引き継がれる物語

第4章 少年と少女と影

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 バイト帰り、俺は久しぶりに神社に行ってみることにした。バイトを始めてからというもの、忙しくなってなかなか来る機会がなかったし、それに……今日郁奈と話していたら、無性に神流に会って、東京に行くモチベーションを上げておきたかったのだ。だけれども。
「あれ? 神流は外出中か……?」
 訪れると決まってダラダラしている姿がすぐ目に入ったのに、どうしたというのだろう。狭い公園のような神社を一通り見渡してみても、神流はいないようだった。
「てか、神社から出たら影みたいな敵に襲われるんじゃないのかよ……ちょっとだけ待つか」
 このまま帰るのもなんなので、仕方なく俺は少しだけ神流を待ってみることにした。
 屋根があるから日差しは防げるだろうと、とりあえず暑さをしのぐために社殿へ向かう。
「……全然暑い」
 日陰にはなったけれど、暑さは全然変わらなかった。それでも俺は賽銭箱にもたれて神流が戻ってくるのを待った。
 暇なので賽銭箱の中身を覗いてみたりする……全然お金は入ってなさそうだった。
 それにしても一体ここは誰が管理してるんだろうか。そもそも何の神社なんだろう。色々気になって俺は本殿の中を覗き込んだ。
 ご神体らしき祭壇が飾られている。一見普通だ。だが……俺は気になるものを見つけた。
「あれは……ストラップ?」
 祭壇の上に鏡やら小物やらが置かれていて、その隅っこの方にあの場所に不釣り合いなものを見つけた。
 ケータイのストラップに付けるくらいの大きさで、頭にヒモが付いた犬なのか豚なのか分からない変な生き物のフィギュア……。
 いや……俺はあのフィギュアに見覚えがある。そう……あれは、俺が持っているのと同じストラップ。
 あれは――廃墟になった娯楽施設のキャラクターストラップだ。
 俺はポケットからケータイを取り出して見比べてみる。やっぱり同じだ。気の抜けたやる気のない表情に、動物か妖怪なのか分からない姿。とても可愛いとは思えない、あみゅ〜君。
「けど、なんであみゅ〜君ストラップがこんなとこに……?」
 もしかしてあのアミューズメント施設がこの町にもあるのかもしれない。いや……でも俺が知る限りではあの場所以外にあるはずないと思うんだけど……。
 俺は小さな疑問を抱きながらストラップを見つめていると――誰かが俺の肩に手を置いた。
「うおっ! って、び……びっくりした……なんだ、神流じゃないか」
 驚いて振り返ると、神流が暑さをものともしないような涼やかな顔をして立っていた。
「必死で境内の中を覗き込んで何をしているの? 盗み?」
「違うわッ! こんな寂れた神社で何も盗るもんなんてねーだろ!」
 それ以前にそんな罰当たりな事できるか。
「そりゃそうよね……じゃあ何をしていたのよ。到底償いきれない罪の告白?」
「犯してねーよ! なんで俺が犯罪者みたいになってんだよ! これだよこれ!」
 いわれのない罪をこれ以上押しつけられるのも嫌なので、俺はケータイを取り出して神流に見せた。
「ケータイがどうしたのよ。メル友がいないからって私に期待しても無駄よ。ケータイなんて持ってるはずないじゃない」
「ちげーよ! よく見ろ、ストラップだよ! これってほら……あそこに置いてあるのと同じやつだなって思って見てたんだ」
 俺は自分のストラップと祭壇に置かれているものを交互に指さして神流に見せた。
 すると神流は驚いたような顔になって俺からケータイを奪い取りしげしげと眺めた。
「これは……あなたどこで手に入れたの?」
「え? ああ、これは前住んでた東京で……その例の女の子から貰ったんだ」
「そう……なの」
 神流は口元に手を当てて深く考え始めた。
「なあ、それがどうしたっていうんだよ」
「……もしかすると、答えが見つかったかもしれない」
 ぼそりと聞こえるか聞こえない程度の声で言った。
「え? それはどういう……」
「そのストラップはどういうものか知ってる?」
 有無を言わせぬと言った感じに神流は食ってかかる勢いで俺に尋ねてくる。その気迫さに俺はたじろいで素直になってしまう。
「えと……これはアミューズメント施設のキャラストラップだろ? 俺達が手に入れたとこは廃墟になっちまったけど……」
 事態が飲み込めない俺は素直に答える。
「廃墟……そうなの。あそこ、つぶれたのね……」
 なぜか神流が寂しそうに遠い目をした。
「な、なんだよ、神流その言い方はっ。も……もしかしてお前知ってるのか? 丘の上の建物のことをっ」
 俺は神流の物言いに胸の奥がざわつくくらいの衝撃を受けた。
 俺と叶歴の秘密の場所。俺達の世界を、この世ならざる少女が……。
「ええ、知ってるわ……というより、そこに私の探す答えがあるのかもしれないし、あなた達の答えもあるのかもしれないわ」
「答え……だと?」
 神流の言っている意味がいまいち理解できない。いつもこうやって曖昧な答えしか返さないのだ。俺は苛々が込み上げてくるのを、しかし我慢した。
「そうよ。私はいったいなんなのか、何故あなたに私の姿が見えるのか、その子を私と同じ運命から救う手段、全てよ」
「な、何を言ってるんだよお前。もう少し分かりやすく言ってくれよ」
 俺は緊張しながら神流の瞳を見つめる。神流は感情の籠もっていないような声で答えた。
「私もあの場所に行ったのよ。もっとも私のいた頃はまだ廃墟ではなかったけれどね」
 やっぱり――神流は俺達の世界を知っていたのだ。そして彼女も訪れていたのだ。それはいったい何年前の話なんだ? 幽霊である神流はそれからずっと歳をとっていないのだろうか。やっぱり幽霊だからか?
「……そ、そうだったのか」
 色々聞きたい事があったがもはや相槌を打つしかできない俺に、神流は長い黒髪を風になびかせながら続けた。
「そして私は気が付けばほとんどの記憶を失ってこの町にこの姿になっていた。何故か手にはあのストラップが握られていた。そしてはっきりと覚えている記憶といえばその施設での楽しかった思い出だけ……私は思ったわ。きっとあの建物に何かある。あそこに行かなくちゃ行けないって……そう感じるの」
 けれど、神流はこの町から出ることのできない体になってしまったのだ。
「あそこに行った時、何が起こるのか分からないけれど、そうする事で止まっている私の時間は動き出すの。それは良い意味でも悪い意味でも……意味のある事なの」
 神流の黒い瞳は遠くを見ている。セミの鳴き声がやけに響いてくる。木々の隙間から夏の日差しが突き刺す。
 神流の目的。存在意義。到達しなければいけないこと。でもそれは神流にはできないこと。だけど……それは俺にならできることなのだ。だから――、
「……分かったよ、神流。俺が行くよ。行って答えを見つけてくるさ。叶歴にも会わなくちゃいけないからな」
 だから俺が神流の為に行かなくちゃいけない。きっと俺に神流の姿を見ることができるのは意味があるからなのだ。
「ありがとう……あなたならそう言ってくれると思ったわ」
 神流は微かに微笑んで天を仰いだ。人形のような顔が太陽の光で明るくなる。
「でも、まだ軍資金もないから……もうしばらく後になると思うけどよ」
 俺はなんとなく神流の顔を見つめているのが恥ずかしくなって視線を逸らして言った。
「待ってるわ。これまでずっと待っていたんだもの。それ位なんともないわ」
 その声はとても穏やかだった。安心しているような、信頼してくれているような。
「そうだな……じゃあちょっと久しぶりに叶歴にメールでもして聞いてみようかな。ストラップを手に入れた時のことを」
 俺は神流が手に持っていたケータイを返して貰い、そして叶歴にメールを打った。


 だけど――その日。夜になっても叶歴からのメールの返信がくることはなかった。
 こんなに長い間、返事が返ってこないことは恐らく初めてだった。
 俺は胸騒ぎがした。とても嫌な……だけど不思議と俺の心はそれを望んでいたのかもしれないと思った……そんなことあるはずないのに、そんな事を感じたんだ。
 幻想の中の少女の叶歴……俺だけの叶歴。だから。


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