引き継がれる物語

第1章 海と山と田舎

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 
 長かった電車の旅もようやく終わって、俺は駅のホームに降り立った。
「ここが三笠町か。ホント、何もないところだな……」
 見渡せば、線路が果てしなく続くその周囲は、草木がうっすら生い茂る小高い丘。
 どうやらここは無人駅のようで、人の気配なんて全くなくて、ただ鳥のさえずりが聞こえてくるのみだった。
 東京や昨日まで住んでた町では決して味わえなかった自然の匂いというものが鼻腔をついて、俺は改札を抜けて夏の日差しが降り注ぐなか大自然の大地を歩いた。
 ……本当になにもない。駅以外には建物はほぼなくて、ただ草木が広がっている。
 これが今度の町。どうせすぐに出て行く田舎町。まともな友達がいた事がないのも全部親のせいなのだ。なんで俺はこうも振り回されるんだろう。親の都合なんて俺には関係ないのに。どうせ家にだってほとんどいない親。一緒に暮らしているなんて思えない状態なのに。
 俺は小さくため息を吐いた後、待ち合わせしていた人物を捜す。
 だけど探す必要なんてない、見る限りここに人は俺を除いて1人しかいない。駅前のベンチに座る目当ての女性。
「あっ、君が附音くんよね?」
 脱色した髪を伸ばした女性はハスキーな声で言った。
 俺は一瞬どきりと身を硬直させたが、それが誰かすぐに思い至って返事をする。
「あ、はい。そうですけど……あなたが瑠璃おばさんですか」
 スラリとしたプロポーションにきめ細かい肌……一見すると大学生風にも見えるのだが……どうやら彼女が俺の叔母にあたる藤堂瑠璃さんのようだ。
「ちょっと、附音くん〜。そのおばさんってのは禁止よっ。あたしのことは瑠璃さんって呼びなさいっ。もしくは瑠璃お姉さん! あとは……ルリルリ?」
 ルリルリ……いや、瑠璃さんは子供のように頬を膨らませてむくれていた。にしても中学生の娘がいるとは思えないくらい美人だし、若々しい。
「はぁ……じゃあ瑠璃さん。その、これからお世話になります」
 俺はペコリと瑠璃さんにお辞儀する。
「こちらこそ。これからよろしくねっ」
 瑠璃さんはベンチから立ち上がって笑顔を向けた。
 それに対して俺はひきつった半笑いの顔をする。
 対人関係の苦手な俺は笑顔が苦手。だから俺は人と接しなくてもいいように自ら不良を名乗っている。不良という言葉を免罪符に人付き合いを避けるのだ。でも、本当は……元々そんなマイナス的な意味で使っていたわけじゃないんだ。俺は大切な人を守れる1番カッコイイ不良なのだ。俺はその言葉を胸に刻みつけて生きているんだ……。
 俺がそんなナイーブな考えに頭を巡らせていたら、
「もう〜。そんなに畏まらなくていいわよ。あたし達これから家族になるんだから堅苦しいのは無しっ」
 瑠璃さんはあっはっはーと笑いながら俺の背中を容赦なくバシバシ叩いてきた。痛いよ。
「それじゃあ附音くん。今日から君が住む家に案内するから着いてきて」
 そう言って瑠璃さんはスタスタと先を歩いて行った。
「ちょっ、ちょっと待って下さい瑠璃さんっ」
 なかなかと豪快な人だなと俺は瑠璃さんに対する人物像を心の中で評価しつつ、慌てて瑠璃さんの後を着いていった。

 辿り着いた先は住宅街。だが住宅街と言っても、家がぽつぽつと寂しく並んでいるだけで本当に田舎って感じのところだった。
 そしてその中の一軒家の前まで瑠璃さんに案内された。
 ここは田舎町なのだが、家自体は近代的というか前衛的で、むしろ都会よりも新しさを感じた。
 これが俺のお世話になる家。藤堂家。
 ……俺の両親の勝手な保護者精神は、ついに親戚にまでこうむるようになったのだ――別に俺は1人でもいいのにどうしてそこまでするんだよ。自分達の手に負えなくなったら親戚に預けるだなんてどうかしている。そこまで仕事が大事なのに、俺の事をおざなりにしてくれない。俺は親の手から決して逃げられないのだ。俺に自由は永遠に訪れないのだ。
「とりあえず中に入って附音くん」
 藤堂家の前で暗い感情に心を浸していた俺は、瑠璃さんの言葉で意識を引き戻された。
「あ、はい」
 俺は瑠璃さんに促されるままに、小綺麗な家の中へと入っていく。
「広い家だなぁ」
 鬱々とした感情も忘れて、俺は素直に感心した。
 新築のような外観もさることながら、家の中も綺麗に片付けられていて、居住者の性格とか生活感とか、そういうものがあった。
「自分の家だと思っていいんだからねっ」
 俺に気をつかってくれているんだろうか。瑠璃さんはやたらとフランクリーに接してくれる。
 瑠璃さんはいい人だよなぁ。胸も大きいし。
 で、家に入ってリビングでお茶とか飲んでいたら、誰かが家の中にやって来た。
 制服を着た少女。ショートカットの髪に日に焼けた肌。
「あ……も、もしかして兄ちゃん? ひ……ひさしぶり……」
 なんだかおどおどした口調で俺の事を兄ちゃんとか呼ぶ少女。
 一瞬それが誰なのか分からなかったけど……この家にいるとすれば答えは一人しかいない。
「おう、久しぶりだな。元気してたか、千春」
 それは瑠璃さんの娘の千春だ。どうやらちょっと緊張してるようにも見えるが。
「げ、元気元気だよ〜。そ、それにしても兄ちゃん、ちょっと見ない間大きくなったね……」
 とってもぎこちない感じの千春。もしや久しぶりの再会に戸惑ってるのだろうか。
 というか……それはこっちの台詞である。千春は現在中学2年生だけど、前見たときと比べ身長も高くなっているし、雰囲気もどこか大人びてきているようであった。
 しかもこれは母親譲りなのだろうか、胸のサイズがとても大きくなったような気がする。
「お前もなかなか成長したじゃないか。特にある一部分が……じっとり」
 俺はここで敢えていやらしい目で千春の胸元を見てみた。
「……ひっ、ひぃ〜っ。け、けだものっ……す、すぐに出てけ〜っ!」
 千春は両手で胸を押さえて、小動物のように瑠璃さんの後ろに隠れた。
 ていうか今来たばっかりなのにもう帰れとはひどい奴だな。
「あははっ、あんた達もうすっかり昔のように仲良くなってるじゃない」
 瑠璃さんは快活そうに笑っている。う〜ん、冗談とはいえ自分の娘のピンチなのに放置するとはいいかげんというか……千春が心配になってしまう。
「で、あの……荷物とかはもう届いてるんですかね」
 俺を呪い殺そうというかのような勢いで睨み続ける千春の視線に耐えきれなくなって、俺は話題を変えることにした。瑠璃さんは自分の後ろにいるから分からないけど、娘さんこのままだったら何をするか分かりませんよ。
「ああ、荷物ね。あなたの荷物なら部屋に置いといたわ。ついてきて」
 そう言って瑠璃さんは玄関入ってすぐのところにある階段を昇っていった。俺も後に続く。
 ふと見ると、千春は俺から遠ざかるように後ずさりして威嚇していた。
「なに興奮してるんだよ。お前みたいながきんちょなんて相手にしてないっての」
 俺は遠い目をして鼻で笑う。千春はむむっと肩を怒らせた。
「く、くそぉう。このアホ附音めぇ〜。今に見てなさいよぉ」
 そして捨て台詞を吐いて奥の方へと消えていった。なんだよ、それじゃあ俺は何て言えばよかったんだ。理不尽な不満を感じながら俺は階段を昇った。
 すると瑠璃さんが2階の奥の方にある部屋の前に立っていて、
「それじゃ附音はこの部屋を使ってね」
 と空き部屋の一室を俺に与えてくれた。どうもありがとうございます、と俺がお礼を言うと、瑠璃さんは「だからそんな堅苦しいのはなしでいいのよ」と言って、階段を降りていった。
 とりあえず俺は割り当てられた自室に入り、持参してきた最小限の荷物を床に広げて整理していると、部屋の扉をノックする音が聞こえて「附音〜」と、千春の声がした。
「なんだ」
 俺はなんだか嫌な予感を感じたので警戒する。すると千春が勝手に部屋の中に入ってきて、
「ちょっとこれから町を案内しようと思って〜」
 もの凄い悪巧みをするような、にやついた笑顔をして俺を手招きする。
 この突然の誘い……何か裏がありそうだ。というか、ないわけがない。
「お断りします」
 とてもとても嫌な予感がしたので、とりあえず俺は拒否しておいた。
「なっ……お断りって」
 千春は信じられない答えが帰ってきたというような驚愕の表情を浮かべていた。
「別に案内してもらわなくても俺は平気だ」
 これは俺の本音。本当に平気なのだ。
「そんな遠慮しなくていいよ〜」
 俺の気持ちを知らぬ千春はなんか勘違いして無遠慮に食い下がる。
「いや……別に遠慮してるわけじゃないんだけど」
 怪しいとか抜きにして、案内してもらうということ自体が苦手なのだ。俺は自分の足で回って、自分の目で確認するのが好きなんだ。ま、こいつに言っても分からないだろうな。
「んじゃ行こうよ」
 俺の手を引っ張って連れ出そうとする。人の気を少しは察して欲しいもんだ。
「今日は疲れてるんだ。別に明日でもいいんじゃないのか」
 しかし俺は踏ん張る。すると俺の手を握る千春の力が緩んで、
「そ、そんなにあたしに案内されるのが嫌なんだ……」
 なんか急に千春の様子が大人しくなった。
「ん、どうした」
 年頃の女の子の気持ちが全然分からんわ。
 俺が面倒臭いなぁとか思っていると、
「あたしと一緒にいるのが嫌なんだ……附音ぅ。うっ……ぐすっ」
 なんと千春の目から涙が溢れ出した。
「って、ええっ!? 泣き出したし!」
「ふえええんっ」
 ありえない。幼稚園児かこいつは。
「おいおい、そんなんで騙されないぞ。どうせ嘘泣きだろ。ばれてるよ」
「わああああんっ。う、嘘じゃないもんっ。ほんとだもんっ。ぐすっ。附音のばかっ。しねっ。うう……ああああああんっ」
 ぜ、全然泣き止まないし。こ、こいつめ……。
「分かったよ。俺が悪かった。案内してくれ」
 ガックリと肩を落として俺は敗北。
 不良の俺に町の案内なんて別に不要なのだが……まあいいさ。
「やったぁ。それじゃ行くよっ」
 千春はけろりと泣き止んで、部屋を出て行った。切り替えはやっ。やっぱ嘘泣きじゃん。
 俺はこの選択を少し後悔しながら千春の後をついていった。
「あら、お出かけ? ほんと仲いいわね。いってらっしゃ〜い」
 玄関で靴を履いていると瑠璃さんが顔を覗かせて見送った。いや、でも仲はよくないんですよね。多分お互い敵同士だと思っているんですよね。


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