アウトキャスツ・バグレポート

    1. 第1章 カエル荘の住人達

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     守代と明里の歓迎会は賑やかなうちに終わりを迎えて、寮生達はみんなそれぞれの部屋へと戻っていった。
     そして守代も、まだ引っ越しの片付けが終わっていない部屋で寝ていた。
     時刻は、深夜12時を回ったところだった。
     まだ眠りにつけずベッドの上で目を閉じていた守代は、先程から妙な感覚にさいなまれていた。
    「うぅ〜……眠れない」
     環境が変わったからだろうか、守代はどうしても眠れなかった。新しい生活に不安を覚えているからだろうか。
     いや、違う――。
     なぜか分からないが守代は……そういう精神的なものとは違う、何か違う原因があるような気がした。
     それは何かの前兆のような恐ろしい予感めいたもの。けどその正体がなんなのかはさっぱり分からない。ただ時間が経つごとに、眠るどころかどんどん気分が高揚してくるのを感じた。
    「はぁ〜……このままじゃ眠れないよな」
     仕方がないので守代は部屋を出て台所まで行くことにした。そういえば喉が渇いていた。何か温かい飲み物でも飲めば気分が落ち着くはずだ――と思ったのだ。
     そして守代は階段を降りた辺りで気が付いた。
    (あ、誰かいる)
     リビングに明かりが付いていて、人の話し声が聞こえてきた。まだ誰か起きているようだ。
     別にやましい気持ちがあったわけではないが、守代はこっそりとリビングへ近寄った。
     会話が次第にはっきり聞こえてくる。声から察するに、そこにいるのはリンネと巡了の、天之廻姉妹のようだ。それに、話し声に混じってキーボードか何かを叩くような音も同時に聞こえた。ガダダダダダダダ――と、もの凄い高速で聞こえていた。
    「姉さん。私はまだ納得できてないよっ。どうして今年もここに人を招き入れることにしたの? 今までよりもやりづらくなるに決まってるよ。わざわざ自分から危険を増やすことないじゃない」
     巡了の不満そうな声が聞こえてきた。
    「まだそんなこと言ってるの巡了。言っただろ、ワタシ達だって人間なんだ。いつまでも世間から外れて、世界からはみ出たままじゃいけないんだ。そうだろ?」
     と、リンネの声。姿が見えなくても、声だけでその存在感が際立てられているような、その声には聞く者の心を安心させる心地よさがあった。
     2人が会話している最中も、タイピングの音は高速を保ったままだった。
     いったい何を話しているのか――守代は物影から顔を覗かせてリビングの様子を窺った。
     案の定、そこにはソファーに座った天之廻姉妹がいた。2人ともパジャマ姿だった。
     2人とも風呂上がりらしく、顔が火照っていて、髪がしっとりして、湯気が体から出ていた。
     キーを叩いているのはリンネだった。リンネはPC用か何か知らないが眼鏡をかけていて、巡了の顔を見つめたままブラインドタッチでノートパソコンを操っていた。
     さっき言っていた掛け持ちの仕事だろうか。
     守代は2人の姿に……特に湯上がりで眼鏡姿のリンネにドギマギしていた。ますます見つかるわけにはいかないと思った。
    「で、でも私はお姉ちゃんがいれば、別に世界からはみ出たままでいいよっ。私は――」
    「メグちゃん。それが駄目なんだぞ。メグちゃんは普通の女の子なんだ。メグちゃんも刻羽クンや明里ちゃんと同じで今年から高校生になるんだ。そろそろ、ワタシから離れて自分の足で進まなくちゃいけないんだよ」
     随分白熱してるが何の話だろう。
     すがるように話す巡了に、リンネは優しく諭すように言い聞かせている。いつの間にかキーボードを叩く手は止まっていた。
     だけど巡了は、それでもまだ納得できなかったようだ。
    「わっ、私は外から見てるだけでいいの。お姉ちゃんの傍にいて、お姉ちゃんの格好いいとこをずっと見ている。それだけでいい……それが私の幸せなんだよ」
    「そうやってメグちゃんはいつもワタシの影に隠れている。そうやってワタシの影でずっと観察してる。自分の人生なのに、自分が主役になろうと考えない」
    「な、なにが駄目なの……? お姉ちゃんは、私のことが嫌いなの?」
     巡了は泣きそうな顔をしてリンネを見つめた。
    「違うよ。そうじゃあない。ワタシはね、心配なんだ。いつも傍観するだけのメグちゃん……いつも見ているだけの観察者のメグちゃん。ワタシの可愛い妹、メグちゃん。……でもね、外から見てるだけじゃ分からない事はたくさんある。中に入っていかなくちゃ見えないこともあるんだ」
    「……でもお姉ちゃんがいるなら、そんなもの見えなくても」
    「駄目だよ、メグちゃん。ワタシはね、考えるんだ。もしワタシがいなかったらメグちゃんはどうするんだろうって。もしも……ワタシに何かあったら――」
     リンネの表情が暗くなったが、守代にはその顔が意味ありげに思えた。
    「へ、変なこと言わないでお姉ちゃん! そんなことないよ! だってお姉ちゃんは全存在最強の、魔女の中の魔女なんだよ! お姉ちゃんにもしものことなんて……」
     リンネの縁起でもない言葉に、目に涙を浮かべてぐずりだした巡了。というかシスコン過ぎるだろうと、守代は気が気でない思いで見守っていた。というか魔女ってなんだ。
     リンネは、涙を浮かべる妹の頭を優しく撫でて言った。
    「はは、ごめんごめん。例えばの話だよ。……大丈夫、ワタシに何かあるなんて、それこそ世界が終わるに等しいことだからね。つまり、そんな事はあり得ないだろう?」
    「お姉ちゃん……」
     姉を見つめる巡了は、目を細めて気持ちよさそうに甘えた声をあげた。
     リンネは慈愛に満ちた瞳で妹を見つめていた。
     このまま穏やかな姉妹水入らずの時間が流れていくと思われた。が、唐突に巡了の頭を撫でるリンネの手が止まった。
    「……と、その前に。やれやれ……また今夜も現れたようだな」
     何かに反応したらしいリンネが、あらぬ方向に顔を向けた。キリッとした、精悍な顔立ち。神々しささえ感じられる顔。
     うっかりみとれそうになりながらも、守代はリンネの視線の先に顔を向けるが、窓がある以外には特に何もなかった。
    「ど、どうしたの姉さん。も、もしかして――」
     しかし、守代と違って何かに気付いた巡了は、緊張を含んだ低い声でリンネに尋ねた。
    「うん。最近現れないと思ってたら、よりによって新たな住人が増えたその夜に来るとはね……しかもこれは、久々の大物のようだぞ」
     リンネはノートパソコンのフタを静かに閉じた。
    「大物……」
     巡了はごくりと喉を鳴らした。
     なにが起こったのだろう――2人の顔つきが、明らかに変わっていた。
     守代にはこれまでの会話の内容の要領がいまいち掴めなかったが、ただ――これだけは分かった。
    (これから、なにかが起こるんだ……大物って……夜釣りでも行くのか?)
    「あ、ほんとだ。私も感じた。でも……これなら全然余裕だね。この程度ならまだ私でもなんとかできる。お姉ちゃん、今夜は私に任せて」
     何を感じたのか、巡了も窓の向こう側に視線を向けて止まっていた。
    「えっ。でもメグちゃん……」
     リンネが心配そうな声をあげた。
    「大丈夫だよ。私が1人でもやれること、証明してあげるから。だからお姉ちゃんは休んでいて。私が討伐にいく」
    「もしかしてワタシが言ったことを気にして……」
    「ううん。そうじゃないよ。ただ、いつもお姉ちゃんにばかり大変な思いさせてるから、たまには私にもやらせてよ。心配しなくても平気。この程度なら簡単に退治できるよ。大丈夫、なんてったって私は天之廻リンネの妹だもん。こう見えて結構強いんだよ」
     まるで何かと戦うかのような調子で巡了が嘯いていた。
    「やれやれ……分かった。くれぐれも気を付けるんだぞ……メグちゃん」
     そしてリンネも、渋々といった感じで巡了に手を振った。
    「うん。それじゃあ行ってくるよお姉ちゃん」
     と言うが早いか、巡了がソファーからささっと立ち上がったので、守代は慌てて物影に身を隠した。
     巡了はパジャマの上からカーディガンを羽織って、そのままリビングをあとにして玄関まで行って、靴を履いて外へ出ていった。いつの間にかその手には、布に包まれた細長いものがあった。竹刀でも入っているのだろうか。
    (まさかホントに何かと戦うのか?)
     守代は巡了が何をしに外に出て行ったのか分からなかったけど、面倒事に関わるのは御免だったので、巡了のあとをつけようとは思わなかった。
     ただ、リビングに1人残されたリンネをチラリと伺った。
     ソファーに深く腰を降ろしたリンネは、どことなく寂しそうな顔をして、現実離れしたビー玉のような赤い瞳で、じっと虚空を見つめていた。
     その様子を見ていたら、守代は無性に胸の奥が熱くなってくる気がした。喉の渇きがますます激しくなった。
     その時、ようやく守代は本来の目的を思いだした。そもそも彼は飲み物を飲むために下に降りてきたのだった。
     けど台所の位置はリビングから丸見えになっていて、リンネがいる限りこのままじゃ冷蔵庫も水道水も飲めない状況だった。
     いや、別にリンネに見つかっても構わないはずだ。どうして守代はリンネの前に姿を現すことを躊躇っているのか。……それは、自分でも分からなかった。きっと答えはいくら考えても分かりそうにないだろう。
    (本当に今日は、おかしな日だ……)
     仕方がないので守代は、外に行って近くの自販機で飲み物でも買ってかえることに決めた。
     カエル荘を出る際に見たリンネは、いまだ虚空を見つめたままで――まるでそのずっと先に、守代さえ知らない世界を見ているように思えた。


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