引き継がれる物語

第4章 少年と少女と影

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

〜君とボクの世界 4〜

 
 ボクが叶歴と初めて出会ってから1年以上の歳月が経っていた――。
 その間に、叶歴と過ごす何気ない時間はボクにとってかけがえのないものになっていた。
 だけど同時に、叶歴の体は出会った頃と比べてか弱くなっているようにも思えた。
「こほん、こほんっ」
 その日も叶歴は咳をしていた。
「だ、大丈夫っ? 叶歴っ」
 ボク達は今、ボウリング場のソファーの上にいた。少し離れたところには片方の耳の先が少し欠けた黒猫が毛繕いしている。
「平気……ごめんね心配かけさせちゃって」
 叶歴は申し訳なさそうな声を出す。最近叶歴の創作するお話も聞くことが少なくなった。
「そんな事気にするなよ」
 そんな事よりも――ボクは叶歴に言わなければいけない事があるのだ。
「ん……? どうしたの、附音」
 気が付けば、叶歴が不思議そうな顔をして僕を見ていた。
「いや、えと……その……」
 いつもやってることだけど、いつになっても本当にいやな報告だ。ボクはいつまで経っても慣れない。特に今回はあまりにもそれは辛すぎる。
「どうしたの、附音くん……お願い。私に話して」
 悲しげな瞳をボクに向ける叶歴。そんな顔をされちゃボクは黙って従うしかないじゃないか。
「実はボク……近々引っ越すことになったみたいなんだ……」
 この頃最近、叶歴に言わなくちゃと胸に秘めていたことをとうとう話した。
「と、東京を離れるの……?」
 一瞬、叶歴は絶望に突き落とされたような表情をした。ボクはとても辛かった。そして自分の無力さが憎かった。
「うん……遠いところ。でも多分そこもすぐに引っ越す事になるんだけどね。ボクの両親、仕事の都合でしょちゅう引っ越しているから」
 そうだ。本来はこれがボクの人生なんだ。ボクは長い間この町で過ごしすぎたのかもしれない。こんなにも辛い気持ちになるなんて……多分初めてだ。
「そ、そうなんだ……附音」
 さすがに叶歴もショックを隠せないようだった。口を開けて体が小刻みに震えていた。
「で、でも大丈夫。きっとボクはここに戻ってくる。また叶歴に会いに来る」
 ボクは叶歴のそんな姿を見たくなかったから、根拠もないような事を言ってしまった。
 だけど叶歴は、必死なボクを優しく包み込むように優しげに微笑んでみせた。
「私のことは気にしなくていいんだよ。附音は附音の人生を送っていいの。私のために自分を犠牲にしなくていいんだよ」
 叶歴のいつもの台詞はこんな時でも出てくるのだ。
「またそんな事言っちゃって……だからボクは別に犠牲とかそんなの考えてないって。ただ叶歴と一緒にいる時間が楽しいから、それで一緒にいるわけなんだから」
 叶歴こそ自己犠牲みたいな感じの言い方してるじゃないか。
 それにボクの人生は――親によって弄ばれている。ボクは2人にとってペットか何かなんだ。
「でももう行っちゃうんだよね……附音くん。附音くんは大丈夫?」
 叶歴はボクの事を気遣っていてくれてるのか、ボクの手に手を触れて体を寄せる。
「ボクは大丈夫だよ」
 胸の鼓動が早くなるのを感じる。ボクは叶歴との時間が何より大切になっていた。だから大丈夫なわけがないのだ。でも叶歴を安心させないといけない。
「だったら……よかった」
 叶歴は胸を撫で下ろして言った。よかったって、何がいいのかボクには全然分からない。それに叶歴の顔は全然嬉しそうに見えない。とても寂しそうに見える。だからボクは。
「で、でも安心してっ。ボクはきっとすぐに叶歴の元に戻ってくるよ! 田舎なんかにいつまでも住むつもりなんてないね!」
 そうだ。今までボクは両親の勝手な都合で何度も人生を振り回された。もうこんな事はこりごりだ。
 今、ボクは決めた。ボクはこの町で暮らす。ここで、叶歴と一緒に。
 そうだ。叶歴だって嬉しいはずだ。きっと喜んでくれるはずだ。
「附音くん……それは駄目だよ」
 でも、叶歴の表情はボクが思っていたものとは違う風に変わっていた。より悲しそうな瞳。
「えっ、駄目って何が駄目なんだよ叶歴……」
 ボクの考えは素晴らしいもののはずだ。叶歴だってボクと離れたくないはずだ。なのになんで……。
「今まで……ずっと言ってなかった事があるの」
 ボクの手をぎゅっと握って、叶歴は悲しそうな声で言った。
「え……? そ、それは」
 叶歴の突然の告白。ボクは何が何だか分からなくて、ただ叶歴の言葉を待つ。
「……私ね。ほら、見ての通り体が弱いでしょ? でもね、いろんなお医者さんに見て貰っても原因は不明なんだって……生まれつきのものだから諦めろって。それでね……最近調子がひどくなってね。それで……もしかしたら私、もうすぐ死んじゃうかもしれないんだ」
 叶歴のその言葉に、ボクは目の前が真っ暗になった。
「そ、そんな……嘘だ……」
 もちろんボクも叶歴の体が弱いことは知っていたし、最近調子が悪くなってきているのも分かっていた。
 でも……死んでしまうなんて。そんなの信じられるわけがない。それに叶歴はこんなにも落ち着いていて、いつもと変わらずボクに会いに来てくれている。死ぬなんて風には全然見えない。そうだよ。それにこんなに……こんなにあっさりと言えるわけない。
「叶歴……それ、冗談だよね? 全然笑えないよ、それ。それとも新しいお話なの?」
 人がそんなに簡単に死ぬものだなんてボクには理解できなかった。
「……ごめん、附音くん。冗談じゃないの。お話でもないの。自分の体だから分かるの……死が近いんだなって」
 叶歴は自分の死が迫っているというのに、まるで他人事のように静かに呟く。
「だったらこんなとこに来てる場合なんかじゃ……」
 それが本当だとしたら、入院するなりしてなんとか治さなければいけないのに。
「原因が分からないから何をしても無駄なの。それに附音くんと過ごせた時間はとっても楽しかった。だから私は病院で過ごすよりもこの時間を大切にしたい。本当は……もっと色々なところに行って色々なことをしたかったけど……でも私はこれで満足だから。附音くんと過ごした数年間があっただけで私の人生は幸せだったから」
 体の調子が悪いのだろうか、叶歴はまるで正面からボクに抱きつくような形で体をもたれかかかせてくる。ソファーの上のボク達はいま、ひとつになっている。
「叶歴……」
 ボクも叶歴と同じ気持ちだった。ボクの現実は実に淡々としていて、過ぎ去るだけのつまらないものだった。ボクだって叶歴との2人だけのこの世界こそが全てなんだ。
「附音くん……私の事は忘れて。私の人生は終わるけど、附音くんの人生はこれからも続くの。新しい道を進んで、附音くん」
 そんな事を言う叶歴は、口調はあくまでもさっぱりしたものだったけど……その顔はなんだか少し寂しそうだった。
 でも、そんなの――叶歴を置いて行けるわけないじゃないか。
「嫌だ! ボクは叶歴といる。こんなこと聞いて頷けるわけないよ。たとえ叶歴が死んじゃうとしても、ボクはその瞬間までキミと一緒にいる!」
 ボクは叶歴を置いて1人で先に進むくらいなら――叶歴と2人で同じ場所に留まることを選ぶ。
 そうだ。この捨て去られた施設のように、いつまでも止まったままの時間をボク達は過ごすんだ。
 終わった世界は永遠なんだ。ボク達は永遠に一緒にいられるんだ。
「でも、附音くんはもうこの町からいなくなるんだよ? 引っ越しちゃうんだよっ?」
 叶歴のその叫び声を聞いて、ボクは少し嬉しかった。やっぱり叶歴もボクと離れるのが嫌だったんだ。叶歴も同じ気持ちなんだ。ずっと一緒にいたいんだ。叶歴だって嫌な現実なんて捨て去りたいと思っているんだ。
 ならボクは叶えなくちゃいけない。2人の願いを。
「大丈夫だよ。ボクはすぐに帰ってくる。そしたらまたここで毎晩会おう。たとえ叶歴の体の調子が悪くなってもボクが会いに来る……ううん。ボクはずっと叶歴の傍にいる。叶歴と一緒に暮らすんだっ」
 ボクは必死にまくしたてると、しばらくその場は沈黙に包まれた。
 叶歴は呆気にとられたようにボクを見ていたが……次第に顔が赤く染まっていって、ボクから顔を背けて、でも視線をボクの方にきょろきょろ動かしながら呟く。
「……う、うん。ありがとう。附音くん。私、うれしい。本当は私も……附音くんとずっと一緒にいたいから……」
 そう言って叶歴はますます赤くなって、俯いた。そして叶歴は無言で抱きついたまま、ボクの背中に手を回してぎゅっと力を入れた。
 そうだ。ボクは廃墟の中で誓ったんだ。2人の永遠を。


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