引き継がれる物語

終章 君が歩くのと同じ速さで

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

・終焉

 
「なんで……どういう事なんだ……」
 山を降りた俺は自分の目を疑った。
「野瀬商店が……ない」
 山の麓にあるはずの野瀬商店が影も形もなくなっていた。周りは殺風景なあぜ道が広がっているだけだった。
 何故なんだ。ついさっき、山を登る前に俺は店に入って野瀬姉妹と話していたんだ。こんな事あるはずない。
 この短い間に何があったんだ。いや……これは、俺が。
 俺は無性に嫌な予感がして、藤堂家へと走った。
 凄く足が軽い。全然疲れないし、夏の暑さも感じない。どうなっている。こんなの、まるで……まるで。
 途中見る町の景色もいつも俺が目にするものとは微妙に異なっていた。畑がコンビニになっていたり、何もなかった空き地に家が建っていたり。
 俺は異常を確認する度に鼓動が高鳴って走るスピードを上げる。足元には影のように黒猫がピタリと俺のスピードに合わせてついてきていた。
 そして藤堂家に到着した。
「はぁ……はぁ……あった」
 藤堂家はちゃんと存在していた。俺は思わず安堵のため息を漏らす。
 しかし、呼吸を整えて家の中に入ろうとしたとき――一台の車が藤堂家の前に止まった。
 誰だろう。俺はこの車に何故か見覚えがあるような気がして、そして車の運転席と助手席から出てきた人物を確認して――絶句した。
 それは――俺の父親と、母親だった。
「なっ……あ」
 俺は口をぱくぱく開けて両親を見る。2人はなぜか暗い顔をしていて、目の前にいる俺を無視している。こんな近くにいるのに気付いていないわけはないはずだ。
 車の音を聞きつけたのだろうか、家の中から瑠璃さんが出てきた。
「いらっしゃい、兄さん。それに義姉さん」
 脱色した髪のサッパリした性格の瑠璃さん。だけど俺の知ってる瑠璃さんとは別人のように見えた。そして瑠璃さんもやはり俺の存在に気付いていない。
 それはまるで、俺が神流のような存在になったみたいに。
「久しぶりだな、瑠璃」
「瑠璃ちゃん、元気してた?」
 俺の両親も挨拶を返している。というか2人はどこか遠くで仕事をしているはずだ。なぜこんなところにいる……いや、待て。そういえば俺の親っていったいどこで、何の仕事をしているんだ? なんだ、この胸騒ぎは。
 次の瞬間、俺の嫌な予感は的中した。最悪なカタチで。
「附音が亡くなってからもう5年になるのか……」
 父親が放った衝撃的な言葉。なんだと……俺が、死んだ?
「そう、早いわね……」
 瑠璃さんが沈痛な面持ちで視線を地面に向けた。
 なんでだ。5年と言えば俺が叶歴と出会う前だ。これも俺の壮大な幻想だというのか? それとも……今までの人生が全て俺の頭の中だけのものだというのか? あの過去も、現在も。
 だから俺は過去だと思っていた情景に入る事もできたし、奇妙な世界へトリップする事もできたのか? 妄想も現実だと思っている世界も、全てが同列だったのか。
 これからだと思ったのに。全部受け入れて生きていこうと決めたのに。これが真実なのか?
「でも、いつもあの子が私達を見ていてくれてるような気がするのよね」
 母親が言った。何を言う……あんた達は全然俺の傍にいてくれなかったじゃないか。俺は……俺はあんた達が嫌いだったんだ。
「そうだな。附音が亡くなって以来、多くの場所に行ったがずっと附音の存在を感じていた」
 父親が寂しそうに言った。何言ってんだよ……一緒になんていてやるものか。俺はずっと逃げたかったんだ。あんた達から……なのに。
「父さん……母さん」
 俺は2人を呼んでいた。だってもう気付いていたから。両親はずっと俺の傍にいてくれたんだ。2人が俺の事を想い続けてくれたから、俺は今もこうやって存在していたんだ。
「父さんっ! 母さんっ!」
 俺は叫ぶ。だけど声は届かない。ここにいる3人はみんな俺の事を想い、優しい顔をしている。俺の事をこんなにも強く感じていてくれる。
 俺は何も知らないで全部を嫌って生きていた。俺の事を大事に想ってくれる人達がこんなにもいてくれたのに。俺はみんなに守られて生きていたのに。
 もしかすると……神流は全部知っていて、俺の魂を助ける為に存在していたのかもしれない。自分の影と戦いながらずっと俺が現れるのを待っていたのだ。
 ……だったら今度は俺の番だ。俺は影と共に待とう。俺を必要としてくれる人物の訪れを、神流がそうしたように。
 ずっと、誰かの1番になりたかった。もしも1人選ばれるなら、真っ先に自分を選んでくれる人が欲しかった。俺の場合、それは叶歴だった。
 少女の祈りが少年を生みだし、その少年も少女を生み出したように繋がっていく。これは繋ぐ物語。
 きっと今もあの廃墟に心を囚われた人間がいる。幻影を追い続けている者がいる。あの廃墟は人が願い、そして届かないものを象徴化したカタチなのだ。自分の力でその幻想を打ち砕くには、あまりにも魅力的で美しすぎる。俺はそんな人達を手助けするのだ。
「ここで話もなんだし、どうぞ家に上がって下さいな。千春もいるわよ」
「ははっ、千春ちゃんに会うのも久しぶりだな」
「ふふ、この時期の子供は成長するのが早いものね。楽しみだわ」
 3人は笑いながら藤堂家の中へと入っていく。俺はついていかないで、その後ろ姿をじっと見守り続ける。
 なぁ聞いてくれ、俺は自分がやるべき事をやることにしたよ。これは俺が自分で決めたことだから。だから少しの間、さようなら。
 そして玄関の扉が閉じて両親の姿が見えなくなった。ずっと俺と共にいてくれた父さんと母さん。そしてみんな――。
 ありがとう。

                          ――fin.


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