引き継がれる物語

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

○事象-1の世界○

 

 思えばそれが俺の初恋だった。
「――叶歴」
 俺は独り言を呟くような掠れた声でそう言った。
「附音くん」
 少女は甘い吐息を吹きかけるような声で俺の名を呼んだ。
 この場所で俺は少女に言わなければならなかった。
「ごめん、叶歴……やっぱり行くことにしたから」
 俺を救ってくれた少女。なのに俺は彼女に何も恩返しする事ができなかった。少女の瞳を見ることができなかった。
「う……うん、いいよっ。私の事は気にしないで。私は、私なら大丈夫だよっ。附音くんがいなくても大丈夫だからっ」
 なのに彼女の声はまるでいつもと変わらず、優しくて穏やかな声で……でもこの声を聞くことは、もうできないのだ。
「でも叶歴……体は大丈夫なのか」
「ふふ。附音くんは心配性なんだから。最後の最後まで本当に」
「……最後だなんて言うなよ。いつか、きっと戻ってくるから。叶歴の元に。ほら、だからこれやるよ。いつも叶歴と一緒にいられるように、それまでこのヘアピンをつけていてくれ」
 俺は彼女の為に、彼女に似合いそうな物を探していたのだ。それを黙って彼女に手渡す。
 もっとたくさん話したいことがあった。本当はいつもみたいに、馬鹿みたいな、けれど楽しい話がしたかった。
「ありがとう……。私も、今度附音くんと会う時までにたくさん物語を作っておくからっ。だから楽しみに待っててねっ。面白い話考えるからっ……」
「ありがとう、叶歴。新作の物語待ってるよ。だから叶歴も待っててくれ。大丈夫、叶歴の物語が完成する頃にはきっと戻ってくるから」
「……うん。そうだね。私、待ってるから、ずっと。だって附音は私にとって1番の人だから……ずっとずっと1番なんだから」
 ヘアピンを大事そうに両手で持った少女の笑顔は、どこか寂しそうに見えた。それはきっと空笑いだった。
 だったら……いつもみたいに笑わせないと。こんな時だからこそ。
「叶歴……ごめん」
 なのに――今の自分には謝ることしかできなかった。
 こうして越坂部附音と、ノノ羽良叶歴は――離ればなれになった。



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