引き継がれる物語

第1章 海と山と田舎

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

〜キミとボクの世界 1〜

 
「附音くん……ですか? あなたはどうしてここに?」
 ボクの目の前に佇む少女は消え入りそうな声でそう呟いた。
「え、えっと……ボクは」
 ここはとある廃墟――。
 小さな丘の上に建つ、かつては若者達や家族連れで賑わっていたであろう巨大アミューズメント施設のなれの果て。
 ガラス窓はところどころ割れていて、草木や土や砂で建物の中は浸食されている。心霊スポットと呼ばれてもおかしくなさそうな様相である。
 まさしくそこは廃墟で、そんな廃墟の中ボクと彼女は出会った。
「よ、よかったら私とお友達になってくれませんかっ」 
 少女はぎゅっと目を瞑って愛の告白をするかのようにボクに言った。
 ボクは物心ついた時から転校ばっかり繰り返してきて友達と呼べる人間は一人も作れなかった。
 そんなボクに、見ず知らずの少女が友達になりたいって言ってきた。
 この何もかもが終わってしまった場所で。
「う、うん……別にいいけど」
 ボクは知らず知らずのうちに出したその回答に自分自身驚いてた。


 小学生は無力だ。だからどんなに未練があったとしても親の都合で簡単にどこかに連れて行かれるし、簡単に今まで積み上げてきた絆を断ち切らせる。
 ボクは何度も転校を繰り返す内に人を愛せなくなった。どうせいつか別れなければいけないのなら、その辛さをわざわざ自分から大きくする必要はない。
 自然とボクは一人になる。そして一人になると退屈になるのでボクは寂しさを紛らわせるように新しい遊びを見つけた。
 友達のできないボクは新しい町に行くと、できるだけたくさんの場所を訪れようと散策するのが趣味になったんだ。
 ――人が一生の人生の中で行くことのできる場所は果たしてどれくらいあるんだろか。
 ボクは新しい町にいくと、決まってまずはその町で一番高い場所に行くようにしている。これから住む町を見渡すのだ。
 その際にいつも思う。視界に入っているこの景色の中、きっとボクが一生行くことのない場所はたくさんあるんだって。
 そう思うと切なくなる。それはボクの人生と交わらないものなのだ。だけどきっとそこにはボク抜きの物語が繰り広げられているんだ。ボクの知らないドラマが次々と生まれているんだ。
 だからボクはなるべくたくさんの場所を訪れたい。決して交わることがなくてもボクが確かにここにいたって事を示したかった。それは単なる自己満足だけど。
 ボクの趣味・散歩の根底にあるのはそんなもの。
 そしてまた新しい場所でボクは一際高い場所を見つける。
 新しい家から少し離れたところに見える小高い丘。引っ越し早々、さっそくボクはその丘を制覇しようと思った。どうせ両親は転居初日から仕事で家を空けているし、夜だってボクは一人なのだ。だから夜に行く事にする。人の少ない夜は孤独を感じられるから。
 案の定、夜になると辺りはひっそりしていてボク好みの街並みになった。東京といっても住宅ばかりが並ぶ場所だと人は少ないんだなぁと学んだ。
 家から十数分ほど歩いたところで丘に到達した。ボクは登る。ある程度の高さまで来たらこの町の全景をじっくりと見渡すのだ。このわくわく感が何より一番好きだった。
 それほど険しくない道だったが、人通りは滅多にないのか、雑草が乱雑に生えていて整備は全然されていなかった。
 空がオレンジ色に染まる頃、ようやく拓けた場所に到着してベンチや展望台があるのを確認した。そしてボクはある事に気が付く。
 もっと上の方に、一際大きな建物がある。それはとても好奇心がそそられる建物。
 だけど……今から行ったら帰る頃にはすっかり日は暮れてしまっているだろう。
 今日は大人しくこの展望台からの景色で済ませておいていいかもしれない。
 でもボクは――あの古びた建物を見ているとなんだか不思議な気持ちになった。
 懐かしさのような、感動のような……それは分からない。
 ――どうせ両親は今夜も帰っては来ない。2人共仕事で忙しいのだ。もうすぐ中学生のボクは一人で留守番ができるから数日位家を空けていても平気らしいのだ。
 だったらボクまで2人の仕事に巻き込まなくてもいいのに……。家族は常に一緒にいるもんだって台詞、両親はそれをどう思っているんだろうか。
 ボクはそんな事を考えた時、足が自然に前へと進んでた。
 そう。ボクの基本姿勢は寄り道なんだ。
 そうして更に丘を登っていくボク。次第に傾斜は厳しくなり、空は橙色から紫色へと変わっていく。気温が下がり肌寒くなる。9月の空はもう夏じゃないんだ、とボクはなんとなく感じた。
 奥に進むにつれ道は、ますます人の通るものの姿から離れてく。まるでそれは獣が通る道だった。
 ボクは少しずつ不安になり、そして自分の選択に後悔し始めて引き返そうかと思った時に――視界が急に広くなった。
 どうやらボクは目指す場所に到着したようだ。
 それは一見ホテルのようにも見える大きな建物。だけど、建物の上に巨大な動物のオブジェが乗っかっていた。ここは娯楽施設だ。
 だけど――今は使われていない。それは外観を見る限り明らかだった。
 ボクは建物の目の前で立ち止まってゴクリと唾をのんだ。
 建物は木々や草に覆われていて、汚れに汚れている。黄昏時の光を浴びるその姿はボクに威圧感を与えていて、まるであの世の世界のように思えた。
 大きく吐いて――ボクは勇気を出し、彼岸の世界へ足を踏み入れた。
 中は外よりももっと荒れていた。きっと見捨てられてから結構な年月が経っているんだろう。ここは時間が停止している。ううん、時が逆に進んでいるんだ。
 きっと何年も前にはこの場所は活気に溢れていたに違いない。ここは此岸の世界だったに違いない。
 でもそれは生前の話だ。今のこの場所はきっと生きている人間がいちゃいけない場所なんだ。現代的な建物なのに退廃的な姿は、ボクの現実感を次第に麻痺させていく。
 ボクは迷宮に囚われているんだと思ったら、無性に怖くなって帰りたくなった。
 錆び付いてボロボロのバッティング台がズラリと並ぶ場所でボクは足を止める。
 もう潮時だ。引き返そう――とくるりと方向転換した。
 その瞬間だった。ボクの前を何かが横切った。
「――っっ!」
 ボクは口から心臓が飛び出しそうになった。とっさに目を凝らし、影が走り去った方を見て見る。
「にゃお」
 その正体は猫だった。1台のバッティングマシーンの傍でうずくまって眠り始めた。野良なのか、どうやらこの猫はここに住み着いているみたいだ。よく見れば片方の耳の先が少し欠けている、特徴的な黒猫だった。
 ボクがほっと胸を撫で下ろした時だった。
「この黒猫は私の友達なんです。名前はまだないです」
 と――女の子の声が聞こえた。
「あっ……」
 驚いてボクは声を上げた。そして振り返る。
 突然目の前に現れた少女。その子はボクと同じくらい……12歳位だろうと思う。
 だけど少女はボクとは違って、この場所でこうして佇んでいるのがとてもしっくりしていて、つまり少女はこの死んだ世界の住人のように、ボクの知る世界から超越した存在のように、儚く見えた。
「あなたは……誰です? どうしてここに」
 少女は小さく首を傾げながら呟いた。その声は透きとおるほどに綺麗で澄んでいたけれど、やっぱりそれは現実のものとは違うもののように聞こえた。
「この町に引っ越してきてたまたまこの建物をみかけて……それで興味が沸いて来たんだよ」
 ボクは素直に答えた。この少女には隠し事は通用しないような気がした。
「そうですか……変わった人です」
 と言って少女は申し訳なさそうに小さく笑う。サラサラした長い黒髪が微かに揺れた。
 変わっているのは少女の方だってボクは思ったが、あえて口にはしない。
 改めてボクは少女をじっくり観察する。
 少女は顔はとても綺麗で、整っていて、肌は日を全く浴びていないのかと感じる程に白く、そして体はすぐにでも折れてしまいそうな位に細かった。
「あ、あの……私、叶歴。ノノ羽良叶歴って名前です」
 ボクが黙ったまま少女を見ていると、突然彼女は名前を名乗った。
「ふ〜ん、そうなんだ」
 とボクは頷いた。――ノノ羽良叶歴。とてもいい響き。少女にピッタリの名前だと思った。
「あ、あの……」
 すると、また少女はボクに語りかけた。
「なに?」
「いや、その、名前……」
 少女は小動物のようにか細い声で言った。
「うん、だからノノ羽良叶歴って名前だろ。もう覚えたよ」
「いや、そうじゃなくて……あなたの名前を」
「え? ボクの名前だって……?」
「うん……私の名前教えたから……あなたのも教えて欲しい」
 伏し目がちに呟く少女。
「勝手にそっちから名乗っただけじゃないか」
 なんだかボクは名乗るのが躊躇われた。どうしてだろう。もしかして少しからかいたかったのかもしれない。ボクにそんな感情、あるなんて意外だったけど。
「だってあなたの名前聞きたかったから」
 叶歴って名前の少女は困った顔をして言った。
「どうしてボクの名前を聞きたいんだよ」
「だって……あなたとお知り合いになりたいから」
 ますますもって不可解だった。
「どうしてボクと知り合いになりたいの?」
 だからボクは聞かずにはいられなかった。なぜ通り過ぎていく存在でしかないボクに構うんだろう。
 そして少女――ノノ羽良叶歴はボクの目をじっと見つめて……だけどその焦点はずっと先を見ているような瞳で言った。
「だって、その……私、友達いないから」
 それは寂しそうな声だった。
「……そう。友達が」
 彼女の気持ちはボクにも理解できる。それはボクも同じだだから。同じ友達がいない同士というわけだ。
 けれど勘違いは困る。
 友達がいない者同士だったら仲良くなれるなんてのは嘘だ。友達がいない人は友達ができないから友達ができないのであって、だから友達がいない人が2人いたところで仲良くなるどころかますます距離を離してしまうだけなんだ。
「私と……友達になってくれませんか?」
 なのに――彼女のその一言でボクの心は真っ白くなってしまった。今まで積み上げてきたものが崩れていくように。まるでボクは少女のように透明になってしまったみたいに。
 ボクは自分の意に反してほとんど無意識的に言葉を返していた。この頃のボクにとってその言葉が口から出てくるなんて信じられないけど、まるで操られたように、そうするのが当たり前のように、ボクは自然な口ぶりだった。
「うん、いいよ……ボクは附音。越坂部附音」
 言った後、ボクはとても清々しかった。心の暗かった部分が洗い流されたように。
 こうしてボク――越坂部附音と、少女――ノノ羽良叶歴は友達になった。


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