アウトキャスツ・バグレポート

    1. 第4章 最善の選択肢と最悪の選択肢

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    「あ、あいつらが戻ってくる前にここから逃げないと……っ」
     伽藍方式の3人が姿を消してしばらくすると、巡了が震える声で小さく叫んだ。
    「で、でもカエル荘には結界が張ってあるんじゃ……大丈夫なはずじゃあ。な、なんで……」
     守代は絶望で顔が青ざめていた。
    「あいつらにはそんなもの効かないんだ! 現にさっき入って来ただろっ! 話から察するに、きっとあの沢渡とかいう女が結界殺しの能力を持っているんだ。くっ……どっちみちここにいたら伽藍方式に殺される。早く行くぞっ」
     巡了が守代の腕を引っ張った。しかし守代はそれに抵抗する。
    「だけど逃げるったってどこにっ!? 市川先輩と澤木先輩はどうすんのさっ!? それに鳳さんはっ!?」
     いま出かけている明里が戻って来た時、彼らと鉢合わせる可能性だってあるのだ。
    「伽藍方式の連中なんて放っておけ! 鳳明里は……さすがに伽藍方式も一般人には手を出さないはず。同じく放っておいても大丈夫……なはずだ」
    「全然大丈夫そうには聞こえないよっ! ……くそうっ。なんで次から次にこんな目に……どうなってるんだよ! なんでいきなり殺されなくちゃいけないんだよ!」
     2人は既にパニック状態に近かった。
    「それだけ姉さんの存在は伽藍方式にとっても異物(マザリモノ)にとっても特別だってことなんだっ!」
     巡了が苛立たしげに叫んで強引に守代を引きずろうとすると、
    「もし……もしリンネさんが生きてたら……」
     守代が何気なく、ぽつりとそう呟いた。
    「…………」
     巡了は黙って、力を抜いた。
     ――2人の気分は、嫌でも落ち着いた。
     死んだ者は生き返らない。人間の常識を遙かに超えたリンネだってそのルールから逃れられない。それくらい守代だって分かっているし、どうしたところでリンネは戻らない。
    「守代……ひとまずカエル荘を出よう。そしてどこか身を隠せる場所まで行くんだ」
     守代の腕を放した巡了が、沈んだ声で力なく言った。
     だが守代はこのとき、リンネの事を考えたからか分からないけれど――自分の中にいるリンネが語りかけてきたのを感じていた。
     胸の中に、正体不明の温かいものを感じていた。気が付けば守代は――、
    「それよりも巡了……君の能力を僕に使ってくれ」
     巡了の手をとって、そんな頼みごとをしていた。
    「と、突然なにを言っているんだ……」
     巡了はわけがわからないといった顔で、守代の目を覗き込んでいる。
    「リンネさんを強化させるっていう君の能力さ。僕にリンネさんの血が流れているなら、きっと効果があるはずだっ」
     守代には確信に似た何かを感じていた。自分の中にいるリンネの意思に、突き動かされていた。
    「で、でもそれは……」
     しかし巡了は、そんな守代に戸惑っている。
    「いいから早く! あいつらが戻ってくる前に!」
     もはや一刻の猶予もない。守代は真剣な眼差しを巡了に向けて叫んだ。
     その有無を言わせない守代の迫力に押されたのか、巡了は。
    「……ああ。分かったよ。それじゃあ守代……いくぞ」
     諦めた様子で言うと、何かを決意するような顔になって、正面から守代を見た。
     そして巡了はゆっくりと守代の眼前まで来ると、瞳を閉じて顔を急接近させていった。
    「――って、えっ?」
     守代がその行動の意味に気付くよりも前に――巡了の唇が、守代の唇にくっついた。
    「んっ、んんん――っ? むむぅっ!?」
     ひんやりと、しっとりとして、なおかつ柔らかい巡了の唇の感触。
     これは、紛れもない――キスだった。しかも、けっこう長く深いキス。
    「ううっっ、むうっ」
     守代がとっさに離れようとしたが、巡了が守代の頭を抑えて逃がそうとしなかった。
    「んんぐっ……んんん……」
     いきなり初キッスを奪われた守代は動揺して抵抗するが、それでも巡了は唇を話さない。甘い香りが守代の鼻腔をつく。だがそれよりも驚きが1番大きかった。
     どれくらい口づけしていたのだろうか、このままじゃ窒息死してしまう――守代がそう思ったとき、ようやく巡了が離れた。
    「はぁはぁはぁ……これで完了だ」
     腕で口元を拭う巡了はどこか疲労した顔をしていて、頬が少し赤く染まっていた。
    「ど……どうだ、守代。か、体に変化はあるか?」
     どこか焦点の合わない瞳を守代に向けて、モジモジと自分の指を絡ませながらぎこちなく尋ねた。
    「あ、そうか……えーと……いや……と、特に何も感じない……けど」
     さっきのキスが、巡了の能力の仕様だということにようやく気付いた守代は、うわの空の気分で返答した。
     だが、うわの空でもこれだけは言える。何も変わったところはないのは確かだった。
     やはりこの能力はリンネにしか効果がないのか……守代は歯がゆい気持ちになった。
     そして同時に、大変なことに気が付いた。
    (あれ……この能力がリンネさん専用っていうなら、巡了がリンネさんに能力を使う時ってつまり……キス――)
     はっ――と。気付いてはいけない事に気付いた。禁断の姉妹愛を垣間見た守代だった。
     守代から唇を離して、先程から少し恥ずかしそうにモジモジしていた巡了は、取り繕うような声をあげた。
    「ふ、ふん。やっぱりそんなものだろうと思ったよ……い、いいか……これは仕方なくやったことだからなっ。能力を発動させるためにやったことだからなっ。変な感情を抱くなよっ!」
     尊大な態度で、まるで言い訳するように口を尖らせる巡了。
    「あ、ああ……分かってるよ。心配しなくても抱かないって」
     もしかして、照れているのか――と、守代は巡了の不自然な態度に得心した。
     いつもぶっきらぼうだけど女の子らしいところもあるじゃないかと、守代は気持ちが緩むのを感じて……そしてこうも思った。やっぱり巡了はツンデレ属性なんだな、と。
     守代の返事を聞いた巡了はなぜかちょっと不満そうな顔をして。
    「も、もういいだろっ、守代っ。さぁ、早く行くぞ。少しでもここから遠くに――」
     これで自分の役目は果たしたとばかりに、微妙な空気をごまかすように巡了が守代の手を握った――その時。
     ガチャリ――。
     と、玄関の扉が開く音が聞こえた。
    「――――ッッッッ!!!!?????」
     まさか、もう来たのかっ!? それが、まず初めに浮かんだ疑問。
     ――守代と巡了は、息を止めてお互いの顔を見た。
     あまりにも早すぎる到着だ。戦いはもう終わったのか? またワープして来たのか?
     2人の疑問をよそに、足音が2人のいるリビングへとゆっくりと近づいて来る。
     守代の手を握る巡了の力が強くなった。繋がった手は、どちらのものと知れない汗でびっしょりと濡れる。互いの心臓の鼓動が、手を通じて伝わる。
     どくんどくんどくんどくん――。
     足音はリビングのすぐ前まできて。すぐそこに人影が見えていて。
     どくっどくっどくっどくっどくっどくっどくっ……。
     そして。姿を現したのは――異端の貴族、ハガクレ・チェバスサンだった。
    「…………っ?」
     思わずため息にも似た言葉が漏れた守代。
     てっきり先程の、伽藍方式の3人組が来るものだと思っていた。だが、ここに登場したのはハガクレただ1人だった。
     伽藍方式の3人はどうなったのだ? 彼らはハガクレと戦っていないのか? まさかすれ違いになったのか?
     見れば、ハガクレは右手に何か持っていた。黒くて長くて太い、紐のようなもの。その先端には、ボールのような丸い何かがついていた。
     どくどくどくどくどくどくどくどくどくどくどくどくどく。
    「……やはり我が輩の選択は最善ばかりです。機を窺って待機していて正解でした。厄介な結界を無効化するなんて能力を持った人間が、まさか都合よく現れてくれるなんて」
     悠然とした口調で語るハガクレに、守代はようやくハガクレの手にある物の正体を知った。紐の先端についた丸いものが、くるりと――守代の方を向いた。
     どっどっどっどっどっどっどっどっどっどっどっどっどっどっどっどっ。
    「儚いものです。あれだけ息巻いていた彼らも、あっけなくこうなるんですよ」
     ハガクレは、守代達に見せるように、手にあったものを上に掲げた。
     ――ハガクレが持っていたのは、ついさっきここにやって来た伽藍方式の1人、沢渡衣という女だった。正確に言えば、沢渡衣の、首だった。
     髪をつかまれて、隠れていた顔が今ははっきりと見えていた。まつげの長い整った顔立ちの女性が、まるで眠っているように目を閉じていた。綺麗な顔だった。だが、その瞳はもう二度と開くことはないだろう。カエル荘の結界を破る為に、ハガクレは沢渡の首を持って来たのだ。
     そして守代は同時に理解した。守代と巡了が死を覚悟するほどに恐れた3人は、ハガクレに挑んだ伽藍方式の3人は、あっけなく返り討ちに遭ったのだ。こんなにも、早く。
     どどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどど。
    「……おおっとそうだ、忘れてました……まずは突然お邪魔した無礼を謝りましょう。どうぞお許し下さい」
     リビングの入り口に立っているハガクレは優雅な動作でお辞儀すると、手に持った沢渡の首を窓の外に向かって無造作に投げた。
    「そしてこれから――あなた達を抹殺します」
     ドドドドド―――――――――。
     なぜ、どうしてハガクレがここにいる。いったいどんな手を使ってあの3人を倒したのだ。ハガクレの能力とは、それ程までにすさまじいものなのか。
     ハガクレ・チェバスサン――。同じ異物(マザリモノ)であるヒドゥイヤロを一瞬で葬り去り、リンネの命まで奪った、異端の貴族。伽藍方式を5人も倒す実力の、絶望的な存在。ついさっきまで伽藍方式3人と戦っていたとは思えないくらい、余裕の表情を浮かべている老紳士。巡了があれだけ怯えていた3人をいとも簡単に倒した、化け物。
     勝てるはずがない。絶望的な状況である。
     が――しかし。そんなこと守代と巡了にとってはどうでもよかった。浮かんでくる数々の疑問もまたしかり。
     彼らにとって重要なのは、目の前のこいつがリンネを殺したという事実。
     それは、目の前の怪物が伽藍方式の3人を倒したという事実よりも重要なこと。
     守代と巡了の中を支配していたのは恐怖ではなかった。ハガクレの顔を見た瞬間に、昨夜の出来事を思いだし、そしてリンネのことを思い浮かべたら、恐怖などという些細なものは簡単に吹っ飛んでいた。
     彼らの中にあったものは、ただ、怒りだけだった。
     2人は爆発していた――。彼らの怒りは恐怖に勝っていたのだ。
    「「きっ……貴様アアアアアアアアアアアアアアアアッッッッッ!!!!!」」


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