コミケ探偵事件録

第3章 夏コミ2日目

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 朝の8時5分前。
 サークル参加者の立場に立つのはなんていい気分なんだ。昨日始発で一般参加したからこそ余計に分かる。列に並んでいる大勢の人を尻目に悠然と歩くこの爽快感ッ。
 み〜んみ〜んみ〜ん、と朝の涼しい空気が気持ちいい夏コミ2日目。サークル入場する僕達はアニメポスターが貼られた通路を渡り、やぐら橋を上がったところで――漫研部部長の仁江川八重子先輩と出会った。
「遅いじゃない。先輩を待たせるなんてひどい後輩ねっ!」
 仁江川先輩はいきなり怒っていた。
「え、でも約束の時間には間に合いましたよ」
 結構ギリギリだけど。
 今日は昨日と違い遅い時間帯に家を出発したから、電車も満員ながら昨日のような地獄とまではいかずにすんだ。
「なに言ってるのよっ。ここはコミケよっ! テンション上がって1時間前に来てしまうのが普通でしょ!?」
 しかしいったい何の試練なのか、仁江川先輩にはゆとりは必要ないらしい。
「それじゃあ最初から7時集合って言ってくれたらいいのに……」
 僕の後ろで伊乃が、仁江川先輩に聞こえるか聞こえないかの声で呟いた。
「聞こえてるわよ」
「ひっ、ひぃ……っ」
 伊乃は僕の後ろにさっと隠れる。相変わらず仁江川先輩が苦手な模様。
「じゃあ先輩、行きましょうか。でも……ホントにいいんですか? 貴重なチケットを僕らに使わせて。漫研部の部員達も欲しがってたんじゃ?」
 仁江川先輩が手を尽くして手に入れたチケットは3枚。ちょうど僕と伊乃と仁江川先輩で使い切る形だ。
「いいのよ。これは部長特権だし。そもそもアタシ個人で手に入れたんだし。アタシはね……スリルが欲しいの、ドラマが欲しいの、非日常が欲しいのよっ!」
 仁江川先輩はガバリと両手を広げて叫ぶ。周りの視線が痛い。
「――あァン? なんかイタイ奴がいるから誰かと思えば……漫研部に探偵部じゃねぇか。奇遇だなぁ」
 と、巻き舌の声が後ろから聞こえてきたので、僕は振り返った。ていうか振り返らなくても特徴的な喋り方で分かるけど。
 ――暗黒創作会の安藤虎兎と、隣に部員のヤス子さんの姿があった。
「安藤先輩。それに……ヤス子さん」
「ヤス子じゃないですっ。康か……」
「そんな訂正どうでもいい。それよりも、久しぶりだなぁ? 漫研」
 安藤先輩はヤス子さんの台詞を遮り、仁江川先輩に意味深げな視線を送る。
 ヤス子さん、相変わらず不憫ですね。そういえばヤス子さん、今日はTシャツにジーンズという、ずいぶんと男の子っぽい格好だ。ま、コミケは戦場だもんな。
「……アンタ達、参加すんのは確か3日目じゃなかったっけ?」
 仁江川先輩は、天敵の登場とばかりに、怖い顔で安藤先輩を睨んだ。
「くく、知ってるだろ? オレ様の手にかかればサークルチケットの1つや2つ入手するのは容易いと。貴様達が2日目に出ると聞いたんで、急遽チケットを手に入れることにしたのだ」
 2人はどうやら抜き差しならない関係のようだ。過去に何かあったのだろうか。
「……フン、いいわ。勝手にしなさい。アタシ達には関係のないことだしね」
「確かに貴様には関係ない……だが探偵部は違うぞ。なぜならオレ様にとっての貴重な存在だからな。それに、オレ様だって――推理ものの『登場人物』なのだから」
 安藤先輩は僕達を指さして言った。
「相変わらずよく分からない馬鹿なこと言うわね……だから漫研部から追い出されるのよ。ヤスちゃん、あなたはその男のとこにいちゃ駄目よ。ウチに戻って来な――」
「フン、訂正しろ。追い出されたのではない。オレ様から出て行ったのだ。そしてヤス子はオレ様のものだ」
 安藤先輩は普段よりもいっそう凶悪な顔をして、仁江川先輩を威嚇した。
「八重ちゃん、ごめん……私の居場所は、もうそっちにはないんだ……」
 ヤス子さんが、とても悲しそうな顔をしていた。
 ……ていうか僕達完全に蚊帳の外だし。なんだこの空気感は。
 僕は居心地悪くなって、伊乃の方を見ようとしたら――。
「って、ちょっとちょっと〜〜〜〜!」
 伊乃が大きな声を張り上げた。
「……え?」
 突然のことに、僕達はみんな呆気にとられた。
「なんだかよく知らないけど、みんな仲良くしよ? 今日はコミケだよ? みんなサークルチケット持ってるなら、みんなで行けばいいじゃないっ。ほら、いこっ」
 いきなり伊乃がこの場を仕切り出して、仁江川先輩や安藤先輩の背中を押し、サークル入場口へと連れて行く。
「お、おい探偵……なにをっ」
「伊乃さん……ふふ」
「……あは」
 みんな渋々といった顔をしていたけど、不思議と嫌そうな顔ではなかった。
 伊乃は昔から変わった奴だ。何をするのか行動パターンが全然予想できない。一緒にいる僕の気持ちも考えて欲しいよ、まったく。
 そう思いつつ僕も、口元に笑顔を浮かべてみんなの後をついていく。そして入り口のスタッフにチケットを渡して、会場入りした。


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