引き継がれる物語

第3章 脱出とバイト

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 静奈さんに連れられて辿り着いた先は、山の麓にある小ぢんまりとした商店だった。
「あっ、ここ静奈さんの店だったんですね……」
 俺はこの店に見覚えがあった。確か神流と一緒にこの山を登る前に見ていた気がする。
 野瀬商店と書かれた看板。引き戸の中にはガラス越しに酒や食料品の類が伺える。
「あら、来たことあるのぉ? ありがとぉ〜。とにかく入りましょ〜」
 そう言って静奈さんは店の中に入っていった。俺も続いて入店する。と。
「いらっしゃいませー……あ、お姉ちゃんか……それと……誰?」
 店の中に入った瞬間、よく通った澄んだ声がした。
 見れば、中には店番をしている女の子がいた。体の線が細くて、眼鏡の奥のツリ目ぎみの瞳が知的そうな少女。
 年齢は俺と同じ位だろうか……っていうか俺がもうすぐ通う高校の制服をエプロンの下に着ているところからすると現役高校生で、同じ学校で勉学に勤しむことになる人物なのだろう。そして……この人はたぶん静奈さんの妹であろう。髪の色も赤いし。
 さっき静奈さんが自分の事を名前で呼べって言ってた訳はこういうことか。
「ただいま〜郁奈〜。この子は附音くん。つい最近この町に引っ越してきてね……で、この店でバイトすることになったからよろしくぅ」
 静奈さんはそれだけ言うと、また店の外へ出て行こうとする。
「って、ちょっ……よ、よろしくってお姉ちゃん……そんないきなり言われてもっ」
 姉よりも若干短めの髪を揺らし、妹は動揺している。
「大丈夫大丈夫……あ、附音くん。この子は私の妹の郁奈。君と同じ学校の一年生よぉ。暇なときはこうして店を手伝ってもらってるのよ〜」
 外から顔だけ覗かせてにこにこ微笑んでいた。
「な、なるほど。そうですか……」
 もはや頷くこと位しかできない俺。ちなみにまだ仕事するとは一言も言ってません。
「それじゃあ頑張ってね、附音くん、郁奈〜」
 それだけ言って静奈さんは外へ姿を消した。……って、え? 今からいきなり働くのっ!?
「ちょっ、お姉ちゃん! ちょっと! わたしどうすれはいいのよ!」
 妹の野瀬郁奈はえ、え、え、って感じになってテンパっている。そりゃそうだろう。いきなり見ず知らずの男がバイトとしてやって来てそれを任せられたら。野瀬静奈さんはおっとりしていて意外と傍若無人なんだな。
「お前も大変だな、郁奈」
 俺は哀れな妹をねぎらった。
「いや、お前が言うなよ! なんで他人事っ!? そしていきなり馴れ馴れしい!」
 華麗にツッコむ郁奈。やっぱりこういうキャラはツッコミ役と相場が決まっているのだろう。
「ふぅ〜……どうしたものですかねぇ。なんかあまり役に立たなさそうな男だけど……」
 郁奈は眼鏡の位置を正して物憂げに息を吐いた。
「非道いなぁ。俺は働くからには真面目にきちっとやる男だぞ、郁奈」
「真面目にきちっと仕事する人が、先輩に対して呼び捨てってまずどうなのよ」
「いいだろ。野瀬さんて呼び方だったらお姉さんの方と被っちゃうし……それに俺はそういう事はあまり気にしない寛容なタイプなんだ」
「普通それ雇われる側が言う台詞じゃないでしょ。むしろ寛容じゃないじゃん」
 眼鏡の奥の瞳が冷ややかに俺の人格を非難しているような気がして少し悲しくなった。
「分かったよ。扱いやすいように努力するから……で、俺はどうすればいいんだ?」
 俺が役に立つ人間だという事を証明すべく、積極的に仕事に対する意欲を見せる。
「そうね……それじゃあ、あなたは配達してきてくれる?」
 郁奈は姉と同じ色した赤髪をいじりながら俺に命じた。
「そうか、配達だな。分かったっ……ってそれ、俺をていよく追い出すために頼んだんじゃねーよなっ!?」
 危うく俺は高熱地獄と化した店の外へ意味もなく駆け出しそうになった。
「……ちっ。ううん、そんな事ないわよ。丁度配達に行かなくちゃって思ってたとこなのよ」
 今、なんか『ちっ』って言わなかった? 言ったよね? 俺ちゃんと聞こえたよ?
「ってか俺、引っ越してきたばっかだし土地勘全くないし、何の店かも分かんないのにいきなり配達って言われても……」
 郁奈の策謀を悟った俺はなんとか食い下がる。
「ちっ……馬鹿そうな顔して悪知恵の働く奴……そ、そうだったわねぇ。分かったわ。それじゃ商品の搬入とか、整理とかお願い」
「いや、すごく聞こえてるからね! それともわざと!? わざと聞こえる感じに言ってるの!?」
「ほら、配達はしなくていいって言ってるんだからさっさと働きなさい」
 郁奈は強引に誤魔化した。やっぱ眼鏡でつり目キャラって性格きついもんなんだなぁ。
 でも、とりあえず配達という名の追放はされずにすんだようだ。
「……了解しましたー」
 俺はしぶしぶと店の奥に行って引き戸を開ける。
 その中はゴチャゴチャと様々な飲食品が乱雑に放置されていた。店の品物か?
「うわぁ……ひどいな。商品を売ってるという自覚があるのかよ……」
 愚痴を吐きつつ、リストに書かれた品物を店の中へと整理していく。
 それを何度か往復していたら、店の入り口が開かれた。
 そういえば結構時間が経つのにまだ一人も客が来てなかったな、と思いながら俺は少し緊張して視線を向ける。俺にとって初のお客さんだから、ここは接客を頑張って郁奈を見返してやろう。俺は緊張しながら入り口に目を向けた。
「ふぅ〜……あっつぅいっ。ただいま〜」
 静奈さんだった。俺はガクッと肩が落ちた。
「おかえりーお姉ちゃん」
 妹が気のない返事を返す。俺を勝手に雇った点について根に持ってる感じの声というか。
「うん。それで附音くんはどうだったぁ?」
 店長は妹に尋ねる。
「まぁまぁってとこかな」
 まぁまぁなのかよ……でもよかった。案外最悪の印象ってわけじゃないんだ。郁奈、実はお前いい奴なのかもな。
 俺は郁奈の顔を見てにこっと微笑んだ。郁奈も俺の方を見て、そして静かに口を開いた。
「けど別にバイトなんて正直いらないけどね。きみ、明日から来なくていいわよ」
 ひどすぎる! さっきまで一緒に働いていた仲だっていうのに!
「な、なんだよ。そんな事言うなよ! 俺、真面目に働いてただろっ」
 郁奈と俺の一触即発のにらみ合いを、静奈さんが微笑んで見守っていた。
「あらあら、すっかり仲良くなっちゃってぇ。で、附音くんもどう? 明日からも来てくれるかなぁ?」
「ええ、はい。俺には金が必要なんで……」
 本当はこんなところで馴れ合いみたいな真似したくないんだけど……俺には目標がある。一刻も早く叶歴がいる場所に帰らなければいけないんだ。
 俺の決意は固い――。すると、美人姉妹の妹の方が俺の決意を感じ取ったのだろうか。
「ふ〜ん。何か欲しいものでもあるの?」と聞いてきた。
「ああ。ちょっと俺、一人暮らしをしようかと思っていてな」
「え? 一人暮らしっ?」
 郁奈は眼鏡の縁を持ってつりぎみの目を丸くした。
「そう。俺は自立したいんだ。今までずっと親の仕事の都合で引っ越しばっかりだったから、もう誰かの都合で振り回されたくないから」
 この田舎町にこれ以上いるのが嫌だから……ということは敢えて言わなかった。
 するとなぜか静奈さんが俺の方をみてニコニコして、
「だったら頑張ってお金貯めないとねぇ、附音くん」
 明るい声で俺の肩をぽんぽん叩いて笑った。
「はい……しばらくよろしくお願いします」
 そうだ。しばらくの間だけだ。ここは単なる通過点に過ぎない。
 こうして俺は、結局この日一人も客が訪れなかったしょぼい商店でバイトすることになった。


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