アウトキャスツ・バグレポート
第4章 最善の選択肢と最悪の選択肢
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
3
堂々と丁寧に玄関からリビングへとやって来たのは、一見すると礼儀正しい英国の貴族か、あるいは長年良家に仕える執事のような老紳士。立派に整えられた髭と、ピシッと着こなした黒いスーツが特徴的な細身の――異物(マザリモノ)。
「ほっほっほ。随分とお怒りのようですね。けれど……今更言うのもなんですが我が輩も本意ではないのですよ。まあ運が悪かったと思って諦めてください。究極の魔女に連なる痕跡は完全に消滅させなければならないのです。それが我が輩の使命なのです。いわば――あなた達は存在しちゃいけない存在なのですよ。だから殺します。君のお姉さんのように、あっさりとあっけなく簡単にいともたやすく――ね」
ハガクレは口髭を指でつまみながら、威厳ある佇まいで巡了に微笑みかけた。
巡了は眼光をぎらつかせて、口元を歪めた。
「……ゆ、許さないっ……許さないぞっ……貴様……殺してやる」
「おほほ。物騒ですね……怖い怖い。ですが、あなたが我が輩に勝てるなんてお思いですか? みたところ、先程の方達よりもだいぶ実力が劣るようですが? まぁ……あなた達がたとえどんな力を持ってようと……我が輩には絶対に勝つことはできません。なにしろ我が輩には、あなた達とは別の世界が見えているのです。あなた達なんて眼中にないのです」
そのハガクレの挑発に、巡了がとうとうブチきれた。
「わ、私を……私を舐めるなよおおおおおおお!!!」
巡了が叫ぶと同時に、彼女の右手に光が宿った。
その光は急速に拡大し、密度を増やし、それが形になっていく。守代には見覚えがあった。それは、リンネが戦う時に使っている刀だった。
これが彼女の持っている1つめの能力、武器創造(クリエイトアーム)なのだ。
だが、相手は伽藍方式3人を圧倒した怪物。この刀で倒せるのか。
巡了はできあがった刀を両手に持って上段で構えた。
「……ま、待てっ巡了! あいつは僕が引きつけて……っ!」
怒りで我を忘れた巡了に呼びかける守代。だが守代の言葉が耳に入っていない巡了は――。
「うあああアアアアアアアアア!!!!!」
まっすぐとハガクレに突っ込んでいく。
「ほっほっほ……見えます。見えますよ。我が輩にとっては全てのアクションが、リアクションが、ゲームのようなものなのです。どんなにあなたが強くても、我が輩はただ選択すればいいだけのこと。じっくりと、最善の手をね」
いったいどんな秘密を隠し持っているのか、いまだ余裕の微笑を浮かべるハガクレ。
「くそっ! まずいっ……」
何をするつもりか分からないが、このままでは巡了が返り討ちにあってしまう――そう守代は思ってすぐに巡了のあとを追ったが……間に合わない。
やられてしまう――。巡了が。リンネの時のように。
もう――そんなのは見たくないのに。
巡了が目の前に迫ると――ハガクレ・チェバスサンが、にやりと口の端を歪めた。
「ふむふむ……そうですかそうですか。なら我が輩は、この選択肢にしようか」
ハガクレはあくまで余裕ぶった態度を崩すことなく――巡了の突進をかわして、守代に向かって右腕の拳を繰り出した。
「なぁっあぁ――!?」
守代はハガクレの攻撃をガードしようと両腕を前に出すが――ハガクレの拳が腕を粉々に吹き飛ばして、そのまま守代の体を殴り飛ばした。
「ぐっがあぁああああああ!!!!!」
部屋中の物を蹴散らしながら、壁に激突する守代。彼の体は壁にめり込んで、部屋は半壊していた。
「は……守代っ。大丈夫かっ!?」
落ち着きを取り戻した巡了が、守代の元へ駆けつけた。
「……あ、ああ……なんとか」
これもリンネから受け継いだ死ににくいという特性、ダイ・ハードのおかげだろうか。守代はかろうじて生きていた。なくなった腕が急速に再生されていく。
守代としては、攻撃されたのが巡了でなく自分だという事実に安堵していた。
しかし。守代は顔には出していないが、死にそうなくらいの激痛を感じていたのも確かだ。腕があった部分が灼熱のように熱い。叫び泣きたいくらいの痛みが彼を襲う。このチカラは痛みまでは消してくれないようだ。
だが今は、そんなことをしている場合じゃない。守代は強引に痛みを拒絶した。
(ほんとに……攻撃されたのが巡了じゃなくて僕でよかった。だ、だけど……なぜ)
なぜハガクレは自分に向かってくる巡了ではなく、巡了を止めようとした守代を攻撃したのだろうか。
煙をあげながら再生されていく腕に構わず、守代はハガクレを見た。
だけど――。逆にハガクレの方は、守代を不思議そうな顔で見つめていた。
「…………ぅん? あれ? 死んでない? もしかして……我が輩が選択を誤ったというのですか……あれ……そんなこと……じっくり吟味したというのに……おかしいですね」
まるでその様子は、ハガクレ自身がなぜ守代を攻撃したのか分からない――といった風だった。
(どうなってるんだ……まさか、あいつの能力と関係あるのか? 僕達が意外と善戦できてるのもそのせいなのか? 分からないけれど、いずれにしても……これはチャンスだ)
守代はよろよろと立ち上がった。腕はほとんど再生している。驚異的な回復力だった。
(さすがリンネさん……よしっ……これならいけるかも)
「――うおおおおっっっっ!」
守代は再生したばかりの拳をふるわせて、ハガクレに飛び込んだ。
「ほうほう。なるほどそうきましたか……ならば、我が輩は今度こそ正しい選択肢を選びましょう…………ふむ。そうですか……」
ハガクレが顎に手を添えて、悠長になにやら考え込んだ。
と思ったらすぐにハガクレが右手の五指を広げ、猫のように鋭い爪が伸びて、守代に向けた――。
「……決定しました。これが我が輩のベストな選択です。では、さようなら」
向かってくる守代に対し、カウンターの形でハガクレがその体を引き裂――。
「う、うわあああっ?」
――かれなかった。
先ほどハガクレから受けたダメージが思ったより強力だったのか、守代はガクリと足の力が抜けて、バランスを崩しその場に倒れた。
その上を、ハガクレの鋭い爪が虚しく空を切ったのだ。
「は……あっ――なっ、なんでっ!? か……空振りだとっ!? まさかそんなっ、また間違えただとぉおおおっっっっっ!?」
引き寄せる波のように、一気にハガクレから余裕が消えた。
「う、わわっ……」
ハガクレのすぐ傍に倒れた守代は、這いずりながら慌てて逃げようとする。
「くっ……逃がすか……っ。ならば今度こそ最善の選択でオマエをおッ!!」
ハガクレが腕を振りあげて、それを守代に降りおろすと思いきや――クルリと後ろを向いた。
そこには――今にも刀で切りかかろうとしている巡了がいた。
「し、しまった……っ」
巡了が舌打ちした。ハガクレが守代に気をとられている内に不意打ちしようとしたらしいが、気づかれてしまったのだ。
「巡了っ!」
巡了がやられる――仰向けに倒れたままの守代は、とっさに、すぐ目の前にあったハガクレの足を両手でつかんで、思いきり引っ張った。それは、ほとんど無意識の行動だった。
「ぬわああっ!?」
巡了を攻撃しようとしていたハガクレがバランスを崩した。
その隙を、巡了は見逃さなかった。
「たああああああああああああッッッッッッ!」
スパンッッッッッ――と、滑稽なほどに軽快な音が炸裂する。
「ぐっっっっっぎゃああああっっ!」
直後、ハガクレの絶叫がリビング中に響きわたった。
「や、やった……当たったっ」
ハガクレの足から手を離した守代は、思わず拳を握り締めていた。
巡了の刀の一撃が、ハガクレの体を斬り裂いたのだ。
「守代っ、安心するのはまだ早いっ。この程度でこいつは死なないっ」
巡了がすぐに守代の襟首を掴んでハガクレから距離をとった。その直後――ハガクレが叫びながら無我夢中で、辺り構わず鋭い爪を振り回した。どうやら巡了の言うとおり、この一撃はハガクレにとって大したダメージではなかったようだ。
「ぐがあああ……どっどうしてっ。あり得ないだろっ……そんな……まさか……さ、三度もっ! 我が輩が3度もっ、選択肢をことごとく間違えるなんてっ……しかもどれも最悪の結果だなんて……え? そんな、まさか……っ」
ハガクレはなにか、どうしても納得できないことがあるようだ。そして彼は一人で、何らかの答えに至った。
「ま、まさか小僧……オマエは、オマエの能力は、我が輩の能力にとっての天敵なのか……?」
落ち着いた雰囲気がまるでなくなったハガクレは、服装を乱した風貌を整えようともせず、守代を見据えた。その瞳には怯えの色があった。
「…………」
守代と巡了は、なにも言わずハガクレと対峙している。2人にもそんなこと分かるはずがなかった。ハガクレが何を言っているか分からない。
ハガクレが青ざめた顔で口を開いた。
「そ、そういえば以前の時もそうだった……我が輩は正しい選択肢を選んだはずだった……! なのにオマエを攻撃したせいで、そのせいで究極の魔女に隙を与えてしまったのだ。ヤツに邪魔されてしまったのだ……っ! そもそもそれがきっかけで、こんなに手間のかかる状態に発展したんだ……っ! それが始まりだったんだっ!」
何か分からないが、ハガクレが守代を警戒してるのは確かだ。もしや今は絶好の好機なのかもしれない。守代と巡了は、ジリジリとハガクレに近づいていく。
ハガクレは、なおも一人でぶつぶつ言っている。
「そ、そうだ……オマエに対しての選択肢で失敗してしまったんだ……まさか……まさかオマエは……我が輩の選択肢を――ハズレさせているというのかッ!?」
ハガクレは守代を指さして問いただした。だが。
「……さっきから、お前がなにを言ってるのか全然分からないんだよ」
きっとハガクレよりも守代の方が分かっていない。そもそもハガクレの能力すら分からないのだ。
「……そうですか。これも……試されているのですね。我が輩の選択を……」
次第にハガクレは落ち着きを取り戻し逡巡した。そして。
「……ならばこれは賭けだ。我が輩はあえて逆を選択しよう。最悪だと思う選択肢を選ぼう! あなた達に、我が輩の能力を話すという選択肢をあえて選ぼうっっ!!!!」
ハガクレが両手を広げて、高らかに叫んだ。
「…………なっ」
ハガクレが自らの能力を話すというその一言で、守代と巡了は動きを止めた。
そしてハガクレがゆっくり口を開く。
「我が輩の能力は全ての事象に対して選択肢が発生するというもの。人生とは選択肢の連続です。一瞬一瞬のシーンで素早い決断が求められる。迷っている暇なんて与えてくれません。気付けば後悔だけが残る。あの時こうすればよかった、ああすればよかったと人は後悔する。だが――我が輩は、それを超越したのです!」
紳士然とした言葉遣い。守代と巡了は耳を傾けて聞く。
「我が輩の前にはことあるごとに、無数の選択肢が用意されます。行動を予め選択肢として配置されているのですよ。それはいずれもその状況にとって考え得る限りの、無限といっていい数の選択肢です。そして当然我が輩はその中から一つを選択しますが、無数にあるのに選ぶ時間なんてないと思いますが、実はここが我が輩の能力の真骨頂で……選択する際には、それぞれの選択肢を吟味する時間が与えられているのです」
「ぎ、吟味するって……?」
巡了が刀を構えたままハガクレに尋ねた。守代には話が半分も分かっていないのだが、巡了はちゃんと理解しているようだ。
「つまり……我が輩が選択肢を決定するまで時間は停止するのです。正確に言えば……我が輩はそれぞれの選択肢を同時に全て体験して世界が無数に生まれ、その結果、最良の世界だけが答えとして残るのですが……その世界を認識できないあなた達にこんなこと話しても混乱するだけでしょう……。だから、時間が止まるとだけ言っておきましょう」
「…………?」
ハガクレの話す内容はまるでSFそのものだった。守代にはもはや理解の範疇を超えている。
「とにかく、あなた達に分かるように言えば――我が輩が選択するその間は、我が輩は動くことができないが、思考を動かすことができるという事です。我が輩はじっくりと、最善の中の最も最善な選択肢を選び出せるというわけですよ」
ハガクレは守代達を探るように見比べながら言った。
巡了は眉一つ動かさず、真剣な顔で刀の刃先をハガクレに向けている。
守代は話を自分なりに頭でまとめて、なんとか理解しようと努めていた。
つまり――と、ハガクレは己の能力をまとめた。
「つまり我が輩の能力は――全ての行動の前には予め選択が現れて、そしてその中のどれかを決定するまでは時間は停止している――という2点に集約されます。実になんてこともないものです。ですが……これはとても便利なのですよ。すごく利用価値の高いものなのですよ」
なるほど。それがあれば常にとっさの決断が要される戦闘時には重宝する能力だろう。これが伽藍方式の強者達を圧倒した、ハガクレの強さの秘訣だったのだ。
――なんとなくだが、ようやく話が理解できた守代だった。
「我が輩は全てのアクション、リアクションを選択していく! そうっ! つまるところ我が輩にとってこの世界は、まさにADV(アドベンチャーゲーム)なのですよ!」
そう話を結んで説明を終えたらしいハガクレは、しばらく周りの様子を眺めていたが、何も変化がなさそうなことを悟ったらしく、一気に表情を暗くさせた。
「ふ……ですが、我が輩の秘密について話し終わって懸念は確信に変わりました。我が輩にとって最悪の選択をすることが、もしや最善になるかと思いましたが……それは普通に最悪のままに終わったようです。確定です。これは……いまだかつてない恐怖です。やはりあなたの能力は、我が輩にとって最悪に相性が悪いようです。ならば我が輩は……」
と――。ハガクレの目つきが変わった。殺気に満ちた瞳。何人もの人間を葬った者の瞳。
ごくり――と、守代はのどを鳴らした。そのとき。
「では、さらばですっ!」
ハガクレ・チェバスサンは一瞬の動作で、入ってきた時と同じように、破れた窓から逃げ出した。
「し、しまった……! 逃げられた!」
予想外のハガクレの行動に、守代はショックの色を隠せなかった。
「すぐに追うぞっ! 守代っ!」
巡了が冷静に叫ぶと、刀を消失させてハガクレの後を追った。