引き継がれる物語

第3章 脱出とバイト

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

〜キミとボクの世界 3〜

 
 叶歴と出会ってからボクは、夜になると毎日丘の上に建つ以前アミューズメント施設であった建物に行った。
「あっ、附音くん。今日も来てくれたんだっ」
「うん。こんな時間、こんな場所に女の子1人にさせとけないからね。叶歴は危なっかしいからなぁ」
 ボク達はすっかり打ち解けていた。
 廃墟の中は広く、いろいろな施設が備えられていた。ボク達は毎日日替わりに娯楽施設で共に時間を過ごした。
「ふふふっ。附音くんは相変わらず心配性なんだから」
 叶歴は優雅にころころと笑う。
「お前が心配させるような事ばっかしてるからだろー」
「そうだね、ごめんね」
「だから謝るなってのー」
 今夜のボク達は水がすっかり干上がった室内プールの底で、2人並んで座りながらガラス越しの綺麗な月を見ていた。
 隅の方ではこの廃墟に住み着いている、名前のない黒猫がゴロゴロ眠っていた。
「そしてとうとう夢から目覚めた彼女は、今も孤独に自分の影と戦い続けているのです……おしまい」
 叶歴が創作した物語は今日もとてもおもしろかった。特に今日のはすごく心に残る。
 子供の頃一緒に過ごした男の子の事を想い続ける少女の話。
 なんだかボクはこの話を以前どこかで聞いた事のあるような、そんな懐かしさやなんとも言いようのない感情を抱いた。
 ボクはここで会う度に叶歴の創るお話を聞いている。将来は作家になりたい叶歴だけど、こんな物語を創れる彼女ならきっと大丈夫だろうとボクは思う。
「ちょっと悲しいお話だけど、すごく良かったよ。特に女の子が現実だと思っていた世界が、実は物語の中の話だったってところが」
 叶歴のお話を聞いた後、こうして感想を言うのがボクの日課となっていた。
 そんな何気ないやり取りをしてボク達はなんとなく時間を過ごしていく。
 どうせ家にいたって親は仕事でいないし、他にやることなんてない。だからボクは叶歴と過ごすこの時間が結構気に入っていたりするのだ。
 これが友達っていうやつなんだろうか。それともこれは……。
 ボクがそんな事を考えていたりすると、突然――叶歴の様子に異変が起こった。
「こほんっこほんっ……」
 急に叶歴が苦しそうに咳き込みはじめた。
「ど、どうしたんだ、叶歴っ」
 ボクは驚いて叶歴の方を見る。その瞬間――叶歴の体がボクに向かって倒れてきた。
「わっ、わっ、叶歴っ」
 反射的にボクは叶歴の体を両手で支える。ボクの肩に叶歴の頭がそっとのしかかった。
「ご……ごめんなさい。附音くん……」
「いや、いいんだけど……それより叶歴っ、君の方こそ……いったいどうしたんだ?」
 ボクは叶歴にもたれかかられながら少しドキドキしていた。柔らかくて、甘い匂いが漂ってくる。
「だ、大丈夫だよ附音くん……これはいつものことだから……」
 叶歴の声は震えている。息づかいが荒い。
「い、いつものこと……?」
「そう。私、昔から体が弱くて……もう慣れっこだから心配しなくていいよ。今日はちょっとお話し過ぎたのかな。えへへ」
 少しずつ呼吸を落ち着かせていく叶歴。胸に手を当ててゆっくり深呼吸して、小さな胸がゆっくり上下していた。
「そ、そう……ならいいんだけど」
「うん。ね、それよりもさ附音くん……もうしばらく、このままでいていい?」
 叶歴が顔を上げてボクの瞳を覗き込んだ。叶歴の瞳はうるうると宝石のように輝いてる。叶歴のサラリとした長い髪がふわりと揺れる。その途端にボクの心臓がドクドク高鳴るのを感じた。
「う、うん。別にいいけど……」
 その時感じた。ボクの腕に当たった叶歴の胸から伝わるものを。叶歴の胸の高鳴りを。
「附音くん……私ね、附音にもらって欲しいものがあるの……」
 叶歴が、まるでボクに口づけしようとするかのように顔をボクの顔に接近させて、息を吹きかけるように囁いた。
「え? そ、それは……」
 ボクは叶歴のその言葉にドキリとした。思わずゴクリと唾を飲む。
 すると叶歴はボクから体をゆっくり起こして――そしてがさごそとポケットに手を突っ込み。
「はい。これあげる」
 と言って渡されたのは、よく分からないへんてこな人形だった。
「へっ? これは……」
 ついつい気の抜けた声になるボク。あと、少しガッカリした気分になったけど、どうしてだかは分からない。何を期待してたんだろうか。
「ストラップ。ここのマスコットキャラクターなんだけど」
「へ〜……廃墟になる前のか」
 犬だか豚だか何の動物か分からない生き物のストラップ。う〜ん、これじゃあ人気でないよなぁ。
「そう。ロビーに置いてあったのを貰ったの。私の分と附音くんの分」
 そう言って叶歴は携帯電話を取りだしてみせる。そこには今貰ったばかりのと同じストラップが付けられていた。
「附音くんも付けてみて」
 叶歴が弾むような声でボクに頼んだ。
「う、うん……でもなんかかっこ悪いストラップだなぁ……」
 見たことのないキャラクター。そいつは気の抜けた表情で決して可愛いとは思えなかった。
「えぇ、そうかなぁ……私はとっても可愛いと思うんだけどなぁ……」
「そもそもこの動物はなに? っていうか生き物なの?」
 妖怪みたいに見えるんだけど。
「ええ〜……生き物だよ〜。ちゃんと、あみゅ〜君っていう名前もあるんだよ〜」
 叶歴がしょんぼりとして自分の携帯についているストラップをいじっていた。
「……ま、しょうがない。つけてやるか」
 ボクは素直にあみゅ〜君ストラップを自分の携帯に付ける事にした。叶歴のためというのも勿論だが、叶歴とお揃いのストラップを付けるという事に、ボクはなんだか胸が躍ったのだ。
 ちょっちょっとボクはストラップを付け終わる。
「ほら、これでいいだろ」
 そして取り付けたストラップを叶歴に見せつけるようにして揺らしてみせた。
「……うふふっ。おそろいだね、附音くん」
 叶歴はとても嬉しそうに、幸せそうに言うと、再びボクの体に寄りかかってきた。
「わわっ……冗談はやめてくれよ、叶歴っ」
「冗談じゃないよ。私、今日はちょっと疲れたから……もうしばらく附音とこうしていたいよ」
「……」
 その言葉にボクは自分でも顔が赤くなるのが分かるくらいに赤面して、そっぽを向いた。
 だけど、その際に見えた叶歴の顔は弱々しげで、そしてすぐにでも消えてしまうんじゃないかって位に儚く思えた。
 プールサイドからガラス越しに見る満月は、まるでボクのいるこの場所が現実とは別の世界であるかのように錯覚させた。それは叶歴とボクだけの彼岸の世界。
 もしもそうだったなら……ボクはどんなに嬉しい事か。


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