アウトキャスツ・バグレポート

    1. 輪廻するエピローグ

  • ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

     
     とある朝。
     その日の空は快晴で、空気は暖かく、爽やかな鳥の声まで聞こえてくる、なんとも気持ちのいい一日の始まりだった。今日のような日にはまさにぴったりな空模様だった。
     目覚めた守代が着替えてから、リビングのテーブルについて朝食を食べる。ハガクレとの戦いで荒らされたリビングはすっかり元通りに片づけられていた。新しく取り替えられた窓からは、白い光が漏れ込んでくる。春の穏やかな朝日。
     他に誰もいない、白い静寂の中で守代がトーストをかじっているとそこに、体中包帯を巻いた市川右近が現れた。
    「あ、おはようございます市川さん」
     昨日までは一人で歩くこともままならなかった市川が、横柄な動作で守代の向かいに座った。
    「よう」
     市川が短いあいさつを返す。
    「もう体はいいんですか?」
     見た感じではぜんぜん大丈夫そうには思えないが。ミイラみたいだし。
    「ああ。世話になったな。おかげで折花もよくなった。素直に感謝してやるよ」
    「はは……それはよかったです」
     素直じゃないなぁ……と、守代は思った。
    「だ、だが俺はお前らに迎合したわけじゃないぞ。お前らはまだ伽藍方式の調査対象から外れたわけじゃねぇんだからな」
     と、市川はばつが悪そうに早口で言った。
    「ええ、分かってますって」
     ほんと、素直じゃないなぁ。
     どこか巡了に似たものを市川に感じながら、守代がため息まじりに苦笑すると。
    「……おはよ」
     と、けだるそうな声がリビングの入り口から聞こえてきた。
     澤木折花だった。
    「おはようございます。折花さんも良くなったみたいですね……いや、でもそういうわけでもなさそうですね」
     市川と同様、まだ体中包帯だらけの折花。よろよろした足取りでテーブルに着く。
    「いや。先輩に比べたらアタシの傷なんて大したものじゃないし、先輩の方がずっと頑張ってた。アタシなんてまだまだだっ」
     市川の話になったら折花は急に饒舌になるし、テンションが上がる。
    「いやいやっ、でも折花さんも相当ひどかったですよ! 骨とか何本も折れてましたし! それが寝てただけで治るとかどういう構造してるんですか……」
     どうやら巡了が2人に対して、魔術だかなんだか分からない方法で治療していたらしいけれど、基本的には2人はただベッドで寝ていただけだ。
    「それを言ったら守代刻羽……お前こそ化け物だ。死なない体なんて、世の中の常識から大きく逸脱している……伽藍方式の駆除リストの上位に入っても当然なレベル……」
     折花はとろんと垂れた目で、べったりと絡むような視線を送る。
    「で、でもあれは一時的なもので、今はもうすっかり普通の体に戻りましたよ……っ」
     本能的に身の危険を感じた守代は、言い訳がましく言った。
     リンネから与えられた血が守代の体にすっかり馴染んだのか、時間と共に守代の死ににくい体質(ダイ・ハード)は消失していた。
     しかし、拒絶体質という守代本来の能力はどうなったのか――彼自身にはまだそれを確かめる術はないし、そもそもその能力自体、彼はまだ知らなかった。
    「なにを怯えてる……」
     視線を窓の外に向けていた守代に、不意に折花が言った。
    「えっ……いや、別に怯えてないですよっ。た、ただ伽藍方式とか厄介な人達に目をつけられてやだなぁって……」
    「む……アタシ達の組織を愚弄するか。勘違いしてるが、伽藍方式は世の中の為に戦う、慈善団体。それをお前……」
    「慈善団体なんていうところが既に怪しいんですよ。そもそも表向きはデバッグ会社なんでしょ? 普段はどうしてるんですか? 資金源はどっからきてるんですか? もう全部怪しいですよ」
    「なな、なにをぉ〜……」
     折花はテンションこそ低いままだが、声は怒りで震わせていた。
     その様子をコーヒーを飲みながら眺めていた市川がフッ、と笑うと席を立った。
    「さて、んじゃそろそろ行くか……」
    「……え、行くってどこにですか」
     折花に気をとられていた守代が市川に意識を戻す。
    「んなの、ここを出ていくに決まってんだろ。怪我も治ったんだし、もうカエル荘には用はない」
    「え、でもまだ2人とも怪我治ってないじゃないですか……それに今からって、いきなりそんな」
    「こんな怪我は大したことじゃねぇよ。それに、そろそろ組織に戻らねぇと俺の居場所がなくなっちまう。なにせ……1年も離れていたんだ」
     1年……。そうだ。市川と折花は1年、このカエル荘で生活していたのだ。
    「……分かりました。じゃあ巡了を呼んできますね」
     しぶしぶながらも納得した守代は、巡了を呼びに席を立った。
    「んなしみったれた事いらねぇよ。どうせ呼んでも伽藍方式の見送りなんてしたくないって言うだろうよ」
     市川が守代を制した。
    「……そうですか。いや……そうですね。彼女らしいです」
     守代にはなんとなく分かる気がする。
     市川の言葉に守代が納得するのは――それは市川は巡了の気持ちが分かるからだろう。市川と巡了は一緒なのだ。
     要は2人とも、似たもの同士のツンデレなのだ。

    「――それじゃあな」
     市川は荷物も何も持たずに、玄関にたった。
    「ええ、さようなら」
     守代は笑顔で見送る。
    「さようならです先輩」
     そして守代の横で、折花も市川を見送る。
     …………。
    「……いやっ! ていうかなんで折花さんがこっち側にいるんだよ。市川さんと一緒に帰るんじゃないのかよっ」
     緩慢な動作で手を振っている折花に守代がツッコんだ。
     折花に代わって市川が答える。
    「はぁ〜……だからさっき言っただろ。お前らは今後も伽藍方式の調査対象だとなぁ……。記憶能力が低下したのか、守代ぉ」
     馬鹿にしたような言い方だが、守代はそんなこと気にしていられなかった。
    「って、え? それってまだここにいるってことなんですかっ」
     さっきここにはもう用はないと言ってたのに。
    「ああ。俺は帰るが、折花は念のためにしばらく残しておこうと思ってな」
    「……安心してアタシはしばらくここにいるから」
     と。いつの間にか守代の後ろに回り込んでいた折花が耳元で囁くように言った。
    「わっ……びっくりした。いつの間に……っていうか安心って、なにが安心なんですか……」
    「要はお前らの監視役だ。なにかあったら逐一俺に報告させる」
    「…………はぁ」
     むしろ安心できないだろ、と思った守代だった。
    「そういうわけだからよろしく……」
     眠そうな目をして、やる気なそうに手を差し出す折花。
    「あ、えぇと……よろしく」
     言いたいことはいろいろある気がしたが、とりあえず守代は仕方なく折花の手を握った。
     握手する2人を見ていた市川が口を開く。
    「では俺は行く。折花、後は頼んだぞ」
    「はい。アタシに任せてください全力で任務に励みますっ」
     相変わらずテンションは低いままだが、市川に対する忠誠心は高そうだった。
    「じゃあ守代。くれぐれも折花には変なことするなよ。とんでもない事になるぞ」
    「……いや、心配しなくても何もしませんよ。なんですか変なことって。それよりとんでもない事ってなんですかっ」
     なんか怖くなった守代は折花から少し離れた。
     市川は口の端で少し笑うと、そのまま守代達に背を向けた。
    「さらばだ」
     そう言って、市川はカエル荘を出ていった。
     守代はその様子を見守っていた。
     市川が玄関を抜けて、門を抜けて、そしてカエル荘を振り返った時――ちょうど2階の方に視線を向けて、にやりと微笑を浮かべた。
     まるでそこに誰かがいて、別れの挨拶を交わしているかのように。
     そして彼はカエル荘に背中を向けて、今度こそ本当に去って行った。

     市川の姿が見えなくなると守代は玄関の扉を閉めて、リビングに戻ろうとした。
     ――と。
    「……」
     気がつけば、折花が守代の顔をじっと覗き込んでいた。
    「え、えーと、なにか……?」
     少し驚いた守代は、思わず身を引かせていた。
    「よろしく、ね」
     抑揚のない声で折花はそう言うと、さっさと階段を昇って行った。部屋で2度寝でもするのだろうか。
     正体を現す前もそうだったけど……それ以上に今の折花さんって変わってる人だなぁ――と、守代が思っていたら、折花と入れ違いに、階段を降りてくる巡了の姿が見えた。
    「あ。おはよう巡了」
     守代は挨拶する。
    「ふんっ。こんなところに突っ立ってどうしたんだ。まだ寝ぼけているのか?」
     巡了は相変わらずの、憎まれ口をたたいた。
    (本当は分かっているくせに……)
     ちょっとムッとした守代は、仕返ししてやろうと言った。
    「あれ……。でも巡了。君の方こそどうしたんだい? 君の部屋って確か1階だったよね? 朝から2階でなにをしてたの?」
     わざとらしく、意地悪な口調で言った。
    「……なっ。そ、それはっ」
     巡了がはっとした顔をして硬直する。その顔がみるみる赤くなっていって。
    「なっ、なんでもないっ! ただちょっとパソコンの本を探してただけだっ! 実はプログラミングの勉強を始めようと思ってなっ! そ、それより守代っ。時間は大丈夫なのかっ!?」
     とっても分かりやすい反応をみせて、巡了は話題を変えた。
     そうか。プログラミング始めるのか……と、守代がなんとなく感慨深く思っていると、キーボードを叩く音がどこかから微かに聞こえてくるような気がした。
    「……って、そうだった。すっかり忘れてたよ。いきなり初日から遅刻はさすがにやばいよな」
     今は感傷に浸っている場合ではなかった。
    「ふん。私は先に行くぞ」
     着替えも済ませて鞄を手にした巡了は、白状にも守代を置いて行こうとする。
    「いや、待ってっ。すぐ用意するから置いていかないでよっ。僕まだここに来たばかりで道が分からないんだって」
     そう言うと守代は大急ぎでテーブルに戻って朝食の後かたづけをして、大急ぎで身支度を整えると鞄を手にして玄関で待つ巡了の元に向かった。
     そして――。
    「それじゃあ行ってきます」
     守代と巡了はカエル荘を出た。
     春――。鳥達がさえずり草や花が咲き誇り生き物が冬眠から目覚める春。
     2人は桜の舞散る道を並んで歩く。
     季節柄だろうか、道行く人たちは誰も彼もみんな新生活に乗り出した新鮮な人達に見えた。みんながみんな、自分だけの物語をあらたに歩き出す季節。
     歩きながら守代と巡了は、たわいない会話を交わしていた。
     こうして巡了と話していると、守代はなんとなくあの夜のことを思い出した。ヒドゥイヤロを追って、リンネと歩いていたあの夜を。
     だからだろうか……守代は無意識の内に巡了に質問をぶつけた。
    「巡了……君は、僕のことをどう思う?」
    「えっ、い、いきなりなに言ってるんだお前……っ」
     巡了は驚いたように、素早く守代に顔を向けた。巡了の顔はなぜか赤くなっていた。巡了は勝手に早口で話し始めた。
    「いやっ! べ、別にお前のことは何とも思ってないぞ! す、好きとか全然思ってないからな! あ、い、いや……で、ででもだからって別に嫌いとかそう言うことでもないぞ! そりゃ私はいつもこんな感じだけど、本当は私だって、その……」
     そしてなぜか、しどろもどろになっている巡了。言っている意味がいまいち分からない。
     まさかこんなリアクションが返ってくると思わなかった守代は思わず謝る。
    「あぁ……いや。なんでもないんだ」
     自分でも変な質問してしまったなと、守代は少し後悔して視線を空に逸らした。
     澄み切った空。どこまでも続く青と白の世界。
     守代はリンネの言葉を思い出していた。ハガクレを倒し、そして鳳明里が消えた直後に、景色が光に包まれたその中で聞いた言葉を。
     守代がした、リンネへの質問。
     リンネの答えを。
    「……ふっ。僕、フラれちゃったな」
     自分でも気づかずに、そんな独り言を口にしていた。
    「えっ! ど? どどど、どうしたっ? いまなんか言ったっ!?」
     守代の独り言に反応した巡了が目を見開いて、頬を赤く染めて尋ねてくる。
    「い……いや、なんでもないよ」
     そういや、今回ことどとく変わり者ばっかりが登場したけれど、案外この子が一番の変わり者なのかもしれないな――と思いつつ守代は少し笑みをこぼした。
    「ええっ!? 笑った!? いま、笑ったのか!? そ、それはどういう意味なのだっ!?」
     巡了が瞳を潤ませながらうろたえている。
    「なんでもないよ」
     結局リンネからもフラれた守代。またも拒絶されたけれど、不思議と悲しくはなかった。
     もしこれからたとえ悲しいことがあっても、今は隣にこの少女がいる。そしてこれから先も、少なくても3年間はこの少女と一緒にいよう。
     だって守代は、好きな人から言われたのだから。
     ――妹を、よろしく頼むって。
     守代はチラリと横目で巡了を伺った。
     その瞬間、守代はドキリとした。
     守代は――巡了のその横顔に、リンネの面影をみたから。
    「え……」
     桜並木の道の真ん中で、守代は思わず立ち止まってしまう。そして少女に魅入ってしまう。
    「……?」
     少女は不思議そうに首を傾げた。
     もしかしたら、守代の隣を歩く少女は――。
     いや……今はただ前を向いていよう。リンネが守ろうとした、大切な人と一緒に。
     そう。守代は世界から拒絶された人々とこれからも、世界の端っこで生きていく。
     それは今までと同じように世界から拒絶された人生だとしても、それでも今までとは違う騒がしい毎日になるだろう。
     少なくとも今日からは――。

     今日から守代刻羽の高校生活が始まるのだ。

                                      ――fin


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