引き継がれる物語

第4章 少年と少女と影

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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 俺と神流は山を登って、そして岬に辿り着いた。
「到着したわね」
 神流は汗一つかかず涼しい顔をしている。
「はぁ……はぁ……疲れた」
 対する俺は熱中症寸前ぐらいになってた。やっぱ軽い気持ちで登るだなんて言わなければよかった。
「だらしないわね、附音」
「うるせー、よく考えたらお前は幽霊だからそりゃ疲れないわな」
「言い訳なんて情けない男ね、あなたも」
「な、情けないって……お、俺は不良なんだぞ。怒らせたら――って、え?」
 俺は思わず情けない声を出してしまった。神流のずっと後ろ、木々の間から見慣れないものがいたからだ。俺はそれを知っている。
「なっ――あ、あいつは……」
 俺はそれを指さした。神流はゆっくりと振り返って、何でもないように呟いた。
「ふん――敵ね」
 そう、神流にとっての敵。そして神流いわく、世界にとっての敵が現れた。
「……」
 鬼みたいなシルエットをした真っ黒なそいつは、相変わらず物音を立てずに佇んでいる。
「見たところ、どうやら今日はかなりどう猛な日みたいね……危険だから附音は離れていて頂戴」
 神流は普段とは違う表情に変わっていた。緊張感を持った、真剣な顔。
「危険な日……? それってなんだよ。なんでそんな事が分かるんだよっ」
 俺にもその緊張が伝わってくる。自然と早口になってしまう。
「何度も戦ってたら感覚でそれ位は分かるのよ……さぁ、早く終わらせるから、あなたは黙って見物してなさい」
 と、神流の言葉が言い終わるのとほぼ同時に、影の鬼が俺達の方に向かって走り出した。
「うわっ。き、来たぞ神流っ!」
「分かってるわよ、黙っててっ」
 もの凄いスピードでやってくる影を、神流は構えもとらずに見つめていた。
 そして影が神流の目前に迫り、その真っ黒な拳を振り上げたとき、
「はっ!」
 と、神流が肘打ちを影の腹部に当てた。――だけど、
 ぶんっ――と鈍い音がして、神流の体がぐらついた。
「うっ……」
 神流が苦しそうに表情を歪めている。
 よく見れば――影が神流の腹部に拳をめり込ませていた。
「か、神流っ!」俺は叫んだ。
 どうやら影は神流の攻撃を喰らったにも関わらず、ノーリアクションで神流に反撃を加えたのだ。
「だ、大丈夫よ……附音っ。こんな敵なんかにっ!」
 神流はぐらつく体勢を立て直して、すぐさま華麗なステップで影の鬼から距離をとった。
「って、かっ、神流――危ないっ」
 影が神流を逃がさんとするかのように、一気に距離を詰めて、
「な、なによっ……こいつっ。なんで今日はこんなにも速いのっ」
 驚く神流に右ストレートを放った。
「ちっ……」
 神流はすんでのところでそれを躱した。だが、
「……」
 今度は影の鬼が左のパンチを出す。神流はギリギリ避ける。更に今度はキック。
 そうやって影の神流に対する攻撃が繰り返された。影の鬼は猛ラッシュで左右から拳を放ち、神流は必死でそれらを避ける。
「か、神流っ……」
 俺はどうする事もできずにただ黙って見ていた。すると――。
「ぐはっ……」
 ついに影の鬼の拳が神流の顔面を捉えた。神流の体は切り立った崖の方へと吹き飛ばされ、影がすぐさま追う。
「神流……大丈夫かっ、神流っ!」
 まずい。このままじゃ神流が危険だ。まさか影の奴がここまで強くなっているなんて。きっとそれは神流も予想外の事だったんだろう。そして神流は影に勝つ事ができないというのだろうか。……だったら俺が、俺がなんとかするしかないのか?
 そうしている間にも神流の劣勢は続く。
 神流の体は地面を転がって、そして崖のすぐ傍で止まった。
 そこに追い打ちをかけるように、影が神流に馬乗りになった。そして――。
「う、ああっ――」
 マウントポジションをとった影の鬼が神流にパンチを浴びせまくる。神流は両腕でガードして耐えている。まずい。非常にまずい。
 俺の体がぴくりと動いた。俺が助けに行くべきか。でも、俺が敵う相手なんだろうか。このまま行っても返り討ちにあうだけなんじゃ……頭の中で嫌な空想が流れる。
「くうっ……」
 尚も続く攻撃。影の止まらないラッシュ。
 その衝撃で、ガラガラッ……と、神流のすぐ傍で崖が崩れていった。神流は追い詰められた。俺はその瞬間――心ではなく体で動き出していた。
「うっ、うおおおおおおおおお!!!!!」
 俺は影に向かって飛び出す。
「つ、附音っ? 何をする気なのっ? 駄目よ、あなたじゃ勝てないわっ」
 殴られ続けながらも神流は突撃する俺の身を案じた。
 俺はその事に感動して、そして腹を立てた。
「うるせーっ、俺は不良なんだっ! 不良は何も考えずに巨悪に立ち向かうものなんだよ!」
 俺は無我夢中だった。ただ今は目の前の敵を殴る、その事だけしか頭になかった。
「……」
 影は俺の存在に気付いたのか、ゆらりと立ち上がって俺の方に顔を向けた――ような気がした。影だから正面がどこか分からないのだ。
 けれど、俺にはそんな事関係ない。カタチさえあればそれでいい。ただこいつをぶっ飛ばす。それだけを――。
「くらえよ、影野郎っ! これが不良の拳だああああッッッ!」
 じっと俺を見続け、何の抵抗も示さない影の鬼に――俺は正面から殴りつけた。
 そして、俺の拳が影の顔面を捉えた瞬間――意外な現象が起こった。
 パァァァァン――と、乾いた衝撃音。
「え……?」
 俺は驚きで目を丸くした。
「な……消えた、ですって?」
 神流も地面に倒れたまま驚きの声を上げていた。
 そう――俺の拳が影の鬼に当たった瞬間、不思議な事に影の鬼の姿がシャボン玉のように一瞬で弾けて消滅したのだ。
「これは……どうなってるんだよ、神流」
 まさかこんなパンチ一発で倒せるなんて思ってなかったので俺は途方に暮れた。
「私だって分からないわよ……けれど、そうね……やっぱりあなたが特別だってことかしら……」
 動揺を隠しきれないといった声で推測しながら、神流はよろよろと立ち上がる。
「だ、大丈夫か、神流。つかまれよ、ほら」
 冷静さを取り戻した俺は神流に肩を貸して、そして安全な位置へと歩を進めた。
「ありがとう……附音。私を助けてくれて」
 俺につかまりながら、神流はらしくもない事を言う。
「水くさいこと言うなよ」
 俺は展望台に設置されたベンチまで神流を運ぶと、そこに神流を座らせた。
「ふふ、でもまさかあなたがあんなに勇敢な人だったなんて思わなかったわ。格好良かったわよ、附音」
 神流はまだ少し苦しそうな顔をしていたけど、呼吸も落ち着いてきて随分と余裕を取り戻したようだ。
「からかうなよなっ。それにしても……あいつなんなんだろうな。後をつけてくるだけかと思えばいきなり強くなって攻撃してくるし、ほんと意味分かんないよ」
 なんだか照れくさくなって俺は話題を変えた。
「そうね……でも、私にとってはあなたの存在も同様なのよ。あの敵は普通の人間には触れることもできないのに……やっぱりあなたは特別なのよ」
 またそれだ。この俺が特別だと? 俺が幽霊だと言うのか? それともやっぱり叶歴が。
「ねぇ、附音」
 一面に広がる海の田舎町を背景にして、神流が話しかけた。
「なんだ?」
 神流の背後に見える町は、夏の暑さによって大気が歪み、町の全体がにじんで見えていた。
「あなた、どうして不良にこだわってるの? 私にはあなたが不良に見えないんだけど……」
 神流は俺の目を見据えてじっとしている。
「……不良って名乗っとけば余計な人付き合いしなくていいから……っていうのは外面だけど……神流には本当の事を言うよ」
 俺は胸に秘めていた出来事を語ることにした。俺の胸に根付く強さを。
「昔、誰かは知らないけど言われた事があるんだ。お前は不良だ、大切な人を守る為なら社会の理不尽さとも戦う、強い不良。世界からも抗おうとする不良だ。お前は1番強い不良だ……ってさ。意味はよく分からないんだけど、なんだかそれがずっと心の中に残っててさ……。なんでだろう。別に大した言葉じゃないのに……それでも俺はそれを自分の強さにしているんだ。もしかしたらその言葉があるから、俺はこうして叶歴の元へ行こうと決意できたのかもしれない」
 俺は告白した。俺の初期衝動の源を。
「そう……なの」
 神流は何か思うところのありそうな顔をしていた。
「でもそう言う割に俺はその時の状況がどんなだったかいまいち覚えていないんだ。言葉だけは覚えているのに、いつどこで誰に言われたとかは曖昧なんだよ……不思議だよな」
 俺は続けた。そしてそれを聞いた神流は何やら考え込むようにして沈黙する。
 しばらく静寂が流れ、やがて涼やかな風が吹いた時、ようやく神流は口を開いた。
「あなたが東京に行って答えを見つけた時、もしかしたら私は――あなたの前からいなくなってしまうかもしれない……」
 神流は長い黒髪を手で掻き上げて、人形のように整った顔を街並みの方に向けた。
「な、それはどうして……」
 俺は神流の方を見つめるが、神流の顔は俺とは逆に向いていて表情が見れない。
 神流……なんでいきなりそんな事を言うんだ。どういう意味なんだ……。
「分からないわ。でも……きっとそれが私の終着点なのよ。だからあなたが行った結果で私がどうなろうと、それは私が望んだことだから……それだけは覚えておいて」
 神流は相変わらずのさっぱりした口調で語る。
 それでも俺は、さほど驚かなかった。神流と会って間もない時からその事は薄々とその事を考えていた。神流が本当にこの世ならざる者ならば、いずれ俺の前から姿を消す時が来るのだろうと……。
「あなたがこの町に来てから着実に終わりが近づいてきているのよ。影が急に強くなったのもそのせいかもしれないわ」
「終わりってなんだよ……いったいどうなるっていうんだよ」
 影の鬼が強さを増したというだけでも脅威なのに、そのうえいったい何が起こるというのだ。俺は戸惑いを隠しきれない。
「大丈夫よ、附音。それは私の望んだことなのよ」
 落ち着いた声で俺を諭す神流。あくまでも神流は平静を保ったままだった。いや、むしろいつも以上にその姿は穏やかに感じた。
 俺がその後ろ姿につい見とれていると、神流が唐突にするりとこっちに顔を向けた。
「……」
 俺はついドキリとして、身を強張らせてしまう。
「だから今の内に言っておくわ……」そして神流はそのままベンチからゆっくりと立ち上がって、「ありがとう、附音」仄かな笑みをたたえてそう言った。
「え?」
 先程からの一連の神流の言動に俺はついていけない。だってこれじゃあ……。
「私はずっと待っていた。この町でずっとずっとたった1人で。私はこれからも1人だって思っていた。無限の時を過ごしていって、いつしか自分が何者なのかも忘れてしまうんだろうなって思っていた」
 神流の告白。神流はずっと1人だった。そして目的も終わりもあてもなく悠久の時を過ごしてきた。それはどのような気持ちだったのか。
「でも諦めかけた私の前にあなたが現れた。そして私の時間は再び動き出したの……ありがとう。私に希望を与えてくれて」
 俺という存在は――そんなにも特別なのか。俺はただ、いつものようにこの町に流れてきただけなのに。
「もう、会えないかもしれないから……だから」
 そうだよ――これじゃあ本当に別れの場面みたいじゃないか。
 でも、これが神流の本当の願いなのだとしたら……。神流は希望を俺に託している。俺だけにしか頼めないことを。悲願を。俺は――。
「ああ、お前のその願い、俺がきっと叶えてやるよ」
 俺は自然と口から言葉が出ていた。これは運命なんだ。俺にしか神流が見えなかったわけも、神流があの廃墟を知っていたことも。
「附音……」
 神流は儚げで、でも安らかな瞳で俺を見つめていた。
 全ては繋がっている。見えない意思が俺を約束の地に呼んでいるのだ。
 ならば俺はやはり行かなければいけない。
「あと……俺からもお前に約束だ。俺がお前の約束を叶える代わりに、お前も俺の約束を叶えろ」
「……え? なに?」
 神流が不思議そうに首を傾げて長い髪がふぁさりとなった。
「ここでお別れはなしって事だ。俺が約束を叶えた時、またここで会おう……お前にも土産話も聞かせたいからな」
 できるだけ明るい声で俺は嘯いた。
「……ふふ、そうよね。私がいなければ誰も話をする相手もいなくて可哀相だものね」
「ははっ……ま、そういう事だ。だから俺が帰ってくるまでいなくなるんじゃないぞ、神流」
 そうして俺は、最後にこの海に囲まれた田舎町を目に焼き付けるように眺める。
「私は結構義理固い女なのよ。安心して行ってきなさい」
 神流も俺の隣で同じ景色を見た。
 短い間に、不思議な事がいろいろ巻き起こった、不思議な町。これでお別れになるけど、もう一度戻ってこよう……神流のために。そして全てが終わったら、今度こそ叶歴と。
 こうして――俺の旅が始まる。
 町がにじんでいく。夏の音がけたたましく鳴り響く。気が付けば太陽はだいぶ傾いていて、空の色がオレンジ色へと移り変わっていた。セミの声はいつの間にかひぐらしの声に変化していた。そうだ。全ては流転する。変わらなければいけない。俺は前に進まなければいけない。
 俺は――この田舎町を抜け出してあの場所へと帰還する。


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