コミケ探偵事件録

第4章 夏コミ3日目

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 その後、服部さんはビッグサイトの中に戻っていって、僕と伊乃がやぐら橋の上で暗黒創作会の2人を待っていると。
「おはよー、2人とも」
 漫研部部長の仁江川八重子先輩が現れた。
「って、仁江川先輩どうしてここに……? 今日は参加しないはずじゃあ……」
 確かサークルチケットは2日目のを3枚手に入れただけのはず。
「昨日はあんな事があったからんだからね、ろくにサークルどころじゃなかったもの。アタシがこのまま大人しくしてるわけないでしょっ」
 なんか燃えていた。同人誌が入ってるであろうカートを引きずり、準備は万端って感じだ。
「でも先輩。昨日のように販売するためのサークルスペースってあるんですか?」
 昨日はたまたま出られなくなったサークルの代わりに出展できたけど。
「うん? 今日はスペースないわね」
 薄い胸をどんと張って誇らしげに言った。
「ないんかいっ!」
「大丈夫よ。だってアンタ、今日は創作会の2人のサークル員として行くんでしょ? あいつらのスペースはあるって事よね。だったらアタシはそこで販売させてもわうわ」
「うっわ! まさかの寄生!」
 やることがあくどい。しかもその言い方だと絶対無断だもん。何の断りもなくだよ。
「なんだとぉおお〜〜〜?? それは――気に入らんなぁ〜」
 と、最悪のタイミングで最悪な巻き舌声が聞こえてきた。
「安藤先輩……それとヤス子さ」
「ヤス子じゃないです、や」
「うるさい、ハゲ」
 いつものやり取りを終えて、安藤先輩は仁江川先輩の正面に立った。後ろの方でヤス子さんが「ハゲじゃないです〜」と嘆いていた。
 相変わらず扱いが可哀相だ。ヤス子さん、今日も昨日みたいなやる気満々って感じの装備で挑んできてるのに。
「まさかぁ貴様、我々暗黒創作会を利用しようと言うつもりかぁ〜?」
 安藤先輩が凶悪そうに牙を剥いて仁江川先輩を睨んだ。
「ええ、そうよ。悪い? 昨日はアンタ達をアタシのサークルに連れてってあげたんだから、今日はアタシがアンタ達のサークルに行くってのは自然な流れじゃない?」
「チッ。テメェのやろうとしてる事は占領じゃねぇか! オレ様達は昨日何も売ってなかったし、そもそもテメェのサークルじゃなかっただろ」
 やばい。また喧嘩が始まった。
「いいじゃない、ついでに置いてくれたって。端っこの方に少しだけでいいのよ。昨日はあんな事があったからろくに同人誌売れなかったのよ。それともなに? もしかしてアンタ、自信ないの? 自分達が売る同人誌と比べられるのが怖いの? アタシに売り上げで負けるのが怖いの?」
 すごい。絶妙だ。仁江川先輩、安藤先輩の性格をよく読んでいる。きっとこれじゃあ安藤先輩は、受けざるを得ない。
「く……くく……な、何を言い出すかと思えば貴様……チッ。いいだろう、許可してやろう。だがオレ様の作品と並べられて、果たして貴様の同人誌は一冊でも売ることができるかな?」
 安藤先輩は負けじと挑発。2人の間には見えない火花があがっていた。
「ちょっと、伊乃……さっきから黙ってないでこの状況を……って、あれ?」
 僕が2人に気をとられていたら、いつの間にか伊乃の姿が消えていた。
 どこに行ったのだろうと見渡せば、すぐに発見。離れたところで頭を動かししきりに何か探しているみたいだった。
「どうした、伊乃?」
 僕は伊乃の元に行ってその肩をたたく。
「うん。ちょっとね、気になってね……ほら、さっき兄さんが言ってたように、警官の数が少なくなってるなって……」
 言われて僕も周囲を見回すと、昨日までと比べて明らかに少ない。というか、視界に入る警官は1人しか確認できなかった。
「ああ、確かに……」
 そう言われると僕も不吉な予感がする。警官が少ないってことは……それだけ犯行しやすい状況ってことだ。
「でも伊乃、警官がいなかったとしてもこれだけ参加者がいるんだ。さすがに人前じゃ犯人だって何もできないさ」
 それにあの犯行予告は単なるイタズラである可能性が一番大きい。僕もさっきはつい勢い込んでたけど……事件がいつもハッキリ分かりやすいものになるとは限らないんだ。しょせんそれが現実なんだ。
「おーい、そっちでなにやってんの〜っ。行くわよー」
 気が付けば、いつの間にか安藤先輩とヤス子さんが入場口の方へと歩き出していて、仁江川先輩が僕達を呼んでいた。
 もうケンカの時間は終わったらしい。仲が悪いんだか、いいんだか。
「待って下さいよーっ。僕達まだサークルチケットもらってないんですよーっ」
 僕は慌てて安藤先輩達の元に急ぎ、そしてスタッフさんにチケットを渡してコミケ会場の中へと入った。

 ビッグサイト内へ入った僕達は長い廊下を渡って到着。
 昨日と同じく、僕達のサークルスペースは今日も東館の目立たない場所にあった。
「さっそく準備にとりかかるわよ」
 と、仁江川先輩が机の方へ進もうとして――。
「おい、漫研。ちょっと待て」
 安藤先輩がそれを制止した。
「なによ?」
「いや。これは念の為の確認だが……まずは机を調べてみねぇか?」
 安藤先輩は静かな声で言った。
「あ……そうか。もしかしたら……例の同人誌がまたあるかも」
 僕は安藤先輩の言わんとする事が分かった。
「でも安藤くん。昨日は同人誌の山の間に挟まれていたから、初めから机の上にあったわけじゃないよ」
 ヤス子さんが、確認するのが怖いといった様子で安藤先輩の服をつかんだ。
「だが、もしこの時点で同人誌が机の上に存在していたら――少なくともオレ様達の中に犯人はいないって事になるだろ?」
 確かに。会場の中に入れるのはサークルチケットを持った人間だけ。そしてチケットは入場する際に没収される。
 つまり一度中に入ったら終わりなのだ。建物を簡単に出たり入ったりすることはできない。つまりこれは古典的な言葉で表すなら――密室。
 僕達は5人で一緒に会場へ入ってサークルスペースまで来たんだ。本当に僕達の中に謎の同人誌の制作者がいるなら、今の時点でその本が机にあることは現実的に考えてありえない。
 だから――だからこそ。
「な……なんで。そんな馬鹿な……っ」
 仁江川先輩が嗚咽の混じった声をあげた。
 そう。だからこそ、机の上には同人誌が置いてなければならない。
 だってそれが、ミステリだから。


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