引き継がれる物語

第3章 脱出とバイト

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

1

 
 時雨神流から衝撃の告白を受けた俺は、そのあと気もそぞろで山を下りてすぐ家に帰った。
 なんとなく俺は無性に心配になって叶歴にメールした。
『よう。特に用はないんだけど、そっちの調子はどうだ?』
 もしかしたら返事が来ないかもしれない……なんて不吉な考えが脳裏をよぎったが、返事はすぐに来た。
『あはっ、なにそれ。私は元気でやってるよ。ほんと附音は相変わらず心配性なんだから〜』
 そのメールを受け取ってひとまず俺は安心した。
『お前は体が弱いんだからあんま無理すんなよ』
『分かってますよーだ』
 そんなこんなでメールのやり取りを終えて、俺はベッドの上に寝転がっていた。
 神流の奴が変な事を言うから無駄に心配してしまった。
 俺は部屋の中を見回してみた。そこは相変わらず雑然としていて、まだ封も切られていない段ボール箱がいくつもあった。
 そういえばまだ全然引っ越しの整理も何もしていない。
 いいか……そんなもの別に。ここが俺の部屋だなんて認めない。監獄に居着くつもりはない。
 夕食まで結構時間があった。だから俺は逃げるように部屋を出て、そして隣の部屋の前に立ってノックした。
「ん〜? なに〜?」
 中から千春の声が聞こえてきた。部活から帰って来てるみたいだ。
「ちょっと退屈だから遊んでやろうと思って。暇つぶし程度にはなるかなって」
 千春でも少しは役に立つ場面もあるもんだな。千春で気晴らしでもさせてもらうか。
「え、わぁ〜いっ。やったぁ……って、あたしは兄ちゃんのおもちゃじゃないよっ! なにその上から目線的な物言いはっ!? あたしはペットかっ!」
 てっきり尻尾を振って喜ぶもんだと思ったのにこれは意外な反応だ。
「じゃいいや。1人で遊んどくから」
 仕方ないので俺は踵を返し部屋に戻ろうとすると、
「わっ、ちょっ、ちょっと待ってよっ。誰も遊ばないなんて言ってないよっ」
 と、部屋の中でガシャガシャ音がして、扉が開いた。だったら始めからそう言えっての。
「で何して遊んでくれるの、附音兄ちゃん」
 部屋から出てきた千春は、クマの顔がプリントされた半袖Tシャツと、下はショートパンツという、なんともだらしない格好で現れた。胸の膨らみによってクマの顔は膨張している。う〜ん、俺は目のやり場に困るなぁ。
「ん、あ〜……そうだな。じゃあ久しぶりにあれするか。千春が腕立て伏せして俺が傍で見守っているという遊び」
 主にけしからん胸の揺れを計測する為に。
「それ遊びなの!? 全然面白くなさそうだし、そもそも意味が分からないんですけど!」
 おっと、なんという事だ。いとこに対してつい変な下心がでてしまった。千春のくせに。
「冗談だよ。じゃああれやろう……ツイスターゲーム」
「つ、ツイスターゲーム……? 別にいいけど……なんか兄ちゃんから悪意を感じるような気がするんだけど……」
「そんな事はないぞ。さぁさぁ思う存分ツイストろうぜ!」
 俺は柄にもなくテンションが上がっていた。
「う、うん……でも兄ちゃん、ツイスター持ってるの?」
 千春の言葉に俺は固まった。
「……え? お前持ってないの?」
 どこの家庭にも1台はある、あのツイスターゲームを!?
「うん、持ってない」
「ちっくしょおおおおおおおおおっっっっ!」
 はい、サービスシーン消滅!
「に、兄ちゃん。そんなにツイスターゲームしたかったんだね……ごめんね」
 千春が憐れむような目で俺を見た。なんか勘違いして感動すらしてるし。
「……ま、しょうがない。他のゲームやろう。何でもいいよ。死体ごっこする?」
 なんかもう俺はどうでもよくなって適当に相手することにした。
「なんか兄ちゃん今日はテンションの落差が激しいね……あと死体ごっこはやだな」
 千春が可哀相な人を見る目で俺を見つめる。そ、そんな目で俺を見ないでくれ。
「じゃあ何して遊ぶんだよ。俺もう疲れちゃったよ……」
「わっ、なぜか兄ちゃんが心の病にかかっちゃった。しっかりして兄ちゃん……そうだ。あれやろう! あたしが腕立てするから兄ちゃん見守っててよ!」
 千春に気遣われてるし。ある意味かなりレアな状況だし。
「……腕立てじゃなくて腹筋だったらいいよ」
「え? ふ、腹筋?」
「そうだ。お前が腹筋やってるのを俺が見守るよ」
「う〜ん。でも、これで兄ちゃんが元気になるなら……分かった、あたし頑張るねっ」
 そして千春は床に仰向けに寝転んで、本当に腹筋を始めた。
 これはなかなか嬉しい光景が見れるかもと、俺は正座して期待に胸躍らせたが。
「う。う……う〜ん……苦しい〜」
 だけど、全然できていなかった。千春の上半身は空中でプルプルと震えて、まともに体が上がっていない。てかバドミントンやってるんだったら腹筋くらい普通できるだろッ!
 なんにしても結局俺の目論見は失敗に終わった。
 揺れるところが見たかったなぁ。
 ま、でも千春が顔を赤くして腹筋を頑張ってる光景というのも微笑ましくていいかもな。
「はは……」
 俺はつい声を出して笑って、その時唐突に恐ろしい感情が訪れた。
 俺は――今、この藤堂家での日常を楽しんでいる。そしてこの家庭に馴染んでいっている。これは陰謀だ。俺をこの田舎に縛ろうとする意思だ。駄目だ――俺は騙されてはいけない。誰にも心を開いてはいけない。自分の心を常に統制しなければいけない。俺は身勝手な大人達に決して屈しはしないのだ。
 しかし、まぁ……隣で千春が必至になって腹筋しているのも無下にはできないので、しばらくはこのふざけた生活に身を投じてみようじゃないか。
「うぐぐぅ〜……だめだぁ……できないよぉ〜」
 俺の暗闇に気が付く様子もなく、千春は未だにぷるぷる震えている。
 そんなこんなで夕食の時間まで馬鹿な事をしながら、今日も1日が過ぎていった。


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