アウトキャスツ・バグレポート

    1. プロローグ

  • ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

    序章 拒絶体質の新生活

     
    「それじゃあ守代(かみしろ)君。これで手続きは全部終了だからもう帰っていいわよ。ええと……まだ寮のほうには行ってないのよねぇ?」
     職員室の端の方の席に座る若い女教師が、朗らかな笑顔で言った。
    「えと、寮にはこれから行こうと思っているんですけど」
     女教師と向かい合って座る少年はぎこちない笑顔で答えた。
    「あら、そうなの。まぁ初めての1人は大変だと思うけれど、カエル荘の先輩達はみんな優しいから多分きっと大丈夫よ。気楽にやればいいのよ〜。若いんだからどんな環境でもすぐ適応できるわよっ。ぐっどらっく」
     女教師は親指を立てて快活に笑った。
    「あ、はぁ……そうですか。じゃあ僕はそろそろ……」
    「ああうん、お疲れ様。4月に入って学校が始まる日までゆっくり新しい生活に慣れて、そして寮のみんなとも仲良くするのよ。せっかくの機会なんだから青春を満喫しないと勿体ないわよ」
     世話好きらしい女教師は、椅子から立ち上がった少年に言葉を投げかけた。
    「……はい。それじゃ、ありがとうございました」
     苦笑いを浮かべた少年は女教師にお辞儀して、逃げるように職員室を後にした。


     4月から高校生になる少年――守代刻羽(かみしろときわ)は、じきに毎日通うことになる高校の敷地を出て、寮に向かっていた。
     オレンジ色の夕空をまっすぐに歩く守代。
     守代は歩きながら思う。ところどころに桜の花が舞い落ちている道。これから自分が3年間歩くことになる道……。そんな事を思うと、なにか感慨深いものを感じた。
     そして考えることといえば、これから3年間を過ごす事になる寮――カエル荘。
     どんなところだろうか。どんな人がいるのだろうか。そしてなんでカエルなのだろうか――と、色々と不安はあったが、今はただこれだけを望んでいた。
     ただ僕は、気楽に、静かに、穏やかに過ごしたい、と。

     ――守代刻羽は孤独だった。彼は幼い頃に親に捨てられ、それから親戚の家をたらい回しにされてきた。だから彼が人の顔色を伺って生きるようになったのは必然とも言えた。何度も変わっていく家族。その度に彼は気を遣った。周りに合わせようと努力した。迷惑を掛けないように、自分を殺した。でも彼は人の顔色を見て過ごす生活に嫌気がさしていた。できるなら、誰とも関わらずに気ままに生きたかった。
     だから自然と守代はゲームをするのが趣味になっていった。ゲームなら誰とも関わらないで1人で楽しめるから。ゲームなら1人で世界を完結させられるから。
     ちなみに余談だが、特に彼が好きだったのはゲーム内で不具合(バグ)を発見することだった。ゲームという1つの完結された世界で生じる異常。誰もが気にもかけないバグ。守代はその存在に自分を重ね合わせていた。彼は世界から見放された存在に気付いてあげる為に、ずっと1人でゲームをして過ごしてきた。
     だからといって守代刻羽は、部屋に引きこもってゲームばかりしていたわけではない。彼は勉強もおろそかにしなかった。それは単に勉強していると親戚からよくみられるという理由だけではなかった。彼は親戚から独立して自由を手に入れるために勉強していた。誰にも気兼ねすることなく過ごせる毎日を手に入れるために頑張って来たのだ。
     そして彼は今――自分の力で夢を叶えた。
     今年から高校生になる彼は、奨学金で寮生活を送ることになった。
     憧れの自由。誰の目も気にせず気兼ねなく過ごす日々。
     居心地の悪い親戚の家からの脱出。その為に彼はずっと勉強を頑張ってきた。全ては好成績で高校に入って奨学金を貰うために。そしてとうとうその念願が叶ったのだ。奨学金の話が通った時、これまでの苦労が走馬燈のように駆け巡ったのを感じた。
     叔父と叔母には気を遣い、同い年のいとこの女の子から虐げられ、神経をすり減らし続けてきた日々はもう終わる。もう我慢する事はないのだ。それは嬉しくないはずがなかった。
     だが、しかし――守代は同時に不安を感じる事があった。
     もちろん親戚の家から自由になれるのは嬉しい。だけど……いざ寮生活を送ることになったら、それはそれで気を遣わなければならない生活が待っているのではないか。
     そう。寮というからには、来月から通うことになる高校の生徒達が入居しているわけで、つまり当然、彼らとの共同生活を送るということ。
     せっかく手に入れた自由だというのに、また神経をすり減らす生活を送るのは勘弁だった。誰かと共同生活するには、守代は他人の目に怯えすぎていた。自分には寮生活は不向きだ。できるなら守代は、他の人間を拒絶して1人で生きたかった。
    「拒絶……か」
     守代は呟いて、つくづく思った。拒絶――それはなんて自分にピッタリな言葉なのだろう。
    「……ああ。なんか……お腹が痛くなってきた……昼ご飯食べすぎたのかな」
     守代は途中で、電柱の影に立ち止まってお腹を押さえた。虚弱体質……いや。彼の場合、拒絶体質といった方がしっくりくる。
     思えば守代刻羽は、常に拒絶されて生きてきた。
     親から拒絶され、親類達から拒絶され、そして彼は自分の体からも拒絶されていた。
     そして彼は生まれつき体が弱かった。
     体が弱いということは、つまり体の免疫が過剰に働き、口に入ったものや外的影響に対して強い拒絶反応を起こすというもの。油の多いものや辛いものを食べたら必ずといっていいほど腹を壊すし、夏に海に行けば皮膚がバリバリめくれる。もちろん花粉症の季節は地獄だった。
     守代は時々思う。もしかしたら自分は運に見放された存在なのかもしれない。この世界にとってのいらないものであり、淘汰されるべき存在……。
    「いけないいけない……今日から新生活だってのに、こんな気分じゃいけない。もっと前向きにならなくちゃ……だってもう」
     彼は電柱の影から出て、少し離れたところにある大きな建物を見上げた。
    「今日からここが……僕の家なんだ」
     閑静な住宅街から少し離れた、周りには何もない人通りの寂しい場所に建つその建物が――カエル荘。
     守代刻羽の新しい生活は、ここから始まる。


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