アウトキャスツ・バグレポート

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

輪廻するプロローグ

 
「世界は一見完璧に見えるけど、実はバグだらけなんだよ。要はそれに気づけるかどうかだけ」

 満月だった。
 世界から全ての音が消え去ったかのように静かな夜で、世界から全ての色が失われたかのように真っ暗な夜で、まるで世界そのものがガラリと変わったかのような――そんな夜。
 そんな、幻想の夜。
 とある古びた神社の参道に立つ、2人の人物がいた。
 1人は一見すると何の変哲もない平凡な中肉中背の中年男性で、そしてもう1人は銀髪で赤い瞳を持つ美しい少女。
 2人はお互いに一定の距離を保ったまま、動かず、向かい合っていた。
 風でたなびく少女の長い銀髪。少し頭頂部が薄い中年男の髪も寂しくなびいた。
 やがて、中年男性が少女に話しかける。
「ぎょ、ぎょげげげげ。バグってつまりボクちんのことを言ってるんですか? いきなり何言ってるか意味分かりませんけど……いや〜、でもまさかまさかですよ〜。伝説とまで呼ばれているモノの正体が、まさかこんな可憐なお嬢さんだったなんて意っ外でぇすねぇ〜」
 金属質で、聞く者に不快感を与える声だった。
「……」
 銀髪の少女は黙ったままでいた。ただ、血を吸ったような赤い瞳を男に向けていた。闇に浮かぶ色白の少女の姿は、まるで吸血鬼のようだった。
「じょひょひょひょ。噂ってのはどんどん大きくなってくるものですからねぇ。おおかたぁ〜、実力の方も大したことないのでしょ〜うっ」
「…………」
「こききき。どうしました? 怖くて声が出なくなりましたかぁ?」
 男が闇と同化したような不気味な声で、白い肌の少女に言った。
 すると、今までパッチリした赤い大きな瞳で男を見つめていた少女が、ゆっくり口を開いた。
「え〜と……1つ聞きたいんだけど、アナタはどうしてワタシを殺しに来たの? こうやってワタシを探し出して来たってことは、少なくともワタシについてある程度は知ってるってことだよね? そして、それを承知でワタシに挑みに来たってことは……それだけ、あなたには何かしらの目的があるってことだよね?」
 それは凛として澄んだ、聞く者に安らぎすら与えるような声だった。
「……ぐほほ。何を言ってるのでしょうか。あなたを倒せば、こうして人目を気にすることもなく、この世界で好き勝手に暴れられるんですよ? もうコソコソ影に隠れて生きる必要がなくなるのです! これ以上の何もありませんよぉ〜!」
 男は両手を広げて歓喜の声をあげた。
「そっか……それだったらいいんだ」
「いい? いいって……なにがいいんですか?」
 1人得心する少女に、男は口をとがらせて尋ねた。
「いやあ、こっちの話だよ……うん。そういう事だったら心置きなくアナタを削除できると思って、ね」
 少女が屈託のない笑顔でそう言うと、男は神経を逆なでされたのか、顔を引きつらせた。
「うけ……確かに今のボクちんはハタから見ればかませの雑魚にしか見えませんが、果たして簡単にいくでしょうか? なにしろ精鋭の刺客達が何年も発見することのできなかったあなたを、最初に見つけたのがボクちんなんですよっ。だから――」
「そっかぁ。だったらそれはラッキーだ。ねえねえ、君。ワタシのことを他に誰かに話したりしちゃった?」
 男の言葉を途中で遮り、少女が声の調子をあげて男に尋ねた。
「……いいえ、してませんよ」
 話を遮られた男は不服そうに答えた。
「だろうね。アナタ達は自分の事しか考えてないから他の異物(マザリモノ)にバラすわけないよね。手柄を独り占めされちゃ困るし……。でもワタシにとって好都合だったよ。これでキミを倒せばワタシは、またしばらく刺客とかいう連中から狙われる心配をしなくて済む」
 少女は一貫して余裕の態度だった。
「ちっ……なにを言ってるんですか。これからが本番なんですよ? あんまりボクちんのことを侮ってもらっては哀しいですよ。どっちみち俺を倒さなければそんな心配は杞憂に終わるってこと理解してます?」
「うん。理解してるし――それに、残念だけど、もう終わってるよ」
 と、少女はパチパチとまばたきを2回して、
「戦闘描写なんてワタシにはいらないよ。ワタシは管理者だよ? 自分から世界の理(ルール)をはみ出すような真似なんてしないさ。これ以上の展開は必要ない……だってそんなシーンやっちゃったら、ワタシの方が消されちゃうよ」
 静かに告げた少女は、男に背中を向けた。ふわりと長い銀髪が浮いた。
「な、なにを……」
「だから、もうこのイベントは、これでおしまい。これ以上やるといい加減うんざりされちゃうよ。大人しくデバッグされちゃいな」
 と言うと少女は、男に背を向けたまま歩き出した。
「う、うんざりされるって、誰にです……か……あ、れ?」
 去って行く少女を前にして男は手を伸ばしたが、そこで男の動きがピタリと停止した。
 彼は動けずに固まっていた。
「…………っ」
 そして言葉すら出せずにいた。唖然とした顔のまま男は停止していた。
 やがて――男の姿は、霧のように霧散していき、徐々に闇へと同化していった。
 もう、彼の存在は終わっていた。既に彼は少女に敗北していた。
 否、男は少女に敗れたのではない。世界にとって彼の存在はこれ以上必要ない。だから彼は消えた。これは世界の理の話。少女はただその仕組みを活用しただけの話。男は少女に敵対した瞬間に死ぬことが決定したのだ。
 世界の理を掌握する少女――それ故に彼女は伝説であり最強であり、神に最も近い存在。
 そして同時に、最も世界の理からはみ出た存在。――究極の魔女。
 その銀髪の少女は、スキップするような軽快な足取りで参道を抜けて、自分の家に向かって長い階段を下っていった。左右を木々に囲まれた、長く細い階段。山を降りる階段。
 そして階段の中腹まで来ると、美しい少女は名案でも浮かんだように顔を明るくさせた。
「あ、そうだ。帰りにコンビニでお菓子を買おうっ。きっと巡了(めぐり)も喜ぶぞっ」
 そして今日も――まるで何事もなかったように、世界は我々が知っている世界として進行していく。
 異常や非現実など存在しない、現実的で常識的で秩序の保たれた退屈な世界。だが、その世界を守っているのが彼女だった。秩序だった退屈な世界たらしめる為に、秩序を超越した力で人知れず戦っている。
 軽快に階段を下る少女は、世界のルールからはみ出したバグを修正していくのだ。
 それが世界を統べる者の責任。これが管理者に与えられた能力(プログラミング)。
 ――夜の闇の中で、少女の銀色の髪がやけに強く輝いていた。


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