アウトキャスツ・バグレポート

    1. 第4章 最善の選択肢と最悪の選択肢

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     ――陽はすっかり傾いていて、オレンジに照らされた神社の敷地は、神秘的な雰囲気を醸し出していた。ここが最終決戦の舞台だった。
     ついに異端の貴族、ハガクレ・チェバスサンを追いつめた守代と巡了は、ずんずんと、迷うことなくまっすぐハガクレに歩み寄っていた。
     だが覚悟を決めたらしいハガクレは、唐突に両手を前につきだして五指を広げ長い爪を伸ばした。そして、森じゅうの木々がざわめく程の大声で叫んだ。あまりの大音量と衝撃だった。
    「うわっ! なっ、なにが………っ」
     あまりの衝撃と風圧に、守代は後ろに飛ばされるが、巡了がすかさず彼の体を抱き止めた。
    「大丈夫か、守代」
    「あ、ありがとう巡了……で、でも気を付けた方がいい。あいつ……なんかおかしいぞ」
     本能のままに叫ぶハガクレのただならない様子に、守代は少し怯んでいた。
     巡了は守代から離れると、彼女の能力で刀を創造し、冷静に言った。
    「敵のペースに飲まれるな、守代。心配することはない。単純な戦闘力ではあいつが上回っているが、あいつが選ぶ選択は全て最悪の結末に至るんだ。だから――っっっ!?」
     そう言った瞬間、とっさに巡了が守代の体を突き飛ばした。
     ――と。突然、守代の目の前に、真っ黒いものが超スピードで通り過ぎたのを見た。
     その直後に、風圧と耳鳴りが彼を襲った。
    「あっ……ああっ!?」
     守代はすぐに、その何かが通り過ぎていった方を見た。
     それは、ハガクレだった。ハガクレが守代と巡了の間を駆け抜けたのだ。
     見れば、巡了が冷や汗を垂らして震えていた。
    「み、見えなかった……ただ、偶然に避けただけだった……直撃したら、死んでいた……な、なんて強さ、だ」
     そう語る巡了の腹部からは血が流れていて、右足は変な方向に曲がっていた。どう見ても――折れていた。
     たった一撃で……強い。――勝てない。
    「め、巡了っっ!!!! くそっ! どうしてッ……まるでさっきまでとは別人だっ……あいつは僕に対してあんなに怯えていたのに……っ」
     ――絶対的なピンチに陥った守代と巡了。ハガクレの選択は彼に最悪を招くはず。なのに、どうして……守代は目眩に似たものを感じながらハガクレに目を向けた。
    「ふしゅうううああああああ……」
     ハガクレはまるで自我を失ったかのように、口からよだれを垂らして荒い呼吸をしていた。そこには紳士らしさの欠片もない。いや、もはやその顔は正気すら保てていない。
     守代はハガクレに起こった事態を理解した。自我を――失ったのだ。
    「は……判断してないんだ。あ、あいつにはもう、選択肢が現れてないんだ……!」
     ハガクレは自分を捨てた。理性を失った。どうやったのかは分からないが、選択肢を選ぶ必要をなくすために、ただその為だけに自我をなくしたのだ……全ては、守代達をただ殺すというその目的のために。
    (巡了はあんな状態だ。ぼ、僕がやるしかない……でも僕に何が……やつに対しての優位がなくなった今、僕はどうすれば……)
     脳内で思考を堂々巡りしていると――。
    「――ッッッッ!!!!」
     守代は背筋に、ゾクリと冷たいものを感じた。そしてとっさに、反射的に地面に体を伏せた。
     刹那――守代の体があった場所に、ハガクレが腕を大振りに振りかぶる姿があった。ぶうんッ――と音を立て、衝撃で遠くの木々が揺れた。驚異的な破壊力。恐るべき執念。
    「がッッッッああああああアアアアア!!!!!」
     ハガクレが雄叫びをあげて、鋭い爪を振りかざす。狙いは立ち上がろうとしている守代刻羽。守代はもう、逃げられない。
     ――しかし、そのハガクレの背後から、足を引きずった巡了が刀で斬りかかった。
    「私を舐めるなって言っただろおおおおおおおおおおおお!!!!!!」
     ざくり――と。鈍い音がこだまする。巡了の剣技が炸裂した。
     雄叫びをあげてハガクレはその場にうずくまった。
    「や、やったか……!」
     守代が顔を明るくさせた。しかし。
    「ぐッるらああっっ!!!」
     ハガクレは、うずくまった体勢から、そのまま腕を振りあげて――巡了の体を真上にぶちあげた。
    「きゃあああああああ!!!」
     直撃した巡了の体は空高く飛んでいって、あっという間に小さくなった。
     ハガクレはすぐに、守代の方に向き直った。その光を失った瞳は、ただ目の前にいるものを殺すケモノそのものだった。
     守代は、覚悟を決めた。
    「ギャガああああああァアアアアア!!!!」
     ハガクレが五指を広げ、その鋭い爪で守代を切り裂こうと腕を振りかぶる、
     その瞬間。
    「ギリギリ間に合った……リンネさん。あなたはやっぱり、まだ僕の中にいたんですね」
     ――守代が、ハガクレの顔面を、右の拳で思いっきり殴りつけた。
    「ぶっ――きゃあああああああ!」
     ハガクレが醜い叫び声をあげた。しかし、叫びながら再び守代に牙を向けた。
     守代はその腹部に拳をめり込ませた。
    「――ぶっっぐうううっっっっ!!!!!」
    「……理性を失っているから分からないかもしれないけれど――もし不思議に思っているのなら、フェアじゃないから僕もお前に教えてやるよ。この力の秘密を」
     ハガクレの体から拳を引き抜いた守代は、諭すように落ち着いた声で言った。
     守代にある力は、ハガクレに対する能力以外には死ににくいという体質だけ。その守代が、ハガクレを殴り飛ばす力が備わっているのにはわけがあった。
     ――彼は覚醒したのだ。
    「これは巡了の3つ目の能力だッ。僕の中にリンネさんの血が流れているなら、僕にだって有効なはずだっ!」
     巡了の口づけによって得た能力。本来リンネにしか効果のない身体強化能力。
    「これはッ、お前が殺したリンネさんのチカラだあああッッッッ!!!」
     守代はそう言って、ハガクレのアゴに、渾身の力を込めたアッパーを放った。
    「ふッ――ごおおおおおおおおおおおッッッッッッッッッッッ!!!!?????」
     守代の拳の衝撃で、ハガクレの体が宙へと浮かびあがった。
    「リンネさん。一緒に戦ってくれてありがとう……」
     効果が出るのに時間がかかったけれど、巡了の能力は守代に効いていたのだ。リンネが強さを分けてくれたのだ。
     守代は胸に手を当てて、目を閉じた。
     だがハガクレはこの程度では死なない。
    「くあっ……!」
     ハガクレが空中で腕を広げて、守代を捉える。落下とともに守代を仕留める判断だろう。
    「だけど、もう遅いよ。お前はもう終わりだ」
     と、守代は呟いた。そしてチラリと、ハガクレの体ごしに――空高くにいる少女を見た。
     上空でキラリと、何かが光った。それは刀のきらめき。
     雲の浮かぶ空の遙か彼方に、巡了がいた。巡了の能力の2つ目。自分に対しての重力を自在に操る能力。巡了はハガクレに殴り飛ばされた際に、自分の体重を極限まで0にして滞空していた巡了の姿。
     そして夕暮れの雲の中にいる彼女は――重力の作用を反転させた。
    「地獄で後悔しな――」
     守代は、空中で身動きのできないハガクレに向けて呟いた。
     その言葉をきっかけに、遙か上空の少女がハガクレ目がけて落下する。重力を倍加させて、加速度的に重さを増して、手にした剣は電柱のように巨大で――。
    「ううっっっガアアアアアアアアア!!!!!!」
     あるいは動物の本能だろうか、死に直面した事実をハガクレは悟ったらしく、巡了の姿を認めた彼は大声で叫んでいた。
     ハガクレが守代に到達するよりも早く、空高くから、巨大な剣を構えた巡了が、もの凄い早さで落下してくる。まるで隕石が落下する勢いだった。
    「ぎ、ぎがだあぁっ!!!!!!!」
     ハガクレが守代に吠える。爪を向ける。しかし――。
    「さよならだ」
     巡了の声とともに、ずんッ。と――。彼女の刀は、ハガクレの体を、断末魔ごと真っ二つに斬り裂いた。

    「はぁっ……はぁっ……」
     守代は2つに分かれたハガクレを見つめていた。
     ハガクレの体は徐々に黒くなっていって、煙のように消えていった。
    「終わっ……た」
     ハガクレが消滅するのを見届けた守代は、精根尽き果てて地面にへたり込んだ。
     すぐ近くで、わき腹を押さえて片足で立つ巡了が、茜色の空を見上げていた。
    「……終わったよ。お姉ちゃん」
     巡了は憑き物がとれたかのようなさっぱりした顔をしていた。そして彼女の手にあった刀が消えていく。
    「やったな……巡了」
    「うん……これで姉さんも――」
     と巡了が言いかけたその刹那――彼女の体が、衝撃と共に吹っ飛んでいった。
    「――え? あ……あっっ!?」
     一瞬の硬直、そして即時に我に返る守代。
     まさか、まだ終わっていなかったのかっ? 信じられない気持ちで、とっさに視線を移動させた守代。
     すると――鳥居の上に、一人の人物がぽつんと立っているのが見えた。
    「いよいよクライマックスですわね、守代様」
     それは、鳳明里だった。


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