引き継がれる物語

第2章 自らの意思

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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 朝食を済ませ、部屋に戻った俺は床の上で仰向けになってぼーっとしていた。
 外から蝉の鳴き声がかすかに聞こえてくるだけで静かなものだった。
 千春はどこかに走り去ってからまだ家には戻ってきていないし、瑠璃さんは朝食の片付けやら何やらで忙しそうにしていた。
「暇だな……」
 今朝早く起きてしまったせいで俺は今、時間を持て余していた。どうせ遅く起きていたとしても結局は同じだったんだけど。
 だが、こういう時にぴったりの趣味が俺にはある。
 それは――散歩だ。
 散歩はいい。退屈しのぎになるし、運動にもなるし、そしてなにより心が落ち着く。
 しかも俺はまだこの町に来たばっかりだから、通る道はほとんど未知の道なのだ。
 まぁ昨日千春に学校までの案内をしてもらうというハプニングがあったものの、千春の案内なんていい加減なものだから俺はこの町をほとんど知らない。
 やはり探索というものは自分の力で行うからいいものであって、誰かに案内してもらっても感動なんて半分も得られない。
「よし……いくか」
 外はまだ残暑の厳しい気温ではあるが、俺の胸の高鳴りはそんなものでは押さえられない。俺は部屋を出て玄関へ向かう。
「あら、こんな暑いのにどっか出かけるの?」
 リビングから顔だけ出した瑠璃さんに呼び止められた。
「ええ、ちょっとこの周辺になにがあるのとか、色々知っておきたいですし」
「あんたも物好きねぇ。こんな田舎町に見るようなところなんてないのに。別にいいんだけどね……そうだ、だったらさ、おつかい頼めるかしら? 卵きらしちゃったのよね」
「いいですよ」
 そんなわけで俺は瑠璃さんに買い出しを頼まれて、家の外へと出た。
 外に出ると蝉の鳴き声はいっそう大きくなっていて、ギラギラと照りつける日差しに俺は一瞬めまいに似たものを感じたが、こんなことではくじけない。もう昨日の時点で体感したのだ。千春がいない今なら、一人の状態なら俺は無敵なのだ。
 俺は歩き出した。
 てくてくてくてく……と進んで行く。
 とりあえずは昨日千春に引っ張られて歩いた道を辿る。
 そしてしばらくすると海が見えてきた。うん、昨日はあまり感じてる余裕はなかったが、なかなか心地いい。俺はこの町は好きになれそうにないけれど、やはり海はいいものだ。
 海独特の匂いと、吹き付ける風の感触、そしてカモメの声を感じながら俺は辺りを見回す。
 まばらに人が集まる小さな海の家。俺が辿ってきた歩道沿いには聞いたことのないような小さなコンビニ。そして小さなラーメン屋に定食屋。そのどれもが古くさい建物で、台風が来たらすぐにでも吹き飛んでいきそうだった。
 本当に何もないところだけど、さてここからどうしようか……。深く考えても仕方ないので昨日とは逆の方向へと適当に進んだ。
 てくてくてく……と歩いて行く。目指す目的地は特に決めてないけど……強いて言うならまずはこの町で一番高い場所を探そう。
 高い場所から町全体を一望することで、初めて自分がその町に認められた気分になるのだ。今までずっと俺はそれを繰り返してきた。
「そういえばこんな事するのも久しぶりだよなぁ」
 思えばあの時、特別な丘に登ってから1年以上経つのか。前回はそんな事する余裕もなかったから……そうか、あの日以来って事になるのか。
 あの丘の上の廃墟で俺は彼女に出会った。
 ノノ羽良叶歴……。今、あいつはどうしているんだろうか。元気でやっているのだろうか。あいつは体が弱いからついつい心配になってしまう。まったく心配をかけさせる奴だ。
 思わず表情を綻ばせて、俺はふと気になるものを見つけた。それは神社だった。
「あそこは……」
 細い道の先に、隠れるようにして建つ小さな神社。多分普通に歩いていたら気付かないようなところ。
 うっそうとした木々に囲まれた場所。まるでこの空間が切り取られた場所であるかのように、そこは異質な雰囲気に包まれていた。
 もしかしてここが昨日、自称・幽霊が言っていた神社なのか……?
 俺はゴクリと唾を飲む。見なかったことにして先に進もうか。
 足を動かそうとして俺は思った。
 ――見慣れない道を見つければついついそこを通る。それが俺のやり方。
 普段なら絶対に通らない道は、高い確率で一生通ることはないのだ。すぐ近くで生活しているのに、自分の人生には全く関わってこない。それは、なんとなく寂しいような気がする。
 ならば俺はできるだけたくさんの道を行きたい。ふと思い立ったときはすぐに通るべきなのだ。それが俺の信条なのだ。
 だから俺は勇気を持って神社の敷地に入る。ここで俺が足を踏み入れなければ、きっと一生この場所に入ることはないだろう。
 そして中に入ってすぐに――俺は後悔した。
「あら、昨日の今日でもう来てくれたの?」
 幽霊少女、時雨神流が水飲み場で日差しを避けるように腰を降ろし涼んでいる姿があった。
「たまたま通りかかっただけだ……まさか本当にいるなんてな」
「そりゃいるわよ。昨日みたいに外出するなんて滅多にないのよ。やんなっちゃうわ」
「だったらこんな陰気な神社に引きこもってないでもっと色んなとこ行けばいいだろ」
「無理よ。そんな事したら昨日の敵が四六時中私を狙って襲ってくるじゃない。この神社内だけ敵は中に入ってこないのよ」
「敵か……」
 どうやらこの神社が唯一の安全な場所だと言うらしい。昨日神流が戦っていた影のような鬼のような化け物。あれは一体なんだろう。
「そう、敵よ。何故か分からないけどアイツはいつも私を襲ってくるの。それで私は返り討ちにしてやるんだけれど……どうやら不死身らしくて、倒しても倒しても復活してまた襲ってくるのよ」
 滅茶苦茶な話だ。目の前の少女は幽霊で、彼女の命(?)を狙う不死身の化け物がいる。
「あんたも色々大変だな」
「そう、大変なのよ。で、私の言う事を信じるようになったってわけね」
 神流は清々しい笑顔を向けて言った。
「なんでそうなるんだよ。てか、お前が本当に幽霊だって言うのならその証拠を見せろよ」
 そもそも目の前の少女はどう見ても普通の人間にしか見えない。
「証拠っていったってねぇ……そんなもの持ってないわよ。それに正確には幽霊じゃないし」
「だったら到底信じられないよなぁ。そんな話」
 もしかしたら何かの詐欺で俺を騙そうとしているのかもしれない。俺は神流から少し距離をとった。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。やっと見つけた私の姿を見える人間をこのまま見過ごすわけには行かないわ。証拠は持ってないけど……一番手っ取り早く証明できる方法ならあるわ」
 神流は慌てた様子になって言う。そんなにコミュニケーーションがはかれる人間が現れて嬉しいのか。そう思えばこいつも可哀相な奴だ。
「……で、方法ってなんだ」
「それは――この私よ」
「お前が……? って、ああそうか……」
 つまり証拠は神流そのものってことか。俺以外の人間には姿の見ることのできない存在。
「行きましょう、誰か人のいる場所へ」
 神流は音もなくすっと立ち上がって俺の方へと歩いてきて、そのまま神社を抜けていった。
 その瞬間、全く音もなく命の感じられなかった境内に木の葉が風に揺れるのと虫の鳴き声が聞こえてきて、まるで止まっていた神社が再び動き出したみたいだった。
「あっ、おい待てよっ。別に俺はそんなの確かめに行くなんて言ってないぞっ。ていうか神社から出たら影みたいな奴が襲ってくるんじゃないのかよ!」
 慌てて神流を呼び止める。
「襲ってくるって言ってもそう頻繁に来るわけじゃないわ。昨日の今日でくるなんて事はないと思うわ。それに襲ってきたとしてもまた退治すればいいだけだし……どうせあなた暇なんでしょ?」
 振り返る事なく、歩くペースを落とすことなく神流が言った。なんて傲慢な。
「暇じゃない……俺は忙しいんだ」
 仕方なく神流の後を着いていきながらも俺は不平をたれる。
「忙しい? なにしてたの?」
 その質問に、俺は一瞬答えるのが戸惑われたが。
「……散歩だ」
 結局素直に答えた。もうこれ以上こいつに付き合うのも嫌だからな。
「はぁ? 散歩? 不良のあなたが?」
 思った通りの反応。
「悪いかよ」
 俺はこういう反応をされるのが嫌だからあまり言いたくなかったんだ。
「別に。悪くはないわよ。でも散歩だったら別にいいじゃない。これも散歩のようなものじゃない」
 そう言って神流は俺の隣まで来て、ニコニコ微笑みながら、俺と歩幅を合わせてゆっくり歩いた。なんかむかつく。
 俺はそっぽを向いて不機嫌な口調で反論する。
「全然違うね。これだから素人は困る。いいか? 散歩ってのは、一人で目的もなく好奇心と探求心に導かれるままに歩くからいいのであって、誰かと一緒に目的があって歩くなんて、そんなのまるで……」
 まるでそれは……デートじゃん。
「まるで……何よ?」
 神流は悪戯っぽい笑みを浮かべている。それを見て俺は思わずドキリとしてしまった。
 いやいや、何を考えているんだ俺は。俺には……叶歴がいるんだ。
「ねぇ、まるで何なのよ。教えなさいよ〜」
 俺が黙っているといきなり神流が抱きついてきた。
「て、おいっ、ちょっ……何すんだよっ」
 俺はジタバタともがく。
「単なるスキンシップよ。ほらほら教えなさいよ」
 俺を掴んで離さない神流。
「わけわかんねーっての。ていうか幽霊なのに普通に触れられるんだな!」
 ますます信憑性がなくなってきた。しかも重いし。
「いいじゃない。私、こうやって人の体に触れるなんて思ってもみなかったんだから。随分久しぶりだわ。だからあなたもちょっとくらい我慢しなさいよね」
 神流はあっさり答えたが本当にそうなら……それはすごい寂しい事だと思う。誰にも触れることもできず、ずっと1人の世界を生き続ける。そう思えば俺の体くらいいくらでも貸してやってもいいが……だが、今はそんな事よりもだ。
「……その……胸が思いっきりぎゅっと当たってるんだけど……」
 むにゅむにゅと、それほど大きくないけれど、ゼリーのようにぷにょぷにょ柔らかい胸が俺の腕に押し当てられていた。
「……」
 すると、急に神流が静かになって俺から離れた。そして――
「うぎゃっ!」
 無言で俺を殴ってスタスタ先に歩いて行った。
「酷い……今のは理不尽すぎる暴力だ」
 はぁ……すぐにでもこんな田舎町を抜け出して叶歴のところに行きたくなった。

「……それにしても誰も見当たらないわね」
 その後しばらく歩き続け太陽がほぼ真上に昇った頃、神流はぼやいた。
「こんなに暑いと誰も外に出たがらないんじゃねーの?」
 それにしても昼時なのに1人も人がいないってどんだけ田舎なんだよ。
「そうかもしれないわね。わざわざ好きこのんでこんな暑いのに外いる人間なんて馬鹿くらいしかいないわね」
 神流が憐れむような瞳を俺に向けた。
「……て、それ俺のこと言ってるのか?」
「いえいえ〜、誰もそんな事言ってないわよぉ。ま、人を探すのは難しいということが分かったけれど……どうする?」
 って……飽きたのかよ! 神流は自分が幽霊だという証明をするのを簡単に放棄したようだ。散々連れ回しておいてなんて勝手な奴なんだ。
「どうするって……俺は散歩の続きをするだけだが……」
 癪だがこれ以上神流に関わる方が嫌なので文句は言わないでおく。
「そう。じゃあ私もついていこうかしら」
 まだ関わっちゃってくるし!
「いや、こなくていいよっ。っていうかついて来んなよ」
「別にいいじゃない。暇なんだし。それに歩いてたらそのうち誰かに会うでしょう」
「俺と同じ馬鹿にか?」
「だから違うっての。意外とちっちゃい男なのね。あんたも」
 神流は鼻で笑って憐れむような目で俺を見る。冗談で言っただけなのに。
「悪かったな……分かったよ。俺はとりあえずこの町が見渡せる高い場所に行こうと思ってたんだが……お前どっかお勧めの場所知らないか?」
「ふん。愚問ね……私はこの町に根付く存在なのよ。この町について知らない事なんて私にはないわ」
 凄い自信満々で答えたが……こいつ地縛霊みたいなものなのか。まあ、神社から出たら例の影に襲われるから迂闊には遠出はできなさそうだけど。
「……で、どっか良い場所知っているのか?」
「ええ、ほら、あそこに山が見えるでしょ? ここからそう遠くないし、簡単に登れるし、町全部が見渡せる展望台もあるわ」
 神流は向こうに見えている山を指さして得意げに鼻を鳴らしている。
「随分と大変そうな道のりに思えるんだけど……」
 この暑いのに山登りはさすがに……。
「大丈夫よ、見た目ほど遠くないわよ。実際行ってみるとすぐだから」
 まあ、どうせ家にいたって何もやることなんてないんだから暇つぶしついでに行ってみるか。なんだかんだで俺もあの山は気になっていたからな。
 というわけで俺と神流は、町を海と挟むようにしてそびえている小さな山に向かって歩いて行った。
 そして数十分歩いて、ようやく山の麓まで辿り着く。
「いや、全然遠いじゃん!」
 ここからそう遠くないって言ってたのになんて奴だ。さらにこれから山登り……俺は周りを見渡してみる。小さな商店があるだけで何も見当たらなかった。
「あら、これくらいで音を上げるなんてあなたそれでも不良なの?」
「俺は体力がない現代の不良なんだ」
 息をあげる俺に対して、神流は涼しい顔をしていた。よく見れば炎天下なのに汗一つ流していない。ほんとに幽霊なのかもな……。
 とか、思っていたら――。
「ああ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ、兄ちゃん! こんなところでいったい何をっ!?」
 やかましい声が聞こえてきた。
 振り返るとそこにはいとこの藤堂千春。
「なんだ、お前何してんだ。こんな暑いのに」
 この空の下を歩く俺と同じ馬鹿がいたと思ったら、それがまさか千春だったとは驚きだ。さすが馬鹿のチャンピオン。
「それはこっちの台詞だっての……あたしは部活だよ。バドミントン部。それで今はランニング中」
 多分千春の通う中学指定のものであろう、体操着姿に身を包んだ千春はめんどくさそうに答えた。
 この様子だと今朝の出来事は完全に忘れてるみたいだ。
「へぇ〜、お前バドミントンやってたのか」
 なにか面倒な事に巻き込まれるかと思っていた俺は内心ほっとした。
「そんなことより兄ちゃんは1人でいったい何してるんだよっ」
 千春は小さい体をピョコピョコさせて不思議そうに俺を覗き込む。ぶるんぶるん揺れる千春の胸を俺はばれないように覗き込もうとするが。
「ん……? ひ、1人?」
 千春の言葉に俺は驚いて、隣に立っている神流を見た。
「……ふふん」
 神流は勝ち誇ったように腕を組んで笑っていた。
「1人じゃん。で、兄ちゃんは何してんの? っていうかどこ見てんの?」
 俺が茫然と神流を見ていたら千春が小突いてきた。マジで千春には神流が見えないらしい。
 ってことは――嘘でもでまかでもない。本当に神流は幽霊だったんだ。
「あっ、いや……その、俺はほら、散歩だよ……この町に来たばっかりだから隅々まで探索しようと思ってな」
 俺はなんとか視線を千春に向けて誤魔化す。
「むぅ〜……案内だったらあたしがするのにぃ……」
 千春は頬を膨らませた。これは演技じゃない。ていうか、千春にこんな自然な演技ができるわけない。
「それよりお前、今ランニング中なんだろ? いいのか、こんなところでサボってて」
 俺は動揺が気付かれないように冷静に振る舞って、とりあえず千春をどっかに行かせる。
「ああ、そうだった。そうだった。また部長の奴に怒られちゃうよ。そんじゃ兄ちゃん……また後でね〜」
 手を振りながら千春は走り去っていった。嵐のような少女、藤堂千春。
 ていうか。
「……お前、マジで幽霊だったんだな」
「正確には幽霊じゃないけれどね。やっと信じてくれるようになったか」
 神流は偉そうに腰を反らしている。よっぽど嬉しいのだろうか。
 俺は隣の少女に悔しさと、少しの恐怖を覚えながら、山に続く道を見つめた。


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