アウトキャスツ・バグレポート

    1. 第2章 世界のアウトサイド

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    「あれ……? ここは……」
     守代が目を覚ました時、そこはカエル荘の自分の部屋で、どうやら彼はベッドの上で寝ていたようだった。
    「う……」
     起き上がろうとしたが、体が思うように動かない。
    「……目覚めたか」
     動こうともがいているといきなり声がしたので、守代は顔だけを動かして見た。
    「今は正午過ぎで、お前は半日くらい寝ていたんだ……ふんっ」
     部屋の隅の窓際に、腕を組んで立つ天之廻巡了が不機嫌そうに言った。
    「巡了さん……僕はいったい……たしか昨夜……」
     記憶がおぼつかなかった。喉が渇いたからコンビニにジュースとお菓子を買いに行ったことは覚えているのだが、そこから先の記憶が断片的にしか思い出せない。
     巡了は何も答えず冷たい視線を送るだったので、守代は仕方なく昨夜の事を思い出そうと努めた。
     山……階段……神社……男……巡了……。何か大変なことが起こったような気がしていた。それはいったいなんなのか。
     突如、部屋の扉が開いた。
    「やぁやぁ、すっかり元気になったみたいだね刻羽クン。なによりだよ」
     眼鏡姿の天之廻リンネが、ノックもなしにズカズカと部屋の中に足を踏み入れた。さっきまでパソコンをさわってたのだろうか。
    「えーと……僕に何かあったんですか?」
     守代は間抜けな顔でリンネに尋ねた。
     リンネは眼鏡の位置を直してから言った。
    「うん。君は昨夜、死んだんだよ」
    「……ん?」
     あまりにあっけないリンネの衝撃発言に、守代は返す言葉が見つからなかった。
     一瞬の硬直。
     しかしリンネのその明確な一言のおかげで、守代の脳裏に昨夜神社で遭遇した一連の出来事がよぎった。断片的なピースが急速に1つの形を作った。
    「え……そ、そうだっ! 僕は昨日死んで……あれ? なんで……」
     昨夜の信じられないような光景と、自分の死。そしてなにより、死んだはずなのに今こうしてベッドで寝ているという事実に戸惑う守代。
     しかし混乱する守代に対して、リンネの対応はあっさりしたものだった。
    「だから君は一回死んだんだよ。でもその後に生き返ったんだ」
    「生き……返った?」
     あまりにも現実離れしすぎていて、守代はむしろ疑う気持ちがわいてこなかった。
    「ふん。姉さんのおかげよ。自分の危険も顧みずに、お姉ちゃんがあんたに自分の命を分けてあげたのっ。優しい姉さんに感謝しなさい」
     窓際に立つ巡了が不遜な態度で言った。
    「こらこら。そんな言い方やめてあげよ、メグちゃん。刻羽クンは巻き込まれただけの被害者なんだぞ」
    「わ、分かってるよお姉ちゃん……そもそもこんな事になったのも、私が油断していたのが悪いんだし……」
     と、巡了は急にしおらしくなった。
    「こらこら。だからって自分を責めちゃ駄目だって。メグちゃんは悪くないさ。これは仕方なかったことなんだ」
     リンネが優しく瞳を細めて巡了に笑いかけた。
    「お、お姉ちゃん……」
     巡了が幸せそうに目をとろんとさせて、表情を綻ばせている。
    「あ、あの〜。取り込んでいるところ悪いんだけど……何がどうなっているのか説明してもらえると助かるんだけど」
     わけの分からないまま放置されている守代は、業を煮やして横やりを入れた。
    「なによ。姉妹が絆を確認し合っているときに邪魔するなんて……あんたって本当に人に迷惑をかけるだけの存在ね。あのまま死んでたらよかったんじゃない? ていうか今死ね」
     ここまで言われる筋合いはないだろうと守代はちょっと泣きたくなった。
    「だからメグちゃん、仲良くしていこうよ〜。こうなった以上、刻羽クンには知る権利があるんだよ…もう。それじゃあ全部説明するよ。ワタシ達の秘密を」
     守代はリンネの目つきが変わったのを感じた。これから重大な話が始まるだろうことは火を見るより明らかだった。
    「ひ……秘密」
     守代はごくりと唾を飲む。
    「そう。キミも薄々気付いていると思うけれど、ワタシたち姉妹は普通じゃないんだ。ワタシ達は世界の異常を修正するデバッガーみたいな存在なんだ。ま……デバッガーっていう例えは、ある組織からの受け売りなんだけどね。それに、ワタシの場合は正確に言えば……世界を構築するプログラマーってところなんだけど、ね」
    「……プログラマーなの? 昨夜のあれがデバッグ作業? てかプログラミングはコンピュータ業界の用語なんじゃ……めちゃくちゃ力仕事でしたよね……? そもそもコンピュータ関係ないと思うんですけど……」
     守代にはリンネの言っていることの意味が分からなかった。部屋の隅で巡了が馬鹿にするように鼻を鳴らしたのが目に入った。
    「だよね〜。いきなりそんなこと言われてもわけ分からないよな〜。つまりワタシの言うプログラミングは、世間一般でいうところのそれとは別の意味で使ってるんだけど……よし。じゃあ特別に丁寧に教えてあげよう。これもその組織からの受け売りの説明になるんだけどね」
     と、リンネはクエスチョンマークを浮かべる守代に説明を続けた。
    「世界にはね、歪みがあるんだ。どんな世界にも予期せぬバグが存在する。そう、ワタシ達の世界もまたしかり。たまに世の中の理から外れた存在が生まれることがあるんだよ」
    「え〜と。よく分からないけど……つまりそれが昨夜僕が見た」
    「そうだ。巡了が戦っていた奴がいただろう? あいつはこの世界に本来存在すべきじゃない者なんだ」
     リンネの話は荒唐無稽だったが、守代は素直に受け入れることができた。拒絶体質の彼が、本来鼻で笑うような話を聞くことができた。
    「分かりやすく言い方を変えるとね、本来別の世界にあるべき存在が、間違ってこっちの世界に紛れてくるということなんだ。例えば、推理小説の世界に幽霊や超能力が出てくるようなもの。例えばドラゴンボールの世界にドラえもんが登場するようなことさ」
    「じゃあ、昨日の男は漫画とかゲームの世界のキャラクターだってことですか?」
    「そういうことさ。本来ある物語に別の物語が混ざってしまう。だからその存在のことを私達は『異物(マザリモノ)』と呼んでいる。そいつらはコンピュータが登場する、ずっとずっと前からこの世界に存在しているんだよ。というより人間の歴史が始まってから存在していると言っても過言じゃないな」 
     世界に紛れ込んだ不純物。美しい旋律に混じった不協和音。
    「それが異物(マザリモノ)……昨日の男が」
     影みたいな分身を出したのも、滅茶苦茶な強さも、そういう秘密があったのだ。
    「ちなみにあいつはヒドゥイヤロっていう名前で、そこそこ知れ渡ってる奴だ。ま、ワタシを発見しただけはあるから実力もそれなりだろう。……けれどそこまで恐れる必要もないのも確かだね」
    「でも姉さん。守代に命を分け与えた影響で、いま姉さんの体は普通の人間とほとんど変わらないのよっ。能力だって何も使えないんじゃヒドゥイヤロも倒せないよ」
     今まで顔を窓の外に背けていた巡了が、心配そうな瞳をリンネに向けて言葉を挟んだ。
    「だからヒドゥイヤロを倒すのはメグちゃんに任せるよ。恐れる事はない。1度戦ったんだからきっと倒せるって」
     あくまで楽観的なリンネ。
     昨夜、巡了とあんな激しい戦いを繰り広げていたにも関わらず、リンネにしてみればヒドゥイヤロは恐れるに値しない敵なのだ。――もしかしてリンネは相当凄いのかもしれない、と守代は思った。
    「あの……それで、その異物(マザリモノ)って何か目的とかあって襲ってくるんですか? それに、なぜリンネさん達が戦う必要があるんです?」
     聞きたい事は山ほどある。守代は次の質問に入った。
    「う〜ん、目的ねぇ……細かい目的は1人1人違うようだけど、大本の部分はだいたい同じかな。世界から否定された彼らは、消えかかった自己をなんとか世界に繋ぎ止めようとしているの。つまりは命がけの存在証明だ。そしてワタシが戦う理由……それは単純だよ。世界を正しいカタチに保つために異分子を排除するのがワタシの役目だからだよ。ワタシ達もいわば、彼らと似たような存在なのだから……」
     リンネの赤い瞳は粛々と輝いているように見えた。
    「に、似てるんですか……?」
     男よりも、むしろリンネや巡了こそ何者なのか守代は興味があった。
    「キミも巡了が戦っているところを見たんだろう? ワタシたち姉妹も世界からはみ出した存在なんだ。だがワタシ達は異物(マザリモノ)とは違う。ワタシ達は……いや、それはいいか。とにかく――だからこそ、ワタシ達がやらないといけないのだ」
     リンネの視線は、守代を通り越してどこか遠いところを見ているようにみえた。彼女には、何か思うところがあるのだろう。
    「そう……なんですか」
     本当はもっとリンネの事を知りたかった守代だったが、彼女の儚げな雰囲気をみて、あまり深くは訊かないほうがいいような気がした。
    「だからね刻羽クン。くどくど説明してきたけれど……ワタシ達が今やるべきことは1つしかないのだよ」
     リンネが不敵に笑う。
    「それは――?」
    「決まっている。取り逃がしたヒドゥイヤロを討伐することだ」
     大きな胸をどんと張って、リンネが力強く宣言した。胸がたゆんと揺れた。
    「そ、そうですか……やっぱり」
     だろうということは分かっていたが、なんとも物騒な話に守代は戸惑っていた。思わずため息が出る。あと視線のやり場に困る。
    「それで、刻羽クン。ここからが本題なんだがな――」
     と、リンネが急に顔をにやつかせた。
    「ね、姉さん。本当にこいつを……?」
     部屋の隅で渋い顔をしていた巡了が、不服そうに声をあげる。
    「まぁまぁ……刻羽クンには一時的とはいえワタシの血が流れているんだ。もしかしたら狙われる可能性もあるかもしれないだろ? この方が危険は少ないって、メグちゃん」
     リンネが妹をなだめるように語りかけ、そして戸惑う守代の顔を真っ直ぐみて、言った。
    「ヒドゥイヤロを倒すにあたって……キミに協力してもらいたいのだ――刻羽クン」
     守代に向けられたリンネの瞳は赤く、まるで小宇宙のように輝いていた。
    「え……ぇ……」
     守代は突然の頼みにたじろぐ。
     リンネの現実離れした話をそれでもすんなり聞くことができたのは、それは、しょせん自分とは関係のない話だったからだ。いわば守代とは別の世界の話だったからだ。
     だがそれが、いきなり自分に関係のあるものになった。リンネが架け橋を作ったのだ。
     世界から拒絶され続けた自分が、皮肉にもいま関係ない世界と繋がってしまった。彼は受け入れられたのだ。認められたのだ。
     そして守代はずっと望んでいた。自分を必要としてくれている人を。自分を受け入れてくれる人を。ずっと焦がれていた。
     だからもう、守代の答えはとっくに決まっていた――。


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