……漫研部だって分かったならさっそく行動だよっ! さ、鷹弥いこっ!」
 やれやれ……行動力が半端ない少女だ。
 こうして僕は、厄介な事件に巻き込まれる事になったわけで。


inserted by FC2 system