コミケ探偵事件録

第1章 夏コミ前日(設営日)

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 
「それにしても暑いなぁ……」
 外に出た瞬間――セミのけたたましい鳴き声と、太陽の眩しい日差しに、僕は思わず立ちくらみそうになった。
「なんかお祭り前って感じがして凄くいいねっ。鷹弥っ! 駅の中ポスターだらけだったね!」
 対して伊乃は元気に、駅中に貼られたアニメのポスターを見て回っている。
 僕達はいま、りんかい線の国際展示場駅を降りたところにいた。
 真上には燦々と太陽が燃えている。しかし、周囲に人の数はまばらにしかいない。今日はコミックマーケット設営日なのだ。つまり明日から3日間の夏コミが始まる。
「明日にはここが人でいっぱい埋まるんでしょ? 信じられないなぁ。すっごいなぁ〜」
 伊乃はまるで観光で来た人みたいにはしゃいでる。
「……ほんとに今日来る必要があったのか? 犯行予告によれば事件を起こすのはコミケ開催中だろ?」
「なに言ってんの鷹弥っ。犯行現場が分かっているなら万全の準備をしておくに越した事はないんだよっ。私はあくまで普通の探偵なんだから。私に本格推理小説のような頭脳を期待しないでよねっ」
 あらあら。自分で言っちゃってるよ。
 まったく、仕方ないな――と、太陽の光に目を細めながら僕は、遠くに見える巨大な逆三角形の建物を見た。あれこそが、今回の事件の舞台。祭りの舞台。
 ビッグサイト。

 ――伊乃がコミケ事件の依頼を僕に持ちかけた日から、僕達に変わったことは特に何もなく、強いて言うなら、漫研部部長の仁江川八重子先輩が2日目のサークルチケットを3枚入手してくれたことだろうか。おかげで僕達は2日目と3日目をサークル参加で入場することができる事になった。
 あ、そうそう。ちなみに暗黒創作会の闇なる秘密もいくつか知ってしまった。……でも、むしろ知らない方がいい情報ばかりだった。
 ま、この約1ヶ月いろいろあったというわけで……僕と伊乃は、いよいよ明日に迫ったコミックマーケットの下見に来ていたのだ。

「でも漫研部と……なんだっけ? 暗黒なんとか会には感謝しなくっちゃね」
 伊乃がウインクして笑顔を僕に向けた。
「暗黒創作会な。感謝してるんだったら名前くらい覚えような」
 不覚にもちょっとドキドキしてしまったし。
「まぁまぁ、それより、ほら行こうよ、鷹弥」
 完全に観光気分だよ、こいつ。
 僕は伊乃に腕を引っ張られながらビッグサイトへと向かった。
 ビッグサイトへの距離は意外とあって、道中アニメポスターが並んで貼られている通路を渡った。
 するとビッグサイトの手前に、長い大階段があった。
 いよいよここを昇ればビッグサイト、と僕達が大階段を昇るとそこは橋の上。その橋はやぐら橋という名前で、東館や西館などビッグサイトの建物同士を繋ぐ巨大な橋だ。
 やぐら橋の上に立った僕は、目前にある逆三角形の建物(念願のビッグサイトだ)に驚いて、後ろを振り返ったらゆりかもめが走っていて更に驚いた。
 そして何気なしに橋の下を見てみれば、巨大なノコギリみたいなオブジェがあって三度驚いて……もう、何もかもが新鮮だった。
 ……なんだ、僕も結構楽しんでるじゃないか。
 すっかり暑さも忘れた僕は、伊乃と並んでビッグサイト内へと足を踏み入れた。
「やっぱり人、少ないね」
「そうだね。明日からだし、実はもう人が沢山いるかもと思ってたけど……でもコミケ会場って感じの雰囲気は既に出てるね」
 アニメ絵一色に装飾されたビッグサイト建物内部。チラホラと歩いている人達もいかにもオタクって感じだった。見れば警官の姿も何人か確認できた。
「で、どうする伊乃? 僕は一回服部さんに会っときたいと思うけど」
 長い渡り廊下みたいなところで立ち止まって、僕はこれからの事を尋ねる。
「そうだね。ほんとはその前に、鷹弥と一緒に全体をゆっくり見て回りたかったんだけど……この広さじゃ迷子になっちゃうもんね」
 さすがの伊乃もビッグサイトの巨大な存在感に物怖じしたか、ケータイを取りだして今回の事件担当、服部刑事に電話をかけた。
「もしもし、兄さん? うん、私。うん、今来てるよ。ん、鷹弥と一緒だよ。うん、そう。……え? なんで怒ってるの? 別に何もしてないよ。うんうん、分かった分かった。それより私達長い廊下みたいなとこにいるんだけど……テーブルがいっぱい並んでる休憩所辺りの。そうそう。うん分かった、そこで待ってる。そんな急がなくてもいいよ。じゃあね」
 プチッ――、と伊乃が電話を切った。
「で、服部さんはなんて?」
「テーブルに座って待ってろだって。あと合流したらさっそく鷹弥を処刑するだって」
「オッケー。了解……してねーよ!!!! 事件が起こる前に自分が犯人になるつもりなの、あの人!!??」
 それはそれでまったく斬新な事件だと思うけど。
 ま、冗談はおいといて。僕達は待ち合わせ場所へと向かった。


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