アウトキャスツ・バグレポート
第3章 伽藍方式
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2
守代が目を覚ましたとき、そこは自分の部屋で、彼はベッドの上にいた。
「あ……そうか。いつの間にか眠ってたんだ」
時計を見れば既に昼前の時間だった。
徐々に意識がはっきりしてくる守代。どうやら巡了の部屋で寝てしまった守代は、先に目覚めた巡了によって自分の部屋に運ばれてきたようだった。
夕べのことを思い出した守代は、暗い気持ちのまま着替えて部屋を出た。
2階の廊下には、守代と同じく新入生の鳳明里がいた。
「あ。おはようございます……守代さん」
何の事情も知らない明里は、いつもと変わらないおどおどした様子で挨拶してきた。
「……ああ、おはよう鳳さん」
なんとなく明里に合わせる顔がないような気持ちになっていた守代は、ぎこちない表情で挨拶を返した。
「あのぉ……今日は市川先輩と澤木先輩……どこかに行ってるんですか? 朝から見てないんですけど」
いきなり明里は、答えづらい質問を守代に投げかけてきた。
「え、えと……そうだね。な、なんか用事があるとかで早くから出かけてたよ」
どうにか答えながら守代は思った。市川と折花は仮面を被ってここで暮らしてきた。そして彼らはその仮面を外した。なら……あの2人はもう、戻ってこないかもしれない。
……それでなくともリンネはもう二度と帰らないのだ。
市川と折花がいなくなればここも一気に3人になってしまう。ずいぶん寂しくなるなと、守代は遠い目をした。
「そう……ですか。どうりで今日は引っ越しのお手伝いにも来られなかったんですね」
まだ引っ越しの片づけが終わっていなかったのかと、守代は少しあきれて、思わず笑みがこぼれた。
「なにか用事でもあったの?」
「あ、はい。今日は天気がいいから、みなさんに予定がなかったらお花見でも行こうかなと思ってたんです。わたしと守代くんと巡了さん。それに市川先輩と澤木先輩。でも……先輩方がいないなら仕方ないです」
残念そうにため息をつく明里。だが守代はその言葉にひっかかる部分を感じた。
「あれ? えと……5人でいくの?」
リンネが死んでしまったのだからその中に彼女が入っていないのは不思議ではないけれど、明里はまだその事を知らないはずだ。なのに――。
「ええと、だって寮の全員で行くならこの5人ですよね……あ。もしかして他に誰か連れてくる人がいるんですか?」
決して冗談で言っている様子には見えない。守代は嫌な予感がした。
「いや違うよっ。り……リンネさんはどうしたの? 同じ寮生の先輩じゃないかっ」
思わず声が大きくなる守代。明里は戸惑った顔で答えた。
「え――リンネさん? だ、誰ですか……その人は」
「……え?」
守代は引きつった顔のまま固まった。不安は核心に変わった。何故なのかは分からないが、明里は天乃廻リンネの事を忘れてしまっていたのだ。
「あ、あの……守代くん。守代くんっ」
「あ……な、なに?」
呆然としていた守代は、明里の呼びかけでようやく意識が戻った。
「大丈夫ですか……守代くん」
「ご、ごめん……ちょっとぼーっとしてたみたい。あはは。へ、変なこと言ってごめんね。僕の言ったことは気にしなくていいよ」
守代はから笑いをしてごまかした。
「えーと……そ、それじゃあわたし、そろそろ部屋に戻りますね。出かける支度しなきゃいけないので」
明里も愛想笑いで返した。
「どこか行くの?」
「ええ。お花見も中止みたいだし、今日は暇なんでせっかくだからお出かけに行こうと……まだこの町に来て日も浅いですから、学校が始まるまでに一度1人で散策しようと思ってたんです」
「そう。それじゃ……気をつけてね」
「ありがとうございます。守代くんも……その、元気だしてくださいね」
そう言って明里は、自分の部屋へ入っていった。
「見透かされてたんだな、僕。はは……情けないや」
一人廊下に残された守代は自嘲気味に吐き捨てて、まっすぐ巡了の部屋に向かった。途中、リンネの部屋の前まできたとき、中からキーボードを叩く音が聞こえてきたような気がしてとっさにドアを開けたけれど……中には誰もいなかった。
胸に言葉にし尽くせない感情が込み上がってきた守代。それを押さえるようにしてその部屋を通り過ぎた。
「――巡了さん、いる?」
巡了の部屋の前に立った守代はドアをノックした。
「……」
巡了からの返事は聞こえてこない。
しかし守代は巡了が部屋の中にいると確信していた。
守代は返事が返ってくることを期待しないで、話を続けた。
「巡了さん。その……僕を部屋に運んでくれたのは巡了さんだよね。……ありがとう」
「……」
やはり案の定、部屋から反応は返ってこない。
「あ……巡了さん。ええと……あの、こんなこと言ってもどうしようもないってことくらい分かってるんだけど……あまり自分を責めないほうがいいよ」
「…………」
「そりゃあ僕だって……僕だって悲しいよ。リンネさんが死んだのは……僕のせいなんだ」
「…………」
「確かに、リンネさんと初めて会ってから何日も経ってない。けれど……それでも僕は泣きたいくらい悲しい。それは単に僕のせいでリンネさんが死んだっていうだけじゃない。だって僕はリンネさんのことが……」
「………………」
しかし守代が何度呼びかけても、巡了からの返事は一向になかった。
「……さっき鳳さんに会った時、彼女はリンネさんのことを忘れてたんだ……なんだか、寂しいよね。……忘れてしまうなんて」
守代は最後にそう言って、ドアに背を向けた。その時。
「……姉さんは……死んだ。この世から存在が消えたから……だから誰も覚えていないんだ。それは……姉さんが、そういう風に仕組んだから……」
巡了がようやく言葉を返してくれた。途切れ途切れの言葉で続ける。
「なあ守代刻羽、いま寂しいって言ったよな? 教えてくれ……いったい何が寂しいんだ? 忘れた方がいいに決まっているんだ。私は、姉さんのことをあまりにも愛し過ぎていた。こんなに辛いなら、姉さんの事は忘れるべきなんだ……。お前には、私の気持ちなんて、何も分からないんだ……」
扉越しで聞こえる巡了の声は、氷のように冷たかった。
守代は、ドアに背を向けたまま言う。
「巡了さんは……それでいいの? リンネさんのことを忘れてもいいの? 姉妹なんだろ。楽しかった思い出も」
「もう戻らないんだ、そんな思い出辛いだけだ。私は……もうどうでもいい。姉さんがいない世界なんて、どうなったっていい」
いつも巡了から垣間見える自信も力強さも、その言葉からは微塵も伺えなかった。
「……リンネさんは、そんな風になって欲しいと思って君を助けたと思っているのか?」
だから守代は、無意識にそんな事を口にしていた。
「うるさい……何も知らないくせに」
まるでこの世の全てを呪うかのような巡了の声。
「……確かに何も知らないけれど、これだけは分かる。リンネさんは君に笑っていて欲しいから……だからあのとき、君をかばったんだ」
「…………」
「君は……リンネさんの分まで幸せに生きなくちゃいけないんだ」
「…………」
守代はそれだけを言い残して、部屋の前から立ち去った。
(呪いだ。これは呪いなんだ……僕はまた拒絶されるんだ。周りの人を巻き込んで、全部めちゃくちゃにしてしまうんだ……これが僕の宿命なんだ)
廊下をフラフラと歩きながら、守代は絶望していた。