引き継がれる物語

第4章 少年と少女と影

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

1

 
 バイトを始めて数日。この町での生活にも少しだけだが慣れてきた。いや……慣れてしまったと言うべきだろうか。何やってんだよ俺は……。
「おい附音兄ちゃんっ、今日もバイト行くの?」
 俺が夏休みの午後を部屋で無為に過ごしていたら、千春が部屋の扉を開けて入って来た。
「……ていうかお前いつも唐突だな。それより勝手に人の部屋入ってくんなよな。ノックくらいしろっての」
「ノックしたよっ。ちゃんとしたもんっ」
 千春はむぅ〜と頬を膨らませる。いちいち仕草が子供っぽい。
「ああ、そうなのか。全然気付かなかったよ、悪いな」
「分かればいいんだよ兄ちゃん。それで兄ちゃん、今日はバイトに行くのかい」
 千春は再度同じ質問をしてきた。
「……それはそうとお前ちゃんと夏休みの宿題はやってるのか? そんな気配が全く伺えないんだけど」
「う……そ、それは……し、してるもんっ! 千春には隠れた才能があるんだから本気出したら一瞬だもん!」
 つまり何もやってないって事じゃん。そして絶対直前で泣く羽目になるよ、これ。
「ふ〜ん、そうなのか。まぁ頑張れよ」
 俺は心にもないエールを千春に送った。
「うん、あたし頑張るよ。それでさ、兄ちゃん……今日もバイト?」
「……そういえばさ千春、この前アイス欲しいからって金貸したじゃん。いいかげん返せよな」
「あっ、そうだった……え〜と。返したいのは山々なんだけど、生憎今は手持ちが……ってえっっっ! 何よ、さっきから! 話の腰ばっか折っちゃってっ!」
 おっ、千春にしては珍しく俺のはぐらかしに気付いたぞ。
「話の腰ってなんだよ」
 ご褒美に千春をからかうのをもう止めておく。
「だから〜、今日、兄ちゃんは、バイトに、行くのかってっ」
 区切り区切りに千春が滑舌良く話す。
「ああ、行くよ。今日も俺は野瀬商店でバイトだぜ」
 俺は千春の気持ちに答えるように、ハキハキと元気に伝えた。
「むぅ〜……またバイトかよぉ〜……」
 なぜか千春は俺の答えに不満だったらしく、口を尖らせている。
「なんだ? 寂しいのか?」
「なっ……さ、寂しいわけないじゃん! この……うんこっ!」
 千春はドタドタと階段の下へ走って行った。
「うんこってなんだよ……。園児レベルかよ。で、お前もどっか行くのか?」
 どうせ俺も外出するので部屋から出て、千春の背中に呼び掛けた。
「あたしだって今日も部活だよ〜っ」
 と、千春は玄関の扉を力強く閉めて出て行った。
「まったくいつもいつも騒々しいねぇ」
 見れば台所から瑠璃さんが顔を覗かせて笑っていた。
「いつもの事ですよ」
 俺は階段を降りながら瑠璃さんに微笑みかえす。
「で、附音くんも最近忙しそうね。バイトどう? 大変?」
「ええ、まぁ。でもなかなか気楽にやってるからそう大変でもないですよ」
 いちいちいちいちバイトの事ばっかり聞きやがって……そんなにこの町の人間は他人の事が気になるのか。
「附音くん。あまり無理し過ぎちゃ駄目よ。もっと気を抜いて楽にしてくれたらいいんだからね。あと話し方ももっとフランクリーでいいのよ」
 これもいつもの事だった。そんな事言われなくたって分かっている。逆にそう言われる事で俺は余計に気をつかってしまいそうになるよ。
「はぁ……俺はリラックスな気持ちでいるつもりですけどね。もうちょっとここの生活に慣れたら多分話し方も変わると思いますよ」
 こういう時いつも適当な事を言ってその場をしのぐ。
「あんた、バイトには慣れたのにこの家の生活には慣れていないのね……まっ、いいんだけどさっ! はははは〜……」
 瑠璃さんは空元気に笑いながら台所に戻ってごちゃごちゃやっていた。なんだかその後ろ姿はちょっとショックを受けているようにも見える。
 部屋に戻った俺は、引っ越した時から開封すらされていない段ボール箱に囲まれながら、床に寝転がっていた。
 外は真夏で、窓から眩しい日差しが差し込む。
「ああ〜……バイト行くのが面倒臭い」
 クーラーのきいた部屋で涼んでいると、なにもかもを放り出したくなる。
 それでも俺は段ボールを開けることを躊躇われる。俺はこの家を、この町を自分の居場所だなんて考えていない。だからやっぱり俺はバイトに行くことにする。

「こんにちは」
「……今日もこりずに来たか、越坂部附音」
 野瀬商店に行くと、いつものように美人姉妹の妹の方の郁奈が暇そうに座って店番していた。あと余談だが、俺を見て明らかに嫌そうな顔をするのはいいかげんやめて欲しい。
 にしても、う〜ん……相変わらず客入りは悪いようだ。
「どうせ暇だったんだろ? だったら俺が来てほんとは嬉しいんじゃないのか、郁奈〜」
「全然嬉しくないっての! あと、わたしを馴れ馴れしく呼ぶなって何度言ったら分かるのっ。年齢は一緒でも仕事ではわたしの方が先輩なんだからねっ」
 郁奈がその場で立ち上がって声を張り上げた。うんうん。照れちゃって可愛い奴だ。
「で、今日の俺は何すればいいんだ? お前の茶飲み相手にでもなればいいのか?」
「茶なんて飲んでませんっ! わたしだってこう見えて色々忙しいんだからっ」
 腕を組んでぷんぷん怒る郁奈。なんか学校では委員長とかやってそうだな。
「何で忙しいんだ?」
 どう見ても暇そうだったけど、今まで何をやっていたんだろうか気になって聞いてみた。
「読書中だったのよ」
 と、眼鏡の位置を直しながらクールに答えた。
「それ……仕事じゃねーじゃん! 思いっきり私事じゃん!」
「時間の効率的な使い方よ。わたしは無駄な事が嫌いなのよ」
 さすがインテリ派。言う事が違うね。
「はいはい。それじゃ郁奈さん。俺はこれから何すればいいですかね。効率的な指示をどうぞ」
「……なんか腑に落ちない言い方だけど……いいわ。それじゃとりあえず配達に行ってきて」
「了解。じゃちょっと出かけてきま――って、そのネタはもういいよっ! なんでお前は毎回俺に配達に行かせようとするんだよ! 別に配達するような物なんてないだろ!」
 もしかしてそんなに俺と同じ空間にいたくないというのか……いや、まさかね。
「それだけあんたと一緒の空間にいたくないって事よ」
「当たっちゃったよ! 俺のモノローグをなぞる形になっちゃったよ!」
「はあ? なに分かんない事言ってるの?」
「いえ、何でもないです。はぁ……なんだか本当に配達に行きたくなってきたよ……」
 そして誰もいないところで静かに涙を流したくなった。
「冗談よ。ていうかお約束ってやつ。さ、馬鹿なことはここまでにして……越坂部附音、あんたは品出しでもやっといて頂戴」
「はいよ」
 そしていつものように俺は店の奥に行って商品を取りに行く。お客なんて滅多に来ないのにそんなに品出しする必要があるんだろうかって最近疑問に思う。
 チョイチョイチョイと行ったり来たり荷物を運ぶ。
 外では一日で1番きつい暑さが広がっている。店の入り口のガラス戸越しに日中の日差しがギラギラ差し込む。店内にうっすら漂う誇りが太陽光でキラキラ光る。しかし店の中は冷房が効いていて過ごしやすい空間に保たれている。穏やかで平和な時が流れていた。
 黙々と商品を陳列する俺。レジにいる郁奈は椅子に座ってハードカバーの本を読んでいた。できれば俺と交代して欲しい……そんな事を思いながら時間が過ぎる。客は未だ訪れない。
「ねえ越坂部附音」
 すると、ゆるりと流れる空気を破って郁奈が俺に語りかけた。
「なんだい」
「その……ほら、あんたがここに初めて来た時に言ってたでしょ。バイトする目的が1人暮らしする為だって」
「……ああ、確かに言ったっけな、そんな事」
 正確に言えばここから出て行くため。本当の自由を手に入れるため。そして――俺達の約束の場所に行くため。
「あんた……この町から出て行くつもりなの?」
 郁奈の声はいつものように静かで、落ち着いたものだった。
「まあ……そういうことになるかな」
 俺は言葉を濁すように曖昧に答えた。
「……実はわたしもね、いつかこの町から出られたらって思ってるの……わたしね、正直言うと、こんな何もない田舎が嫌いなんだ。東京とか大都会で暮らすのが夢なんだ」
 郁奈の告白。俺は何て言えばいいのか分からなくて、相槌すらうてない。郁奈は俺と同じ、プリズナーだった。
「……でも、かつてお姉ちゃんに同じような話をしたとき、お姉ちゃんが私に言ってくれた言葉があるの……どこにいても同じだって」
「えっ……同じ?」
「そう。人の物語はその人自身が創っていくんだって。確かに舞台となる場所は大事かもしれないけど、物語を紡ぐのはあくまで人間。ドラマは人と人との関係によって広がっていくの。結局はどこにいたって、誰かと繋がっていけるならそこに全てはあるんだって」
 郁奈はらしくもなく、真剣な表情をして熱く語った。きっとそれが郁奈にとっての、動かない為の免罪符なんだろう。
 だけどそれは……違う。だって俺のドラマは未だ展開していない。今まで何度も引っ越しを繰り返し、様々な人々と出会って別れたけれど……すべて無意味に俺を通り越していった。ただ1人の例外を除いて。
 そうだ……それに人と人の繋がりだと言うのなら、やはり俺はなおさらこんな場所にいる場合じゃないのだ。だって俺に必要な人は……叶歴ただ1人なのだから。
 そう言う意味では確かに……俺が叶歴を失ってから、俺の時間は停止したままだ。俺の物語は中断されている。それを再開できるのはやはり叶歴だけなんだ。俺は東京に行ってそれを始めなければならない。
「それでも田舎を出たい気持ちに変わりはないけど、お姉ちゃんを置いて行けるかって言われたらまだいいかなって思えるようになって……。ほら、お姉ちゃんいつもポワポワしててなんだか危なっかしいところあるでしょ。だから当分はわたしがついていないとね」
 悲しそうな素振りも見せずに、郁奈は小さく笑って、
「なんだか湿っぽい感じになっちゃったわね。ほら、ちょっと休憩にしましょ。お茶とお菓子持ってくるから店番してて」
 そう言ってそそくさと店の奥へと姿を消した。
 色々と自分を納得させて、正当化させて、ここにいる事を肯定しようとする。きっと郁奈はここの生活に馴染んでいるんだ。
 俺は――そうはならない。だって、郁奈……それは言い訳にすぎない。なんだかんだ言ったって、それはただの諦めなんだ。俺と郁奈は似ているようで、ちっとも似ていない。


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