アウトキャスツ・バグレポート

    1. 第2章 世界のアウトサイド

  • ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

    2

     
     春の午後のうららかな陽気の中、守代刻羽と天之廻巡了は町の中を並んで歩いていた。
     カエル荘から歩いて10数分ほどにある繁華街。2人がいるのはそこのアーケード。……といっても、そのアーケードは半分ほどの店がシャッターを降ろしている寂れた歓楽地で、人通りはまばらで、活気もなくて、幽霊でも出てきそうな薄暗いところだった。
     寂れたアーケードを歩く2人の間には言葉もなく、妙に気まずい空気が流れていた。
     一見すると喧嘩中のカップルにも見えなくないが、とんでもない。こう見えて彼らはデート中でも、あてもなく歩いているのではない。ヒドゥイヤロ討伐に向けて、作戦を遂行していたのだ。
    「に、にしても巡了さん……本当にあいつ、こんなところにいるのかなぁ?」
     とうとう沈黙に耐えかねた守代は、さっきからムッツリ眉間に皺を寄せて隣を歩いている巡了に話しかけた。
     守代の言葉に、巡了はチラリと一瞥して言った。
    「知るか」
    「……」
     もしかしてと思っていたけれど……守代はこれで確信した。どうやら自分は巡了におもいっきり嫌われてるようだ。
    「……いいか。お前はただ何も考えず私と並んで歩いているだけかもしれないが、お前と違って私はこの間にもヒドゥイヤロを探索しているのだ。大活躍中なのだ」
     巡了は守代の方を見ずに冷たく言い放った。
    「えっ、そうなの? 僕にはただ闇雲に歩いてるだけのように見えたけど……」
     探索してる素振りなんてまったくないのに、どんな方法でサーチしてるのだ。
    「お前には分からない方法で探索してるんだよ。ちっ……いちいち面倒くさい奴だ。どうして私がお前のお守りをせにゃならんのだ……まったく、姉さんの突然の思いつきにも困ったものだ……」
     やれやれと巡了はかぶりを振った。
    「まぁまぁ、そう固いこと言わず仲良くいこうぜ、巡了」
     さっきからテンションの低い巡了に、守代は親指を立てて爽やかな笑顔を向ける。
    「馴れ馴れしく話しかけるなっ」
    「……ごめんなさい」
     巡了と仲良くなるのは多分無理だろうな、と思った守代だった。
     ――守代がこうして巡了とヒドゥイヤロを探索しているのは、リンネに協力を請われたからだった。
     どうやら守代を生き返らせたことで弱ってしまったリンネは、現在戦うことができないらしい。もし今の状態のリンネが襲われたら、それはそれは大変な事になるというのだ。
     さらに悪いことに、リンネは究極の魔女という別称で多方面から恐れられていて、同時にその命を秘かに狙っている者が数多くいる。そしてヒドゥイヤロもその内の1人だ。
     だからヒドゥイヤロが何かしてくる前に、こっちから彼を見つけて倒そうという算段なのだ。その為には、ヒドゥイヤロの居場所を突き止める必要があるわけで、だから少しでも人手がいるということで、守代はこうして手伝っているのだ。
     守代はこの状況に至った経緯を思い出してみたが、それにしても巡了と2人で町を散策するとは思ってなかった。
    (き、気まずい……)
     再び、守代と巡了の間に重い沈黙が流れていた。
     むしろ、なんだかさっきよりも険悪な空気になってしまった気がする。
     守代としては、隣を歩いているのが巡了じゃなくリンネだったら嬉しいところなのだが、あいにくリンネはリンネでカエル荘に残って独自に調査しているらしい。守代がリンネの部屋を通りがかった時、パソコンのキーボードを叩く音が、まるで音楽を奏でるように聞こえて来て驚いた。調査ついでにカエル荘に結界を張って安全面を強化するとは言ってたが……プログラミングでそんな事もできるのだろうか?
    (ま、何も事情を知らない僕なんかが色々考えてても仕方ないか……)
     2人に任せていれば大丈夫だろう――と、守代は思ったが。
     でも――それにしてもこの重苦しい雰囲気はどうにかしてほしかった。
     守代と巡了の間に漂う殺伐とした緊張感は時と共に深くなる一方だった。
     すると不意に。これまでずっと押し黙っていた巡了が、初めて自分から口を開いた。
    「……敵がいれば感覚で分かる。姉さんほどではないけど、私にもそれ位の能力はある。私は敵の痕跡を辿っていってるんだ」
    「そ、そうか……なるほど〜」
     巡了が話しかけてきてくれたことに、守代は内心とても嬉しかった。嬉しいけど悔しいから彼は平静をよそおって相づちをうった。
     すると巡了は珍しく、言いにくそうに、言葉を濁すように声をあげた。
    「……昨夜は無様な姿を見せたけれど、ほ、本当は……私だって凄いんだぞ」
     突然しおらしい顔になった巡了。どこか拗ねたような、あるいは寂しそうな口調だった。
    (あれ。も、もしかして巡了さん……昨夜のことに責任を感じてるのかもしれない)
     守代が勝手にやったこととはいえ、巡了をかばって彼は命を落としたのだ。巡了はそのことに対して何か感じるところがあってもおかしくはないし、当然とも言える。
    (でも僕はこうして生き返ったんだから、あまり気にはしてないんだけど……)
     むしろ余計な行動にでたせいでリンネに迷惑がかかっているし、こうして面倒な探索をしているのもそのせいであるから、守代だってリンネに対しては少なからず責任を感じている。そういう意味ではお互い様だ。
     だがどちらにしろ会話の糸口を見つけた守代は、再び気まずい沈黙が訪れる前に巡了が反応してくれそうな話題を選んだ。
    「えと、さ……ヒドゥイヤロなんだけど。あいつ何か出してたじゃん、影みたいなやつ。異物(マザリモノ)ってそういう特殊能力的な事もできるの? っていうか、もしかしてヒドゥイヤロは他にも変な力を持ってたりするのか?」
     ヒドゥイヤロがみせたその特殊能力のせいで守代が命を落とすことになった。他にも現実離れした行動に出られたら、戦う際に厄介なことになりそうだ。
    「いや。分裂するあの能力自体はヒドゥイヤロのもので、恐らくあいつの能力は分身を創ること……それ以外にはないだろう。奴の場合は特別だ。他の異物にも同じことができる奴はそうそういないだろう。世界に対して影響を与える能力、プログラミング能力はごく限られた人間にしか使えないんだ。ま、異物にプログラミング能力があるとしても普通は1つが限度で、あるだけでも異物としては凄いことだ」
     どうやらヒドゥイヤロが特別なだけで、特殊能力を持ってるやつはそうそういないみたいだ。
    「ならよかった……」
    「ふん。何がいいんだ。たとえ敵がどんな能力を持ってたって私は負けたりなどはしない」
    「いや、でも巡了さん……昨日まんまと敵の策に引っかかってたじゃん」
     守代は茶化すように意地悪く言った。
    「…………」
     巡了は返す言葉もないのか。いつものような毒を吐くことはせず、代わりに顔を赤面させて、いいわけするように声をあげた。
    「……だ、だけど……っ、これで相手の能力は判明したっ。油断さえしなければ絶対負けることはないっ。わ、私と奴とでは基本スペックがまず違うからなっ! わっはっはっ」
     それこそ油断しているような台詞に聞こえるが、巡了のその自信はどこからくるのだろうか。
    「ずいぶん自信満々だけど……具体的にどう強いんだ?」
    「はんっ。お前に言っても伝えるのが難しいが……そうだな。例えば能力だっ。あいつは手の内が知れた分裂という武器を持っているのに対し、私の手の内はまだあいつに何も見せていない」
    「へぇ〜……それで巡了の武器っていうのは? あの刀か?」
     すると巡了は、ふふんと馬鹿にするように鼻で笑った。
    「ふっ。刀、か。ああ、そうだな。それも私の武器だが……でもここで言う武器というのは、決して道具という意味ではないぞ。この場合は、私達の認識している現実にはあり得ない能力のことを指している。そして、私の武器――。さっきプログラミング能力は原則、1人ひとつと言ったが、私の場合は特別だ。普通ならひとつしか持てない能力を、私は――3つ持っているのだ」
     どうだすごいだろう、と若干ドヤ顔で答える巡了。
    「ほうほう……そりゃすごいなー」
     能力が1つあるのと3つあるのとのに、どれくらいの凄さがあるのか分からないから守代は、適当に相づちをうって返した。
    「てゆうか……いやっ、お前さっきから全然言葉に感情がこもってないじゃないか。もしや守代刻羽……実は私のことを凄いなんて少しも思っていないだろうっ?」
     巡了が詰め寄るような口調で言った。
    (やばい、ばれた?)
     守代はその迫力にたじろぎながらも反論する。
    「だ、だって1つと3つの違いだろ? 対して変わらないっていうか……」
    「はぁ!? お前っ、能力といったら普通1つしか持てないのがセオリーじゃないか! スタンド能力だって一人ひとつが限界なんだぞっ。それをお前っ、私はその大原則を越えて3つも能力を持ってるんだっ! スタンド能力3つってこれもう無敵だろっ!?」
     なんだかよく分からないけど、とりあえず巡了が某能力漫画を愛読しているだろうことはよく理解できた守代だった。
    「あ、あー……いや、もうわかった。巡了さんが強いことは十分わかったよ。じゃあさ、君のお姉さんはもっと凄いんだろ? だったら能力の数も君より多いのか? 5つとか」
     たとえ能力数が多くあったとしてもその内容にもよるだろう。使い物にならなければ意味はない。あまり関心の沸かない守代は、はぐらかすようにリンネの能力数を訊いてみた。
    「……ああ。いや、姉さんは規格外だから言っても次元が違い過ぎて分からなくなるだけだ。他と比較するとかそういうのとは別のところにいるんだ」
     あからさまに興奮が醒めた様子の巡了。その口調は、どこか重かった。
    「……なんだよ。そんな言い方されたら余計気になるだろ。分からなくてもいいから一応教えてくれよ。能力数だけでいいからさ、いくつあるんだ」
     巡了の勿体ぶった言い方に俄然興味が沸いた守代。
     守代におされてか、巡了は仕方ないとため息をついて、そして呟くように答えた。
    「姉さんのプログラミング能力数は――」

     ――999だ。

    「…………きゅ、きゅうひゃ……」
     ――999。
     それは、もう能力の中身とかいう問題じゃない。守代でも充分に伝わった。
     3つですらチートだというのに、それが999。
     思わず言葉を失った守代に、巡了は「だけど、この数を何かの比較対象にしようとするなよ。計れるものなど何もなくなるぞ」と念押しした。
     確かにリンネはどこかミステリアスな雰囲気を持ってる。だが、彼女がそんなにも化け物じみていたなんて……守代は自然と口から言葉が漏れていた。
    「なぁ訊いていいか……り、リンネさんって、どれくらい凄いの……?」
    「それは……私の口から語ることはできない。いや、ここで語ることすらおこがましい。なぜなら私がそれを具体的に説明すればした分だけ、姉さんの凄みが薄れていくからだ。それくらいに姉さんは――全てを圧倒している存在なんだ」
    「まさに筆舌に尽くしがたいってやつだな……」
    「ああ、それがピッタリだ。何も語れない――だ。姉さんは999のプログラミング能力を保有しているが、そんな数とかで具体的説明をするという事で、彼女を数値や例えで測るような真似をしたという事で、逆にそれは姉さんを過小評価してる行為に他ならない。彼女の凄さを表したいのなら、結局なにも語らないのがある意味1番ふさわしい……それが姉さんの規格外のチカラだ」
    「それは……まるで」
     それはまるで神のようじゃないか、と守代は思ってしまった。
    「しかし……今はお前に力を使いすぎた代償として、私よりも弱い存在になってしまっているけどな……こんなこと、ヒドゥイヤロや他の異物(マザリモノ)に知れたら大変なことになる」
     そうならないために一刻も早くヒドゥイヤロを倒し、リンネが万全の状態に回復するまで大人しく過ごしたいものだが、いかんせん肝心のヒドゥイヤロはその痕跡さえ未だ見つからない。
    「はぁ……せめてこの場に姉さんがいれば、とっくにヒドゥイヤロの居場所も突き止められてたんだが……でもそうすると姉さんが危険なんだよな……ふぅ」
     巡了は自嘲気味に肩を落とした。責任の一端でもある守代は、苦い顔をして視線をあらぬ方に向けた。
    「――ん?」
     守代はそこに、見知った2人の人物を見た。
    「あれは……澤木先輩に市川先輩だ」
     アーケードの脇道を少しいったところ、シャッターの降りている店先に立った澤木折花と市川右近が、守代達に向けて手を振っていた。
    「おー、2人揃って何をしてるんだよっ。ずいっぶん珍しい組み合わせだよねっ」
     近くまで寄って来た折花が首を傾げて尋ねた。
    「ええと……僕達は――」
    「守代がどうしても私に町を案内してほしいって言うから仕方なく来たんだ。まったくもって迷惑千万な話だ」
     守代に代わって巡了が言い訳してくれたが、守代は内心複雑な気持ちだった。
    「で、そういうお前達こそ何してるんだ?」
     巡了が折花と市川に問い返した。
    「うん。ボク達は春のうららかな午後の中、明里さんの引っ越しの手伝いをしていたんだよね。そしたらね、どうしても必要なものが出てきちゃってさ、それじゃあさっそく買い出しだ〜って折花がはりきっちゃってさぁ大変。それでこうしてボクは巻き込まれる形で折花に付き合って買い出しに来ているってわけだよ。ま、たまにはこういうのもいいんだけどね。……うん。春のうららかな空気、気持ちいいなあ」
     市川は丁寧かつ流れるような口調で事細かく説明した。
    「ふぅ〜ん。そうか……」
     と、巡了はあまり興味がなさそうだった。
     そう。今は市川達に構っている場合じゃないのだ。
    「それじゃあ2人とも……僕達はこの辺で――」
     タイミングを伺って、守代は折花達に別れを告げた。――が。
    「えっへへぇー。つれないこと言うなよぉ、刻羽くぅ〜んっ」
     折花が慣れ慣れしく守代の体にまとわりついてきた。
    「わわっ。ちょっと、何するんですかっ」
    「こんなとこで会ったのもなにかの縁だしさっ、町の紹介ついでに一緒に買い物もしようよっ。ねっ」
     折花が守代の腕をぐいぐい引っ張って強引に誘おうとする。助けを求めようと市川の方を見るが、彼は呆れたようにお手上げのポーズをとっていた。
    「えぇと……いや。で、でも……」
     今はヒドゥイヤロを捜索している最中なのだ。どうする――と、守代は横目で巡了を見た。
    「ああ、うん……私は別にいいぞ。一緒に行こうじゃないか」
    「……えっ!? いいのっ?」
     意外だった。巡了のことだからてっきり2人を一蹴するものだと思っていたが、巡了は不機嫌そうな顔をしながらも、彼らと同行するのに躊躇いはなさそうだった。
    「おおっ。そうかい? 珍しいねぇ。巡了さんがボク達に付き合ってくれるなんて。今日は雨でも振るんじゃないかな。うん……でもボク達の親睦も深め合ういい機会だし、これはこれで良かったよ。なんだか楽しくなりそうだね。よ〜し、そうと決まればさっそく行こう。明里さんも待ってるからね。あまり待たせたら彼女を悲しませてしまうよ。さぁ、いこうよ」
     市川が促して、4人は明里のための買い物に行くことにした。
     市川達に用のあったのは、アーケードの奥にあるけっこう大きな雑貨屋らしく、その店に入った2人はいろいろ小物などの物色を始めた。
     その様子を遠巻きに見守る巡了に、守代が囁くように話しかけた。
    「なあ、巡了さん。僕達はヒドゥイヤロを探して来たんだろ? こんなことしてていいのかな……?」
     むしろ、なぜ巡了が大人しく買い物なんかに付き合っているのか守代には不思議だった。
     もしや折花と市川は仮にも巡了の先輩だから、大人しくついていってるのだろうか。
    (いやいや。巡了さんの性格上、そんなわけはないか……)
     心の中で否定していると、巡了は素っ気なく答えた。
    「ああ、少し思うところがあってな……」
    「思うところって?」
    「……お前はなんでもかんでも聞きたがるな。好奇心いっぱいのお子様か。まぁいい……この際だから言っておいてやる。あの2人……私はどうにも信用できないんだ」
     巡了は小声になって言った。
    「信用できない? それは、どういうこと?」
    「2人がカエル荘に来たのはちょうど1年前だが……2人共いまいちよく分からない」
    「分からないって……なにが?」
    「ご存じの通り、私と姉さんは普通とは違うんだが……当然そのことを市川と澤木は知らない。一般人と暮らすにあたって私達は秘密を守っていかなければならないからな」
    「まぁ……そうだろうな」
     だから巡了は、守代や明里がカエル荘に来たことに不満だったのか。彼女達も大変なんだなぁと守代は思った。
    「常に戦いに生きる私達は安全のために彼ら2人を監視しているんだ。一見すると2人は普通の高校生だ。でも……なにか怪しいんだ」
     巡了の目つきが鋭くなった。
    「あ、怪しいって、具体的にどういうところが?」
    「いや、まあ……具体的にどうというのはなくて……今みたいにやたらと、私達にからんでくるし、まるで向こうも監視してるみたいだろ?」
    「いや、でもそれはただ仲良くしたいからなんじゃ? 他に何か根拠とかあるのか?」
    「え……いや。ないというか……あくまで私の勘なんだけど」
     気まずそうに、巡了が語尾を濁した。
    「……勘なのかよ」
    「わ、私の勘をみくびるなよ。めちゃくちゃ鋭いんだぞ」 
     取り繕うように、自信満々に言った。
    「でも、リンネさんはそんな事言ってないんだろ?」
    「ああ。姉さんはお人好しだから騙されてるんだ。だってあいつら、カエル荘から追い出そうと私があらゆる手を尽くしているというのに、未だに平然な顔で居座り続けているんだっ」
    「ずいぶん悪質だな!」
     まるで嫁をいじめる姑みたいだなと守代は思った。
    「何を言う。私達の問題に巻き込ませないようにと、私なりに気を遣っての行動なんだぞ。なのに奴らときたら、一向に出ていこうともせずもう1年だっ……怪しい。これは何か理由があるとしか考えられないっ」
    「いやぁ……それはないと思うけどな」
     それは単に市川先輩達が鈍いだけなんじゃ……という想像が守代の脳裏によぎる。
    「で、ちなみにだけどさ……市川先輩と澤木先輩にいったいどんな事したのさ」
     守代は思い切って訊いてみた。
    「そこまで酷いことはしてないぞ。ただ脅迫文を机の上に置いたりトイレ入ってるときに上から水かけたり料理に(ピー)を混ぜたり靴隠したりとか殴ったりとかその程度だ」
    「すっごいダイレクトじゃん! (ピー)ってなんだよ! これもうただのイジメだよ! 最後なんてあからさますぎじゃん! 犯人バレバレだよ! お前の悪意発覚してるじゃん!」
     というか逆にこんなことされても平然としている市川と折花に、むしろ尊敬の念すら抱く守代だった。
    「いや、だがな……市川は厄介だぞ。あいつに嫌がらせすると、ほぼ100パーセントで倍返しされるんだ。泣きそうだ。この前なんて私の宝物のお姉様観察日記を……あ、いや。ごほんっ。なんでもない」
     やっぱり巡了の悪意はバレバレだったらしい。……というか観察日記って。
    「そりゃ巡了さんが悪いんでしょ……というか、市川先輩って大人しそうに見えて実は怖いんだな。いや、薄々そんな気はしてたけど」
     守代は怯える視線をチラリと市川の方に向けた。
     ――すると。くだらない守代たちのやり取りに気づいたのか、折花がにやにや笑みを浮かべてこっちに近づいてくるのがみえた。
    「ん〜っ? さっきから何を話しているのかな、君たち〜?」
    「あ、いやなんでもないですよ澤木先輩」
     守代はとっさに手を振って笑顔で答えた。
    「あっはは〜。本当かね〜。もしかしてアタシ達に内緒で2人だけの密談をしていたのかなぁ? アッツアツだねー」
    「そ、そんなこと――」
    「そんなこと天地が入れ替わってもあり得るわけないだろうっ、たわけめっ!!!」
     巡了が守代に代わって、もうこれ以上ないってくらい、冷徹な声で清々しいくらいにキッパリハッキリ否定した。なんだか悲しい気持ちになった守代だった。
    「それよりも澤木。お前はさっさと買い物をすませてこい。いつまでかかっているんだ」
     まるで先輩を相手にしているとは思えない言葉遣いで巡了が言うと、
    「もう買い物は終わったんだよっ。今は右近の会計待ちだよっ」
     折花はレジにいる市川を指さした。
    「で――実際のとこ、コソコソなに話してたのかなぁ?」
     やけにしつこく尋ねてくる折花。
    「うるさい。澤木には関係ないだろっ」
    「関係あるよぉ〜。刻羽くんはまだ何も知らない、いたいけな新入りさんなんだよ? 誰かさんにいじめられたら可哀想じゃな〜い?」
     もしかして今の会話聞かれてたんじゃないだろうなと、守代の顔から冷や汗が流れる。
    「私はイジメは嫌いだな。そんなことするやつは成敗してやる」
     つい今し方まで話していた内容はイジメしてる発言に他ならないのでは?
    「へぇええ〜? どの口が言ってるんだよ。いつもバカな真似ばっかりしておいてぇ〜」
     ピクリと折花は目元をひくつかせた。
    (あ、やっぱり根に持ってたんだ……)
     澤木折花と天乃廻巡了の根深い関係性を垣間見た守代だった。
    「なんだ……まるで私がイジメをしてるみたいな言い方だけど」
    「してるのっ! アタシだけじゃなく右近にもっ!」
     今にも巡了に襲いかからんばかりの様子の折花。
    (まずい。しゅ、修羅場だぁ……)
     次第に張りつめていく空気に守代が危機感を感じ始めた時――ちょうど会計をすませた市川がやってきた。
     ああ、いいところに戻ってきてくれたと、守代は胸をなで下ろした。
    「さあ、必要なものも揃ったし帰ろうか……って、どうかしたの?」
     ただならぬ空気を察した市川が首を傾げて尋ねた。
    「い、いえ〜。なんでもないです……さ、さあ帰りましょう」
     守代は無理に明るく振る舞って店外へ出た。
    「どうしたんだい、慌てて」
     市川は笑いながら守代に続いて店を出る。そして思いだしたように巡了に語りかけた。
    「あ、そうそう。そういえば巡了さん……買い物に行く際、ボクが外に出ようと靴を履いた時ね、突如足の裏にすごい痛みを感じたんだ。それですぐ靴を脱いで確認すると……足の裏にがびょうが刺さっていたんだよね。巡了さん……これについて君は何か感じることがあるかい?」
     その口調はあくまで穏やかだったが、逆にそれが怖い。
    「ん? 突然なんの話をしてる? 私にはよく分からないんだが」
    (こ、この人……しらをきりとおす気でいるっ!)
     守代は巡了の神経の図太さに驚嘆した。
    「とぼけてもね、ボク見ちゃったんだよ。巡了さんが今朝、ニヤニヤしながらボクの靴にがびょうを入れてるところを」
     またもや修羅場到来の予感。
     それに対して、巡了が放った台詞は。
    「……ち。だからなんだって言うんだ。どうするつもりだっ?」
    「ひ……開き直ってるよっ!」
     もう駄目だ……守代は巡了から少し離れた。
    「やっぱりそうか、巡了さん。そりゃあ決まってるじゃないか……君に、お仕置きをするんだよ」
     市川が微笑を浮かべて、巡了に歩み寄っていった。
    「うっ……なにをするつもりだ……?」
     巡了は顔をひきつらせてジリジリと後退する。
    「だからお仕置きだよ。ほら」
     市川はどこからか棒状の長い物を取り出した。いったい何の用途に使うものかは分からないが、これで叩かれたら痛そうだ。
    「ひ、ひぃ……そ、それは魔槍グングニル……っ!? き、貴様、そんなものをどこで手に入れたんだぁ」
     巡了の顔から血の気が引いていくのが見てとれる。
    「さっきの雑貨屋に大特価980円で売ってたんだよ。さぁお仕置き、だよ」
     そう言って、市川は長い棒状のもののスイッチらしきものを入れた。
     ウィィィン――と、棒状のものがウネウネとくねりつつ振動を始めた。
    「や、やめろぉ〜……そ、そんな大きいのは入らないぞおおおおお!!!!!!!!」
     とうとう緊張感に耐えきれなくなったか、巡了は叫び声をあげて走り出していった。
    「あらぁ〜、逃げちゃったか……どうしよう」
     うぃいいんと振動する、棒状のものを手にしたまま市川が立ち尽くしていると。
    「にしししっ。なんだか面白そうだねっ。よし、ここからはアタシに任せて右近。アタシが右近の分までしっかりお仕置きしてくるよっ」
     そう言って折花が市川の手から棒状のものを受け取ると……。
    「待つんだっ、巡了ちゃ〜〜〜んっっ!!!!」
     完全に悪ノリしている折花は、巡了を追って走っていった。
    (……ていうか、ヒドゥイヤロ探索はどうなったんだ)
     ぽつんと取り残された守代は、ふとそんなことを思いだした。
    「やれやれ、うちの女子達はちょっと元気過ぎるよね……君もそう思うだろ? 守代君」
     守代の隣に立った市川がやれやれと首を振った。
    「え、ええ……そうですね」
     守代は苦笑いを浮かべて答える。
    「どうだい守代君? ご覧の通りカエル荘の住人達は変な人ばっかりでいっつも騒がしいけれど、楽しくやっていけそうかい?」
     市川は守代の肩に手を置いて、春の陽光に照らされた爽やかな顔で言った。
    「そう言う市川先輩も負けてないと思いますけど……少なくともみなさん悪い人達じゃなさそうですね」
    「あはは。ちょっと聞き捨てならないところがあるけど……そうだねぇ、否定はしないよ。うん。君にそう言ってもらえて、ボクは先輩として喜ばしいよ」
    「僕としてもみなさんと仲良くできそうで嬉しいです」
     そう、少なくとも……守代が彼らを拒絶する理由はなかった。拒絶されるのはいつも守代の方だから。そして彼らは自分を拒絶しないだろう――守代はそんな期待を持ちつつあった。
     しばらく沈黙が流れて、強い風が2人を吹き付けた後に、市川が呟いた。
    「……ボクと折花もね、ちょうど去年の今頃、とっても不安だったんだよ」
     市川の視線は、すっかり姿が見えなくなった巡了と折花の行った先をとらえていた。
    「そうなんですか……それは意外ですね」
     市川も折花もまともな時期があったのだろうか。
    「ひどいなぁ。ボクだって一年前は君と同じで、右も左も知らないような新入生だったんだよぉ」
     市川はもしかしたら、守代に気を遣っていたのかもしれない。いや、彼だけでなく折花も。
     守代は口の端にぎこちない笑みを浮かべて口を開いた。
    「……じゃあ僕も、一年経ったら市川先輩みたいになるんですね」
    「なんだよ、その言い方じゃまるでボクみたいになるのはお断りみたいじゃないか」
    「ふふ、冗談ですよ。ほら、そろそろ僕達も行かないと先に行った彼女達も心配しますよ」
     そう言って、守代は足早に歩き始めた。背後から市川の「待ってよ〜」と間延びした声が聞こえてきた。
     桜が等間隔に並ぶ道を歩みながら、守代は思った。
     やっぱりここにきてよかった。確かに不思議なこともあるかもしれないけれど、ここなら自分は拒絶されずに生きていけるかもしれない。ここが望んでいた自分の居場所だ。
     ――そう、確信しつつあった。


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