引き継がれる物語

第1章 海と山と田舎

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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 外に出ると、どこからともなくセミのうるさい鳴き声が耳に突き刺さり、目も眩むような強い日差しが襲ってきた。地面から湯気が出てる道をいとこと歩くなんて拷問以外のなにものでもない……。意気消沈しながら家の前の長い坂道を下って、海の見渡せる歩道を歩く。適当にその辺まで歩いてすぐ帰ればいいか。
 俺は隣に歩くいとこにどの辺まで案内してくれるのか聞いてみた。
「とりあえず学校まで行くよ〜」
 まるで元気そうな千春は涼しげな顔で言う。
「えっ、学校? お前の?」
「いや、なんで兄ちゃんにあたしの学校を案内しなきゃいけないんだよっ。兄ちゃんが2学期から通う学校に決まってるじゃない」
「えっ、マジで。いや、別にいいよ」
「なんでなんで〜。遠慮することないよー」
 だから遠慮してるわけじゃねえっての。
「あのなー千春。お前にまだ言ってなかったと思うから言うけどさ……実は俺、不良なんだ。不良がいとこの中学生に自分の学校を案内してもらうなんて……」
「さー、れっつらごー」
 全然聞いちゃいないし。ちょっとキメ顔で自分語りしてた俺恥ずかしっ!
「……はいはい、分かったよ。好きにしろ」
 もうこうなりゃやけくそ。大人しくついていくことにしよう。 
 俺と千春は周囲の案内という名の、炎天下地獄散歩を敢行した。
「ほらほら見て見て兄ちゃん〜っ。カモメがいるよ〜っ」
 言われなくても分かってる。海に沿って堤防を歩いている俺達の上で、さっきからカモメがぎゃあぎゃあ鳴いてるもん。うるせえし。
「おーほんとだ。すごいすごい」
 けれども素直に頷く俺。ここは従順に徹すると決めたのだ。
「全然感情が感じられないよっ! 不良だったら動物を愛する心くらい持ちなよっ」
「その不良知識はどっからの情報なんだ……」
 思わずツッコミを入れてしまった。
 といっても俺だって自らを不良と名乗っているだけで、多分周りから見たら全然普通のただの捻くれた少年なんだろう。
 そんな事を考えながら海沿いに俺達がとろとろ歩いていると、遠くに学校らしき建物が見えてきた。
「あっ、ほら。あれが附音兄ちゃんが通うことになる学校だよっ」
 なぜか興奮気味に語る千春。
「ふ〜ん。そうか……」
「と言っても今は夏休み中なんだけどねっ。てへっ」
 なんで千春がこんなにもハイテンションなのか俺には分からない。
 そして校門前までやって来て俺はしげしげと校舎を見つめる。
「いいな〜兄ちゃんは。あたしも早く高校生になってこんなでっかい学校に通いたいよ〜」
 千春が隣でぶーぶー言ってる。
 っていうかでっかいの? この学校が? 別に標準的だと思うけどな。所詮田舎なんだよ。
 そんな感じに校門の前で千春と話していたら、向こうからお姉さんが歩いてきて、そのお姉さんががこっちに近づいて来るのに千春が気付くと、千春は急に黙り込んで俺の背中に回った。
 俺は不思議に思いながらお姉さんを見る。すると、お姉さんは通りすがりにいきなり話しかけてきた。
「あらあら、あなたは千春ちゃんじゃないですかぁ。こんなところでどうしたの〜? あなた確か中学生じゃなかったかな〜?」
 千春の知り合いなのだろうか。おっとりとしたその女性は高校生か大学生くらいで、背が高く、長い桃色の髪が特徴的な綺麗な人だった。
 そして呼び掛けられた千春はというと……。
「こ、こんにちは……です」
 さっきまでの態度が嘘のようにいきなり大人しくなって、俺の背中に隠れだす始末。
「あらあら〜。相変わらず人見知りの激しい恥ずかしがり屋さんね〜。可愛いわねぇ〜」
 お姉さんはうふふふと笑っている。どういう関係なんだろうか……というか、千春ってこんなにも人見知りだったのか? 内弁慶だったのか?
「でもそんな人見知りの千春ちゃんがこれは一体どういうことなのかしら……この辺じゃ見かけない人だけど、あなたは?」
 ピンク髪のお姉さんは驚くような顔で俺を見ていた。
「あっ、俺はこいつのいとこで越坂部附音って言います。実はこの町に引っ越してきたばっかりで今、町の案内をしてもらってたんですよ」
「へぇ〜……あ、私は野瀬静奈って言うの。私もこの学校の卒業生なのよ〜」
「そうなんですか」
 どうでもいい情報さんくす。
「それで今は野瀬商店っていう小さなお店をやってるの、附音くんも来てね。……それにしてもこんな何もない田舎町にねぇ……でもいとこだからって、千春ちゃんがこんなに人に懐いている姿を見るのは珍しいわぁ。記念に写真撮っておきたいわねぇ」
 そう言うと、どっから取り出したのだろうかデジカメを手にして俺達の方に向けた。なんか変わった人だな。
「わっ、そっ、それは駄目ぇっ」
 すると、俺の隣で千春が泣きそうな声を出して拒絶していた。そんなに嫌なんだ……俺とのツーショット。
 野瀬さんは千春のリアクションを見てクスクス笑っている。
「冗談よ〜。それじゃ私は配達の途中だから行くけど……千春ちゃんも今度その子連れて店の方にいらっしゃいねぇ〜」
 このお姉さんの運営する店とはいったいどんななんだろう。
「き、気が向いたら行きます」
 俺の背中から千春の声がした。蚊の泣くような声だった。
「それじゃ〜ね〜」
 野瀬さんはおっとり且つ元気な声で別れを告げて去っていった。
 その背中を見届けて俺は呟く。
「お前って俺の前では五月蠅いのに他の人の前だとしおらしくなるのな」
「う……うっさい。ぼけっ」
 ぽかりと背中を叩かれた。いたい。
「まったく……いなくなった途端にこれだもんな。ま、いいけどさ」
 ぼやきながら、俺は学校の中へと足を踏み入れた。
「って、兄ちゃん中に入っちゃうんだ! 躊躇いもなく!」
「なんだよ、さっきからうるさいぞ千春」
「だって普通に入ろうとしてるんだもん。この不法侵入者めっ」
「別にいいだろ。どうせ俺はもうすぐこの学校の1年になるんだからな」
「そ、そりゃそうだけどぉ……」
 むぅ〜とした顔で俺を見る千春。
「じゃあな」
 俺は千春を置いてそそくさと進もうとする。
「ちょ、ちょっと待ってよ兄ちゃん! あ、あたしも行くっ」
 と言って千春が、学校の敷地に足を踏み入れた俺を追ってきた。
「いや、お前は来ちゃ駄目だろ」
 だけど俺は千春の入場を規制する。
「ええっ、なんでっ」
「だってお前ここの生徒じゃないし、だいいち中学生だろ」
「う、ううぅ〜〜〜」
「そういうわけだ。お前の分まで俺が見学しておいてやるから、な」
「な、じゃないよっ! じゃあ何? 吐音兄ちゃんはあたし一人で先に帰ってろって言うのっ?」
 悲しみを込めた目で俺を見つめる千春。見捨てないでオーラがありありと感じられる。
「まぁ……そういうわけだな。あ、心配しなくていいぞ。俺なら一人で帰れるから」
 けれども俺は無慈悲な不良。この先は俺に任せろ。
 すると千春はぷるぷるした唇をぷるぷると震わせ、俺をきっと睨みつけ、
「こ、この薄情者〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっっ!」
 叫び声を上げながら千春は来た道を走り去っていった。うん。元気な奴だ。
「でもま、これでやっと一人になれた」
 さぁこれからどうしようか。もちろん俺は夏休み中の学校になんて興味はない。さぁ、どっか散歩でもしようかなと踵を返しかけたその時だった。
「……ん?」
 校門を入ってすぐの場所に建っている、誰だか分からない人の銅像。その銅像のすぐ傍に一人の少女が立っていて、俺の方をじっと見つめていた。
「……」
 なんだか俺は不思議な気持ちになった。違和感みたいなものを感じる。
 たまにこの学校の生徒らしき人物が通り過ぎていくけれど、その際私服で校門前にいる俺の方を注目してくる……それは不思議なことではない。だけど、不思議なのは銅像の前に佇む少女に対してはまるで空気のように、誰も気にしない様子で通り過ぎていった。
 他の人にはこの少女が見えていないんじゃないか? 俺はふとそんな事を思った。
 このまま少女を無視して通り過ぎてもよかったけれど、やっぱり俺は無性に気になって仕方なくなり、立ち止まって少女を見つめた。
「「……」」
 見つめ合う少女と俺。
 少女は腰の辺りまで伸びるつやつやとした黒髪を夏の暑い風になびかせていて、髪の色と対称的な白いワンピースを着ていた。
 なんだかそこにそうして存在している事に違和感があるような、ここに存在している事が間違っているような……そんな印象を俺に抱かせた。
 やがて少女は、自分の事を見つめはじめた俺に対し驚くような顔をして、そしてゆっくりとこっちに近づいてきた。
 まずい。なんだか分からないけど怒らせてしまったか?
 俺は後ずさりし、そして学校を後にした。なんとなくチラリと後ろを見てみる。
「…………」
 少女が怖そうな剣幕をしてこっちを見ていた。すぐ後ろを歩いている。な……なんで俺の後を追って来ているんだ。すごく怖いんだけど。
 俺は歩くスピードを上げてみる。そして後ろを振り返る。
「…………」
 やっぱりついてきていた。
「ちょっと待ちなさいよ」
 そして呼び止められた。な、なんで俺を……? なんか雲行きが怪しくなってきたんだけど。
 なんだか俺は怖くなって、とうとう駆けだした。
「あっ、ちょっと!」
 少女の声が後ろで響いた。
 しかしそんな事おかまいなしに俺は必死になって走る。走り続ける。そしてある程度まで走って俺はスピードを落としていく。後ろを確認。よし、誰もいない。どうやら少女はもう俺を追うのは諦めたようだ……と、俺が安堵のため息を吐いた時、上空から危険な気配を感じた。
「うわあっ!?」
 俺は上を見上げてソレを確認した瞬間、反射的に横に跳んで、地面に転がっていった。
 それとほぼ同時に――もの凄い轟音を立てて道路標識がさっきまで俺のいた場所に突き刺さった。ちなみに一方通行の標識だった。
「なっ、なんだよっ。これはっ」
 俺は声にならない声を上げて地面で這いつくばる。腰が抜けて立てない。
 俺が腰を抜かしている間に、標識が飛んで来た方から誰かがゆっくりと俺の元に近寄ってきた。少女だった。
「な、なんか俺に用でもあるのかよっ。ていうか殺す気かっ!」
 耐えきれなくなって俺は、見上げるように睨みつけながら少女に語りかけた。
 すると意外な事に、俺の言葉に少女は驚いたように眉をひそめて、やっぱりそうか……とか言いながら頷いていた。
 そして少女は言った。
「あなた――この私の姿が見えるの?」
 それはどこかで聞いたことがあるような、透きとおった美しい声だった。
「は、はぁ?」
 勿論、少女が何を言っているのか意味の分からない俺は素っ頓狂な声をあげるしかない。
「だから、あなた私が見えるの? って聞いてるの」
 今度は不機嫌そうな声で、再び同じ事を言う。
「え、ああ……そりゃ普通に見えてるけど」
 ていうか会話してるけど。
「な、なんていうことなの……この私を見ることのできる人間がいるなんてっ……」
 なんだか分からないけど少女はとても驚いているようだった。もしかして自分は幽霊だと言うつもりなんじゃないだろうな。痛い人なのか?
「なぁ、あんた何言ってるんだ? あんたここの生徒じゃないのかよ」
 俺の言葉に、少女が一瞬かすかに笑ってその長い髪を手で払って言った。
「私がここの生徒……? なるほど、確かにその可能性も否定できない……。だが今の私は敢えてこう答えよう。たまたまこの場所を通り過ぎて、そして疲れてきたからこの銅像の影で涼んでいこうと思っただけだと」
 言い回しが面倒臭え。
「じゃあなんだ。幽霊が町を歩いていて暑くなったから学校に入って休んでいたと? そして俺を殺そうとしたと」
 俺の責める口調に、少女は腕を組んで悩ましそうにゆっくり首を振った。
「正確には私は幽霊ではないが……まぁ、君にとってその方が分かりやすいのなら、便宜上私は幽霊のような存在だと思って頂いて構わない。あと君を殺そうなんてとんでもない。当てるつもりなんてさらさらなかったわ」
 いや、避けなければ当たってたよ。死んでたよ。そしてやっぱり言い回しが面倒臭え。
「はいはい、自称幽霊さんね。それだったら……実は俺、不良なんだぜ? どうだ、怖いだろう? 怖じ気ついたろう? あんまり不良に対して舐めたような口は聞かない方がいいってのが社会一般の常識だと思うぞ?」
 脅すような声と目で少女に警告する。今のは……決まった。
「はぁ……不良ねぇ、あなたが……」
 しかし幽霊は半目になって俺を見つめる。不良、かっこ悪いみたいな感じになんか馬鹿にされているような気がする。今日び不良なんてはやらないもんなあ。
「お、俺のことはともかくな……とにかくお前は全然幽霊なんかには見えないぜ。っていうか幽霊なのに現にこうして普通に見えてるし、普通に俺と話している」
 幽霊というにはあまりにも存在感がありすぎなんだけど。
「普通の人間に私の姿を見ることはできないわ……君はね、特別なんだよ」
「はぁ? 特別だって?」
 なんだよ。それは。
「うん、それはだね……おっといけない。どうやら『敵』がきたようだわ」
 と、自称・幽霊のような存在が視線をあらぬ方向へと向けた。
「……はぁ? 敵?」
「そう、敵よ。この私の命を狙っている敵……そして世界を脅かそうとする、世界に盗っての敵」
 一方を睨み続けながら幽霊は説明する。だけどそれで俺は余計わけが分からなくなった。
「な、なんなんだよ敵って……」
 俺は幽霊少女が見つめる方向に視線を向ける。そこには――本当に敵がいた。
「え? なに……あれ?」
 夏の暑さで景色が歪むその中に……確かに道の向こうに立つ人影。いや……あれは。
「人じゃ――ない?」
 それは二本足で立っていてフォルム的にも人間の様だったけど……違う。それはまるで影でできているように真っ黒で、そして体中がゴツゴツしていて、2メートルを超えるだろうデカさで……なんとなくそれは鬼のようだと瞬間的に俺は感じた。
「ふ……あなたにはやっぱりアイツも見えるみたいね。だったらいいわ……とりあえず怪我したくなかったら離れていなさい」
 俺の隣に立つ幽霊少女は言った。
 その言葉を合図にしたかのように――影の鬼がこちらに向かって走り出した。
「なっ? なにっ!」
 唖然とする俺をよそに、幽霊少女も影の鬼に向かって走り出した。
 猛スピードで駆け寄る鬼と幽霊。そしてお互いが接触しようというところまで近づいた時、
「てえい――っっ!」
 と勢いに任せたまま、幽霊がいきなり影の鬼に向かって跳び蹴りを食らわせた。
「……」
 鬼の影のような体は言葉を発さないまま元来た道に吹っ飛ばされる。二転三転と地面をバウンドして鬼の体は転がっていく。つかどんだけ強力なキック力の持ち主なんだよ、幽霊さん。
 地面に倒れる鬼はピクリとも動かないで、もしや死んだのか? と思っていたら。
「……」
 かなり致命的なダメージを受けただろうと思われた影だったが、まるで何事もなかったようにスクリと立ち上がった。
「かかってきなさい」
 綺麗に着地を決めた幽霊少女が余裕の表情を浮かべて言った。
 影が再び幽霊少女に向かって走り出す。そして少女に襲いかかるようにして飛び上がった。
「ふんっ、アンタもしつこい奴なんだからっ」
 少女は影の攻撃を軽々と躱して、そして顔面に回し蹴りを繰り出す。
「……」
 影は何のリアクションもとらずに、ただキックの勢いでその身をくるくる回していた。
 少女の攻撃は更に続く。
 華麗なる足技の数々。腹部に、脚に、腕に、背中に、頭部に、次々と休むことなく打撃を与えていく。俺は息のつく間もなかった。少女はまるで踊っているように、鳥が空中でダンスするかのように舞っていた。
 そして、やっと少女の攻撃が一段落ついたと思ったら、一旦動きを止めて――。
「どうせこれくらいじゃ死なないけれど……とりあえず消え失せなさい」
 下から上に突き上げるように一際強烈なケリを放った。
「……」
 影の鬼の体は空中へと飛んでいく。そして、目を疑うような光景が更に続いた。
 影の体が上昇する力を失い、落下する段階に入りかけた瞬間、空中で影の姿はポンッという効果音が似合いそうなくらい爽快にその姿を消した。
「……てか、なんだったんだ今の」
 俺は開いた口が塞がらなかった。何が何だか分からない。
 少女は俺を見て不敵に微笑むと、
「ふっ、教えてやってもいいが今はこの辺でおしまいとしておくわ……君は私の正体が気になったようね。だったらこの町の海沿い近くにある寂れた神社に来て。私は大抵そこにいる」
 自称幽霊の少女は息一つ乱した様子もなく、それだけ言うと俺の前から立ち去ろうとした。
「ちょ、ちょっと待てよ……お前いったい何だよ」
 思わず俺はその背中を呼び止めた。
 少女は静かに振り返って、その流れる綺麗な黒髪をたなびかせ、答えた。
「私の名前は時雨神流……神流って呼んでいいわ。……あなたは?」
「俺は……俺は越坂部附音。だったら……俺も附音でいいよ」
 少女のそのあまりの現実離れした美しさと儚さと雰囲気に、俺は素直に名乗ってしまった。
「そう、それじゃあまた明日会いましょう、附音」
 少女は軽く微笑んでそのまま静かに音もなく去っていった。
 その瞬間、まるで今まで存在していなかったかのように、夏のうだるような暑さと、耳を突き刺すようなセミの泣き声が聞こえて、俺は現実世界に帰還した事を実感した。
 もしかしたらあの少女――時雨神流――は本当に幽霊なのかもしれない。
 俺はふとそんな事を思ってみたりするくらいに、それは変な体験だったし、幻想だった。
 なんにしても俺は不思議な少女に出会った。
 そしてこの出会いが――運命の廻り出すきっかけとなった。


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