アウトキャスツ・バグレポート

    1. 第3章 伽藍方式

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     いったいどれくらいの時間が経過したのだろうか。
     さっきまでの惨劇が嘘のように辺りは静寂に包まれていて、昨日までと同じような夜が続いていた。
     全てが終わった後もずっとその場から動くことができなかった守代と巡了だったが、やがて彼らは何も言葉を交わさないまま、どちらからともなくカエル荘の方へと歩き始めていた。その足取りは非常におぼつかなかった。
     並んで歩く守代と巡了。当然のことながらそこにリンネの姿はない。彼女は死んでしまったのだ。その事実があまりにも非現実的に思えて、守代はいまだにさっきまでの出来事は夢か何かだと思っていた。いや、思っていたかった。
     けれど巡了の様子を見るたび、嫌でもこれが現実だと思い知らされた。
     守代もリンネの死にショックを受けていたが……巡了が受けたそれは、守代とは比較できないくらいだということは明らかだった。まるで魂が抜けたような状態だった。
     守代は巡了の胸中を察することもできなかった。それはきっと、精神が狂うほどの喪失感と悲しみだろう。巡了はまるで人形か機械のように、感情がまったくなくなっていた。むしろ守代は、そんな巡了を見たおかげで、まだ正気を保てていたのかもしれない。彼は、巡了を見守るように彼女と歩調を合わせて歩いていた。ゾンビのように歩いていた。
     2人が歩行者用の細長いトンネルの中に入った時。そしてトンネルのちょうど真ん中辺りまで来た時、そこに2つの人影を発見した。
    「……あ」
     それは、2人がよく知る人物だった。
    「市川さん、澤木さん……あなた達が、どうしてここに」
     虚ろな瞳で守代は、目の前に立つ2人の先輩に話しかけた。
     ――そう。トンネルの中に立っていたのは、カエル荘の住人である澤木折花と市川右近であった。この世界の事を何も知らないはずの2人だった。
     ――が、目の前にいる彼らは、守代が知っている彼らと様子が違った。
     いつも明るく振る舞っているはずの折花は、やる気のなさそうな目つきで、ムッツリ黙り込んでいて――その隣に立つ市川右近は、凶暴に口元を歪めて、口を開いた。
    「くっくっく。どうやら事態はかなり深刻なレベルにあるよーだなァ?」
    「……は、はい?」
     市川の発言に耳を疑う守代。それは普段の市川からは想像できない言葉遣いだった。
    「…………」
     一方巡了はまだショックから立ち直れていないのか、特に驚いた様子もなく、呆然と焦点の合わない瞳をどこかに向けていた。
    「詳しくは見てねぇから分からねぇが……恐らく敵は異端の貴族らしいな……それは想定外だった。まさか貴族レベルの異物(マザリモノ)がでてくるなんてな。こいつは厄介なことになりそうじゃねーか」
    「さ、さっきから何を言っているんですか、市川先輩……」
     市川の口から異物(マザリモノ)という単語が出た瞬間、守代は軽くパニックに陥る。
     だが市川は、そんな守代に構わず愉快そうに笑った。
    「アンラッキーだなぁ。お前達が戦った相手、奴は異物(マザリモノ)の中でも別格の存在なんだぜ。アイツはこの世界にとって致命的なバグってやつなんだよ」
    「そ、そうじゃなくてあなた達はいったい……」
     さっきから市川が何を言っているのか守代には分からなかった。なぜ事情を知らないはずの市川がこんな会話をしてくるのだ。そしてさっきから市川の横で、死んだ魚のような目をして突っ立っている折花のことも……全然わけが分からなかった。
     いったい何から尋ねればいいのか守代が計りかねていると、今まで虚ろな表情をして黙っていた巡了がようやく、聞き取りづらい声だったけど口を開いた。
    「……お前達、『伽藍方式』の人間だな」
    「が、伽藍方式?」
     聞いたことない単語に、守代は疑問符を浮かべる。
     けれど巡了は守代の疑問に一向に答えようとせずまた黙り込んでしまったので、市川が仕方ないといった様子で説明を始めた。
    「ああ、そうさァ。俺たちは伽藍方式から派遣されて来た戦闘員だ。ちなみに事情が全然分かっていないらしい守代くんの為に説明するとぉ――世界を統べるのが魔女の役目なら、その魔女を倒そうとするのが、ヒドゥイヤロやさっきお前達が戦った奴のような、実力を持った一部の異物(マザリモノ)だ。そして――そいつらを含めて、異物(マザリモノ)を狩るために組織された集団が、俺達伽藍方式だ。以上、説明終わり」
     なんとヒドゥイヤロの事についても存じているらしい市川は、慣れた感じで長々とした台詞を流ちょうに語った。
    「つまり……僕たちの敵ではない。味方だってことですか」
    「はぁ? お前は読解力が足りねーのか? 守代ぉ〜。 むしろその逆だよ。時と場合によっては俺たちはいつでもお前達を抹殺する。そもそも俺と折花は、そのために1年前からカエル荘にいたんだ」
     衝撃の事実を告げる市川。
    「じゃ、じゃあカエル荘に入ったのは……」
     市川と折花は、1年もの間、ずっとリンネと巡了を騙し続けてきたというのか。初めから裏切ってきたのか。
    「俺達がカエル荘にいたのは、天之廻リンネを監視するためだ。本当は始末できれば1番いいんだが……残念ながらどうしても勝てる気がしないからな。おかげでずっと猫かぶって暮らしてきたけど……それもやっと終わった。もう天乃廻リンネはいない。いやぁ〜、どうにもならない問題自体がまさかいなくなってくれるなんて……天乃廻巡了はともかく、究極の魔女にはどうやっても勝てないからなぁ。まったく、こちらにとって好都合な展開だよ。俺の計画が3年くらい短縮できたぜ」
     市川は、リンネの死に心底喜んでいるみたいだった。守代はそれが、もの凄く悲しかった。そして守代がふと隣にいる巡了の顔を見たとき、今にも爆発しそうに怒りに燃えた表情に背筋がぞっとした。
     市川は巡了を挑発しているんだ――と、守代はとっさに理解した。
    「で、でも今まで一緒に過ごしてきたんじゃないですか! 協力できたはずなんじゃ」
     巡了が爆発してしまう前に、守代が市川に詰め寄った。
    「俺らは奴らを狩るのが仕事だ。お前らみたいな貧弱と一緒にすんじゃねぇよ。俺らは仲良しごっこでやってるんじゃなくて任務でやってるんだ、なぁ折花」
    「そうです。あなた達に見せていたのは仮の姿。敢えて自分とは真逆の性格を演じていたのも、これが任務だと常に意識するため。それに異端の貴族なら以前にも何体か狩っている。協力なんてただの足手まといにしかならないわ……」
     今までずっと虚ろな目をして立っていた澤木折花が、始めて口を開いた。それは感情のこもらない、事務的な口調だった。あんなに明るかった折花の、抑揚のない声。
    「ほんと、疲れたわ。異物(マザリモノ)を狩るより、演技して生活するほうが大変よ」
    「くははっ。カエル荘の生活で冗談が言えるようになったか、折花。……っていうわけだ。後は異物(マザリモノ)狩りのエキスパートに任せて、お前ら弱者は一生隅っこで大人しくしてろ。くれぐれも変な気は起こすなよ? お前らには奴は絶対倒せない――」
    「……」
     あの恐怖を経験したばかりの守代は、何も言い返すことができなかった。
     そして巡了は、もうどうでもいいといった風に、魂の抜かれたような顔をして立っていた。
    「じゃあな。折花はこう言ってるけどしかし……この1年まぁまぁ悪くはなかったぜ、天乃廻巡了。だから今までの嫌がらせについては免除しておいてやるよ。安心しろ、それに天乃廻リンネのかたきはとってやるさ。ちゃちゃっと速やかに片づけてやる」
     市川と折花は、守代とリンネを通り越して、そのままトンネルを抜けて行った。
     彼らがその場を立ち去ると、トンネル内は再び静寂に包まれた。
     すると、巡了の様子に変化が起こった。
    「……ね、姉さんは、私を守るために身代わりになったんだ……」
     不意に巡了が言葉をはいた。せきをきったように、彼女は話し出した。
    「普段の姉さんだったら、どんな敵だって軽く倒せていたのに。全部私のせいなんだ」
     自分自身を責めるような巡了の言葉に、守代は慰めの言葉を言おうとしたけれど、何も言えなかった。
    「私のせいだ……私のせいでお姉ちゃんが……っ。うあああああああ!!!!!」
     今まで堪えていたものがとうとう弾けてしまったのだろう、巡了は大声で泣き叫んだ。
    「巡了さん……」
     何も言えなかった守代は、せめて巡了の頭を優しく撫でた。リンネがやっていたように彼女を慰めようとした。
     泣き叫ぶ巡了と、黙ってその頭を撫でる守代。
     やがて泣きつかれたのか、巡了はそのまま眠ってしまって、守代は彼女を背中に負った。
     巡了を背負ったまま守代は歩きだした。トンネルを抜けて、夜の道を歩いた。
     そしてカエル荘にたどり着いた守代は、巡了を彼女の部屋まで連れていって、ベッドに寝かせた。
     眠りの中にいる彼女は、ずっとうわ言で姉の名前を呼び続けていた。
     その様子をベッド脇で見守っていた守代。どれくらいそうしていただろう。リンネがもういないんだってふと気づいた時、守代の瞳から涙が溢れて止まらなくなった。ベッドで眠っている巡了の隣で、声を殺してずっと泣いていた。
     守代は、いつの間にかそのまま眠りの中へと落ちていった。


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